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デジタルが進んだこの時代でも、紙による書類というのはまだまだ現役であると実感する場面は多々ある。
例えば今。
私は今、広辞苑数冊分ほどの量の書類を腕の中に抱えている。たぶんスーパーで売っているお米の一番大きいサイズくらいの重さはある。つまり10kg。たぶんだけど。とにかくそれくらい重いということだ。ただ抱えているだけではなくてそれを抱えたまま廊下を移動しているのも腕の疲労を冗長させている原因だ。途中で休み休み行けばいいのだけれど、廊下で立ち止まって書類を床に置いてしまったが最後、きっと再びそれを抱え上げて移動する気をなくしてしまう。紙というのは一枚一枚は空気のように軽くても、数が増えればそれなりの重量になる。
ああ手が痛い。腕もプルプルしてきた。どうしてこの書類を受け取る前に換装しなかったんだろう。トリオン体であればこれくらい平気で持てるのに。
考えが足りなかった自分にため息をこぼしつつふらふらと酔っぱらいのように千鳥足で廊下を進んでいた時だった。

「貸せ」

背後から突如聞こえた低い声に振り返る暇もなく、腕の中の重量が軽くなる。

「え……」

私の腕の中から書類を半分以上ごっそりと取っていった人物は、私の横を過ぎて斜め前を颯爽と歩いて行こうとしている。

「あ、その、悪いから、大丈夫だよ」

慌てて彼の横に並んで顔を見上げるも、その顔はいつも通り半分がマスクで隠れているうえにボサボサと無造作な髪のせいで目元が見えづらく、どんな表情をしているのかよくわからなかった。

「おめーの作戦室までだよな?」
「あ、うん」

私の言葉が聞こえなかったのか行き先を尋ねてきた彼に反射的に首を縦に振る。もう一度遠慮しようと彼の顔を見上げるも、彼はまっすぐ前を向いたままこちらを見ようともしない。もしかして聞こえなかったんじゃなくて聞こえなかったフリをしているのではないか。
もしそうだとしたらここは素直に好意に甘えるべきだし、今更遠慮しても少ししつこいかもしれない。

「影浦くんありがとう」

いろいろと考えた末そう結論付けた私がぽつりと零した言葉に、彼が答えることはなかった。


影浦雅人。彼は私と高校は違うけれど同い年で、ボーダーでは彼の方が少し先輩だ。あと、私が可愛がっている後輩の一人である光ちゃんが所属している隊の隊長さん。だから何回か話したことはあるけれど友達というほどでもなく、彼自身のことは風の噂で時々耳にする程度である。……あまりよくない噂として。
彼のことをよく知らない人は彼のことを恐れている。目つきが悪いだとか態度が悪いだとか。実際にちょくちょく暴力事件を起こしたという噂も耳にするけれど、私は噂に聞くほど悪い人ではないと思っている。

現に今だって……。

特に会話もなく隣を歩く影浦くんの顔をチラリと見上げる。
言葉が少なくて少し乱暴だけれど、大して仲良くもない人にこうして手を差し伸べてくれる優しさがある。驚きはしたものの、やっぱり、という感情の方が大きい。
私がこう思うのには理由がある。光ちゃんがたまに話してくれる彼の話を聞いていて少なくとも悪い人ではないと思っていたというのもあるし、何より戦う姿を見て、粗暴であることは否めないけれどそこまで直情的ではなくクレバーな部分もあると思っているから。さすが隊長になるだけあって、戦いにおいてはよく考えて動いていると思うことも多い。オペレーターとしてやはりそういう点は意識して見てしまうのだが、野性的な勘とでもいうべき彼の戦闘においての嗅覚の鋭さとそれを活かした判断の早さは素直に尊敬に値するものだと思っている。

だから少なくとも噂に聞くようなただ暴力的で怖い人という印象は抱いていなかった。そして今その印象は確信に変わった。
いや、それだけではない。案外怖くないというよりもむしろ優しい人なのではないだろうか。じゃないとたいして親しくもない人にわざわざ手を差し伸べるだろうか? 彼には申し訳ないけれど、困っている人を見てもめんどくせえとか言って素通りしそうなイメージは少なくとも持っていた。
ごめんなさい影浦くん。


今まで勝手に持っていたイメージを脳内でアップデートしているうちに、私たちは特に何か話すわけでもなく作戦室に着いた。

そういえば彼が私の作戦室の場所を把握していたことも意外だ。というか私がどこの隊に所属しているのかも知っていたのかと少々驚嘆している間に影浦くんは勝手知ったる家であるかのように扉を開けて中に入る。

きっとびっくりしているだろうなと他の隊員たちの驚いた顔を思い浮かべながら彼の後に続くと、案の定そこには鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながらこちらを見ている我が隊員たちの顔が並んでいた。私が彼らの立場であってもきっと同じ顔をするのだろうけれど、こうも見事に目を点にして口を半分開けたままの顔が並んでいるのを見ると笑いが零れてしまうのは致し方ないと思う。緩む口元を隠しもせず(両手がふさがっていて隠しようもないのだけれど)オペレーター用に確保されたモニター付きのデスクに向かおうとすると、前を歩いていた影浦くんがふと振り返る。ばちりとあった黄色い瞳に一瞬ドキリと心臓が跳ねたものの、どこに置けばいいのか私に聞こうとしているのだろうとすぐに察する。

「そこのモニターの前にお願いしていい?」
「ん」

短く返事をした彼は私が言った通りモニターの前にどさりと書類を置いた。その横に私の分の書類も置いて、その高さの違いにやはり彼の方が多く持ってくれていたことがわかる。

「ありがとう。実はちょっと大変だったから本当に助かった」

ようやく落ち着いてお礼を言えることにほっと一息入れつつ、改めて心からの感謝を伝えると彼はマスクを引き上げてフイと顔を背ける。あれ、と思っているうちに「見かねただけだ」と零してそのまま扉の方へ歩き出してしまった。

運んでくれている最中一度もこちらを見ようとしなかったし、今も声をかけたのに顔を逸らされてしまった。目があったのはどこに置くか尋ねてきた時の一回だけで、逆にその一回が意外に思って変に体が強張ってしまう始末だ。
意外とシャイなのだろうか、それとも口下手? だとしたら手伝ってくれたことが余計に不思議だ。いや、ありがたくはあるのだけれど。

まだまだ掴めない彼という人間性に困惑しつつも、やけに広くてかっこよく見える背中にもう一度お礼を告げる。
扉が閉まって完全に彼が見えなくなった後もしばらく出入口を見つめていると、意識が戻った隊長にがしりと腕を掴まれる。

「影浦と交流あったのか?」
「あ、いえ、偶然廊下で困っている私を見かけて助けてくれただけです」

信じられないとでも言うように私を見つめながら「助けた……」と零す隊長に私も苦笑を漏らす。私だってまさか彼が助けてくれるとは思わなかった。

影浦くんって優しいんですねという感想は口に出さず、再び驚愕に打ちひしがれている隊長と隊長に続いて事情を聞こうと駆け寄ってきた隊員たちに微笑みかける。若干期待をのぞかせた瞳をこちらに向ける彼らには悪いが、影浦くんとの仲や影浦くん自身のことを聞かれたとしても私からは何も答えられない。だって私自身でさえ私の中の彼の印象に明確な答えを導き出せていないのだから。

「というか苗字! 困ってるなら俺たちを呼べばいいだろ」
「制服ってことは生身なのか。そりゃあの量は大変だわ」
「すみません。途中まではいけると思ってたんですけど……」

影浦雅人という人物について再び考えているうちに話題が影浦くんのことから変わっていく。そのことに少しほっとしつつ、束の間の夢を見ていたかのようにフワフワとした感覚が私の心をくすぶっていた。




お題 - 放っとけないと思った




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