精一杯の返答


『じゃあ、下に行って』

『はい。有り難う御座います。失礼します』

総務で伝票チェックや資料綴りが終わり、女の先輩社員に伝えれば、いつもと同じ事を言われた。なので俺もいつもと同じ台詞を吐いて部屋を出る。廊下に出て、俺は手荷物を確認した。ノート。ファイル。デカめの筆記入れにホチキスはちゃんとある。後、電卓も持ってる。よし、平気だ!確認が終了し、俺は階段に向かい1階に降りた
この会社に入社して、1ヶ月過ぎたが、俺はまだ研修生だ。まだ決まった部署もなく、ただ[営業]社員という肩書きがあるような無いような…。実際に現場は全然やってねぇから、本当に営業社員か分かんねえけど…。そんでもって、俺は毎日いろんな部署を盥回しだ。朝は管理物流部から始まり、最近じゃ開発部で終わる。だが、これから行くトコは営業社員が集まる場所。つっても現場じゃねえ…。だが、営業職を希望して入社した俺にとっては、一番張り切れる場所だ
下に降りれば、朝早くから現場で働いていた社員がリフレッシュルームで軽く軽食を食っていた。くそ!こっちだって腹が減ってんだよ!!出社時刻は一緒なのに…!だが、ここで睨みつけたり悪態をついたら、必死に頑張って内定を貰ったこの会社を、最悪の場合クビにされかねねえ。俺は俺なりに笑って、リフレッシュルームの通り過ぎ、部屋に入る

『お早う御座います』

この会社は基本である[挨拶]には五月蠅い。しかもただ挨拶するだけじゃなく[笑顔]と[元気]にもだ。正直、笑うこと以外での笑顔は無理だから、元気だけは頑張ろうと俺は少し大きめな声で挨拶をし、部屋を進んだ。それぞれの席に座り、伝票記入に忙しい社員は、それでも俺の挨拶に応えてくれる。それが嬉しいような、申し訳ないような。そう思いつつ、俺は部長の席まで行く

(今日もあの席がいいな…)

部長の席に着く途中で、俺は空いている1つの席を見た。いつも、営業の仕事に来ると座る席。はっきり言って、俺はこの席が好きだ。落ち着くし、それにこの席の仕事なら大半覚えたし。この席の社員とはもう親しくなったしな
前に一度だけ、違う席に座ったが、正直もう座りたくねえ。社員は優しかったし、仕事も簡単なもんだったがいきなり大量の仕事を渡され、しかも話しかけてきやがった。こっちは電卓を叩くのに精一杯なのに、話しかけられたら、計算は狂うわ、やり直すはで…。苛ついたが、俺は新入社員だから反論なんて出来ねぇ。あの日はストレスが凄かったな!
あの日以来座ってなく、いつも座るようになっている席は、もう決まりになっているような席だが、一応部長に確認を取らなきゃなんねぇ。今日もあの席であるようにと願いながら、俺は部長の前に立つ

『部長、今宜しいですか?』

『ん?ああ、グリット君か』

何故か額に眼鏡をかけた部長は、記入している伝票から俺を見た。そういやこの部長、殆ど見えないとか話聞いたな。それ、本当なのか?つか、そんならちゃんと眼鏡かけて伝票書けよ

『今日は何処に行けばいいですか?』

問われた部長は手を顎にあて考え始めた。毎日この時間帯になったら、俺はこの人の指示に従うよう総務の人間には言われているが、指示する側も大変なんだな。まだ1人前じゃねえ人間に、マトモな仕事渡せられないしな。それとも、毎度のやりとりに嫌気がさしたのか?

『何処って、お嫁に行くか?』

『……』

サラリと言った部長の言葉の意味が分からなくて、本来なら直ぐに返事をしなきゃなんねえのに、俺の頭は一瞬で真っ白になった。そんな俺を見て部長は「て、まだ早いかー!」と1人笑った。そこでやっと、俺は部長に言われた言葉を理解し、それなりに笑うが拳をつくった。てめえ!嫁ってなんだよ?!大体俺は男だ!何度言ったら分かる?!ハゲ!!つか早いって…。確かに恋人もいねえよ!悪かったな!!

『ま、いつも通りあの席で〜』

部長は指を指し席を指定した、軽い口調で。その軽さに怒りが爆発しそうになっだか、指定した席が願っていた席だったので一瞬で消えた。さっきの発言は許せねえが、これでチャラにしてやる。俺は「分かりました」と部長に一礼し席に向かった

『お!エースちゃんおはよ!今日も宜しくね〜』

『は、はい…。ヨロシクオネガイシマス…』

席に荷物を置くと、俺の右側に座る人がやってきた。ああ、ちゃん付けは止めてくれ!だが、この年配の方はあんまし仕事渡さないし、俺の事を実の子のように可愛がってくれているから許せてしまう。つか、この席の人達、みんな優しいし雰囲気とか好きだから許せてしまうんだよ!
席に着けば正面に座る人はまだ居なかった。まだ現場か?忙しいんだなと感じ、俺は斜め右側を見る。4人掛けテーブルで俺の次に若い、確か4つ差だったか?、まあその人はケータイで電話中だった

『…っ?!』

ふと、その人がコッチを見てきたから吃驚して俺は下を見た。な、なんで今日に限って恥ずかしいんだ?!顔が少し熱くなって、さっき部長に言われた言葉が何故か木霊する。部長の所為だ!あんな事言うからだ!

『グリット君、お早う。どうした?体調でも悪いのか?』

『べ、別に…。悪い訳じゃありません!!』

何故かマトモにこの人、さっきまで電話中だった風見さんを見ることが出来なくて、声を張り上げていた。そんな俺に対してなのか、クスリと笑う声が聞こえた。あ、絶対この人今笑いやがったな!俺は顔を上げるのと同時に風見さんを睨みつけるが、風見さんは動じる事無く綺麗な顔して笑っていた。もう、この人なんか知らねえ!
俺は正面に座る人が残したメモの山を自分の机の上に置く。仕事の1つ[メモ用紙と厚紙をバラバラにする]つまり[ホチキス剥がし]を実行することにした

『処で、グリット君』

『なんですか?風見さん…』

『誰の嫁に行くんだ?』

『っ?!』

ホチキス剥がしに集中していた手が、風見さんの発言で思いっ切り滑った。て、メモが少し破けたじゃねえか!!だ、大丈夫か?空白の部分だから大丈夫だと思うが、怒られたら風見さんの所為にしてやる。つか、風見さんの所為だ!

『…聞いてたんですか』

てめえ、電話中だったくせに…!

『ん?ああ。何となく耳に入った』

それで、誰の嫁に行くのか?
とこの人は聞いてくる。もう、意味分かんねえ!

『風見さん。俺、男ですよ?』

『あ、そう言えばそうだったな。だが、グリット君なら嫁でもいけるだろう』

女性顔負けの美人だからな
と風見さんは言う。そんな言葉に対して今まで会話に入ってこなかった右隣の人が「そうそう。エースちゃん可愛いし」と言ってきた
なんでだ?なんで右隣の年配の方に言われるのは気にしねえが、この斜め右側の人に言われると腹が立つんだ?!あれか?言い方か?それとも歳の差効果か?!
話し中もホチキス剥がしを中断しなかったため、直ぐに終わったメモ用紙と厚紙を俺は元の机に戻す。そして俺は席を立ち、次の仕事に移ることにした

『変なこと言う暇があったら手を動かして下さい。それから、送り状と運賃表下さい。俺がやっときますから…』

『これでも動かしてるぞ?と、毎度すまないな』

苦笑いしながら、送り状と運賃表を渡すのは風見さんで、俺は風見さんからそれらを受け取るが、凄くドキドキしていた。いや、正直いつもドキドキしてんだけど、な…。風見さんの仕事姿、かっけ…て、何思ってんだよ?!ああ、又顔が熱くなってきやがった!

『それともう1つ頼みがあるんだが…』

『な、んですか…』

『帰りに婚姻届を貰ってくるから、明日それに記入してくれ』

『あ、はい。わか…へっ?』

意味を理解する前に、俺は風見さんから渡された送り状や運賃表がバラバラと下に落としていた。コンイントドケ?はい?記入って…。て!

『風見さん!貴方何言ってんですか?!いつまで部長の言葉引きずってんですか!つか、俺は男だって言ってるじゃないですか?!』

大体、誰と婚姻させる気ですか…
と溜息混じりで最後の言葉を吐く。なんなんだ、この人。口を開けば意味分かんねえ事喋りやがる。黙っていればいいのに…

『俺とじゃ嫌か?』

『はっ?』

『俺と婚姻するのは嫌か?』

『いや、だから…。――っ?!』

風見さんの発した言葉を理解して、罵倒でもしようかと思えばそれよりも先に風見さんが真剣な眼で俺を見てくるから何も言えねえ。顔は熱いし、心臓はウザいし。仕事しなきゃなんねえのに。つか、さっきから風見さんのケータイ鳴ってんのに。じっと風見さんは俺を見てくる。水の中にいる訳じゃねえのに、こんなに呼吸が出来ねえのは初めてだ!

『か、ざみさん。俺は、男ですよ?』

『男だろうと俺はグリット君、いやエースの事を気に入っている』

ビクリと肩が震えた。初めて、風見さんに名で呼ばれた所為なのか、それとも男なのに俺の事を想って伝えてきたからなのか。もうどっちでもいい!この恥ずかしい台詞を吐く風見さんの阿呆毛を引っ張りてえ!それでも、そんな事出来なくて俺はただ顔を紅くしているだけだ

『そうやって顔を紅くされると期待する。だから、応えてくれないか?』

風見さんが腕を延ばし、何故か俺の頬に触れてきた。眼は俺を捕らえて離さねえ。この手から俺の心音が伝わってしまいそうで怖いが、離されるのがもっと嫌で、俺は払わない。マトモに口を開く事が出来ない俺は、風見さんの手に自分の手を重ねて、コクリと頷く事が精一杯だった














精一杯の返答














『あー長引いた!と、お早うグリット君。て、何やってるんだ?』

『あ、惜しい!今、風見君がエースちゃんにプロポーズしてたトコだったんだよ〜』

『あ、そうなんですか?!で、風見。どうだった?』

『明日、結婚します』

『そっかー。おめでと』

『うん、良かった良かった〜』

『…(なんでこの人達、偏見とかないんだろ)』

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