(兄イヴェールとノエルとローランサン。普段の設定とは少し違います)


その話が出たのは、何ヵ月くらい前のことだろうか。どちらかが先に話を持ち出したのかは分からない。しかし俺がフリーの盗賊であり、向こうは金が無くて生活が困難だということから話は現実味を増して進んでいった。



「ノエル!」

青空に草木が目立つ小さな田舎の町を走りながら、一人の少女に俺は声を掛けた。ふわふわとした銀髪を二つに編み上げ柔らかい笑顔を振りまく少女は、俺を認めると軽くお辞儀をした。此方まで思わず顔が緩んでしまうくらい優しい笑みを浮かべている。愛想が良いのは兄妹なんら変わりない。

「準備があるからって引き籠もっちゃって。最後の1日くらいのんびり過ごそうとしないのがあなたらしいですね」

洗濯物を干していた手を中断して、困ったようにノエルは笑う。風に揺れる洗濯物の中には俺の服も彼女の兄の服も混ざっていたのたが、今はもう一人分の服しか干されていなかった。荷物は服も含めて昨日中にまとめてしまったから当たり前だ。「何か用ですか?」と普段通りに彼女が尋ねてくるものだから、俺は苦笑した。

「明日は霧が濃くなるから、今夜のうちに出ようと思うんだ。此処の最後の思い出に他愛無い会話くらいしたくてさ」

「……あら、じゃあ少し待っていて下さいな。お紅茶をお持ちしますわ」

ノエルは一瞬顔を曇らせたが、すでに察していたのだろうか。すぐににこりと微笑んで、最後の一つになった自分の分の洗濯物をかごから取り出した。



俺が盗賊としてこの町に寄ったのは一年くらい前。今まではフランスのあちこちを放浪していたが珍しく長い期間此処に留まっていた。その間世話になっていたのが貴族だというローラン家。しかしこの時代貴族といっても国王に仕えるような大金持ちもいれば、平民よりも貧しいものを食べて生活している人間もいる。彼らは後者で、あまり良い生活はしていないらしい。幼い頃に両親を亡くした彼らは自分たちで働くしか生きる術が無かったという。そんな中俺が此処を訪ね、居候する形で住み着いた。盗賊の俺にとっては町の外に出れば仕事なんていくらでもあるから、それで得た金で二人の生活を支えることになった。盗みだけでなく、彼らの仕事である人形を売る手伝いをしたりもした。二人も俺を本当の家族の様に接してくれて、互いを支えるような形でこの一年間暮らしてきた。
このままで居たいとは俺も思ったし、多分彼らも思ってくれただろう。しかし俺には幼い頃抱えた荷物がある。いつまでも此処に留まっているわけにはいかず、生きているうちに目的を果たさなければならない。俺がそのことを兄妹に告げたのが数ヶ月前だった。するとイヴェールは困ったように笑ったのだ。
お前が俺の弟だったら無理にでも引き留めてやったのに、と。


ノエルは木のテーブルを白いテーブルクロスで飾るとてきぱきと自分と俺の分の紅茶を用意してくれた。兄妹似て、二人の入れる紅茶は美味い。俺は此処で酒だけではなく紅茶も美味いものなのだと教わった。彼らと共に過ごした一年間、何回飲んだことだろう。そしてこれが、彼女が入れてくれる最後の一杯なのだ。そう思うといつもの味がじんわりと舌に響いた。

「お兄様は、喜んでいますか」

俺の正面の席に座って紅茶に口付けていると、ノエルはぽつりと呟いた。俺はその言葉で頭の中を過っていた別れの挨拶が全て消えてしまった。胸の奥にちくりと針が刺し、喉が嫌なほど乾く。

「……ああ、多分な。あいつの決めたことだから」

「男の人っていつもそうですね。女が入れない場所に、勝手に楽しそうに行ってしまうんだもの」

何が楽しいんだかちっとも分からないわ。ノエルは寂しそうに笑って言った。それは俺を責めるための言葉でなく、境界線を乗り越えられない自分を悔やんでいるようなものだった。
最初は俺一人がこの町を出ていくはずだったのだ。しかしイヴェールは何かを決心したような顔で、「俺も行く」と言い出した。仮にも貴族が、盗賊になりたいと言ってきたのだ。

「あいつがそう言いだしたのは、お前の婚約が決まったからだな…」

「そう、とても良くしてくれる方で、私でも良いといってくださっているから…きっと兄様は安心したのでしょうね」

「馬鹿だな、あいつ。お前の夫が良い身分の貴族なら、あいつの生活も保証されただろうに」

「ふふ、兄様は他人に頼るのがとても苦手なんですよ」

今まで一時も離れずに生活していた兄妹だから、お互いのことは良く知っていた。とくに彼らの場合は両親が早く死んでしまったから、支え合って生きてきたはずなのだ。ずっと、今日までは。
…なのに、

(俺ってやつはなぁ…)

はぁ、とため息をついて髪の毛を掻き乱した。一年間付き合ってきたから分かる。彼がどんなに妹を想っていて、妹がどんなに彼を想っていたのか。そこには確かに他人である俺が入り込めない境界線があっただろう。それなのに俺は、そんな二人の間を引き裂いてしまう。

「…ごめんな……イヴェールを連れていくよ、ノエル」

前から決まっていたことを確認するかのように俺は呟いた。俺だってノエルのことは大切だ。此処に住んでいて、いつの間にか彼女が俺の妹でもあるかのように思えてきた。此処に置き去りにしてしまうのは心が痛む。しかしきっと俺にはそれよりも譲れないものがあるのだ。彼女へと向ける感情より確かに強いものがこの胸を締め付ける。
そうと知りつつ俺は懺悔する。

「そうですね…兄様とローランサンの喧嘩している声がもう聞けないって思うと寂しいですが…、」

作ったような笑顔を向けてくるノエルに、傲慢な心が揺れた。これはきっと罪悪感だ。

「……もう兄様も良い年なので、結構周りから結婚話が出ているんですよ」

「結婚?あいつが?」

「…はい。没落しても貴族ですからね。兄様はあのような容姿ですから、申し込んでくる女の人なんてたくさんいました。でも私は出来るなら嫌だと首を振りたかった。…嫉妬していたんです、兄様が他の女を愛すなんて私には耐えられなかった」

幸せなことだと祝ってはいたけれど、その日が来ることは何よりも恐怖だったとノエルは語る。俺は兄妹なんて持ったことが無いから分からないけれどノエルは誰よりも彼が大切なのだと知っていた。自分の結婚話が進んでも、想うのはお互い兄妹のことだけ。どこまでも似た者同士の兄妹だ。本当に、嫉妬するくらい。

「だから私は悲しくなんかないです。他の女の人が兄様のものになる前に、ローランサンが兄様のものになってくれたもの」

「…っな、ものって…!」

「だからどうか誰の手も届かないところに連れ去ってあげて下さいな。あなたといる兄様、どの女の人も適わないほど幸せそうですから」

ノエルのそれは彼女なりの優しさだ。俺に対しての配慮だろう。彼女は気付いている、俺が彼を取り上げることに罪悪感を抱えていることを。
分かりやすいんだなあ、と苦笑した。女である彼女は人の感情に敏感だということもあるのだろうけど。

もう明日には俺たちはこの場にいない。ここよりも広い場所を転々と旅する。そして彼女は兄のいない冬を過ごすのだろう。


(その寂しさは俺には理解できないと背中を向ける。
お前の兄が決めたことだからと言い訳する。
でも、本心はもっと自分勝手なことだ)



「…ちゃんと…大切なお兄さん、責任持ってお預かりするよ」



(ああ、でもごめんなノエル。俺もどうしてもあいつを手放したくないんだ)



「………じゃあ…ローランサン、私に誓ってくださいね」

ふわりといつものようにノエルは微笑むと、椅子から立ち上がった。がたん、とテーブルが悲鳴を上げ、彼女は身体を乗り上げる。テーブルを挟んで、俺とノエルの距離が零になった。柔らかい唇が、俺の唇に当たるように触れる。それは一瞬の出来事で、彼女は身体を離すと恥ずかしそうに笑った。顔が林檎のように真っ赤だ。多分それは俺も例外じゃない。

「イヴェール兄様のこと、よろしくお願いします」

「………おう」

返したのは短い返事。それが俺たちの別れの挨拶。
姿を消したノエルを見送って、俺は熱くなった頬を冷やすようにテーブルに突っ伏した。

―――全くなんて兄妹だ。


「よ―おかえり―」

イヴェールの使っている部屋にむかうと、向けられた背中から声が聞こえた。今夜のために荷造りしているらしく、部屋は色々なものが飛び出していてかなり汚い。

「あんまり多くは持っていけないぞ。移動が多いから必要なものは向こうで買えば良い」

「…ああ、わかってるさ」

やはり何を持っていくべきか悩んでいるのか、朝俺が出ていった頃から状況は全く変わっていなかった。むしろ悪化しているのは気のせいだろうか。部屋に充満するのはイヴェールのにおい。これから俺は毎日のこいつと共に生活するのだろう。俺はさっさと準備が終わってしまって他にやることがなく、ぼんやりとイヴェールのベッドに座り込んだ。するとイヴェールはいきなり立ち上がると、俺に近づいてくる。何だ、と紡ぐ前に唇を奪われてしまった。先程のノエルのように軽く触れるようなものではなく、舌を絡め合わせた深いキス。

「…なにがしたいんだお前は」

男とキスした不快感に、手元にあった枕を投げ付けたい衝動に駆られる。イヴェールは俺から身体を離して、ぺろりと自分の唇を舐めると楽しそうに笑った。しかし目は全く笑っていない。

「ノエルとキスしたろ」

「……な、なんで…!」

「………ん?図星?」

思わず顔を真っ赤にして怒鳴ると、イヴェールは驚いたように目を丸くする。しまったと口をふさぐのは遅すぎたようだ。

「…ノエルがさっき顔を真っ赤にしてたからまさかとは思ったけど…ふーん」

「…ふーんってなんだよ」

「ううん、別に」

殺されるのかと思いきや、そう軽く流されてしまった。イヴェールは腰を下ろして作業を再開する。できるだけ早く終わらせないと夜には出発できないからだ。その背中を眺めていると、イヴェールは服を畳んでいた手を止めた。

「……きっとノエルはお前に連れていってほしいって言いたかったんだよ」

ふとぽつりとイヴェールは呟いた。俺はきょとん、と彼を見たあと、彼の発した言葉の意味を分析するより先に彼が俺たちの会話を聴いていたことに気付いて顔をしかめる。どうやら俺はこの兄妹二人に振り回される運命らしい。

「残念だな…俺は盗賊だったせいで、折角の美人を嫁にできないはめになったのか」

「馬鹿、誰がノエルをやると言った」

「…だから代わりにお前がもらわれてくれるんだろ?」

そう言って笑うとイヴェールは口角を吊り上げた。挑戦するかのような目が俺を射ぬく。唇が、意地悪く弧を描いた。

「…ああ…なるほどな」



そうしていつも通りの1日が終わるころ、俺たちは一人の少女に別れを告げて世話になった町を去る。持ち歩くのは傲慢な心と罪悪感。そして置き去りにするのは君と君からもらった想い。背中に焼き付くのは置き去りにしてきたものばかりだ。

ごめんな、君にとって何よりも大切なものを持ち逃げするよ。


(そしてどうか君の想いを利用する俺を許してください)


―――
互いが互いに嫉妬する三人
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