不運な姫君よ。我の言葉が届くなら、瞼を開けてみて欲しい。――そう、良い子だ。慣れ親しんだ闇が、変わらず視界を塗り潰しているだろう。故にお前は、目に見えるものではなく、目に見えないもので世界を観ようとした。しかし此処はお前の良く知る世界ではない。我の言葉に耳を傾ける度に、その足元、頭上に、小さな紫が灯る。その光をしっかりと目で捉え、辿って此方に歩いて来ると良い。

 人が地上に産まれ堕ちる時、必ず其処には土台が存在する。人は其れを歴史と呼び、時にそれは童話や伝説として形を変えた。二つの足が土台を踏みしめ、歩いてきた道筋を振り返る時、彼等は過去として其れらを認識する。さて、其れは時に他人、または自分の生を縛る道具となった。生まれながらの身分。血筋。過去にあった出来事になぞらえ、その者の未来を定める。王の子は王であり、奴隷の子は奴隷だ、という風に。人知人力ではどうにもならない巡り合わせの理不尽を人は嘆き、その概念に理由を求めるようになる。『この世界には常に外側から世界を眺める黙した観測者が存在し、当事者が知らずして犯した罪と罰を、神々でさえ触れる事の叶わない強い鎖で結びつけ、応報を齎すのだ』と。こうして世に運命が産まれた。

  愛すべき仔よ。話を本題へ移そう。
 彼等はどういう時に運命というものを認識するのだろうか。そもそも――運命とは何だ?現代では運命の人、運命の赤い糸と、なにかとロマンティックを彩る言葉となっているが、神話の中で生きた主人公達にとって其れは支配であった。運命という概念に、死が強く認識される事は少なくない。
 死は喪失である。身を引きちぎられる痛みとともに命は存在する。
 死は不条理そのものである。死は決して人の手の届かない領域に存在しなければならない。
 死を持って運命、運命を持って死。死と運命は同じ言葉であった。死すべき者、人が死に逝く時、其処には必ず「そうならねばならなかった」理由が存在する。

 ――其れが運命。我が母「運命」が、「死」を産み堕とした所以である。



 同じときを過ごしてきた兄妹が、同じ色の瞳をしていながら、全く違う見方で世界を眺め始めたのはどの瞬間であろうか。
 光が届かない冥府の底にも、時を司る神の縦糸は紡がれる。故に我は敢えてこれをむかしと形容しよう。むかし、まだ二人が並んで野山を駆け巡り、手を繋ぎながら無限に広がる冒険に胸躍らせていた輝かしい時代だ。妹はよく兄より前を歩き、自然の音に耳を傾けた。彼女は自然が囁いてくるメッセージを受け取ることにとても長け、兄には届かないとても小さな音も拾い上げる事が出来た。「明日は雨が降るかもしれないね」「明日木の枝にあるたまごが孵ると思うよ」と、そっと兄に耳打ちする。大抵当ててしまう未来を差す妹の言葉に、兄だけでなく両親も不思議に思ったが、誰も彼女の内に眠る不思議な力に気付く事は出来なかった。その些細な予言が、彼等の日常を変えるまでには至らなかったからだ。
 では少年はどうだろう。後に神殿の巫女となる少女の能力と同等のものを当時の少年が持っていたかというと、そんな事はなかった。彼が自らの力を自覚するのは、風の都で体に鞭打たれながら死に物狂いで生きていた頃。先頭を行く奴隷に、不気味な黒い影が貼り付いているのを見たのが最初だった。彼はそれから影と死が深く結び付いていることに気付くのだが――さて、不思議な話だ。切っ掛けが無かったわけではないのだ。しかし身を挺して自分を守った父の死を、当時の彼は察知することが出来なかった。勿論その背に死神を見ることも無かっただろう。どういう訳なのか、彼が影を見るのには生を憎む必要があった。
 何故自分ばかりがこんな目に遭うのか。
 奴隷として毎日虐げられ、ろくな食事も与えられず、ろくに眠れず、自分を踏み台にする人間の為に血を流して石を運ぶ。昨日話した人間が殺され、明日は我が身かもしれないと、震えながら眠りに就く。常に身を襲う恐怖は、理不尽に叩かれる鞭よりも恐ろしい。少年は憎み、怯えながら世界を観る。その世界は、片割れとは全く違う景色に移った。

 いずれ死んでしまうのに人は何処へ行くのだろう。

 少年はそんなテオリアを自らの内に取り入れていく。地位も名誉も財産も装飾品も、冥府まで持っていくことは出来ない。王も奴隷も同等にだ。それなのに何故固執する。何故生きる。
 そのような過程を経て、少年と我の意思は一致する。
 しかし少年は未だ、世界に絶望するほど闇に堕ちてはいなかった。彼を拾った詩人が、彼の心を癒し、進むべき道を示したからだ。なにより生き別れた片割れが何処かで自分を待っていることを、確信する事が出来た。

 さぁ姫君よ、我の前に立て。我の姿をその瞳に映せ。
 此処からは話さなくても十分理解出来るだろう。お前を呼ぶ兄の声が、冥府の底まで響き渡っている。お前はその声に応える事が出来ない、振り返る事すらも出来ない。

 かつて奴隷市場で、双子は手を伸ばし合い、お互いの名を叫んだ。金属が重なり合う耳障りな音にも負けずに大声で、土埃で曇った視界の中でお互いを探した。離ればなれになる運命に、必死に抗おうとした。
 ――しかし、今聞こえるのは兄の咆哮だけ。
 母上がお前の瞳の光を奪ったのは、どんな気紛れなのだろうか。兄は死を通して世界を見るが、盲目のお前は巫女となり、常に未来を見た。死を身近に感じず、死と遠い世界で生きてきた。運命から与えられた使命がお前を生かすが、故にお前は死ななければならなかったのだ。
 それでもお前は、兄に「哀しまないで」と眉を下げてみせるのか
 共に生き、共に笑う時代は終わった。幼い頃の約束ほど守られないものはない。いつの間にか双子の世界は離れていた。もうお前の声は兄に届かないし、兄の手がお前に届く事もない。頬を濡らす涙すらも呪縛になる。
 

 『全ての焔が灯った。
 アルテミシア、古き素晴らしい思い出にお別れを――』


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -