其れしか出来ない


扉を開ければ五月蠅かった教室が一瞬で静まりかえる。そのまま俺は教卓まで行く。教卓に出席簿を置けば日直が「起立」と号令をかけ、ガタガタと音を立てながらも皆席を立つ。「気をつけ、礼!」と号令がかかり「お早う御座います」と朝の挨拶を言われつつ、会釈をされる。次には「着席」と言い放ち、又音を立て皆座る。此が朝のSHRの始まりだ

『お早う』

そう言い俺は出席簿を開く。「本日の欠席者は…」と教室全体を見渡せば、1つの席が空いている。出席簿を眼で追えば軽く溜息が出た

『…。誰かグリットは見たか?』

問えば沈黙か首を振られる。何人かは近隣の奴に存在を問い合う。だが、返ってくる答えは「いない」である。結局、誰も彼を見ていない事を知り、又溜息が出た
彼、エース・グリットは中々学校に来ない不良者だ。何故来ないかは分からない。授業中に見ても帰りのSHRには姿が無い時もある。昨年は担任じゃなかったため授業中の姿しか知らないが、俺には真面目な子に見えた。寝た処は見た事が無く、又遊ぶ事も無く、俺の授業に耳を傾けていた。試験の結果は古文が脚を引っ張っていたが、悪くは無かった。それに良く質問にも来ていた。勉強熱心な子なんだなと思い、眼をかけた。今年になり彼の担任になれた事は、実は嬉しく思えた。だが彼は、少しずつ学校に来なくなってしまった。今では来るのが珍しい扱いで、教科によっては単位を落としてしまう可能性もある。それは担任としては避けたい処なんだが…
小さく溜息を吐き前を向く。彼の事は一瞬忘れる事にし、先程まで職員室で話された内容を生徒達に話す。当たり前だが、皆真面目に聞く事はない。俺が学生時代の時も、よく幼なじみがふざけ、怒られていた。それが分かっている分、此方もやりやすい。一通り説明し「…以上」と言えば、待っていましたとばかりに日直が号令をかける。まるでロボットの様に一連の作業をしていく。「有り難う御座いました」と最後の仕事を終えれば、未だこの場を離れてないのにドッと教室内が騒がしくなる。その声に呆れつつ俺は教室を出た

教員には職員室だけではなく、教科毎の部屋があり、普段は其処にいる場合が多い。俺もその1人で職員室ではなく[国語教員室]と書かれた部屋に行く。教室半分より大きめな部屋には、入口付近にソファが向かい合って置いてある。勿論、中央には机があり、主に生徒の相談に使う場所だ。その奥には教員それぞれの机や棚、ロッカーがあり、間に隔てる壁が1枚あるだけだ
俺は自分の荷物を机に置き、椅子に座る。本来なら茶の1杯でも飲みたい処だが我慢し、電話の受話器を握る。初めに0を押す事で外線に繋がる其れに、俺はもう慣れてしまった番号を押していく。受話器を耳にあて、受信音を何度か聞けば、一瞬何も聞こえない状態になった

「只今、電話に出る事が」

『またか…』

溜息を吐きつつ受話器を置く。ここ最近、毎日此の繰り返しで何1つ進歩が無い。そんな状態に少し嫌気がさす。何故、家に掛けているのに留守電に繋がれてしまうのか?意味が分からない
その苛つきが態度にも現れてしまい、普段なら小さな音をたててする行為が全て大きくなってた
俺は机の下に置いてある鞄の中から鍵を出し、それを引き出しの鍵穴に差し込む。左に捻れば音がし、解除された事が分かる。そのまま引けば、中に少し分厚いファイルがあり、俺は其れを出し机に置く。バラバラと捲り、目的のページを開き眼を追った

『意外と近いな』

住所の欄を見れば隣町だ。行った事は無いが、分からなくなれば道行く人に訊けばいい。念の為、住所を手帳に記入し、ファイルを仕舞い鍵をかける
本来なら、こんな事教師がするのか分からない。いや、義務教育中ならやるかもしれないが、高校は義務教育では無い。なら、やらないのが当たり前かもしれない。それでも、俺はこのまま自分の生徒を放置する事が出来ない。それに昨年、一番眼をかけた奴だ。生徒に其処まで感情を持つのはどうかと思うが、出来る事がしたい
運良く、2時間分の授業が無い俺はポケットに財布とケータイ、それから鍵を入れこの部屋を出る。部屋を出る際に眼が合った教師に何故か一瞬で眼が反らされた


教員用駐車場に行けば殆どが車で占めている。その中を通り、屋根が設置された場所に行く。本来なら駐輪場であり、自転車が並ぶ其処には1台のバイクがあるだけだ
そのバイクに近付き、椅子の中に仕舞っておいたヘルメットを出し被る。バイク用に使っているグローブを着け、グリップを握りスタンドを降ろす。安全な所まで押して歩き、俺は椅子に座り鍵を差し、エンジンをかける。そのまま躊躇無く俺はバイクを発進させた

通学時間も通勤時間も過ぎたこの時間帯は、寝坊でもしたのか急いで自転車を漕ぐ学生や、井戸端会議をしている女性陣以外に道を阻む者は特にいない。その方がスピードが出せて有り難い。法を破るのは気が引けるが、俺にある時間は限られている。今日を逃せば次はいつ、こうして探し回れるか分からない。そう考えると無意識にスピードが速くなってしまった
入り組んだ住宅街を走る。少し走れば住宅街が無くなり、スーパーなどの店が現れた。其処を突き進めば、眼の前に建物が無くなり、最終的には橋が見えてくる。小さな橋だが、此を渡れば隣町だ。そう思うと何故か緊張してしまっている己がいた。その理由が分からないが、無駄に背中が熱くなり、ソレが嫌で又スピードを出してしまう。吹き抜ける風が気持ち良く、眼を細めそうになる。それを振り払うために、本来ならやってはいけないが、頭を左右に振った

『ん?』

その一瞬入る視界に気になるモノが映った。そんなモノを気にする暇は正直無い。だが、気になるモノがあるとそれを見とかないと後味が悪いのは、嫌と言うほど体験してきた。仕方なく橋を渡りきった後、俺は河川敷の土手の上を走るために身体を横に倒し、バイクを曲げた
土手の上を走りつつ、眼線は河川敷だ。気になるモノは真下になく、視界範囲を徐々にに広げていく。すると、先程は小さく見えた気になるモノが少し大きく映る。それが何なのか気になり、それに眼を集中させ走っていけば、映るモノが人だと認識出来た

『…まさか?!』

口にする前に身体が反応した。スピードを上げ、その者の近くまで走っていけば、見知った髪色が入る。昨年何度も見た色。今年になり少なくなった色。灰色がかった髪色を、俺は忘れた事はない
その者の近くまで走り、俺はバイクから降りた。鍵を抜き、スタンドにかければ、そのまま滑るように土手を下り、河川敷に入る
話しかける言葉の内容なんか考えてなかった。まさかこんな処にいるとは…。予想外とはこの事を言うのかと1人納得し、酸素を求める

『グリット』

呼んだ先にいる、制服姿で小さく縮こまり座っている背がビクリと震えた。そのまま勢いよく立ち上がり、此方を凝視してくるのは俺の探していた学生だ
だが、可笑しい。彼は、こんなに弱々しい肉体の持ち主だっただろうか?いや、彼自身が弱々しく見える

『だ、だれだ、よ…?』

震えた声で発せられた内容に驚いた。此奴は担任の顔を忘れたのか?昨年教わり、何度も質問に答えた教員の顔を忘れたのか?そう訊き返そうになったが、自分の頭が異様に重い事に気付き、ヘルメットを外し忘れた事を思い出した。なら、分からなくても仕方ないかと溜息を吐き俺はヘルメットを外し、其れを地面に置く

『か…、ざみせんせい…?』

『久し振りだな』

元気だったか?と問うが、答え無くても分かる。只でさえ弱々しい身体に隈が出来、頬にうっすらとだが線が見える。未だに鼻と眼が紅く染まっている顔
一体彼に何があったのか?疑問に思ったのが先なのか、本能が先だったのか、気が付けば俺はグリットに近付いていった

『…くるなっ!』

弱い音色で強く発言をするグリットは身体が震えていた。眼から水が溢れ出しそうなのを必死に我慢し、耐えている姿が眼に入り、嫌になる。そんな彼をどうにかしたくて俺は近付く為に、前に出る

『くっ、くるなっていってんだろ!』

叫ぶがその発言を無視し、気にせず近付いていく。そんな俺を驚愕な眼で見るが直ぐに恐怖にかられた眼に戻ってしまう。そして震える。その姿はまるで捨て犬の様だ。いや、猫か?
来るなと言いつつ俺が近付けば後ずさると思っていたが、グリットは後ずさる事をしなかった。いや、この場から逃げてしまう様な素振りさえ見せない。「いや」と「くるな」という2種の単語を小さく吐くだけで、後は震え、必死に立っているだけだ。そんな彼に対し、俺は躊躇無く近付く。近付くに連れ、1歩距離が近くなるだけで、彼はビクリと身体を震えさせていた
そんな彼との間隔が、俺の腕を軽く伸ばして捕まえられる範囲になった所で俺は脚を止める。だが、腕を伸ばさず、彼奴の眼を見るだけだ

『な、んで…?』

『……』

『なんで、いんだよ?なんでちかづくんだよ…?ほっといてくれ!』

1人で居たいらしい彼はそう吐く。だが、何故だろうか。1人は嫌だと顔に書いてある。それは「淋しい」や「助けて」にも読めるのは、俺だけなのか?

『悪いが、お前を放っておく事は出来ない』

『はあ?な、んでだよ?たんにんだからか…?』

だったらうぜえよ。きょうしってもんはそこまでしなきゃきがすまねえのか?
彼は睨みながらそう吐く。だが、相変わらず顔に書かれた文字は変わっていない。それが悲しい。今にでも壊れてしまいそうで、俺が泣きたくなった

『…誰かのために何かしたいという気持ちに、身分も歳も関係あるのか?』

担任だからでは無く、1人の人として、俺は此奴のために何かしたい。それが俺の本心だ
そんな俺の一言にビクリと身体全身を震わせた彼は、何故だか分からないが眼を細め、笑った。嬉しそうに、だが切なげに彼は溜まって我慢していた水をはき出しながら、笑った。その顔に気を取られ、眼を奪われてしまった俺は、気付いた時には身体に重みを感じた。背を弱々しく掴まれ、俺の胸に頭を預ける彼は小さく声を洩らしながら、震えていた

『せん、せえ…』

『なんだ?』

『いえに、かえりたく、ねえ…』

俺より身長も歳も1回り違う彼は、呟いた後先程よりも強い力で背を掴む。そんな彼に対し、俺は何が出来るのだろうか…?













其れしか出来ない














ゆっくりと腕を伸ばし、彼の背に持って行けば、ビクリと震えられたが嫌がる様子が無い。力を込めても、彼は逃げる様な素振りをせず、ただ俺に体重を預けていた

『俺の家で良ければ来るか?』

俺の出せた答えは其れだけで、本当に彼に対し何が出来るか分からず、そんな自分が嫌で

俺が泣きたいのかもしれない

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