学パロ/死ネタ

石のように固まって動かなくなってしまった彼の一歩後ろで、俺はその背中を眺めていた。白い部屋に白いベッド、清楚であると同時に酷く居心地悪い場所。こんな場所に寝かされた病人は、部屋と同じように白と同化してしまうのではないか。なんて、病院に駆け込んだ最初はそんなことを場違いにも考える余裕はあった。そう、最初は。死んだ彼女に会うまでは。
時が止まって、周りに居た者の息が一瞬止まる。静寂が支配している場所で一番最初に声を上げたのは天秤だった。ドアの前で力尽きたように屈みこみ、目を腫らして大声で泣き叫ぶ。次に耐え切れなくなったのは紫陽花の姫君。しゃっくりを上げる二人を、今にも泣きそうな顔でヴィオレットが慰めていた。陛下はサングラス越しの目を瞑り、壁に体重を預けて黙り込んでいる。他にも、感情が表に溢れだした人はたくさんいた。ただ一人、目の前の男以外を除けば。

「―――、っ」

ローランサン。名前を呼びたいはずなのに喉から声が出てくれない。生気の無い人形のようにただじっとシエルを見下ろしている彼に恐怖に似たものを感じてしまった。あ、駄目だ。咄嗟にそう思った。何が駄目なのかは俺には良く分からない。でもこのまま放っておいたらローランサンがローランサンではなくなる気がした。シエルを見下ろす彼の横顔に、降り掛かる絶望を理解出来てない表情を見る。もし彼が泣いてしまったら、シエルだけではなくて彼も連れていかれるのではないか。

あまり口にはしない捻くれモノだけど、ローランサンがシエルに対してどんな感情を抱いているのかは痛いほど知っていた。嫉妬しながらも、二人が幸せならそれでもいいかなんて諦めてみたり、それでも我慢が出来ずに夜中1人で泣いてみたり、ローランサンが知らないことを良いことに俺はどれほど口悪く彼を罵っただろう。恋は勝ち負けがはっきりつく勝負だと思っていたが、シエルは俺が勝負を挑む前に消えていってしまった。正確には殺されてしまった。誰に?何のために?金とか社会とか政府とか資本家とか世界とか妬んでいるやつらに。つまりシエルは何も知らないまま俺の居場所や彼の心を奪い、勝ち逃げしたんだ。不条理で理不尽なのに文句を言う相手すら分からない。彼氏を奪われ嫉妬に狂った女が繰り出す殺人的なあれこれを、ドラマや映画や小説でふうんと同意出来ないことを前提に見てきたけど、やっぱりあれは同意出来ない。だって殺したところで何も得られないしもっと自分が惨めになるだけじゃないか。嫉妬した相手が消えたところで残るのは虚構。ああだから狂っているのか。シエルが消えたところで俺にはなんのメリットも無いわけで、だけど友人を亡くしたという気持ちだけでは泣けない俺は、死ねば良いのにと顔も知らない犯人を八つ当たりに近い感情で罵る。

シエルを大切に想う人間はローランサンだけじゃない。ひとりふたりと数えられるものでもない。人と人とを繋ぐ絆はそんなちっぽけなものではなくて、それこそ無限に存在するものだ。一人の死が一人の人生を狂わせることだって十分にあるわけで、俺はそれを一番恐れていた。ローランサンがそうならないなんて誰が確信できるんだ。ローランサンの人生が狂うなら、歯車が回るように俺のこの先の未来も一気に狂うだろう。指先が震えるのは、今まで通りの生活が一瞬にして灰になることを予測しているからだ。なんで死んでるんだよ。死ぬんじゃねぇよ。そんな儚い願いを後悔ににた形で何千億人の人間が今日まで嘆いてきたのだろう。皆願うんだ。自分じゃどうしようもできなくて、痛くて苦しくて情けなくて、会いたくて笑いたくて傍に居たくて、もっともっと生きていてほしいのに。

「、っ、理不尽、だ」

さんざん人のこと掻き回して奪っといて死ぬなんて、俺はどの位置に立ってお前の居ない世界で生きていくんだよ。シエルの好きなローランサンが俺の居場所だったと思い知らされる。石になった彼を支える俺もどんどんと固まっていく。そうして俺に関わる人間も感染するように変わっていって、本当にいつの間にか世界は被害者ばかりになる。神様どうして俺たちをこんな場所に置き去りにするのですか。どうして奪うことしか与えてくれないのですか。

涙が止まらなかった。背後で大声で泣くやつや声を押し殺して泣くやつや黙って泣くやつに交ざって涙を流す。流すというより滲んでいた。ローランサンの背中がじんわりと歪む。とうとう泣かずに動かない人間は彼だけになった。あんなウザイくらいに感情豊かな奴が、何も映していない。
あとは思考がぷつんと切れ衝動に身を任せた。ローランサンの服を掴み、こちらを振り向かせる。呆然とこちらを向いた彼を引きずって廊下へと移動させた。混乱した頭の中でも、病室で騒ぎを起こすべきではないという理性は働いていたらしい。部屋を出た俺は壁にローランサンを叩きつけ、一発思い切り殴った。

「、っ」

すると仕返しとでも言いたげに重い拳が腹に一発入った。服に縋ったまま腹を抱えて地面に屈みこむ。ああ力ではローランサンに勝てないことをすっかり忘れていたと後悔のまま顔を上げると、ローランサンの瞳からはぽろりと大きな水滴が零れた。

「、サン」

「……んで、だよ」

「サン」

「なんで、あいつなんだよ…」

ぐいっと俺の両肩を掴んだ彼は、そのままずるずると力尽きて座り込んだ。覆い被さるように俺に縋る姿は小さな子供のようだった。俺が殴って腫れた頬に伝う涙は、ひとつぶ、ふたつぶと増えていって、

嘘だと言ってほしい。シエルもローランサンも連れていったりしないでほしい。俺はどこに立てば良い?シエルを失ったローランサンはどこにむかうのだろう。その後ろを付いていくことしかできない俺が、行き先を知らされることも、隣に並ぶことも決してないのだと思い知らされてしまった酷い真夜中。
出来るなら神様今すぐ生き返らせて。この場所にいる人間全員を昨日に生き返らせて。押しつぶさせる明日なんて望んでいない。割り切ることなんて絶対に出来ないって知っているから。神様。本当に本当に本当に本当に本当に、頼むから、俺を今すぐ生き返らせて。
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