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そのハート泥棒ぼくのです

 1
 目前の席にいる黒尾くんを視界に入れてはダメだ。少しでも映してしまうと、自分の意思とは関係なく、心臓がどくどくとうるさいくらいに高鳴って、全身を巡る血液が忙しなく動き、彼の些細な動きを逃すまいと目が離せなくなってしまうから。けれども、黒板を見るためには前を向くしかない。そうすると自然と彼が視界に入る。そんなことを思っているだなんて露程知らない彼は、うつらうつらと頭を揺らしていた。普段抜け目のないように見える彼だから、ふいに見せる隙だらけのその姿に、ついつい頬がだらしなく緩んでしまう。そんなところも彼の魅力の一つなのだろうな。ますます目が離せなくなってしまう。例えるなら、そうだなあ、底なし沼、というやつなのかもしれないね。

 2
 後ろの席の彼女はとても物静かだ。ひとりでいるときは黙々と本を読んだり、ときおりぼんやりと目を浮かせ窓の外の移ろいゆく景色を眺めている。友人と思わしき人物と話している様子を見てても、言葉少なにぽつりぽつりと表情を変えず話している印象があった。その様子が、なんとなく一学年下の幼馴染の姿と重なって話しかけたくなる。だから、いざ後ろを振り向いて話そうと試みるけれども、反応はいつもそっけない。わざとらしく、覗き込むように視線を合わせようとすると、ふいと逸らされてしまう。俺、何かしたっけか…。考えてみるけれどもわからず途方に暮れるばかり。それからもきっかけは掴めず、まだ彼女ときちんと話せずにいる。今まで交わした会話は「プリント足りてる?」「うん」「黒板見える?」「うん、まあ」とかそういう必要最低限のことだけだ。実は一年生のときから気になっていて、ずっと話すタイミングをうかがっているだなんて、彼女はこれっぽっちも知らないだろう。

 3
 ひらり。プリントが一枚落ちていく。黒尾くんのプリントだ。落ちたよ、と知らせたいけれど、緊張して声が出ない。まだ彼とは一度もちゃんと話したことないのだ。気付くかな、と思ってそのまま見守るが、しばらくたっても彼は落ちたプリントに気付く様子はない。仕方ない。一度大きく深呼吸をする。すう。はあ。よし。勇気を奮い立たせて、自分より高い位置にある肩を恐る恐る叩く。たったそれだけのことで、鼓動が高鳴って全身が熱を持つ。指先で彼の体の一部に触れるだけで、そこからわたしの有り余った熱が伝わってしまいそうでどきどきする。彼はすぐに肩越しに振り向いた。ぱちり。彼の視線とかち合った。「なに?」黒尾くんは首を傾げた。「落ちたよ」そうたった一言を告げればいいだけなのに、声がでない。ぱくぱく。口だけが動く。ダメだ。やっぱりわたしは彼を前にすると緊張でなにも言えないみたいだ。「どした?」不思議そうに見つめる視線が痛い。視線を逸し、プリントが落ちた方向をなにも言わず指差す。「ああ、プリントか」彼は納得したように肯いた。「苗字さん、サンキュ」わたしは俯いて顎を少し引くことしかできなかった。そのとき彼がどんな顔をしていたのか、本当は見たかったのに。

 4
 気づいたのは、二年の秋大の最初の試合始まる前だった。「クロ、彼女できた?」「は?」突拍子もなく訊ねた研磨の言葉に理解が追い付かず、首をひねる。どうしてそういう発想になった? 今試合前だぞ、研磨。でも常日頃から省エネで生きる研磨が意味のないことを言うわけがない。言葉の続きを静かに待った。研磨はなにも言わず、市民体育館の座席へ視線を移した。俺も倣って同じとこを見た。そこで、思わず目を瞬いた。何人かうちの制服を着た女の子がいて、そこから離れるようにして一人ぽつりと苗字さんが座って本を読んでいた。それは教室でよく見かける姿だった。なぜ苗字さんがバレーの試合に? 一年の頃から密やかに気を寄せている女子は、もしかしてバレーがとても好きなのだろうか。いや、もしかしたらバレー部の中に彼氏とかいたりするのか? いやいやそんなまさか。一人悶々と考えを巡らせていると、研磨が「あの人、俺が入学してから公式戦も公開の練習試合も、全部来てて…ずっとクロのことみてるからそうなのかと思ってたけど」と爆弾を投下する。まじで? ほんとに? そうなの、か? 「…クロ、そもそも気づいてなかったんだ。とっくに気づいてると思ってたんだけど」研磨はぼそりと呟くようにそう言って、またアップを再開させた。そのあと、試合が始まるまでは苗字さんの存在が頭にちらついて仕方がなかった。試合が終わったあとも、苗字さんが観に来てくれていた事実が未だに信じられず「まじかー」なんて一人天を仰ぎ呟いていたら、研磨が呆れた顔をして「気づいてなかったことのほうが不思議なんだけど…」心底信じられないと言わんばかりに眉間にシワを寄せ、おもむろにため息を吐いた。自分のことを感の鋭い方だと思っていたが、どうやら認識を改めなおす必要があるらしい。それから試合前は、観客席をなんとなしに見るようになった。人の目がつかない隅の方にいつも彼女は座っていて、試合が始まるぎりぎりまで本を読んでいた。その姿を見る度に、試合に当てられる熱気とはまた別に、やる気のようなものがむくむくと這い上がってくるのだから、自分は案外単純にできているのだなあと苦笑いを零してしまうのだ。

 5
 高校入ってからの楽しみは、バレーの試合を観に行くことだ。休日に特に何も予定がなく、その日に試合があれば会場まで赴き、同じ制服を着て応援している人たちに紛れ、隅の席に座る。試合が始まるまでは読みかけていた本を読んで過ごし、試合が始まると本の内容なんて忘れ、その熱気の中心にいる彼をただひたすらに眺めて、心の中で激励の言葉を並べて勝つことを祈る。バレーをしている彼は教室にいるときと全く違った。目の色を変え、一つのボールを落とさないように必死に策を巡らせ、仲間に声をかけ、全力で拾いに行く。バレーに全身全霊すべてを懸けているそんな彼の姿から目が離せないのだ。でもきっと、彼はこんな風にわたしがひっそりと応援してるだなんて、ちっとも知らないのだろうなあ。


 6
 「いつも観に来てくれてありがとな」朝、苗字さんが席に座った瞬間を狙って話しかけた。俺の言葉に、苗字さんは目をぱちくりと瞬かせて俺を見た。まあるい瞳は、驚きの色で埋め尽くされていた。「あ、やっとこっちみた」きちんと目があったのは、これが初めてなような気がする。好機だと思い、いつもすぐ逸らされてしまう瞳をじっくりと見た。苗字さんは口を開けたり閉じたりを繰り返している。苗字さんが試合を観に来ていることを俺が知ってるなんてこれっぽっちも思ってもみなかったのだろう。「なんで、知って……」たっぷりと間を置いてようやっと出てきた言葉ににやりと口角があがる。ああ、今の自分の顔は随分と意地の悪い笑みを浮かべているに違いない。「気付いたのは二年のインターハイ予選のとき」「えっ、そんな前から」「うん、まあね」「そう、なんだ」「これを機会にさ、友達になりませんか」そう言うと、苗字さんは再びぱちんと弾かれたように顔を上げた。考える間を与えぬように口を開く。この機会を逃すと、苗字さんと仲良くなれる好機はもう訪れないような気がした。「改めまして、一年のときからずっと苗字さんと話してみたいと思ってた黒尾鉄朗です。今後ともヨロシクしてくれると嬉しいデス」「あ、えっと、苗字名前です。ずっとバレーをしている黒尾くんの姿は見てて…。でも、普段は緊張して、うまいこと喋れないけど、それでも話してくれると嬉しい、かな。ずっとこうして、わたしは…黒尾くんと話したいと、ほんとは思ってたの」彼女は顔を赤らめながら言葉を選ぶようにしてぽつりぽつりと話し、へらりと笑みを零した。え……待って、これ、勘違いじゃなければ、もう両想いじゃない? 告白したらオーケーもらえるやつじゃない? でも、焦るな、俺。話せるまで約二年半かかったんだ。これからまたじっくりと距離を詰めていけばいいのだ。そうだなあ、とりあえずあと一ヶ月で苗字さんが俺以外のことを考えられなくなるように、外堀を埋めていくとしよう。