花が無い野郎ばかりの空間で、話す内容は限られている。特に盛り上がるのは武勇伝と飯と女の話だ。

スペインのとある港町。明日から出港という理由で、船員たちは既に船の中で寝泊まりしていた。雲の動きを観察するに、暫く波も風も強くならないだろう。絶好の出港日和だった。
上官たちが最後の点検と準備に港町を散歩している間、待機を命令された男たちは暇を弄んでいる。港町で食べた美味しい食事の話や、欲を満たしてくれる美しい女の話、これら全てが暫くは満喫出来ないもので、名残惜しそうに語り合う。

「将軍もケチくせぇよなあ、良い女一人くらい乗せれば良いのに」
「バカ、そしたら毎晩引っ張りだこで過労で死んじまうよ」
「ちげーねえ!」

大袈裟に笑い合い、自由に好き勝手話すことができ、どんなことでも共感できる長旅の友。船員たちが最も愛しているのはおそらく飯でも女でもなく仲間たちなのかもしれない。

「私も同意するよ、この空間は狭い上に汗くさくて叶わん。女の香水で緩和されないものかね」

「お、イド。今帰りか?」

唐突に会話に参加してきた上官に、船員たちは座りながら振り返る。スペイン人には見られない金の絹のような長い髪を潮風に靡かせて、彼は船員たちを見下ろしていた。買い出しに行くと船を降りてからそう時間が経っていない。太陽もまだ真上だ。飽きたのだろうか?と皆が首を傾げ、イドの背後をちらちらと見渡した。コルテスと一緒に出掛けたはずなのに彼の姿は見えない。

「コルテスはまだ戻らない。女とトラブってる」

「…出港前にすげえなあの人は」

「全く低脳が。船が出る前に精気を吸われて何が将軍だ馬鹿馬鹿しい。女が好きならいっそ陸で暮らせば良いだろうに。代わりに私が将軍になってやろう」

「とか言うイドも相当アレだよな…」

「言ってやるなよ、嫉妬してんだありゃあ。大方気に入った胸のでかい姉ちゃん全部将軍に持ってかれたんだよ」

「なにか言ったかな」

「「いえ何も!!」」

イドはくるりと振り返って爽やかな笑みを浮かべるが目は全く笑っておらず、獣のような鋭い眼孔が船員たちを凍らせる。そしてその場にいる全員が確信した。「あ、こいつ図星だ」と。
イドはその秀麗な容姿と細身の肉体からストイックだと思われがちだが、実はかなりの女誑しである。将軍には劣るが、町を歩くときには必ず横に出会ったばかりの女性を引き連れており、そしてその女性の大方は胸が標準より大きい。だからイドと長い付き合いの人間は直ぐに彼の趣向を読み取れる。一応妻も子も居るが、身を固めたあとも落ち着くようすがない。おそらく元からそういう人間なのだ。地面にしっかり足を付け根を這わせているような人間が、航海士になるはずがない。
今回も彼は女関連のことで相方に負け、そのまま捨ててきたのだろう。怒り方を見れば一目瞭然だ。「そういうところだけ分かりやすいんだなあ…」と船員の一人がひとりごち、周りは全力で同意した。勿論イドには聞かれないよう小声でのやりとりだが。話題の本人はそんな彼らの様子には気づかず、コルテスへの苛立ちから来る文句をぶつぶつと溢している。彼がトラブっているという女の一人がイドのお気に入りだったのだろうか、いつもより気が立っていた。八つ当たり要員にされるのは御免だと、船員たちがそろそろとその場を離れようとしたとき、運の悪いことにその中の一人がばっちりと彼と目があってしまった。爽やかな笑顔を浮かべていることが多い男だが、形の良い口元を吊り上げて僅かに目を細めるその表情は、爽やかとは言い難くかなり毒々しいものだ。何か嫌なことを言われる、と覚悟した船員たちの前でイドはいたって普通の声色で彼らに語りかける。

「君たちも気を付けたまえ。あいつに船上でいつ襲われるか分かったものじゃあないからな」

一瞬船員たちは息をするのも忘れた。口調は何気なく溢されたものだったが、与えられた衝撃は異常だ。静かに落とされた爆弾に船員は顔を見合わせ「はあ!?」とすっとんきょうな声を上げる。言葉の意味を理解するため回転が良いとは言えない頭をフル回転して考えた。イドの言うあいつとはコルテスしかない。そして話の流れからすると襲われるとはそういうことだ。ベッドへお持ち帰り的な意味だ。今まで共に航海をしていたがその事実には全く気づかず、驚きを通り越して目を点にしている船員たちを見てイドはくすくすと笑い出した。

「ああそうだとも。ああ見えてあいつはバイだからな。船だと女が居ないだろう?そういうときは誰か一人船室に呼び出すんだ。行ったら最後、おいしく頂かれる」

「えええええ!」

「だっ…じゃあ、イド!お前もか!?お前もあの人の女代わりなのか!」

「はあ?私に手を出していたらあいつは今頃綺麗に捌かれてLeberKochenとして美味しく店頭に並べられている」

「いや意味わかんねえよ!」

呆然としていてもツッコミは相変わらず的確な船員たちにイドは満足そうに声に出して笑い、腹を抱えた。そんなイドを見上げながら船員たちは無意識に尻の穴をきゅっと締め付ける。男の趣味を持つ人間は溢れるほど居るが、まさか将軍がその人だと誰が想像出来ただろうか。思わずその相手になってそうな一番彼と仲の良い眼前のドイツ人に視線が行ったが、彼は笑ってばかりで彼らの目線に応えてはくれない。代わりにまだ話は終わってないと言わんばかりに大袈裟に腕を広げた。

「だから良いかな諸君、航海中に船室に入るよう呼ばれた時は、扉の前で一言『私は痔を患っていまして』と控えめに断、」

「エーヘンベルク」

ぴた、とイドの声が止まった。彼の背後から聞こえてくる地獄の底を這いずるような低い声に「ひいっ」と船員たちは身を強張らせる。つい先程までイドが楽しそうに話していた話題の人物が音もなく現れ、イドの長い金髪を引っ張ったのだ。自動的に顔を上に向けることになる彼を鋭い眼孔で睨んでいるのは、間違いなくエルナン・コルテスその人だ。

「やあ、フェルナンド。随分早いお帰りじゃないか」

「どうやら良からぬ噂を流されているようでね。地味に苛立つ嫌がらせしやがって表出ろ」

「何のことだい?私は時に痔も役立つという講釈をしていただけだが」

「船員の痔事情に精通するくらいなら流行りの感染症の病原菌でも調べたらどうだ」

やれやれと腕を肩辺りで広げてみせるイドの演技臭い動作にコルテスの苛立ちは増長されていく。言い逃れをするイドの言動に堪忍袋の緒が切れ、ぐいっと彼の金髪を引っ張りあげて体を反転させると、船の外板にその体を叩きつけた。ガンッと鈍い音と軋む音が響く。

「ぐっ…」

唐突の衝撃にイドの顔が僅かに歪んだ。流石将軍と名乗るだけあってコルテス腕力は強い。イドは対抗する為に腰の剣に手を伸ばすが、彼はそれを即座に見抜き叩き落とすと戒める為にギリギリと体重を掛けた。骨が悲鳴を上げるのを聞きながらもイドは口の端を吊り上げて笑ってみせる。

「は、噂の一つ二つで必死だなコルテス。図星か?」

「いい加減その女みたいにお喋りな口を閉じろ。縫い付けるぞ」

冗談や戯れでは終わらなそうな二人の剣幕に、今まで黙っていた船員たちが挙動不審になり始めた。コルテスとイドのどちらに加担しようか迷っているようだった。どのみち彼らが二人の部下で有るという限り逃げるという選択肢はない。

「し、将軍落ち着いてください!」

「出港前に大事な戦力削ってどうするんですか!」

彼らはなんとか二人を止めるため間に入ろうと奮闘するが、コルテスの形相やイドの珍しい余裕のない顔に結局何もできないでいた。状況は悪化し、ギリギリと締め付ける音は強まる一方である。このままではイドの骨が一本イッてしまうのではないかと船員たちが危惧し始めたとき、別の場所がミシリと嫌な音を立て、綺麗な罅が入った。その音にこの場にいる全員の顔色が一気に青くなる。
骨ではなく、イドの背中を支えている外板が壊れた。

「うわッ…」

「うお!?」

二人して仲良く間抜けな声を上げて、イドは背中からコルテスは前のめりにバランスを崩す。コルテスの腕力に外板が耐えきれなかったのだ。全体重をそれに預けていた二人の体がぐらりと揺れ、重力に逆らうこともなく傾き、足場を無くして海へと投げ出される。派手な水飛沫が上がった。現場に居なかった他の船員たちも重い水の音に敏感に反応し集まってくる。
上司が海へ消えていくその様子を一部始終眺めていた船員たちは互いに顔を見合せ、どうするべきか迷いながらも体を乗り上げて下を見下ろした。岸近くといっても運良く海は深く、頭や体を強く打つ原因になる岩は近くには存在していない。「大丈夫ですかー!?」と叫んでみると、先にコルテスが海から顔を出した。

「あー…平気だ」

その声は先程よりもかなり落ち着いている。いつものコルテスだった。船員たちはそれに内心で胸を撫で下ろしながらも、彼に届くように声を張り上げる。

「そのまま岸に上がりますか?」

「いや、船に戻る。船室に服があるから」

その言葉に船員たちは急いで将軍を引き上げる作業に入った。コルテスは部下たちの慌ただしい様子を苦笑しながら下から見上げてまっていると、「ぷは!」と海から外に顔を上げたイドが息を吸い込んでいた。口に入った塩水を吐き出し、隣で同じように浮かんでいるコルテスを認めると苛立ちを隠さない顔で彼の服を引っ張る。先程と立場が逆転していた。

「こ…、ンの低脳!!貴様の力だったらこうなることは明らかだっただろう!先を読みたまえ!だから低脳なんだ!」

「元はといえばお前が根も葉も無いことを吹聴して回るからだろう」

「回ってない!それを言うなら君が私の女にちょっかい出すからだろう」

「あれは向こうから…。おい、俺は別にお前と水掛け論がしたいわけじゃないんだが」

「うるさい。私は謝らん」

海から顔を出しながら喧嘩し始める将軍と上官を見下ろし、作業をしつつ船員たちは「器用だな…」と苦笑し合っていた。先程の凄まじい剣幕が、今はまるで子供の戯れあいだ。その様子だとコルテスのバイ疑惑は誤解だったようである。イドのいつもの些細な嫌がらせだったのだろう。

しかしこの後イドが服を着替えるためにコルテスの船室の中に躊躇なく入っていって、目を剥いた船員たちの間で75日の噂話が船内で繰り広げられることになるのだが。


―――
この時代の船には船長しか部屋が与えられなかったみたいですよ(イドが船室で着替えた理由)
イドさん超傍迷惑。


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