ささやかな願掛け




今日はオフの日。
そして名前と買い物に行く日。

名前と遊ぶのは半年ぶりくらいで、昨日の夜は楽しみでなかなか寝付けなかった。おかげで寝坊しかけたあたしの背中を迅が送り出す。

慌てて乗り込んだ電車は予定通りの電車でほっと胸を撫で下ろす。
なんとか待ち合わせ時間には間に合いそうだ。


「名前!」
「桐絵ちゃん!」
待ち合わせ場所で待っていた名前はあたしが声をかけるととびきりの笑顔であたしの名前を呼ぶ。その笑顔が以前から全く変わらなくて、久しぶりなはずなのに昨日ぶりのような感覚だった。


名前は准と同じ年齢だけど、話しやすくて全く歳上という感じがしない。むしろ准と同級生である方が不思議なくらいで、名前がボーダーに入りたての頃准が妹を相手にするように名前の世話を焼いていたのは記憶に新しい。

だけど名前と准の関係を兄妹と呼ぶのは違う。迅曰く名前は准の"嫁"らしい。まだ結婚していないのに"嫁"なんて言い方をするのは変に思うが、将来准のお嫁さんになるということなのだろう。
あたしとしては名前が身内になるのは大賛成だ。だって関係が近いと今よりもっと名前と遊べるようになるから。

だけど実際のところ名前と准がデートしているところは見たことがないし、准が名前のことをどう思っているかなども聞いたことがない。名前からは准を尊敬しているという話を聞いたことがあるけれど、それ以外のいわゆる恋愛面の話は特にしたことがなかった。


准も名前も将来を約束するような仲になったのならあたしにも一言くらい言ってくれてもいいのにと思う。


買い物中はワイワイと盛り上がっていたのだが、休憩がてらカフェでゆっくりして、会話が止まった時にふと"嫁"の話を思い出した。

一度気になりだすとそのことで頭がいっぱいになってしまう。名前がゆっくりとアイスティーを飲んでいるのをいいことに、あたしは早速身を乗り出す。
「ずっと名前に聞きたいことがあったんだけど」
「うん?」
軽く笑みを浮かべる名前が首を傾げるのを見ながら、あたしはひとつ鼻息を鳴らして名前の双眸をじっと覗き込む。

「いつから准のこと好きなの?」

息巻くあたしとは裏腹にきょとんと不思議そうな顔で見つめ返してくる名前。何か変なことを言ってしまったかと慌てて口を開きかけた時、名前がにっこりと笑う。
「いきなり何かと思った」
あははと柔らかく笑う名前に照れたり焦ったりする様子はなく、いつもどおりのんびりした口調のまま素直に答えてくれる。

「最初からかなぁ。嵐山くんのボーダーの活動に対する姿勢とか考え方とかが頷けるものばかりだし、それを実際に行動に移してるところがすごく尊敬できるなって思って。今でもその気持ちは変わらないよ」
「ふーん」
名前の方は結構前から准のことが好きだったようだ。それに、今でも気持ちが変わらないという言葉が名前の純粋で真っすぐな想いを表していて、何故かあたしまで嬉しくなる。きっと准が聞いたらもっと名前のことが好きになるだろう。
今度准にも同じ質問をしてみようと思いつつ、じゃあじゃあと矢継ぎ早に質問を繰り出す。

「准のどこが好きなの?」
「ん? 尊敬できるところだよ」
一瞬不思議そうな顔をした名前は、それでも素直に笑顔を浮かべる。
名前の口から出たのはまた尊敬というワードだ。尊敬できるから好きということなのだろうかと、納得できるようなできないような曖昧な答えに首を捻りながら相槌を打った。



時が経つのはあっという間で、アイスティーが入っていたグラスは結露を残すのみで空になっている。あまり長居もできないので名前と准のことは結局詳しくはわからないままお店を出た。

「買い物って見てるだけでも楽しいよね」
「そうね。見てるとあれこれ買いたくなるけど」
もうそろそろ日が傾き始める時刻ということもありゆっくりと駅まで歩みを進める。
するとどこからか甘い美味しそうな匂いが漂ってきて、二人して鼻をくんくんと鳴らす。

「あ、クレープ屋さんだ!」
「美味しそうね!」
匂いの出処を辿れば、ちょうど広場になっている場所でかわいい装飾のトラック屋台がクレープを売っていた。思わず甘い匂いに吸い寄せられるように進行方向を変えたあたしと名前は種類豊富なクレープの模型を食いつくように眺める。

「王道のチョコバナナもいいし、ティラミスも美味しそう!」
「あたしは苺チョコにするわ!」
買うか否かの議論はもはやなかった。
今食べたら晩ごはんが食べられなくなるという問題はお互い全く考えない。女子高生の胃袋は意外に無限大なのだ。


「名前! 桐絵!」
ちょうどお金を払ってクレープを受け取った時、背後から名前を呼ばれ振り返る。

「准! 佐補と副も!」

そこにはよく見知った3つの顔が並んでいた。准のオフに合わせてみんなでどこかに出掛けていたのだろう。本当に仲が良い兄弟である。

「嵐山くん!」
会計を済ませた名前がクレープを持って遅れてやってくる。
「名前たちも遊びに行っていたのか」
「うん! 嵐山くんもオフだったんだね」
そう言って名前は佐補と副に目を移す。
「佐補ちゃん副くんこんにちは。お姉ちゃんのこと覚えてる?」
名前よりも小さい佐補と副と視線を合わせるために少し屈んだ名前がにこりと微笑む。
「もちろん覚えてるよ。名前ちゃんでしょ!」
「名前ちゃんのクレープ美味しそう」
よかった〜嬉しい、と二人が覚えていたことを喜んだ名前は、手に持つクレープに反応した副にクレープを差し出す。
「副くんと佐補ちゃんも食べる?」
しかしそのクレープは嵐山の手によって名前の元へと戻される。
「いやいやそれは苗字の分だろ。佐補と副はお兄ちゃんが買ってやるから」
「やったー!」
いいのに、と言う名前に笑顔を向けた准は佐補と副の背中を押してクレープ屋に向かって行った。

「嵐山くんっていいお兄ちゃんだよね」
准が二人にクレープを買ってやる姿を後ろから見ながら名前がポツリと呟く。准は弟妹のことを目に入れても痛くないほど可愛がっている。家族を本当に大切にしていて、従兄妹であるあたしのこともよく気にかけてくれている。

きっと准の中では、名前ももう守るべき大切な存在になっているのだろう。


クレープ屋の横に並んで置かれた二人用のベンチに、佐補と副そしてあたしと名前が腰掛ける。准は二つのベンチの真ん中くらいでこちらを向いて立っていた。

「美味しいね〜」
「そうね」
クレープを食べながら嬉しそうな声を上げる名前の方を見ると、その鼻の頭に白いクリームがついている。名前のこういう抜けているところが、年上ということを感じさせない要因でもあると思う。

全く仕方ないわねとそのクリームを取ろうとした時、反対側から伸びてきた手がひょいとクリームを掬い取る。
「ついてるぞ」
「え!? わあ恥ずかしい」
准は指で取ったそのクリームをペロリと舐めた。その一連の行動をぽかんと眺めていたあたしは、次第にムクムクと膨れ上がる不満に准を睨みつける。
「あたしが取ろうと思ったのに!」
「え? ああごめん?」
なんだかあたしの仕事を取られた気がしてムッと頬をふくらませる。准は何故あたしが機嫌を損ねたのかがわかっていないようで、首を傾げながら謝った。
「嵐山くんありがとう。桐絵ちゃんも」
ほんのり頬を染めた名前が照れ笑いを浮かべる。
あたしの方が先に見つけたのに、すごくかわいいこの表情を独り占めできなかったのが悔しい。

悔しさに任せてばくりとクレープを頬張りながら准を見ると、准は柔らかく目を細めて名前を見つめていた。准の慈しむような表情を初めて見て、あたしの中の悔しさという熱が少しずつ引いていく。あたしよりも准の方がたくさん名前を見ているのだと、その目を見てわかった。

「美味いか?」
柔らかく微笑んだままそう問いかけた准に、名前もクレープを手に持って無邪気な笑顔を見せる。
「うん美味しいよ! 食べる?」
「じゃあ貰おうかな」
名前が差し出したクレープを准が腰を屈めてぱくりと食べた。
「うん。美味いな」
とても幸せそうに笑う准と名前。

将来一緒になるということは、あたしと近くなるよりも准と名前の方が近くなるということだ。
当たり前のことだけど、二人のやり取りを見ていて今さらそれを実感する。

「名前、あたしのもあげるわ」
「わあありがとう! 私もあげる」
名前は誰のものでもないのに名前を取られたような気分になって、隣に座る名前との距離を詰める。


あたしももっと名前と仲良くなって、いろんなところに遊びに行きたい。

早く名前がうちに来たらいいのに、と名前と交換したクレープを食べながら思った。





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