イきてこそ







「お世話様でした」

シャッと廊下と診察室を区切るカーテンを閉めて手荷物を持ち直す。

「風見さん、これを会計受付に出してください」

「わかりました」

看護士からファイルを受け取って踵を返した。

まったく、自分も鈍臭くなったものだ。

「俺が骨折、なんて、笑うしかないな……馬鹿くさい」

首から吊るされた左腕をさすって、皮肉った笑みを自分に向かわせながら受付へ歩く。

受付のケースへファイルを置こうとして、視界の隅に薄い水色が映った。

「……?」

気になって上体を傾げれば、入院患者用の寝巻きが見える。

見舞い禁止の札も出ていない場所だから独断でそこへ向かった。

同時にその人間も動き出し、それが僅かに癪に障る。

線の細さと背中上部でさらさらと揺れる翡翠色からして女だろうか。

しばらく階段を上り、少女がくぐった扉に続く。

「……っ」

急に増えた光の量に目をすがめる。

少し冷えた風が体をなで、そこが屋上であることを理解した。

「誰だテメェ」

声に反応して顔をそちらに向ければ、先ほどまで前を歩いていた翡翠の髪がなびいている。

少女だと思っていた人間は男だったらしい。

一体どうやって登ったのか、身の丈を余裕に超える落下防止の柵に腰かけ、こちらを見下ろしている少年を無言で見上げた。

「自殺願望者か?」

「うるせえな、先に質問したのは俺だ。ついて来るとか変態か」

「違う」

そこの否定だけは即答して柵に手をかける。

「ただ気になっただけだ」

「それこそ変態だろ」

鼻で笑った少年は、強めに吹いた風に心地よさ気に目を細めた。

灰色の瞳が和んだのを見て、一瞬自分の心がとくりと脈打った気がする。

「で、自殺願望者なのか?」

「……」

「そうなのか」

「おい勝手に決めんな!つーか俺もお前も初対面だと思うんだけどよ、普通初対面の人間にんなこと訊かねえだろ」

返事が返ってこなかったので勝手に解釈すると少年が吠えた。

「……ただここからの景色が好きなだけだ」

柵の上から外を見下ろして自殺願望なんて微塵もねえよ、とつぶやいたその姿は今にも空に融けてしまいそうで。

冷たい金属に触れた手に力を入れれば痛く掌に食い込んだ。

しばらく、お互い無言のまま風景を眺めていると少年が口を開く。

「お前……」

「なんだ」

呼びかけにふと顔を上げた。

「俺が気持ち悪くねえのか?」

質問の意図がわからず、ただ少年を見上げていれば、彼は少し前の俺が自分にしたように皮肉の笑みを浮かべる。

「俺はな、一生治らない病気なんだとよ。よく知らねえけど、治療方法は薬で進行を遅らせるだけ。おかげで色素はおかしくなるし体は成長しねえし。な?気持ち悪いだろ?」

「っ……」

さらりと笑って話すという衝撃に愕然としていると、少年は俺の傍らに降りてきた。

「触るか?」

手を差し出してあまりに綺麗に笑うものだから、出された手を掴み取って引き寄せる。

「っ!?」

息を飲んだ音が聞こえ、離れそうなった相手の体に腕を回して閉じ込めるように抱きしめた。

「お前が、好きになった。だから、そんな悲しいことを、言わないでくれ」

肩口で震えた呼吸が長く吐き出されているのを聞きながら、壊れそうなほど痩せた体をただ擁く。

「っ、お前、名前は……?」

「……風見シュンだ。シュンで良い」

震えている小さな嗚咽に目を伏せながら己の名を言えば、少年が肩に額を押し付けた。

「シュンっ……つら、い……!」

細い手首に巻きついたナンバリングされた腕輪には走り書きでエースと書いてある。

それを見て小さくエース、と呼べば冷めた腕が背中に回った。





イきてこそ



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