恍惚の魔王様



最寄り駅に着き、疲れが抜けきらないみんなを見送って名前は一人学校へと向かった。顧問の車から荷物を下ろし、旧体育館へと運ばなければならない。


長いようで短かった一週間を思い返しながら歩みを進める。
「名前」
もうすぐ学校というところで背後から声をかけられた。聞き覚えのある声に反射的に振り返る。
「正人? なんで?」
部員の皆とは駅で解散したはずだと名前は首を傾げる。
「……僕も手伝うよ」
本当はゆっくりと疲れた身体を休めてほしかった。けれど、王城の纏う有無を言わせぬ雰囲気と、まだ王城と一緒にいたいという自分の欲望に負け、名前は首を縦に振る。

名前が電車で帰ったのはもっと王城の側にいたいと思ったからだ。すれ違っていた数日を取り戻すかのように、王城を感じていたいと思った。


車から荷物を降ろし終える頃には夕日も沈み、西の空が仄かに赤く染まっているのみで、辺りには闇が迫っている。
顧問に挨拶を済ませ、校門を出て、刻一刻と暗くなる道を王城と歩く。名前の住まう寮と学校は目と鼻の先だった。寮の前でどちらともなく足を止める。辺りはもうすっかり暗くなっていて、ぽつんぽつんと置かれた街頭と寮の窓から漏れる灯がぼんやりと王城の輪郭を浮かび上がらせる。
「正人、一週間お疲れ様」
「ありがとう。名前もお疲れ様」
2人の間にはつい昨日まですれ違っていたとは思えないほど、穏やかな空気が流れる。


「あのね、正人、」


だから名前が躊躇うことなく心を曝け出したのも、まるで空にかかる虹を見てキレイだと零すように、自然なことのように思えた。


「好きだよ」


ずっと温めてきたその一言は、緩んだ空気に乗ってゆっくりと王城に染み込んでいく。自分が言葉を発してから王城が目を大きく見開くまで、全てがスローモーションのようだった。
どさりと荷物が落ちる音がして、時の流れが正常に戻る。

「え、ちょっと待って……え!?」

ぼんやりと照らし出される王城の顔は、みるみると今日見た夕陽の色に染まっていく。片手を口元に当てていても、その顔が真っ赤であることが分かるほどに。

今まで散々好きだ好きだと言ってきたくせに、逆に言われるとこうも狼狽えるのかとおかしくなる。そういえば今まで一度も好きだと口にしたことがないのだと気づいた。

王城はあまりのことに受け入れられていないらしい。これは夢かとしきりに呟いているので、現実に引き戻してあげようと思う。
名前は王城の頬を摘んでぐいと捻る。
「いひゃい!」
「夢じゃないでしょ」
古典的な方法を使ってもまだ、右の頬を押さえて名前を凝視する王城は目を白黒させている。そんな王城を笑いながら見ている名前の頬も負けず劣らず赤い。


今まで目を背けてきたので改めて言葉にすると恥ずかしい。
「好きって……」
王城が困惑するのも当然だろうと思う。
名前が急に考えを変えたことや、想いを告げたこと。それによって変わる関係、今後のこと……。責任が重い立場にいる王城だからこそ、色々な感情や考えが頭を過る。

今、王城の中にある余分な感情を取り除くことはできない。でも名前たちだって前に進んでもいいんじゃないかって思う。この気持ちに目を瞑るのはあまりにも耐え難い。
考え抜いて出した答えが自分勝手でごめんなさい、と頭の中で謝るものの、名前は眉を下げてもう一度口を開く。

「正人が好き」

名前の声が闇に溶け込んだ時、寮の門の影からバタバタと物音がして嘆くような叫び声が聞こえたかと思うと、数人の人影が飛び出してきた。

「ほら、押すなって言っただろ」
「バカ畦道お前だろ!」
「押したのはおらじゃないべ! でもよく見えなくて前屈みになってたかもだ……」
「みなさん大丈夫ですか!?」
わいわいと聞こえる声はどれも聞き覚えのある声。

「すまんな。盗み見ちまって」
一人、前に出てきた人影が街灯に照らされてはっきりと浮かび上がる。

「慶!?」
井浦はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていて、謝っている割には全く悪びれた様子はない。
「名前と駅で分かれたあと、正人が名前を追いかけたんだよ。それはもう切羽詰まった様子で。だから何か進展があるかと思ってこの辺フラついてたらさ、ちょうどお前が見えたから。下に降りてみたら他のヤツもいたわけ」
「で、盗み見たってこと……?」
「コワ! 名前さんの顔が過去に見ないくらい怖い!」

「というか今更なんだよ。部長も今まで散々見せつけておいて何今さら渋ってんだ」
「宵越くん……」
宵越が王城を鼓舞するようなことを言うのは正直意外だった。色恋沙汰には耐性がない印象があったのだが、案外寛容なのだろうか。
「せいぜいうつつを抜かしておけ! その間に俺が最強の攻撃手になってやるからな!」
ベタベタな捨て台詞を吐いて口をヒクヒクと引き攣らせている。どうやら痩せ我慢だったようだ。
「でも宵越の言うとおりっすよ。俺らもう付き合ってるもんだと思ってたし」
「むしろ付き合ってない方が不自然です」

王城は後輩たちの話を静かに聞いていたかと思うと、ふらりと名前の方に向き直った。その顔は酒に酔ったように恍惚としている。
オーディエンスが増えて照れた名前の顔が真っ赤なのが薄暗くてもわかる。真っ赤な頬にそっと触れた。その熱が一気に現実味を帯びて王城の身体に伝染する。

ふるりと王城の身体が震えた。
また悪い癖が出ていると、井浦が片頬で笑う。

「名前……!」
溜めて溜めて溜め続けた感情が爆発する。ロケットを発射させたように名前に飛びついた。
名前はイノシシのようなそれをヒョイと避ける。

「うわ!」
「あ……」

声を漏らしたのは名前自身だった。
王城が飛びつき、名前が避ける。この4ヶ月の間にもよく見た光景。残念なことに、ずっと昔から繰り返されてきたその一連の流れが名前の中に刻み込まれている。

「クク……」
井浦の笑いにより再び時が流れ始める。
「こめん、反射的に避けちゃった……」
「ひどい……」
「ゼロ距離で避けるとは、名前さんの回避スキルが上がってる気がしますなあ」
ガックリ項垂れる王城を名前は苦笑いを浮かべながら宥める。

星が瞬く夜空に、魔王様率いるカバディ部の笑い声が響いた。


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