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現状維持はもうあきた

 いつの間にか、世界が反転していた。視界の隅は天井が見える。真新しい白い天井だ。でも、視界のほとんどは小湊くんの顔でいっぱいだ。
 あれ、なんでこうなったんだっけ。ちょっとした経緯を頭の中で思い起こしてみる。
 小湊くんは高校を卒業してから一人暮らしになった。そして今日は彼の誕生日だった。幸いにも、互いに休みが丁度重なったので彼の家に遊びに行ったのだった。彼の新居は、先日建て替えられたばかりのアパートで清潔感があり、部屋の中へと足を踏み入れると、家具やカーテンは全てシンプルな色に統一されてあった。彼のセンスの良さが窺える。それからは二人でまったりと過ごした。互いの近況を話し合って、借りてきた映画をソファに肩を並べて一緒に観賞し、映画の感想を言い合って、さあ夜ご飯でも食べに行こうかと立ち上がったら、ベットの上に寝転んでいたのだった。否、白いシーツの上に押し倒されていたのだった。

「あの、小湊くん」

 名前を呼んでも彼はピクリとも動かない。だからと言ってこの状況を打破するために彼の下から抜け出そうとも、両手は彼の手によってシーツに縫い付けられているし、足を動かそうもんなら彼の膝で制裁が加えられることは確実だ。実際に行動をしなくたって、それくらいは容易くわかる。抵抗したらその分だけシーツの皺が深く刻み込まれるだけだ。

「小湊くんってば」

 聞いてるの? と苦言を呈すれば聞いてる聞いてると鷹揚に肯いて、やんわりと唇の両端を持ち上げた。口で笑顔をかたち取ってはいるけれど目は全く笑っていない。わたしの恐怖心をただただ煽るだけである。こういうときの小湊くんは何を言っても無駄だ。彼の口から言葉が紡ぎ出されるまで待つしかない。

「俺たちは付き合って何年?」

 問われていることは、恋人同士ならばあってもおかしくない何ら普通の会話のはずなのに、彼の有無を言わせない口ぶりはまるで尋問されているような気分だ。恐る恐る答える。

「えっと、二年半、です」

 彼は、うん、そうだねと微笑んだ。それすらもなんだか怖い。

「で、今日は何の日?」
「小湊くんの誕生日であります」
「でさ、俺たちのスキンシップで今までしたことは?」

 何だ、何だこの質問は。何故わたしはこんな辱めを受けているのだ。黙っていると、ねえ言ってごらん、と蕩けてしまいそうなほど甘い声で囁かれ、耳の奥へ、余韻を残してもぐりこむ。どうせ逃れられないのだ。言うしかないではないか。

「……手をつないだのと、き、キスをしました」

 縫いとめられていた手にさらに力が込められた。顔をぐっと近づけられて「正解」と唇の上で囁かれる。彼の甘くて溶け出してしまいそうな吐息がそのまま唇に降りかかる。けれどわたしはこんな危機的状況の中で、なんて綺麗な顔立ちをしているのだろうと見惚れてしまった。陶器のようにスベスベではないか。野球で嫌という程太陽の光に当てられているはずなのにこの肌の綺麗さは一体なんだ。神様は不公平だと思わざるを得ない。

「二年半でキスしかしてないってさ、本当に我慢した方だと思うんだよね」

 彼はそう言うや否や、するりとブラウスの中へと手を滑り込ませた。彼のことを考えていたばかりに、すっかり油断していたわたしは「わっ」と色気とは程遠い声が飛び出す。その様子をみてふっと小湊くんは一つ笑って、腰骨のあたりをゆっくりと撫でた。撫でる指の腹は少しかたいのに、それを感じさせないくらい優しさがにじんで落とされていくようだった。けれど、その動きは徐々にエスカレートしてきて下腹から脇腹へ、脇腹から肋骨へと上がっていく。擽ったい。けれどそれとは違う、全身が甘やかな痺れに侵されていくような感覚も確かにあった。甘い砂糖が与えられた熱でどんどん溶け出して、わたしの肌と小湊くんの指の境目がぐずぐずで曖昧になっていくような感覚。変な声を出そうになるのを唇を噛み締めて、生理的な涙が瞼の下にこみ上げてきた。そして小湊くんの指が下着越しに胸の位置まで到達した瞬間に「待って!」と小さく叫んだ。小湊くんは「何?」と可愛らしく小首を傾げた。そ、そんな仕草で騙されないぞ。

「わたし、心の準備ができてない」

 彼は不機嫌に眉をしかめて口をへの字に曲げる。じれったいと目が語っていた。 

「じゃあいつ心の準備とやらはできるわけ? ていうか男の部屋に一人で上がり込んだ時点でアウトだよね。考えなかった?」

 考えなかったと言ったら嘘になる。周りからも二年も付き合ってまだ一回もないの? と言われたこともある。けれど、人には人のペースがあるわけだし、今のままで、小湊くんが隣にいるだけでわたしは十分に幸せだったのだ。

「そ、それは…わからな、ん、」

 言ってる途中の言葉は全て彼の口の中で呑み込まれた。唇をゆるく舐められて、反射的に薄く開けてしまった唇の隙間から舌がねじ込まれた。いつもと違った深い口付けに息が苦しくなる。何とも言い難いくぐもった声が鼻から抜け出た。息ができない、苦しい、もう無理、と思った瞬間、舌が離れていく。外気が一気に鼻から口から胸へと流れ込む。わたしは息があがってしまって肩で呼吸をしているというのに、彼は余裕だ。ずっと堪えていた涙が瞼を超えて一筋流れた。彼はわたしの涙をそっと舐めて「しょっぱい」と零した。

「小湊くんって、こういうこと慣れてるの?」

 彼はわたしの頬をゆるゆると撫でてながら大きく溜息を吐く。呆れた、と言外に匂わせている。

「付き合った時さ、名前が初めての彼女だって言ったじゃん」
「でも、なんかわたしばっかりが余裕ないみたいだし」
「お前が余裕だったらそれこそ嫌なんだけど。それにさ、」

 小湊くんはふと言葉を途切らせて、言うか言わないか迷う表情を見せた。わたしは言葉の続きが聞きたくて、彼に倣ってわたしも彼の頬に手を沿わす。すると、その手の上に彼の手も重なった。そしてわたしの首元に顔を埋めて言った。

「俺、全然余裕ないんだけど」

 彼の体重がからだ全体にのしかかる。それは心地よい重みだった。重なった彼の胸から響く鼓動はとても早かった。なんだ、わたしと一緒ではないか。

「ていうか余裕ないから今こんなことになってるんだろ」

 小言が漏れた。彼の本音だ。わたしはおもわず笑ってしまった。顔は見えないが、バツが悪そうに顔をしかめているのがわかった。素直じゃないこの人の精一杯の気持ちなのだろう。じわりと愛おしさが胸の奥底からこみ上げて、彼の頭を撫でた。指に絡む髪の毛は男の人なのにとても柔らかい。

「あとさ、今日から下の名前で呼んで」

 首筋にかかる息がくすぐったい。

「亮介くん、誕生日おめでとう」

 まだ呼びなれない彼の名を、唇の上で旋律を奏でるように紡いだ。

「よくできました」

 彼は首筋にそっと唇を落とした。
 夜ご飯は後でいいか。


 

Happy birthday!