赤い感情青い言葉



王城の攻撃を最後に前半が終了した。

「おかえり!」
名前はドリンクとタオルを手渡しながら選手一人ひとりの様子をうかがう。
点数的には負けているが、最高のタイミングで全滅を取れたことで雰囲気は良い。疲れは見えるが体調が悪い者もいなさそうだ。
名前はチラリと王城に視線を送る。王城もまた名前を見てニコリと笑顔を見せた。


そんな二人の様子を見ながら井浦はフゥと息を吐き出す。
王城対六弦、その勝負を3年越しに見て思うところが多々あった。その差を分けたのは愛の違いか……。呆れと尊敬が入り混じり、フッと笑う。
そりゃあ誰も勝てないよなあ、とずっと側で見てきた井浦は思う。
王城は本気でカバディも名前も愛している。しかしその愛は、活性剤でありながら、起爆剤となり得ることを井浦は知っていた。


今の全滅で少しでも動揺しててくれたらいいんだけど……。
そう思いながら名前が奏和の方に目を向けると、高谷とばちりと目があった。慌てて目を逸らそうとしたが、高谷が満面の笑みを浮かべて手を振ってくるので名前はぺこりとお辞儀する。

「か〜わい! 六弦さんなんで名前ちゃんのこと教えてくれなかったんすか〜めっちゃかわいいじゃん。連絡先とか知ってるんすか?」
「…………」
「まーただんまりすか」

さすがに王城のプレーを見せられて高谷も焦っているかと思いきや、チームメイトと楽しくおしゃべりしているではないか。
何事をするにも精神面は非常に大切だ。それはカバディでも例外ではなく、どんなに強いパワーや技を持っている選手でも精神面を崩せば敵ではない。
しかし、高谷はどうやら精神面においてもエースという称号に値する器を持っているらしい。

「どうした名前、奏和が気になるのか?」
井浦がドリンクに口をつけながら、じっと奏和の方に目を向ける名前に声をかける。
「いや……」
名前は奏和からパッと目を逸らし曖昧に答える。奏和の集中力が切れていないことは井浦も気づいているだろう。あえて言わなくてもいいと判断したのだ。

「…………」
しかし、一部始終を見ていた王城は名前の態度が妙に気に食わなかった。高谷と目配せしたうえ、それを隠すような態度。王城だって名前がそういうつもりで高谷を見ていたわけではないことは百も承知だが、どうしようもなく胸の中心がむかむかとする。いつもだったら気にならないくらいの些細なことなのに。



そして、各々胸にしこりを抱えたまま後半戦を告げる笛が鳴った。

王城と高谷の首の取り合いが始まる。2人の攻防は熾烈を極めたが、徐々に能京が追い上げる。
それは経験の差。
コートの広さを把握する王城が点差をつめていた。
でも、俯瞰的に試合を見ていた名前は王城に危うさを感じる。

想定よりも早く試合に出ていたこと。復帰からあまり日が経っていないこと。
名前は贔屓目で見ているが故に王城を気にかけすぎかと考えたが、思い直してゆるゆると首を振る。贔屓目なしにもこの状況は危うい。

タイムアウトを取ろうかと考えていたタイミングで奏和がタイムアウトを取った。
名前はコートの側まで寄って選手たちを呼ぶ。

近くに来てみて実感する。
みんなすごい集中力だ。
特に王城の集中力は凄まじいもので、名前と目も合わさずに深い呼吸を繰り返している。

30秒しかないタイムアウトで王城を説得することができるのか。名前は自信がなかったが考えている時間も惜しい。
ごくりとツバを飲み込んで、口を開いた。





「……どういう事?」
王城は目を見開いて名前を見る。控えめなのに意志の強い名前の顔を見ると余計にむかむかとしてきた。
僕が必死になっているのは名前のためでもあるのに。僕はいつも名前のことを考えている。名前のことを思うともっと頑張ろうって思える。それなのに、名前は僕の邪魔をするのか。
食って掛かりそうな迫力に宵越たちもたじろぐ。何せ相手は王城がべったりな名前なのだ。王城が名前にキツく当たるのははじめてのことだった。
しかし、1人井浦だけが落ち着きを保っていた。

早くも起爆剤となったか……。

王城は完全に落ちつきを失っているし、名前も眉尻が下がってはいるものの口を固く結んで一歩も引かないといった顔をしている。

名前の気持ちは手に取るようにわかる。
彼女だって王城に攻撃をやめろなんて言いたくないだろう。しかし彼を想うからこそ引くわけにはいかないのだ。

大きな爆発になる前に小さな火種を消しておくか。
井浦がそう決断するのに1秒とかからなかった。
「俺も名前と同意見だ。部長は次の攻撃には出るな」
井浦の発言に名前まで目を丸くする。当の王城はギロリと井浦に視線を向ける。
王城の集中力は凄まじいが、視野が狭くなるのは玉に瑕だ。少々キツめに言わないと聞かないか。そう思った井浦は、相手の目が慣れてきている事、王城の身体が強くない事を淡々と述べる。
その間、名前の顔が曇っていくのを井浦は見逃していなかった。

タイムアウト残り18秒。
王城はそれでも攻撃に出ようとする態度を見せた。
さすがの井浦もカチンとくる。
「まさ…「正人!」
しかし、名前の声のおかげで一瞬で冷静さを取り戻した。名前が出るのなら自分が出る幕はないと判断したからだ。

「慶の言いたいことがわからないの!? 今ここで無茶することで自分の首を締めることになるの! 正人の……私たちの夢のためにこの先を見ろって慶は言ってるの!」
名前は今にも泣き出しそうな顔で叫ぶ。一度ぐっと言葉をつまらせて、顔を俯かせた。
「それに……怪我は敗北と同じくらい怖いものなんでしょ? もう、私に同じ過ちを犯させないでよ……」
最後には消え入りそうな声で訴えた名前の顔は上がらない。
名前は王城の脚の怪我を本人よりも引きずっている。この時宵越たちも含めた能京の全員がその事実を知った。

なぜあそこで止められなかったんだろう……自分の弱さに勝てなかった……私が側にいながら……。
名前は王城が怪我をしてからずっとずっと自分を攻めてきた。

何が一級スポーツトレーナーだ。
この人のサポートがしたいって思った選手1人のサポートもままならないのに。
これじゃあ私がいる意味がないじゃないか。

みんなが求めているのは、トレーナーとしての私なのに。

だからもう、同じ過ちは繰り返さない。
嫌われたっていい。これが正人の為になるのなら。


「ごめん……」
予期していたものとは裏腹な言葉。
くしゃくしゃといつもより乱暴に撫でられた髪が乱れる。
伏せられた王城の顔を覗き見て、井浦は一度目を瞑った。執着心の強さで王城はここまで這い上がってきた。しかしカバディと名前のこととなると精神が安定しなくなるという弱点もある。王城も自分の弱みくらいわかっている。それでも己を見失ってしまうのは、早急に対処した方がいいかもな……。少なくとも、名前に関しては。
井浦は長い息を吐き、敵陣を見据えた。

残り7秒。
名前はもはや時間など忘れてしまっていたが、畦道に支えられるようにしてベンチに戻る。畦道は、乱れた髪の下で唇を噛みしめる名前の顔を見てしまった。

ベンチに座り、緩慢な動きで顔を上げると、宵越に攻撃を託す王城の姿が目に入った。その拳は白い筋が浮かび上がるほど握られている。

良かったんだ。これで。

名前はもうコートから目を逸らさなかった。王城が己を、そして名前も受け入れたんだから、名前も目を逸らすわけにはいかない。
任せよう。宵越くんはあなたたちが育てたんだから。


宵越はこれまで見たこともないほど集中した顔で攻撃を始める。がむしゃらとも言えるその攻撃は熱が入っているからこそ。スポーツなんてやらないと言っていたあの宵越がここまでやってくれるなんて、王城や井浦の思いがちゃんと後輩にも伝わっている証拠だ。
そして宵越は高谷を引き連れて自陣に帰ってきた。

あと2点。

奏和の攻撃手を倒して、能京の攻撃で2点取れば……。

微かに見えた光に手を伸ばす。

奏和の攻撃が始まる。
六弦が能京のコートに足を踏み入れた瞬間、ビリビリとした緊張がベンチにまで伝わってきた。

畦道は拳を握りしめてコートを凝視し、名前も椅子から立ち上がる。
冷や汗が出てくるような緊張感の中で、能京はまさに一丸となって戦った。

もう残り数秒しかない。
しかしまだ六弦の攻撃は終わらない。六弦の息がここまで続いていたことに名前は驚いた。
同時に、光は消え伸ばした手は空を掴む。

それでも名前は手を組み、全力で能京に声援を送る。
まだ試合は終わっていないから。


最後に井浦が飛び出し六弦を止めた瞬間、井浦は笑っていた。名前も井浦と同じ顔でベンチに座る。2人の顔は、晴れ晴れとしていた。

こんなこと言ったら慶と正人には怒られるだろうけど、結果云々よりもいい試合だったと心から思えることが嬉しい。




「名字さん、荷物持ちます」
「いいよいいよ。試合で疲れてるでしょ」
試合前もそうだったが、伊達は名前の荷物を持とうとしてくれる。名前の荷物といっても殆どが選手のためのものなので自分たちが持つのが当然だと主張するのだ。
試合前の時は、何回断っても野球部の時は荷物持ちは後輩がするものだったと言って聞かなかったので、渋々荷物の半分を持ってもらった。
しかし今は試合後だ。疲れているだろうし重いものは持たせたくない。それでも伊達は一歩も引き下がらない。
「……筋トレさせてください」
「……ふはっ、筋トレか〜」
終いにはお得意の筋トレを理由に出してきたのでさすがに笑うしかない。
「じゃあこれだけお願いね」
「はい」
ドリンクを入れていたクーラーボックスを渡すと、伊達は口元に薄く笑みを浮かべた。しかも本当にクーラーボックスを持ちながらポージングを取るものだから、名前は大笑いするしかない。
「やめてよもう!」
ひーひーと笑いすぎて息が苦しい。

「名前ちゃんってすっごい楽しそうに笑うね〜! 笑顔チョー似合う! ……落ち着いてるけど、周りまで明るくさせる良い音だなあ」
「あれ……高谷くん」
名前の笑い声に釣られたのか、宵越と戯れていた高谷がいつの間にか名前の隣に立っていた。その手にはスマホが握られている。
「ね、ね、連絡先交換しよ」
「いいですよ〜」
目尻に溜まった涙を拭いながら名前はスマホを取りだす。
もう、真司くんはたまにすごいボケをかましてくるから勘弁してほしい。
そんなことを考えながら自分の連絡先を画面に表示した。
「ちょっとちょっとちょっと!」
「え、なに?」
「なに、じゃないでしょ! どうして連絡先出してるの」
「だめなの?」
「駄目だよ」
王城はきょとんとする名前の手首を掴んで自分の方に引っ張る。

「ありがとう〜名前ちゃん! あと敬語じゃなくてもいいよ! オレの方が年下だし!」
「ん、わかった」
「くそ……遅かった……」
高谷は名前がスマホの画面を出した一瞬で連絡先を読み込んだらしい。また連絡するね〜と上機嫌な高谷とは対象的に王城は目が据わっている。
「起こってしまったことはしょうがない。諦めろ」
井浦がぽんと王城の肩を叩いた。

「名前、能京もなかなかやるな」
「ふふ。六弦からそんな言葉が聞けるなんて、嬉しいな〜」
「む……」
素直に喜ぶ名前に六弦も笑みを見せる。
「次は大会かな?」
「ああ。能京と戦えることを楽しみにしている。また会おう」
「うん。またね」


今回の練習試合で新たな課題が山ほど見つかった。
この経験は絶対に無駄にしない。
また戦える日を思って、能京は奏和をあとにした。





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