宵闇の中を探るように手を伸ばし、触れた白い肌に指を這わす。夜の気温ですっかりと熱を奪われた指先は、相手の胸の体温を求めて蠢く。カンテラによって僅かに灯された金糸が白い肌の上を踊るように絡み合い、神秘的な光彩を放っていた。
 ドアを一枚隔てただけの、暖炉もない部屋は良く冷える。それでもコルテスの下で身動ぐ体は内側の熱に浮かされていた。嗚咽にも似た引き攣った声を上げる唇に自分のそれを重ね、次に滑るように耳元に口付ける。

「…イド、副王の話…お前に喋ってたっけ…?」

「…っ?」

 しかし囁かれたのは愛ではなく、昼間でよく交わす仕事の話だった。なんで今このタイミングでその話だ、とイドは悪態を吐きたくなったが、コルテスが体を密着したことによって下半身から迫り上ってくる快楽に、無防備に吐息を漏らすことしかできない。

「副王から海賊討伐を命じられたんだ。本国へ送る輸送船を、護衛しろだと」

「…は?そんなの、国の、仕事だろうが」

「皇帝陛下はお忙しくて海賊にまで手を回してられない。国の兵士も同様だ。しかも海賊が出没するのは大アンティル諸島付近。そこで副王に役目が回ってきた。大方、将軍としての、腕を見せてみろと仰っているのだろう…海は俺たちの、管轄内だから」

「ん、…あっ、コル…まって…ん」

 話す間も律動を止めないコルテスに、イドは必死に手を伸ばして背中を叩く。息が乱れては碌に言葉も話せない。意図を読み取って動きが緩まるが、コルテスは不満気に熱い吐息を零した。

「それに、私も参戦しろと?」

「当たり前だろうが。お前が居ないと船は動かない」

「…何でも勝手に決めるな低能。私は、国に付くのはごめんだ」

「知ってる。でも、俺の下なら働いてくれるだろ?」

「……」

 否定しようと開いた唇が、不服そうに噤んだ。沈黙は肯定だ。コルテスは口許を吊り上げると、この話は仕舞いだと言わんばかりに行為を再開する。

「…ふ、…ん、あぁ…っ」

 いきなり突き上げられイドは喉を引き攣らせた。藻掻くように腕をコルテスの首に絡め、襲いかかる快楽に耐える。
 こんな状況で海賊討伐の仕事を持ちかけてきたのは、最初からイドが易々と承諾しないと分かっていたからだろうか。夜の闇の中満足に相手の顔も見られず、ただ熱だけに溺れる行為の中、唐突に話をされても満足に考えることも出来ない。イドは涙の張った瞳でコルテスを睨み付けた。なんて狡猾な男だ。しかし此方を見下ろす男の顔が珍しくどこか子供らしい純粋な喜びで溢れてたので、イドは敢えて流されてやることにする。心底呆れたというように溜息をついて、コルテスの胸に擦り寄った。



 輸送船が出航するのは二日後。コルテス率いる船がその後を追う形で護衛するのだという。勿論輸送船にも出来るだけ大砲を乗せ、万全な海賊対策をして出航するのだが、如何せん荷物が重すぎて足が遅い。快速な空船に乗り込む海賊に目をつけられたら一瞬で追いつかれてしまう。それに、食料の面も考えると多く護衛の兵士を乗せることも出来なかった。どうしても船の荷を守りたければ、他の船を囮にするしかないのだ。

「アンティル諸島には、無人となった海岸地帯に海賊がたくさん住み着いていると聞きます。被害に遭うのは大体島々の入り江を通る輸送船。ですが、彼等は既にいくつかの船艦を強奪しており、稀に遠出して襲ってくることもあります。完全に避けることは不可能だと考え、常に武装するべきでしょう」

「…なんで無人となったんだ?」

「大した黄金も得られない島に留まるより、大陸に移動し、征服者となって一攫千金を狙う人間が増えているということですよ。我々が置き去りにした場所を海賊が塒にしているんです。放置された家畜が野生化してますから、食にも困らないみたいで」

 イドの質問に、海図に視線をやりながら苦々しくベルナールは答えた。彼も今回海賊討伐に参戦するのだという。侵略戦争の為、先住民相手に幾度か剣を手に取ったことはあるが、船の上で海賊と一戦を交えるのは初めての経験らしい。丁重に説明する声は、少し緊張で掠れていた。

「…ふぅん、ではその塒とやらを突けばいいのか?」

「無茶言わないでくださいよ。まだ形成したばかりですけど、あそこは既に一つの集落のようになっているんです。私たちの仕事は船を無事に本国へ送ることで、敵地に乗り込むことじゃない」

「成る程。つまらない仕事を引き受けたな」

 つまり船のお守りだ。顔も知らない王族へ捧げる荷物の為に、命を張らなければならないらしい。イドは腕を組みながら肩を竦め、海図台に寄り掛かった。既に甲板では船員達が海賊対策に忙しく動き回っている。食料と武器以外は何も乗せず、出来るだけ船足を速めるのだそうだ。船員に選ばれた男の殆どが戦争体験のある軍人で、イドも面識があった。

「イド、輸送船の船長殿がお見えになったぞ」

 砲甲板に沿って歩いてきたコルテスが、イドの背中を見つけて声を掛ける。その姿にイドは目を瞬かせ、「ああ」と軽く頷いて台から離れた。その動作を静かに眺めていたベルナールは、ふと湧いた疑問に首を傾げる。

「…イドさん、体ちょっと斜めってますが大丈夫ですが?」

「うん?」

「全体的に怠そうですよ」

「…あー、最近夜遊びが過ぎたかな。この島の女性は故郷のより情熱的だぞ。慎ましやかな女性も好きだが、たまには激しいのも刺激的でいいね。まぁ、私はどちらにしろ…」

「どちらにしろ巨乳が良いんだろ。ほら早く行くぞ」

 イドの長話に焦れたコルテスが、無理矢理腕を引っ張って連れて行く。呆れた表情で彼の話を聞いていたベルナールは、一瞬訝しげな視線をコルテスに向け、それから笑顔を浮かべて「いってらっしゃい」とイドに告げた。その一連の仕草で、彼には嘘は吐けないと苦笑を浮かべる。寛容な仲間を持てて幸せだとつくづく思う。ぎしぎしと音が鳴る甲板を早足で渡り、船を降りた。


 縦糸は紡がれる。
 波を斬るように飛沫をあげ、蒼穹を駆け抜ける二隻の船。イドの予測通りに天候に恵まれ、敵に襲われることもない平穏な航海が三日続いた。このまま何事も無く進めば、四日後には最初の目的地に着きそうだ。最初の方は緊張していた船内も、武器を武器庫に預け、のんびりとトランプ遊びに明け暮れている。将軍も船員に混ざって賭け事をし始めるくらいには暇だった。
 イドは望遠鏡で一頻り周りを確認した後、シュラウドを渡って見張り台から降りる。強風が吹いているのに少しも恐れず、軽々と降りてくるその身のこなしは猫のようだった。ラットラインに足を乗せ、シュラウドを片手にバランスを取る。たまたま船長室に向かうところだったコルテスは、イドを視界に入れて足を止めた。

「どうだ、様子は」

「波は穏やか風も順調おまけに船の影もない。暇すぎて見張り台で寝るところだった。ああ…今日の私の日誌もトランプの勝敗しか書ける内容が無いな」

「良いことじゃないか」

「まぁね。どうだいフェルナンド、これから部屋で一戦やろう」

「分かった。だがその前に、報告書を書きたい。1時間したら部屋に来てくれ」

「…はぁ、私の気が変わらないうちにさっさと終わらせ給えよ」

 船乗り達の暇つぶしは賭け事くらいしかない。どうせ何時間待たされてもイドは部屋を訪れるだろう。不服そうに唇を尖らせるイドが駄々を捏ねる子供のようで苦笑した。コルテスは宥めるように彼の腕をぽんと軽く叩き、そのまま船長室へと足を動かす。

「……ちょっと待て、コルテス」

 その背中を、イドの妙に低い声が止めた。訝しげに振り返ると、イドは眉を顰めて水平線の向こうへと視線を向けている。何かを探るように開かれた双眸が、やがて静かに細められた。ベルトに手を伸ばし、畳まれた望遠鏡を手に取って伸ばす。

「…何か見つけたのか」

 望遠鏡を通して水平線を睨み付けるイドは、重く沈黙して何も語らない。コルテスも倣うように視線を向けたが、肉眼では何も分からなかった。ただ、黒い粒の様な小さな影が、不安定に消えたり浮かんだりしているのだけは何とか見ることが出来た。

「…船、だ。そんなに大きくない」

 漸く沈黙を破ったイドは、苦々しい顔で告げる。

「海賊船、か?」

「…いや。旗が、たぶん、ここと同じだ」

「同じ?仲間ってことか」

「…どうだろう。遠目では良く分からん」

 イドにしては珍しく歯切れが悪い返答だった。胸に押し付けられた望遠鏡を借りて船を探してみると、確かに判別が付かない旗を掲げている。だが色は、ここのものと相違ない。少なくとも黒くはなかった。

「此方に向かってくるぞ」

 望遠鏡を返すと、イドは再びそれを船に向け言い放った。視力はイドの方が良い。彼がそう言うなら、そうなのだろう。
 イドが指示を求めてちらりと視線を寄越したが、当のコルテスはどうするべきか判断に迷っていた。困ったことになった。もし前方の船が味方のものであり、此方に向かってきているのなら助けを求めているに違いない。その場合無視して去ることは出来ないのだ。しかし海賊船である可能性も未だ拭いきれない。

「………」

 波を掻き分ける船の音が止んだことに気付いて、イドはぱしりと望遠鏡を折り畳んだ。前方を進んでいた輸送船の動きが止まっている。彼等も船の存在に気付き、それが味方のものだと判断したのだろう。

「…錨を下ろせ」

 渋い顔つきで前方を睨んでいたコルテスは、イドにそう命じた。疑いは拭いきれないが、今は輸送船の意思に従うしかない。

「その代わり、船員に武装するように伝えろ。大砲にも予め弾を詰めておけ」

「…本当に下ろしていいのか。敵だった場合逃げられないぞ」

「そんときはケーブルを斬ればいい。どちらにしろ、俺たちは輸送船を置いては逃げられん」

「…分かった」

 ラットラインから飛び降りたイドは金糸を翻し、昇降口へと歩いて行く。甲板に上がっている船員達は、上官の深刻そうな会話を耳にして顔を見合わせながらも慌ただしく持ち場を離れた。それぞれ好き勝手なことを騒ぎながら甲板を行き来する。やがて指示通りに錨が海に投げ出された。コルテスも船長室へと向かい、長剣と銃を腰に差す。
 さて、この判断は吉と出るか凶と出るか。
 自らも武装し、船員に細かく指示を出し終えたイドは再び甲板に戻ってきた。肉眼でも旗の色が確認出来るほど、双方の距離は接近している。何度見ても旗だけは此方のものと同じだった。ふと輸送船に視線を送れば、あちらは既にボートまで下ろし始めていた。警戒心がない証拠である。

「守ってやるにしても、あそこまで隙だらけなのはどうなんだ…」

 はぁ、と大きく溜息を吐いた。海賊にとってあれほど恰好な獲物も珍しいだろう。
 相手の出方を待ち続け、お互いの姿を望遠鏡で捉えられる距離にまで近づいた。ゆっくりと相手の船を観察していたイドは、訝しげに眉を顰める。相手側の船の甲板には、不自然なほど人が居ない。元々人数が少ないのか、あるいは下に潜っているのか。助けを求めるにしても、船に荒らされた形跡はなく、海賊や嵐に襲われたようには思えなかった。
 ーーやはり、罠だ。
 イドがそう確信し、コルテスに伝えるべく船長室へ駆け出した瞬間、相手の大砲が輸送船を狙って動いた。

「砲撃準備!!」

 唸るような怒鳴り声にイドは目を見開く。既に船長室から姿を現していたコルテスは、砲甲板で待機している船員達に向かって長剣を振り上げた。白いコートが風に靡き、黒い双眸がしっかりと敵船を射抜く。

「撃て!!」

 白い雷のような弾丸が敵側の舷側に次々と入った。木の板が吹っ飛ぶ重い音が響き、此方側の船を揺らす。不意を衝かれた海賊船は慌てたように大砲を此方の船に向けた。向こうからの一撃を受ける前に、二発目がコルテスの号令で放たれる。だが体勢を整えた海賊船からも砲撃が始まった。耳を劈くような鋭い音と衝撃が船内を駆け抜ける。

「怯むな、砲撃を続けろ!」

 コルテスは飛んできた木材の欠片をコートで払うと、砲甲板まで降りてきた。イドは咄嗟に彼の下へ駆ける。

「コルテス!」

「ああ、イド。先手は取れたが、不味いことになったぞ。思ったより近づかれた。そのうちこの船に乗り込んでくるだろう」

「…それならまだ良いが、輸送船にまで乗り込まれたら取り返しがつかない」

 イドに倣って輸送船に目を向ければ、漸く大砲に弾を詰め始めるという有様だった。今は海賊側も反撃するのに忙しいが、此方の船に乗り込まれ砲撃する暇が無くなると、次第に狙い易い船にも攻撃してくるだろう。そうなった瞬間に一気に劣勢に陥るのは目に見えていた。

「攻撃を此方の船に集中させるか、または反撃する隙を与えないか…」

 コルテスは覚悟を決めたようにぐっと剣を固く握り、海賊船を見据えた。その様子にイドも自然と表情が険しくなる。海賊船を見れば、甲板に上がってきた十数人が投げ鉤を手に此方の隙を伺っていた。だが相変わらず人数は多くない。少し厳しいが、勝算は十分にあった。

「将軍!敵が乗り込んできます!」

「分かっている。船首楼と船尾楼から小型砲で撃ち落とせ。あとアルバラードを呼んでこい」

「は、はい!」

 命じられた船員は転がるように床板を駆け、砲撃戦が激しい場所へ向かう。コルテスはもう一度確認するように敵船の甲板を見つめた。そうしているうちに、銃と剣を携えたアルバラードが駆けてくる。

「将軍」

「アルバラード、お前暫くこの船の指揮官をやれ」

「敵船に乗り込むのか」

「さっさと相手の砲撃を封じるにはそれしか手は無い。イドも連れて行く。イド、彼方の人数は?」

「船の構造からして、多くても二十人。今のところ見掛けるのは十人程度か…。だが此処まで来ても甲板に上がってこないとなると、元から乗っている人数が少ないようだ。雑魚は出来るだけこの船に引き寄せ、私たちは頭だけ潰して戻ってこよう」

 望遠鏡をベルトに戻し、鉤のついた縄を手にする。イドはコルテスの判断に従うことにした。何十人も相手の船に乗り込んだら、今度は此方の船の守備が手薄になる。将軍自ら乗り込んでさっさと片付ける方が効率がいい。もし危うければ、自分が後ろ盾になろう。
 やがて獣の様な雄叫びを上げて、敵が此方の船へ乗り込んでくる。その中の数人は此方の散弾を浴び海に落ちて行くが、何人か着地すると一気に接近戦に傾れ込んだ。敵が目をつける前にコルテスは船縁に足を駆け、シュラウドを掴んでバランスを取る。

「アルバラード、俺たちに何かあってもお前は輸送船を守ることを最優先に考えろよ」

 アルバラードは肩を竦めて応えた。「部下に恨まれそうだな」と苦々しく口にする。そう言いながらも、彼は躊躇無く最善の道を取るだろう。コルテスは「頼んだ」と短く伝え、敵船を見据えた。

「行くぞ」

「ああ」

 アルバラードの海賊よりも海賊らしい怒号を背に、コルテスとイドは敵船へと降り立った。砲撃で散らばる木の欠片を足で払い、マスケット銃をコックする。イドは普段銃を使わない。命中率が下がり、誤って仲間に当たる可能性があるからだ。しかし仲間が一人しかいない敵船では躊躇する必要がない。背後にいるコルテスも不敵な笑みを浮かべて銃を構えた。

 向かってくる海賊を薙ぎ倒し、白いコートを血で染めていく。白い稲妻が船上を轟く。

 コルテスは雄叫びを上げながら視界に入った敵を地に叩き付けた。久々に間近で見たその迫力は、将軍というよりも獲物を前にした獣だ。彼の相手をしなければならない海賊には心の底から同情する。味方の迫力に圧倒されながらも、イドも次々と敵を倒して行った。

「砲撃を中止しろ!こいつらを誰か捕らえろ!」

 イドの剣を受け止めた海賊は大声で助けを求める。その声に駆け寄ってきた数人の男達を視界にいれ、イドはすぐ背後の男の腹にマスケット銃を叩き付けた。鼠が潰れたような声を上げて崩れ落ちる男を尻目に、前方の男の顎を銃で叩き割る。反撃を与える隙も見せず引き金を引いて次の男の腿を砕いた。遠くで銃を構えている男に気付き、息を吐く間もなく銃をコックし撃ち落とす。

「…は、はぁ…」

 イドは肩で息をしながら味方の船に視線をやった。
 砲撃は止められた。輸送船に被害は無い。敵も順調に倒している。しかし何故か、人数が全く減らない。
 向こうには十人程度の海賊が乗り込んでおり、計算が正しければ此方はとっくに陥落していてもおかしくない。優勢だというのにその実感が全くなく、理解出来ない気味悪さが全身を支配した。そうしている間にも敵は増え続け無理矢理戦場に引き戻される。

「…は、っどうなってるんだ…!くそっ」

 刃を向けられたら立ち向かうしかない。イドは疲労し始めた自分の体に鞭を打って相手の剣を躱した。段々接近戦を続けているのが辛くなり、出来るだけ距離を取ろうと足を後退させる。近づいてくる男を撃つその過程で、昇降口から這い出てくる男達を視界に入れた。それも数人単位ではない。下に何人も潜んでいたのだ。人数が少ないと油断させて、乗り込んできた敵を袋にする為に。

(…っ嵌められた!!)

 湧き上がってくる後悔に唇を噛む。どうしてこのことに気付かなかった。敵は輸送船に乗せられた金貨を直接奪い取るよりも、もっと多くの財宝を効率よく得ようと考えていたのだ。それは出来るだけ地位の高い人間を拘束し、人質にすること。最初から敵の狙いはコルテスだった。

(くそ、今からでも…)

 間に合うか、とコルテスへ視線を向けた。減る様子のない敵の数にさすがのコルテスも疲労し、肩で喘ぎながら敵と刃を交えている。遠目からでも膝が震えているのが分かった。イドは咄嗟に床板を蹴り、足場の悪い道を転びそうになりながら走り抜ける。一刻も早く此処から抜け出して戻るしかない。しかし不穏な音が耳に入り思わず息を止めた。視線を向けずとも、敵の銃がコルテスを狙っていることに気付いてしまった。

「コルテス!!」

「ッ!?」

 ダァン!と鋭い銃声が鳴り響く。イドの叫び声も虚しくコルテスの体が崩れ落ちた。膝を付き、手で押さえた脇腹はじわりと赤が染み込んでいく。脂汗が滲んだ顔がイドを見上げ、か細い吐息と共に言葉を紡いだ。「逃げろ」と。

「コル…ッ」

 しかし不意に押し付けられた銃に、その選択は打ち消された。容赦なく縄で拘束されるコルテスを眼前にして、イドも動きを封じられる。それでも掴まれた腕を振りほどいて彼の元へ駆けようとするが、後ろ手で縛られ床に押さえ付けられた。

「そろそろ観念しな、お姫様よぉ」

 頭を擦り付ける勢いで床に伏せさせた海賊は耳元で囁く。卑しい笑い声を浴びせられながら、イドは歯を食いしばることしか出来なかった。




 
 引き摺られるようにして連れてこられたのは見知らぬ島の入り江だった。ベルナールの言葉通り海岸地帯は海賊の住処になっており、集落は歓迎して海賊達を迎えた。海賊船の中に繋がれてどのくらい時間が経ったのか正確には分からなかったが、おそらく一時間程度だろう。これならばあの小さな船に大人数が乗っていても納得する。近場での襲撃なら食料を気にする必要は無い。
 船に乗っている間コルテスはずっと気絶していて、目を開ける気配がなかった。死なせないために応急処置はされてあったが、血の気が引いた青ざめた顔を見ればそれが気休めでしかないことが分かる。苦しそうに呻くコルテスを眼前にイドは何も出来なかった。手を縛られていては、寄り添って声を掛けることくらいしかできない。自分の無力さを呪うイドをどう思ったのか、見張りの海賊達は次々と下品な言葉で揶揄した。

「ベルに怒られるな…」

 暗い地下牢の中、鉄格子の内側でイドは苦々しく笑った。船員の中で一番心配性な男だ。帰ってきたら真っ先に罵倒されるだろう。
 イド達を捕まえて海賊達はすぐ塒へ戻ったのだから、アルバラードは命令通りきちんと輸送船を守ったと思って良い。彼は単細胞だが、戦場での勘は働く。あの大人数を相手に海賊船に乗り込むのと、戦線を離脱するのと。どちらが利口かは考えなくても分かる。
 しかし自惚れではなく彼等がまた自分たちを取り戻しに駆け付けてくれることを、イドは知っていた。仲間想いな連中ばかりだ。たとえ多額な金銭を要求されようとも、敵の数が倍以上上回っていたとしても、彼等は助けにきてくれるだろう。問題は時間だ。海賊との戦いで傷ついた彼等が再び島に戻って武装しようとしたら、最低でも一週間は掛かる。それまでにコルテスが保ってくれるか。別の場所に放り出された彼の様子を知ることは出来ないが、こんな異臭漂う寒い地下牢の中に放置されたら死んでしまうのは猿でも分かる。

(どうにかしてコルテスだけは逃がしたい。自分を犠牲にしてでも、彼だけは)

 海賊の狙いがコルテスである以上、自分がどう足掻いても彼だけを助けることは不可能なのは分かっている。要するに、時間が必要だ。仲間が助けにきてくれるまでの時間が。こんなふざけた場所でコルテスを死なせる訳にはいかない。ここで終わってしまっては、何の為に彼についてきたのか分からなくなる。

「…おい、飯だ」

 薄暗い地下牢の中、鼠が這い回る音の他に人の声が聞こえた。イドが顔を上げると、如何にも野蛮人のような出で立ちをした男が、鉄格子の外から一人此方を凝視していた。動物の血痕がついたダボダボのシャツを纏っていて、豚皮で出来た長靴は土と血で汚れている。派手に暴れた割に何も暴力を加えられなかったイドよりも彼の方がよっぽど捕虜らしい容姿をしていた。ほらよ、と彼が皿にも乗せずに投げ込んだのは薫製にされた豚の肉だった。

「…コルテスにも同じものを食べさせているのか?」

 一か八かこれに賭けてみようとイドは口を開く。

「この豚肉、どう考えても煙を染み込ませ過ぎだ。味もどうせ灰を食べているのと変わらないんだろう。こんなものを怪我人に食わせる気か」

「あ?捕虜が食い物に文句を言うとはいい度胸だな。飯抜かれてぇのか?」

「どうぞご勝手に。だが、私たちは貴重な交渉道具だろう?丁重に扱わないと使えなくなるぞ」

 ぐ、と男が言葉に詰まった。野蛮な格好をしているが、この男は海賊の中でも上の立場なのだろう。捕虜と引き換えに得られる財宝の殆どが、自分の手元に集まると思っている。

「私はいい。せめて、彼の食事だけでも変えてやってくれ」

 男が己の欲に従ってこの要求を飲んでくれないかと、イドは敢えて下手に出た。自尊心を投げ捨てて頭を下げる。船の上で大暴れし、先程までぎらぎらとした目で此方を睨み付けていた男が頼み込むのを見て、海賊は少し迷ったように視線を彷徨わせた。

「そうだな…」

 やがて彼の中で考えがまとまったのか、頭を下げ続けるイドを見下ろす。

「いいぜ。お前の言う通り、あの男の食事は別の物を用意してもいい」

「本当か」

「だが、それはお前次第だ」

「……何?」

 耳に引っかかった言葉にイドは訝しげに顔を上げる。男はその場に屈み込み、鉄格子の外からイドの顎をするりと撫でた。その意味有り気な手つきにぞわりと嫌悪感が走り反射的に払いたくなったが、後ろ手で縛られたままなのでそれが出来ない。イドの反抗的な目つきをどう思ったのか、男は含み笑いをする。

「あの男が貴重な交渉道具なのはお前の言う通りだ。財宝が手に入るまで、俺たちは手を出せない。…まぁ逆に言うと、あの男が居るからお前は別に必要じゃないのさ。何人も仲間を殺した捕虜の言うことを聞いてやるほど俺は慈悲深くねえよ。きちんとそれ相当の謝罪をしてから、惨めったらしく懇願してくんねえかな?」

 卑しく笑いながら、顎を撫でていた指がイドの唇に触れた。その言葉と仕草で、何を要求されているか分からないほど鈍感ではない。イドは浴びせられた屈辱に歯を食いしばった。内側から湧き上がった悪寒が男の言葉を精一杯拒絶する。状況が状況なら今舌を噛んで死んだっていい。

(コルテス…)

 海賊船の船倉の中で、碌な手当もされず苦しそうに喘いでいたコルテスが脳裏を過る。あの状態ではもう発熱しているかもしれない。イドはふ、と口許に笑みを浮かべて顔を伏せた。本当なら、自分が此処までして彼を守ってやる義理はないのかもしれない。我が身可愛さにコルテスを裏切り、仲間が助けに来た時に「敵の所為で死んでしまった」と訴えれば自分に罪が降り掛かることは無い。同情してもらえる自信さえある。だのにどうしてこの頭は彼のことしか考えようとしないのだろう。
 イドはそれ以上考えることをやめた。男を見上げる彼の瞳から拒絶の色が消える。舐めるように撫でる男の手に自ら頬を擦り寄せた。次いで紡がれる言葉を予想し、男は唇を歪めて笑う。

「…分かった」

 心のうちで暴れ狂う嫌悪の獣を押さえつけながら、イドは静かに頷いた。


 

 大きく息を吸う。ゆっくりと吐き出す。自然と早くなる呼吸を整えようと意識しても、火照った唇から吐き出される息は震えていた。せめて相手を悦ばせることだけは止めようと、自由になった腕に爪を立てて耐えるが、中心の熱を逃がそうと地を藻掻く足はどうしようもない。

「…んっ…ふ、……っ」

 イドは体を守るように両手で肩を抱きながら、冷たい地べたに座り込んでいた。
 下劣な提案をしてきた男は、地下牢を出た後すぐに何かが入ったジョッキを手にもって降りてきた。「お前が酔っていた方が楽に事が進む」と言い、胸に押し付けるように渡されたそれは明らかに酒ではない匂いがした。どちらにしろ善意で持ってきたものではないだろう。イドは怪訝に眉を顰めたが、もとより拒む権利は無い。ぐっと唇を噛み締め、全て飲み干した。

「っ…ん、っ…は、ぁ」

「つらいか?」

「…っ」

 爪で腕の肉を抉る。肩を震わせながら、イドは男を睨み付けた。死にたくなるような羞恥心と嫌悪感が同時に精神を掻き回してくる。鉄格子の中に入り自分の手の届く範囲で声を掛けてくる男を、今すぐにでも殴り殺してやりたかった。
 イドの体内に薬が充満するのを男はずっと観賞しているだけだった。男が指一本も触れていない状況で、イドは一人内側の熱に悶えている。気まぐれに囁かれる満足気な声が一層熱を煽っていた。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。なるべく見られないように伏せていた顔を、思い切り屈辱感に歪める。自身が熱を持っていることは隠しようがなかった。快楽を痛みに変えようと舌に歯を立てる。

「おっと」

「…むぐ、っ!?」

 それに気付いた男がイドの鼻を掴み、息苦しさに口を開けると咄嗟に布を突っ込んできた。吐き出したくて舌で押し出すが、後頭部を掴まれてまで捩じ込まれる力には叶わない。

「舌噛んで死ぬのはなしだろ?大切なコルテスを救えなくなるぞ」

「ふ、うぅ」

 違う。そうじゃない。今更死のうだなんて思っていない。出来うる限りの力で首を振って否定するが、男はそれをどう受け取ったのか哀れむように笑った。

「そりゃつらいよなぁ。命乞いならまだしも、他人の為に体を侮辱されるってどういう気分なんだ?」

「…ん、っ」

「他人ってのは言い過ぎか。一応将軍様だもんなぁ…もしかしてデキてたのか?なぁ?」

 男は前髪を掴んで無理矢理顔を上げさせると、返事を求めて口に詰めた布を取る。涎で濡れたそれを地面に投げ捨て、涙の膜が張ったイドの目元をするりと撫でた。はぁ、と大きく口で呼吸したイドは、漏れそうな声を必死に喉の奥に押しとどめて笑う。

「き、みの、ような…低能に、っ教える、義理は…ないね…っ」

「はは、余裕じゃねえか。それとも、もっときつくした方がお好みか?」

「は、…っあ!?」

 ぎり、と布越しに乳首を摘まれて耐えきれずに声を上げた。咄嗟の拒絶反応で男の腕に爪を立てると、その手を取って床に押し付けられる。当然加減されず、頭を思い切り地面に打ち付けた。痛みで怯むイドの上に男が覆い被さる。

「調子に乗るなよ」

 呼吸を止める勢いで首を掴んだ男はその力でイドを地面に縛り付け、片方の空いた手で下に手を伸ばした。衣服の擦れる音、冷たい空気が肌を舐める感覚。薬で浮かされた体は抵抗する力を持っていなかった。遠くで聞こえた金属音はベルトの金具だろうか。息を止められた苦しさの中で、どこかぼんやりと考える自分が居る。嗚呼これから犯されるのだ。コルテス以外の、見知らぬ男の手で。彼の為だと言い聞かせて理性を保っているつもりだったが、肌を無遠慮に撫でる手に生理的悪寒が走り、泣きたくなるくらい苦しかった。イドの顔が真っ青になっていることに気付いた男が、漸く首から手を離す。酸素を取り込もうと喘ぐ口から艶やかな声が漏れていることは、もう隠しようがなかった。

「あ、ぁ…はぁー、は…っ」

「限界って顔だな…そろそろ欲しいだろ」

「…ふっ…」

「もうちょっと待ってろ。後少ししたらよがらせてやるよ」

「…っ、?」

 地下牢の空気に触れて冷えた手が火照った体をなぞる。男は空いた手の平でイドの手首を一括りに掴んで頭の上に押し付けると、耳元に顔を近づけ耳たぶを舐めながら囁いた。焦らされる熱に胸を上下させ、イドは怪訝に眉を顰める。男の言葉の真意が理解出来なかった。しかしそれは、すぐに明確になる。鉄格子の外、奥の方から数人の男の声が聞こえてきたのだ。地下牢に木霊する下賎な笑い声が、徐々に此方に近づいてくる。次に起こることがぼやけた頭でも予想出来てしまい、イドは地面に縛られたまま首を振った。

「…っは、…なんで…!きいて、ないっ」

「誰が一人で相手するっつったよ。嬉しいだろ?みんなお前の相手してくれるってさぁ」

 この、下衆が!
 体の自由が許されるなら今すぐその横っ面に蹴りを入れてやりたかった。地面を蹴るように足掻いて吠えるイドを、鉄格子の中に入ってきた男達が舐める様な視線で見下ろす。どの男も海賊というよりは野蛮人と言った方がしっくり来る容姿をしていて、その身なりが余計に屈辱感を煽った。中に入ってきた三人の男の中の一人が鎖を引き摺り、暴れるイドの手首に絡み付けて鉄格子に繋げる。仰向けの体勢で男達の前に晒される格好になったイドは、ぐっと奥歯を噛み締めた。



 湿り気を増した生暖かい感触が唇に押し付けられる。イドの胸の上にのしかかってきた男が、興奮して上を向いた性器を擦り付けてきた。咽せる様な匂いに反射的に体が跳ねる。しかし鎖で繋がれている上に全体重を掛けられた状態では抵抗にもならない。首を振って拒絶するイドの頬を無理矢理掴んで固定すると、ぐりぐりと上唇を捲ってきた。思い出したかのようにこめかみに銃が突きつけられる。

「噛んだら頭蓋骨を砕くぞ」

「っ…ん、!ふぅ…むぐ、ぅぅ」

「おい、そろそろ下も緩んできたぞ。入れていいか?」

「…は、もう?早くないか?」

「ああ、どうやら初めてじゃないらしいぜ。別嬪さんだし、相手が居てもおかしくないだろ」

「やっぱりあの将軍とデキてたんだなぁ…健気なカノジョを持てて羨ましいこった」

 頭上で下劣な会話が飛び交うが、それに意識を向ける余裕はなかった。咥内を浸食してきた性器が中の温かさを味わうようにゆっくりと抜き出しされる。奥まで突っ込まれるそれに嘔吐感が増すが、吐き出すことは叶わない。

「…――ッ!!」

 男の体に視界を邪魔され意味も分からぬまま、下半身の方へ走る衝撃にイドは体を戦慄させた。気持ち悪い感覚が体の中に入ってくる。覚悟していたとはいえ、あまりにも唐突のことで頭がついてこなかった。だのに熱に飢えた体は性器の浸食に悦び、粘膜を絡み付かせて男を迎える。卑猥な水音が地下牢に木霊した。

「っうぶ、…っはぁ、あ!…うぁ、やめ」

「おい、誰が出していいって言ったよ」

「…ぁ、んぐ」

 顔を逸らして精液と共に性器を吐き出すと、それが気に食わなかったのか男は声を荒げて再び奥まで押し込んでくる。まるでそこが女性の膣の代わりだと言わんばかりに乱暴に律動を開始した。辛さに歪むイドの顔を眺めて、男はにぃと口の端を吊り上げる。

「っは、そこらの女より色っぽいな」

「できるならこいつは此処に置いておきたいよなぁ…。人質は将軍殿がいるんだしさ。多少財宝返したら要求呑んでくれっかな」

「はは、襲ったスペイン船と交渉か!そりゃいいや」

 口から性器が抜かれたと思ったら、顔に塗り付けるように精液を飛ばしてきた。どうやら下にいた男も果てたようで、長い射精を体の内側で受け止めさせられる。白い液が菊座から溢れ出て地面を飾った。間髪入れずに次の男がのしかかり、足の間に分け入って性器を塗り付ける。一方的な行為に嫌悪感は増すものの、体を支配する快楽は未だ消えない。眩暈と混乱は薬の所為だろうか、体と思考が分離してしまったような感覚だった。

「此処で暫く飼った後、物好きな船乗りに売りつけてやるのもいいな。なぁ別嬪さん?お前ならきっと可愛がってもらえるさ」

「っう、…ふ、ざけるな…っは、あ…あ!やく、そくは…ッ」

「約束?んなもんしたっけ?」

 男はにやける口許を隠そうともせず惚けてみせた。抗議の声を上げる間もなく、尻を掴まれ性器を捩じ込まれる。

「っあー、あっ」

 容赦なく前立腺を擦っていく猛々しい熱の衝撃に視界が歪んだ。薬でおかしくなった忍耐力では声を抑えることもできない。酸素を求めて、魚のようにぱくぱくと口を動かす。

「美味しいか?愛しの将軍様とどっちが気持ちイイ?」

「あ…は、は…っん…、…う」

「…おい、なんか言えよ」

 勃起した性器がイドの頬を叩いた。湧き上がる復讐欲が、皮肉にも塗り潰された思考を叩き起こす。いくら快楽で嬲られても、男達の声に応えてはいけない。悦ばせるわけにはいかない。反応を求めて再び奥を突かれるが、イドは目を瞑ってどうにか理性を保とうとした。

「…反応がつまんなくなってきたな。薬が切れたか」

「おい、まだ俺入れてねえぞ」

「…そうだ。そろそろアレ連れてこいよ。どんな反応するか見てえ」

 その提案に、周りの男達があからさまに色めき立った。皆興奮気味に立ち上がり、観賞していた一人の男が早足で鉄格子の外へ出て行く。

「……?」

 どうせ何をされても抵抗する術はない。イドは虚ろな目でそれを見送った。すると唐突にぐっと体が引っ張られる。頭の上の方で金属音がしたと思ったら、鎖を外され未だ繋がっている男の膝に乗せられていた。仰向けよりも深く挿入され、衝撃に喉が悲鳴を上げる。

「っひ、…あ、ぁあ!」

「おお。いい声で鳴くな。この体勢の方が好みか?」

「…ほら、前向けよ。王子様のご到着だ」

「…あ、」

 無理矢理顔を固定され、前を向かされた。光の灯らない暗闇の向こう側で何かが気怠げに動く気配がする。新しい仲間でも連れてきたのだろうか。しかし自分が先程繋がっていた鎖の金属音が、鉄格子の外から聞こえるのは妙だった。散らばった思考を掻き集めて音に集中する。は、と浅く聞こえた息遣いに、イドは全身の血が沸騰するような感覚を覚えた。

「…こ、…るてす…」

 嘘だ。あり得ない。首を振って現実を拒絶する。彼の姿を認めたくなくて体を逃がそうとするが、深く繋がった下肢が悲鳴を上げるだけだった。惨めに男の体の上で藻掻くイドを、鉄格子の向こう側の黒曜石が捉える。熱でぼうっとした瞳が徐々に困惑に揺れた。

「…、イド…?」

「…ゃ、あ…違う。違う!コル、私は…っあ、ん!」

 体は焼けるほど熱いのに頭の底が一気に冷える。コルテスの声を聞いた途端に、負の感情が水の様に心に浸食してきた。どんなに辱められても堪えてきた一線が、涙となって溢れ出る。彼の為にと投げ出したこの体を、狼狽した瞳が責め立てているような気がした。力無く呼吸を繰り返していたコルテスの口が、一瞬何かを言いかけて、ぐっと一文字に引き締まる。

「ひっぅ、う、あ…ちが、…あ、ふぇる…フェルナン、ん」

「何が違うんだよ。恋人に見られてここ濡らしまくっててさぁ」

「は!こりゃ傑作だな。見られてイッてやがる!」

「あ、ぁ…や、め…」

 後ろでイドを責め立てていた男が、イドの内腿に手を差し入れて広げた。繋がって濡れた部分を余すところ無くコルテスの前に晒す。僅かな振動で引き攣る様な呼吸を零し、イドは力無く足先を丸めた。「見るな」と懇願するが、コルテスの視線は外れない。白濁とした液体がイドの性器を伝い、淫らな境目をゆっくりと流れていく。それを別の男にするりと掬い取られ、羞恥と嫌悪で死にたくなった。 

「ほれ、コルテス将軍。可愛いイドちゃんの精液だよ」

「あぁっ…ん…!はぁあ、やだ…っや、あぁ…う」

 いきなり奥深くまで貫かれたと思ったら、腰を掴まれ入り口ぎりぎりまで引き抜かれる。異物感が消えた切なさに肉の壁を締めると、ご褒美だと言わんばかりにずぷぷっと一度に埋め込まれた。息をつく暇さえない衝撃に、快楽が電気のように体中を駆け巡る。一瞬、目の前にいるコルテスのことを忘れてしまうほどに。

「い、ど」

 だからか、その消えてしまいそうな声に意識を引き戻された。上擦った喘ぎを零しながら、涙の張った目でコルテスを見下ろす。コルテスは転がされた地面の上で必死に上半身を持ち上げ、イドに呼びかけた。その声が聞きたくて、その言葉の意味を汲み取りたくて、イドは最後の力を振り絞って理性にしがみ付く。音を立てながら揺さぶられる激しい律動に声を漏らすまいと、男の腿に爪を立てた。

「…っおい、聞こえるか!ちょっとやべえぞ!」

 そのとき、突然地下牢の入り口から悲鳴に似た怒号が飛び込んできた。慌ただしい足音が外から響いてくる。男達はその声に一度動きを止め、イドから手を離した。頭上を飛び交っていた下品な笑い声がぴたりと止まる。先程までイドを弄んでいた男が理解出来ない怒号に首を傾げ、地べたに彼を転がして鉄格子を出て行った。ちゃり、と鎖の金属音を響かせながらコルテスも声のした方へ首を動かす。一瞬の不可解な静けさは、やがて盛大な爆発音によって掻き消された。

「ぎゃあぁ、ああ!!?」

 肉が砕ける音。様子見に行った男の劈く様な悲鳴が木霊した。その尋常ではない叫び声に、イドを囲む男達が慌てて剣を抜き出しだ。何が起こっているのか分からない。ただ此処に居てはいけないという直感が彼等を鉄格子の外へと誘導した。その先を塞ぐように、暗闇の中の影が二つ現れる。

「なっ、なんだ貴様らは!こいつらの仲間か!?」

「嘘だろ!だって、人質を取り返すには少なくとも一週間掛かるって、」

 逃げ場を無くした男達は手元の剣を構え出す。見えない敵にかたかたと刃が揺れた。影はゆっくりと前進し、カンテラの薄ぼんやりとした灯りを身に纏って姿を晒す。

「アルバラード…ベルナール…」

 目の前に現れた味方に、コルテスは目を見開いた。彼もまた予想していなかった者の一人だった。まさかこんなに早く仲間が来るとは思っていなかったのだ。絡み付いた鎖を鳴らしながら体を持ち上げると、アルバラードが情けなく眉をハの時に下げてそれを支える。

「待たせた。敵地に乗り込むってことで、行きの五倍くらい援軍掻き集めてきたからよ」

「…よくこんな早く戻って来れたな」

「この諸島の付近には俺の兄貴達が丁度身を寄せていたからな。事情を話したらすぐ協力してくれた」

 先程の男から奪ってきたのだろう、彼は小さな鍵を取り出すとコルテスを縛っていた鎖を解いた。重い音が響く。コルテスは自由になった体を、アルバラードに支えてもらいながらゆっくりと立たせた。無言で剣を構えるベルナールに視線を向ける。彼は狼狽える男達を尻目に、ずっとイドを見つめていた。剣の柄を握る手が血が滲むほど固く震えている。コルテスとアルバラードに背を向けた形で男達と対峙する彼は、表情は見えなくても酷く怒っているように感じた。

「と、止まれ!…ちくしょう、上の奴らは何をやってるんだ!」

 男が悪態をつく。剣を向けられても尚歩みを止めないベルナールに、男達は焦りを覚えた。一人が咄嗟に地面に転がっている銃を拾い上げ、ベルナールに向ける。

「アルさん」

 ダァン、と鋭い音がその男の首を貫いた。ベルナールの合図でアルバラードが発砲したのだ。予想していなかった方向からの銃撃に残りの男達は悲鳴を上げる。恐怖から我武者羅に切り掛かってきた一人の頭を、ベルナールは容赦なく薙いだ。血しぶきを上げて崩れ落ちる胴体を、冷えた瞳が見送る。その一瞬の出来事で怯んだ男からも花火があがった。アルバラードは煙を吐く銃口に息を吹きかけ、背中に回す。

「これで終わりか」

「上はサンドバルさんが防いでくれてます。頭は潰した様なので、あとは時間の問題かと」

「ん。じゃあ俺たちは先に船に戻るか」
 
 言葉を紡ぎながら、支えていたコルテスを背負った。大きい振動に驚いたコルテスが緩慢に顔を上げる。その視線が鉄格子の向こう側に絞られているのを見て、ベルナールは先程の表情を一変して顔を歪めた。ぐっと唇を噛んで泣きそうになるのを耐える。その視線に倣うように、鉄格子の中に目を向けた。
 男達に弄ばれ地面に放り出されたイドは、力無く横たわりながら胸を上下させていた。気を失っているのか、目を固く瞑っている。薄く開いた唇から浅い呼吸が漏れていた。コルテスと同じように手首を染める赤い痣は、彼の場合酷く抵抗していたのだろう、痛々しく擦り剥けている。
 ギィ、と重い音を立ててベルナールは鉄格子の中に入った。アルバラードはどうするべきか迷ったが、背中に居るコルテスが名前を呼んで促したのでベルナールの後に続く。よろよろと中に入ったベルナールは、イドの前に辿り着くと膝を折ってその体に触れた。意味も無く手を伸ばし、冷たい地面を流れる金髪を救い上げる。顔を伏せながら僅かに動いた唇から紡がれた言葉は、この状況にイドを置いてけぼりにした自分を罵倒した内容だった。

「…お前の所為じゃねぇよ、ベル」

「……すみません」

「…一番悪いのは、こいつらを置いていくように命令した俺なんだから」

 それが最善の方法だと分かっていたから、コルテスの命令通りに動いた。実際きちんと助けに来れた。だがこんな事になるんだったら、輸送船を置いて無理にでも敵船に乗り込むべきだったのかもしれない。アルバラードは重く溜息をついて、背負っていたコルテスを地面に下ろした。彼は支えられながらなんとかイドへと歩み、ベルナールの隣に並んで膝をつく。

「…悪いのは俺だ。俺の判断ミスだ。こんなくだらない怪我をしたばっかりに、イドを、…」

 震えた手が首に掛けられた十字架を掴もうとして、イドの頬に伸びる。するりと目元をなぞった親指が、僅かに濡れていた。それを見て一層表情を暗くしたコルテスは、体を引き摺って覆い被さるようにイドを抱きしめる。

「…ごめん。Lo siento……mucho、イド…」

 嗚咽と共に紡がれる言葉。まるで罪を犯した教徒がマリア像に懺悔するような光景だった。それは汗と水と土と精液の匂いが籠ったこの地下牢の中、酷く不釣り合いのように思われる。イドはその泣き声に目を覚まし、縋るコルテスの頬を宥めるようにゆっくりと撫でた。



 その後の敵地の陥落は呆気無かった。1日も掛からずに完全武装したスペイン軍が塒に攻めてくるとは誰も予想出来なかった。頭を失った海賊達はバラバラに散り、ある者は死に、ある者は捕まって船の上に乗せられた。船の行き先は島の処刑台だ。一度破れたスペイン軍だったが、副王の元へ戻らず体勢を整えて海賊を壊滅させたことから、事実を多少捩じ曲げて報告書にはコルテスの名を初めに書いて副王に提出した。輸送船もアルバラード兄弟率いる船が無事本国へと送り、コルテスは島に戻る味方の船で養生することになった。
 これにて一件の騒動は無事執着した――表向きには、だが。

 紙の上では語られない真実の下で、コルテスは苦悩していた。未だ塞がらない傷口を抱えながら甲板の上を緩慢な動きで進む。久々に表に姿を現した将軍の姿に船員達が慌てて駆け寄ってきたが、彼はそれら全て笑顔で宥めて目的の場所へと歩いていった。撃たれた傷口は、急所ぎりぎりを擦っていたから思いの外酷い。少し動くだけで脂汗が吹き出た。それでも自らの力で動けるようになったのは、自分よりも気にかかる存在が居たからだ。は、と荒い息をつきながら階段を下り、ひとつの扉の前で止まる。ノックをする前に、ゆっくりと扉が開いて船医が顔を覗かせた。

「…将軍。まだ傷口が完全には治ってないというのに…」

「大丈夫だ。もう動ける。…それより、航海士の様子は」

 この初老の船医は、コルテスが最も信頼する者の中の一人だった。だからこそイドの看病を任す事が出来た。怪訝にコルテスが尋ねると、船医は肩を竦めて答える。

「呼吸も落ち着いてきましたし、怪我もそう酷くありません。ですが、まだ少し薬が残っているようで、こればかりは私の力ではなんとも…」

「薬…体に影響があるものか」

「自白剤のようなものでした。頭が多少ぼんやりとしてるようで…彼の事ですから暫く養生すれば元に戻ると思いますけれど」

「…そうか。ありがとうな」

「いえ。それに、貴方が来てくださって、本当は有難かったのです。彼がさっきから将軍の名前をずっと呼んでいたので、お体に無理がなければ此方にお呼びしようか考え倦ねていたのです」

 船医は言葉を選ぶように重ね、自分の心中を正直に明かした。コルテスはその言葉に目を瞬かせる。

「出来れば、今晩は彼の傍に居てあげてください。私などが様子を看るよりも、将軍が声を掛けてあげる事の方が、ずっと彼の不安を和らげると思います」

 彼は深々とお辞儀をした後、他の怪我人の様子を看る為に大部屋へと向かっていった。コルテスはその背中を見送る。柔らかな差し障りない言葉には、強い圧力のようなものを感じた。イドの体よりも心の傷口の方が重傷だと、暗に伝えていたのだろうか。

「…イド、俺だ。入るぞ」

 返事は待たなかった。後ろ手で扉を閉めて中に入る。航海士用に宛てがった古い寝台の上に、イドが気怠げに横たわっていた。服の上からでは目立った外傷は見つからない。手首にきつく包帯が巻かれているだけだ。物音に気付いたイドが、首だけをコルテスの方に向けた。先程からずっと起きていたらしい。だとしたら船医との会話も聞かれていただろう。コルテスは複雑そうに微笑んだ。

「…君、怪我は」

 開口一番イドはそう尋ねてきた。コルテスは寝台の横に屈み込み、シャツを捲り上げて包帯に隠された肌を見せる。

「治療してもらった。まだ痛むが、そこまで酷くない」

「…そうか。…良かった」

 イドが本当に安堵したように息をつくから、コルテスは何も口に出来なかった。イドが何の為に自分の体を傷つけたのかを知っているから心は休まらない。常に勝ち誇ったような口調で、将軍であろうと誰であろうと見下した様な物言いをする癖に、彼は一度仲間だと信じた人間を自分を犠牲にしてでも守り抜こうとする癖があった。そんなイドの態度は尊敬の対象であったが同時に、酷く不安を煽るものだ。

「どうしてだろう。先程まで死にたくなるくらい寂しかったのに、君が来た途端どうでもよくなってしまった」

 伸びた前髪の下でイドは目を細めた。自分の言った事を面白く思ったのか、皮肉っぽく唇を歪める。

「…夢を見るんだ。…あれからずっと。君に見捨てられる夢だ。何度助けを求めても、君は目を逸らすんだ」

「……」

「現実の君は、目を逸らさないでいてくれたというのに」

 コルテスを前に、自分の苦しみを伝えることを許されたかのように、イドはぽつりぽつりと言葉を落とす。薬の力も手伝っているのだろう、躊躇が無かった。言葉を紡いだ後に重荷が下りたように笑うのだから、コルテスは反射的にイドの手を掴む。ぴくりと指先が動揺する。触れないでくれと言いたげに腕が戻りかけたが、それを許さなかった。

「イド、お前が俺に何か罪悪感を抱いているのなら、全て忘れてくれ」

「…コルテス」

「本当に懺悔するべきなのは俺なんだ。俺がいなければ、お前がこんな目に遭うことも無かった。悔しくて、情けなくて、不安なのは俺の方なんだ…」

 尻窄まりに言葉を紡ぎ、あの日の出来事を思い起こした。冷たい鉄格子の中、取れかけた包帯の下から血が染出し、意識がぼんやりとしていた。別々の場所に放り込まれたイドの行方が気になっていたが、それを知る前に自分は死ぬのではないのかと弱気になっていた。気持ち悪い沈黙と闇の中、じわじわと体力が奪われる感覚だけははっきりしていて、確実に近づいてくる死に抗うこともせずにいた。別の場所に居たイドが、そんな自分の為に足掻いていたというのに。

「……時々、俺は自分がどうしようもなくちっぽけな存在で、お前に守ってもらう価値なんて無いと感じるよ」

 心のうちに溜まった苦悩を告白すると、イドは寂しそうな瞳で見上げた。掴まれていた手の平を握り返すと、反対の手でコルテスの頬を叩く。全く力が入っておらず、どちらかというとただ触れるようなものだった。しかし見下ろしたイドが酷く責める様な表情をしていたから、胸が締め付けられた。「すまん」と顔を伏せて謝る。

「…そういうことを言う君は嫌いだ」

「…ああ」

 イドはふと泣きそうな顔をした。握られた手を頬に持ってきて、体温を確かめるように擦り寄せる。

「女々しいよ。君がそうやって情けなく眉を垂れ下げて謝るのは分かっているのに、私はどうしたって自分のことを抑えられないんだ。私だって君の価値なんて知らないよ。でも、顔を見ると酷く安心してしまうんだ。仕方ないだろう」

「……素直だな」

「全部薬の所為にしておいてくれ。暫くしたらいつもの私に戻っているから」

 そう言って柔くイドは微笑む。弧を描く唇は饒舌で、薬が残っているにしてははっきりと物事を口にするなと思った。もしかしたらこれは演技で、自白剤だと適当なことをそれらしく言って、初めから船医と口裏を合わせていたのかもしれないと思うほどに。しかし真意は分からない。コルテスは諦めたように瞼を伏せ、イドの瞳に流されてキスを送った。幼子にするように髪を掻き上げた額に口づける。少し怯えたように手の力が強まって、恐怖心に被せた仮面の存在に気付いた。顔を上げると、イドの表情が僅かに引き攣っている。

「無理するな。何だかんだ言ってお前まだ…」

「嫌だ」

「イド」

「怖くない。フェルナンド、独りにされる方がよっぽど怖い…」

 イドはふるふると首を振り、コルテスの手を引っ張った。その言葉は嘘ではないだろう。だが、体が震えて拒絶している。コルテスはどう返答するべきか迷ったが、イドが手を離してくれない限りどうすることも出来ない。仕方なく体を叱咤して狭い寝台の上に乗上った。気まぐれな猫の様に心地よい場所を見つけて横になる。自由な方の手でイドの体をぽんぽんとあやすように撫でながら、自分は目を瞑った。その予想外の出来事にイドは動揺する。

「…フェルナンド…?」

「いい加減体怠い。お前が離してくんないから、俺は此処で寝る」

「…どう考えても狭いだろう、低能」

 そう言いつつ、イドは触れてくる指先を目を瞑って受け入れる。強張った肩から力が抜けていき、やがて安心したように体を擦り寄せた。乱れた髪からイドの匂いがして、同時に眠気も流れ込んでくる。

「大丈夫だイド、今日は何もしないから」

 閉じた視界ではイドの表情は分からない。だがふと聞こえてきた僅かな吐息が自然なものだったので、漸くお互いの間にあった緊張感が解けた気がした。高慢な態度が崩れて、怒ったり怯えたり哀しんだりと色々な人間らしいところを見せた彼は、おそらくとても疲れているのだろう。数分もしない内に穏やかな寝息が聞こえてきた。同じ静けさだというのに地下牢とは大違いだ。コルテスは苦笑して、イドの旋毛に顔を埋めて意識を閉ざした。

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