and I’m dying.




村上の笑い声に後ろを振り返ると、緑川や米屋、出水などの面々が村上の隣に並んでいた。

「名前さんと戦えるっていうから来てみたら、どったのこの状況?」
「名前さーんオレともやろうよ!」
「う、えっと」
米屋や緑川が話しかけてくると、ウザいのが増えたと言わんばかりに舌打ちした影浦が颯爽と去って行く。
「また今度俺ともお願いします」
「あ、うん! また今度!」
ぺこりと頭を下げた村上が彼の背を追うように歩いて行った。影浦のことは彼に任せれば大丈夫だろう。

「ソロ戦で戦ったんだ?」
「そうだけど……?」
出水の含みのある言い方に首を傾げる。それがどうかしたのかと隣に並んだ彼に視線を送ると、名前を見下ろす目がニヤリと細められた。
「なんでも名前さんと戦うだけで"男"って認めてもらえるらしいですね?」
「男?」
「いやいや、俺は戦って勝てば名前さんの彼氏候補になれるって聞いたけどな〜?」
「ちょ、ちょっと待って。どういうこと!?」
米屋と出水ににこりと微笑まれるも名前は二人を制して首を傾げるしかない。どこから、なぜそういう噂が流れたのか。なんにせよ名前は決してそういうつもりでソロランク戦に挑んでいるわけではない。
うろたえる名前を見て出水がくつくつと笑いを漏らす。
「わかんないけど、一端の男? とかいうワードも聞いたけどな」
米屋の呟きに、名前の中で何かが繋がった。

試合前、名前は立派な男の人であることの確認として影浦の身体を確かめた。それを見ていた者から噂が尾ひれをつけて爆発的に広まったのではないだろうかと予想する。そもそも影浦の身体チェックをするなんて、私の頭はどうかしていたとしか思えない、と名前は今になって事の重大さを認識する。強制わいせつ罪という単語が頭を過り顔から血の気が引く。

「ねーえ、名前さんソロ戦やろうよー」
「うっ……」
緑川の上目遣いにぐっと喉が詰まった。身長が同じくらいなのに上目遣いを使ってくるなんて……。私がかわいい子のあざとい仕草に弱いというのをわかっていてやっているに決まっている。年下のアドバンテージを最大限に使ってくる緑川から距離を取るために一歩後ろに後退する。
さすがに最近年下に慣れてきた名前でも緑川相手に本気を出せるとは思えなかったし、これ以上変な気を起こすわけにはいかないと距離をとる。名前は明らかに混乱していた。
「はいはいおれもおれも」
自分を指さす米屋が一歩前に出た時だった。
「待って待って、もうこれ以上やるつもりないって!」
するりと米屋と緑川の間を抜けた名前はそのまま練習場を飛び出す。彼らには後日謝っておこうと思いつつ後ろを振り返ることはなかった。




妙なことになってしまった。

自分の軽率な行いを悔いてももう後の祭りだ。

影浦と戦ったその翌日には、最近名前と戦い、かつ本気を出した荒船も彼氏候補だという噂が出回った。ちなみに諏訪とも本気で戦ったのだがなぜ諏訪が除外されているのかは名前にもわからない。
この噂が各々の耳に入っているのかはわからないが噂されている本人たちにしてみればいい迷惑だろう。わざわざ訪ねて謝るようなことはしないが、噂の張本人に出会ったら頭を下げようと毎日心の準備はしている。

自分のことで噂が出回った経験がなく、どう対処していいのか名前にはわからない。正確に言えば"戦うオペレーター"だのなんだのとC級隊員たちの間ではちょっとした有名人ではあったのだがそれは本人の知らないところの話であった。
一応彼氏候補の噂を聞くたびに否定はしているのだが、それだけで火消しになっているのかは微妙なところだ。

下手に練習場に近づくこともできず、休息スペースでドリンク片手にため息をこぼす。これでは練習もままならない。


「聞いたよ〜彼氏募集中なんだってね」
音もなく現れたかと思えばヘラリとした顔で片手にぼんち揚げを持った迅が歩み寄ってくる。誰かが近づいてくることはわかっていた名前は、チラリと顔を上げて彼の気の抜けた顔を睨みつけた。

「かわいい顔が台無し。俺もその候補の中に入れてよ」
「こっちはまともに練習もできないのに……」
隣に座った迅の頭をチョップする。
何を呑気なことを言っているのだと非難の目を向けるも、迅は呑気にぼんち揚げを勧めてきた。食べるけど。

「実際名前は弟さんのことで頭がいっぱいで、せっかくの華のJK時代に恋愛なんてしてなかったじゃん」
ぼりぼりとぼんち揚げを食べながら迅の言葉を噛み締める。彼の言うとおりだった。あの日以来、名前の頭の中はボーダーの活動で埋め尽くされている。そうしていることが自らの精神の安定になっていたことも自覚している。

「それは、わかってる。たぶん、今が人生の転換期なんだってことも」

ここ数ヶ月でいろんなことがあった。茶野隊に入って、いろんな人と関わって、ちょっとは苦手を克服したと思ったらまた後退して。

迅は手に持ったドリンクを見つめる名前の横顔見ながら、顔に笑みを貼り付けるだけだ。

「ねえ迅、私の未来の旦那さん視えてる?」
「うん。名前は幸せになれるよ」
「……そっかあ」
即答だった。
あまりにも早い回答に視てもいないのに私を元気づけるために言っているのではないかと勘繰るが、迅の顔に張り付けられた微笑からは何も読み取れない。
たとえそれが気休めだったとしても、どんな励ましの言葉より嬉しいのは事実で、未来の自分が浮かばれるようだった。全く想像もつかない未来の旦那さんを想像して、ほんのり頬を染めると同時にむずがゆくなる。こういう乙女な妄想はあまり得意ではない。
恋愛をしている暇がなかったというのは言い訳がましいかもしれないが、ボーダーで訓練してばかりだったそのツケが今回ってきている。せっかくの青春を訓練に費やして後悔しているということは全くないし、やはり名前は今でも自己鍛錬が楽しいので恋愛はまだ先でいいと思っている。実際に恋愛をしてみないことにはその楽しさも未知のままなのだけれど。

「まあ、そういうことなら今は安心して茶野くんたちの面倒見てられるってことだね」
「……うーん」
「……え?」
「いやあ、ははは」
「いやいやいや何その反応? もしかして今頑張らないとチャンス逃すってこと?」
「そうと決まったわけじゃないけどね」
「う……。独り身も……きっと悪くない……!」
迅の反応に少しばかり焦りが生まれるもののぼんち揚げを口に放り込んで顔を上げる。十代で決断するには早すぎる。

「名前の未来は無限大ってこと。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」
「うん……希望しかないね」
迅にはいつも助けられている。ちゃらんぽらんなくせにいざという時頼りたくなって、それをわかっていたかのようにいつの間にか側にいてくれるのは、いつもこの人だ。
ニッと白い歯を見せた迅に、名前もニッと笑みを返す。

「てことで、おれが名前を幸せにしてあげられたら一番ハッピーなんだけど?」
「しつこい」
差し出された手のひらをパシリと叩くも、名前の手は迅の手のひらの上から動くことはない。いつもの軽口なのはわかっている。ただ、ほんの少しだけ、そんな可能性もあるのかもしれない、なんて。
だって私の未来は無限大だから。


名前の細い指が迅の手のひらの上で綺麗に揃えられる。それをじっと見ていた迅は名前の指にするりと自らの指を絡ませた。

迅が名前のどんな未来を視ているのか、迅が何を思って指を絡ませたのか、聞きたいことはたくさんあるけれどあえて何も聞かない。名前は彼の指に自らの指を絡ませようとはしなかった。その先にあるものが、少しだけ怖かったから。

「もし……」
名前の唇が開くと同時に、迅の手からパッと名前の手が離れる。
「もし、迅がこの手に触れることができたら、考えてもいいかな」
はにかんだ名前を見て迅がぽかんと口を開ける。驚くことなんて滅多にない迅の珍しい反応に、名前の方が驚いてしまった。それと同時に、悪戯が成功した時のような愉快な気分に満たされる
迅は自らの手の平が宙に浮いたままなのに気づいて、いつもより乱暴にくしゃりと名前の頭を撫でて立ち上がる。
「言うじゃん」
椅子に座ったままの名前は口の端を上げる迅を見上げてイタズラっぽく笑うと、両手に包んだドリンクのストローを一息に啜った。




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