雪の冷たさが嫌になって駆け出した真夜中。冬の寒さには誰よりも強いつもりでいたけれどあの夜は肌に当たる小さな塊ひとつひとつが酷く痛かった。鼻先がつんと痺れて、屋根の上で声を押し殺して泣いた。寒いのなら部屋の中に入れば良いのにと飽きれる人間は近くに居なくて、だから俺は一晩中外に居た。こういう時に限って風邪を引くことはないのだから自分の体が憎たらしい。彼が居なくてもお前は生きていけるよと慰めてくれているのならそれはありがた迷惑ってやつだ。誰に怒りをぶつければ良いのか分からなくて、自棄になったのが半年前の冬の夜。今はもう夏になっていた。

夏の暑さがじわじわする。身体中に氷を巻き付けたい気分だった。汗が背中を滑り落ちて気持ち悪い。俺は長袖のシャツを肘まで捲って、シャツの留め具を上4つくらい開けていた。それでもまだ風は入ってこない。ローランサンは既に上半身裸で草むらの上に寝転がっていた。目の前には湖があって、彼は先程までそこで水浴びをしていた。髪がぐっしょりと濡れていて、でもとても涼しそうだ。湖は砂漠に湧くオアシスのようなものだろう。服を脱ぐのも怠くて俺は彼が遊んでいる様子を眺めているだけだった。ああそれにしても暑い。苛々する。
今年は久々にフランスに長期間続く雨が降った。農家が大騒ぎになっているんだろうと他人事のように思いながら過ぎていった初夏。今はその鬱憤を晴らすかのように太陽が痛々しいほど照りつける。こちらに八つ当たりされても困るのに気温は上昇するばかり。風が生暖かい。蝉の短い命が主張の声を上げる。鬱陶しさに苛々するのも夏の特徴だろう。

「あ―…イヴェール」

「何?」

「つめてー」

「何がだよ」

「お前の雰囲気が、なんか、やっぱり冬みて―だって。イヴェール見てると涼しくなるな」

「そうかよ。ローランサンは暑苦しいけど」

本当に暑苦しくて鬱陶しい。どうせなら夏が来る前に帰ってくれば良かったのに。そう言うことも出来ず、四つんばいでこちらに向かってくる彼を黙って待つ。濡れた髪や肌はまだ乾いていないのかぽたぽたと草に雫が落ちていった。俺は自分が濡れるのは嫌だなと思いながら飛んできた雫を指で払う。

冬のあの寒さから遠ざかって今はその気配さえも感じさせない。そんな夏が俺は嫌いだ。俺は待つことも耐えることも今まで何度だってしてきたし、慣れているのだと思っていた。けれど今回この半年の時間がどれほど長く感じただろう。過ぎてしまえば苦しんだ昔のことなんて欠片も残っていないのに。ローランサンは当たり前のように此処に居て笑っている。俺もきっと変わったし彼も変わったのだろうが、まるでこの半年何もなかったかのように、俺たちは互いに隣に居る。俺が過ごしてきたあの冬はなんだったのだろう。

ローランサンはある冬の夜にヘマをして警察の世話になっていた。一緒の仕事だったのだ。けれど役割を分担していたから俺は彼の事情を知ることは出来ない位置に居た。必死に奪って逃げて無事に宿に辿り着いて、彼が戻ってきたらほらこんなに盗れたぞと獲物を掲げようと思っていたのにその夜ローランサンは帰ってこなかった。滑稽だろう。それから今日まで音沙汰はなかった。時を見てあの日忍び込んだ屋敷をもう一度訪れたが、盗賊が出たという噂話ばかりが飛びかうだけでどれも俺が知りたいことの核心を突いていなかった。ローランサンが死んだのか生きているのかも分からない。いつまで待っても帰ってこない。ドアの軋む音や誰かの足音に何度反応したのだろう。どれほど俺は根拠の無い幻想にしがみ付いたのだろう。慰めはいらないから帰ってきてほしかった。獲物の話をしたかった。不味いワインのグラスを合わせて彼の機嫌の良い鼻歌に笑ってやりたかった。冬の寒さが身に凍みて俺を内側から凍らせる。苦しんだ時間を過ごしてきたと思う。彼が帰ってきたときのことをずっと冬の間想定していた。それなのに、いざ今日会ったら、久しぶりの声しか出てこないのだ。もう笑い話だ。情けない。酷く苛々する。

ローランサンは俺がこの半年間どう過ごしてきたか知らないだろう。俺もローランサンがこの半年間どう過ごしてきたか知らない。身を寄せ合うように生きてきた者同士の絆にしては本当に脆くて糸の役割も果たしていない。彼に言ってあげる言葉が現状からしかすくい上げることが出来ず、そして彼もこの時点から俺を見る。想像できるくらいの繋がりがあれば俺はこの半年間泣いて過ごさなかったのに。夏は暑く、冬の寒さはどこかに消えてしまった。俺の涙もどこかに消えた。

「っ、濡れるよ」

「ええ、良いじゃん久々だし」

ぎゅう、と近づいてきたローランサンに抱き締められた。水浴びをしてきたくせに彼の身体は熱い。眠いのだろうか、この子供体温。やっぱり鬱陶しさを嫌というほど感じるのが夏という季節だ。シャツにじわりと染み込む水滴が水なのか汗なのか分からなくなった。ローランサンの濡れた髪が首に当たって少し冷たくてちくちくして痛かった。それにほっとするのだから俺も大概救えない。夏を体現したような奴が帰ってきたのだと身体が気付く。欝陶しい。苛々する。汗が気持ち悪い。

「お前は本当に夏でも冷たいな。冬みてぇ」

「冬だよ。俺の名前も」

「なるほどなあ」

「ローランサンは夏みたいだ」

確かめるように背中に回る熱は俺にも移って汗が出る。普段はあまり汗を掻かないからなんだか新鮮でもあったけど、慣れない感覚はやっぱり受け入れがたい。忍び耐え待ち続けるのが冬の寒い季節だ。俺は時間が過ぎるのは早いと嘆く人の気持ちが分からない。それは振り返った時の感想だろうに。その直線の真ん中にいた俺にとっては酷く長かった。夏が来るまでの時間は本当に長かった。
それをどうか気付いてほしい。知ってほしい。無かったことにしないでほしい。俺の冷たい体温は彼の体温も奪えないだろうか。あの痛みも苦しみも、ローランサンと俺を繋ぐ絆のひとつであるべきだと思う。彼が味わってきた半年間もじっくりと知っていきたい。絶対に無くしたりしないから、どうか冬の寒さを忘れないで。熱くて痛々しいほど元気な太陽は何度も俺を不安にさせる。

「俺が熱いって言いたいなら脱げば良いのに」

「これでもかなり脱いでる」

「は―、よく我慢できるな」

「ローランサン」

「ん?」

「水浴び、あとで俺もする」

汗が気持ち悪いから。そういうとローランサンは口角をつり上げて早速服に手を掛けようとしてきたので遠慮なく叩き落とす。あとでって言っているのに。
空を仰ぐと眩しかった。暑いなあと一人呟く。ローランサンは小さく笑った。惨めになれない季節というのも本当に居心地が悪い。だから夏は大嫌いだ。


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