(青髭コルイド)

鬱蒼と生い茂る森に佇む孤独の城に呼鈴が鳴り響いた。古色蒼然たる石壁に囲まれた個室で、午後の睡魔に身を委ねていた男は伏せていた机から顔を上げた。ギシリと軋む椅子から立ち上がり、開かれたままの窓の外を見下ろして訪問者を確かめる。宵闇に紛れ込んで扉を叩いた人間は大人数では無く、馬車の車輪が地面を削る音どころか馬の蹄の音さえしなかった。徒歩で宵闇の森に足を踏み入れるとは不用心なことだ。だが少なくとも訪問者は一人ではない。そう断定するには影が少し不自然だ。

「…人を迎える予定があったのか」

「い、いえ…その様な話は一切聴いておりません」

傍に控えていた使用人に尋ねると訝しげな表情で予定が掛かれた紙を確認し首を横に振る。成る程、ならば貴族の可能性は考えにくい。おそらく森に迷いこんだ旅人が、日が落ちる前に寝床を求めて城の門を叩いたのだろう。

「用件だけ聴いて、面倒なら追い返せ。私は部屋から出る気はない」

「畏まりました」

相手をする必要は無いと思った。使用人達に後は任せることにして、風で床に飛び散った書類をかき集める。眠っている間に随分と辺りが暗くなっていたので窓とカーテンを締めて明かりを灯した。青髭の極力人前に出ない性格を熟知している使用人は、恭しく頭を下げると部屋から出ていく。門前で右往左往している門番達に、青髭の命をそのまま伝えようと螺旋階段を降りていった。

しかし

「…伯爵様!」

部屋の外はいつもより騒がしく、慌ただしげに先程の使用人がドアをノックした。彼が降りていって然程時間は経っていない。何事かあったのだろう。「なんだ」と扉の前で呟くと、使用人は言い淀んだ。

「あの…伯爵様のご友人を名乗る方が二人程…」

「…名は?」

意識せずに声が低くなる。

「フェルナンド・コルテス様と、イドルフリート・エーレンベルク様です」

嗚呼やはりなと青髭は溜め息を吐いた。友人、この響きに嫌な予感がするのは青髭くらいだろう。そのような関わりを自ら断ってきた彼にとって、様々な理由を付けて晩餐を共にしたがるその客人達は異様な存在だった。尽く青髭の好む静寂を打ち壊してくる喧騒な男達だ。苦手ならば拒絶すれば良い話なのだが、何故か青髭もずるずるとこの関係を引き摺ってしまっている。困惑している使用人に「お通ししろ」と一言告げて、用意された外套を羽織った。イドルフリートは兎も角、コルテスは貴族である。無礼は許されない。




「よーお、久し振り」

間延びした、なんとも気の抜ける声でコルテスは笑った。ペルシャ製の絨毯が敷かれた螺旋階段を降りてきた青髭は、そんな男の姿を見て眉をしかめる。気楽そうに話し掛けてくるが親しげに顔まで上げられた腕には数多の傷が刻まれており、常に端然と整えられていた筈の服は釦が幾つか飛んでいて、おまけに全身泥塗れだ。

「イドルフリート…?」

青髭が目を見張ったのは、コルテスの背中にぐったりと凭れ掛かって力尽きているイドルフリートが見えたからだ。彼はコルテスよりも重症で、体のあちこちに刃物らしきもので痛め付けられた痕があった。脂汗が浮かんだ顔色は非常に悪く、まだろくな手当てもしていないのだろう。

「こいつをちょっと預けても良いか」

使用人達が対処に困るのも分からなくは無かった。「エーレンベルク殿を医務室にお連れしろ」と使用人に告げると、命令を待っていた彼らは数人掛かりでイドをコルテスの背から下ろし始める。

「一体どうした。柄にも無い」

「道に迷ってたら狼にやられた。束になって襲い掛かって来るから避けようが無かったよ」

ボロボロになった外套を脱いだコルテスは疲れた顔で笑った。ほぉ、と青髭は運ばれていくイドの脇腹に視線を移す。黒い服にじんわりと染み込んでいる赤は、おそらく血だろう。

「最近の狼は随分器用に穴を空けるのだな。噛み痕もまるで刃物の様だ。束で襲われるとは、何か美味い肉でもぶら下げていたのか?」

「かもな。ああ、俺はいいよ転んだだけだから。イドの治療してやってくれ」

そっとコルテスの傷口の様子を見ようと屈む使用人に彼は優しく言った。自分で手当て出来るということだろう。適当に流そうと振る舞うのは、触れられたくないからだ。人の城に逃げ込んでおいて事情も話さないとは勝手極まりない話だが、この二人に常識を語っても無駄だということは長い付き合いで嫌だという程知っている。余計な邪推は止しておくべきだ。青髭は使用人に医療道具を自分の部屋に運んでくるように言い付け、傷付いた二人の男を客人として城に通した。




泥塗れになった体を洗い流すため湯浴みをしてきたコルテスに、来客用の服を渡した。まだ乾いていない黒髪を無造作に肩に流し、傷口に気を使って丁寧に軟膏を塗る。背中に手が届かず苦渋しているのを見て、心ならずも青髭が塗ってやった。堅くて筋肉が付いた体には所々傷が見えるが、今回のでまた新しく増えた様だ。

「お前達は此方が呆れ返るくらいの直情径行な人間だな。気性が激しいのは結構なことだが、私を巻き込むのは止めてくれないか」

「説教は良いよ。俺達も長く世話になるつもりはない。朝には出ていくから」

「イドルフリートがこの様な状態なのにか」

指摘すると、コルテスは眉をしかめて黙りこんだ。無茶な提案をしている自覚はあるらしい。治療を受けたイドは未だ目覚めず、意識が戻るまで一時的にこの部屋に運ばせた。外傷は目立つがどれも見事に致命傷から外れていて、意図的なものと判断出来る。今は包帯の下にある腹には、ろくに手入れされていない切れ味の悪い刃物でぐちゃりと抉ったような痕があった。この傷を付けた人間の趣味が見て取れる。到底理解出来ない性嗜好だ。

「…前回の航海で、航海士を一人増やしたんだ」

先程まで重く口を閉ざしていたコルテスが、イドを眼前にしてぼそりと言葉を漏らした。青髭は静かに顔を上げる。コルテスはシーツに沈んだ金髪を視界に入れ、ばつが悪そうに続けた。
コルテスが言うには、その航海士はイドと馬が合わず、仲裁が入る間もなく船から降されたらしい。逆恨みなのだろう。イドの船が別の用事で島を中継している間に目的地へと先回りし、仲間を介してイドを誘き寄せ、襲わせた。男の仲間はコルテスにも回っていて、そのせいで彼が事態に気付いてイドの元へ駆け付けるのに、かなり時間を要した。
青髭は使用人からイドの容態を聞いて、眉間にしわを寄せた。予想はしていたが、頭が痛くなる。

「脇腹の銃創はイドルフリートのよく回る生意気な口を閉じる為か、器用に致命傷を外している。腕のは相手の嗜虐的な性癖の表れ。局部周辺が一番酷い。強姦、輪姦だろう。お前が雇った部下は良い趣味をしている」

「変態だな」

瞬き一つせずにコルテスは紡ぐ。
本当に朝に帰るのなら、傷に響かないように馬車を用意してやるつもりだった。だがコルテスの話を聞くと、それが利口な選択だとは思えず青髭は口を閉ざす。彼はまだその部下とやらを処罰出来ていない。馬車を走らせたところで森の中では十分な速さは期待できず、待ち伏せられていたら対処出来ないだろう。今度は最悪命を落とすかもしれない。

「傷が癒えるまで城に残れ」

結局、青髭はそう言葉を紡ぐことしか出来なかった。普段どんなに追い返そうとしても当てられた部屋のベッドへしがみつく男二人が今は揃って満身創痍で、青髭の提案にもコルテスは顔を僅かに上げるだけだ。大丈夫かと声を掛けることも、心配するのも青髭の柄ではない。何時ものばか騒ぎに嫌々付き合わされている身としては、少しは痛い目に遭えば良いと思わないでも無かった。だが現実となると正視にたえない。
コルテスは苦く笑うと、首を横に降った。

「いや、やっぱり朝には出る。部下が心配だ」

「部下には宛名を変えて手紙を送れば良い。向こうにも有能な人間が居るのだろう。お前もイドルフリートのことを想うなら、素直に従え」

「…なら俺一人だけでも」

「青き伯爵の城にこやつ一人置き去りにしたと言ってみろ。部下に薄情者だと罵られるだけだ」

この城の不気味さは盾にもなり、噂は尾鰭をつけて城下町に広がっていた。余程の無能でなければ攻めこんでこないだろう。その噂が身元に流れ込んでくることを危惧して、事実コルテスは青髭との交友を部下に言っていない。外見を装うだけで、近寄ってくる人間の数は簡単に変化する。コルテスはきまり悪くくしゃりと髪を掻き回し、頭を下げた。

「…すまない。世話になる」




イドは朝になっても目覚めなかった。コルテスは長い時間当てられた部屋に引き込もって、部下への細かい指示を伝えるためにひたすら手紙を書いていた。青髭はその手紙を受け取り、使用人に命じてなるべく足が付かない場所から届けさせた。最初青髭は、コルテスは部屋を出たがらないだろうと思い食事を運ばせようとしたが、意外にも彼は時間になるときちんとダイニングへ顔を出した。長いテーブルの端と端に座り、会話も儘ならない孤独な食事が二回続いた。
食事が三回目になる時間帯に、イドが目を覚ました。彼は混濁した意識の中、閉じかけた瞳で傍に居た青髭に目を向ける。青髭は読んでいた本から僅かに顔を上げて彼を見下ろした。本はまだ一頁も変わっていなかった。

――…青髭の城?

そう尋ねたのだろう。青髭は頷いた。具合の確認をしようと口を開いたが、それに見合った言葉がいくら探しても出てこない。イドが深く息を吐いて少し安堵したように微笑んだことに気付き、直ぐにその表情から視線を逸らした。シーツの上で身動いだ後毛布を肩から滑らせたイドは何度か喉を擦って声が正常に出ることを確認していたが、途切れ途切れに口から漏れる声は酷く掠れている。

「…君が、助けてくれたのか?」

「お前の上司が勝手に運んできただけだ。感謝ならあの男にしろ」

「…すまなかったな、厄介事を拾わせて」

嫌味でも何でもなく困ったように紡ぐイドの気味悪さに青髭は眉をしかめた。居たたまれなくなり「コルテスを呼ぶか」と腰を上げるが、彼はその服を掴んで制した。

「…それより、腹が空いた」

ごろんと寝返りを打ったイドに柔く見上げられる。彼の容態を使用人から事細かに説明されていた青髭は、その視線に頷くことは出来ない。

「止めておけ。胃が正常に機能していない。物を入れたら吐くぞ」

「…暇なんだ」

「病人が何を言っている。もう一度寝ろ」

「寝たいのは山々だが、あまり良い夢を見ないんだ。今は嫌だ」

イドが喋る度に青髭の機嫌は急降下していく。子供の様な男だ。やはり妙な気紛れは起こすべきではなかったと後悔する。病人の様子を見守るくらいなら部屋に引き込もって仕事を片付ける方が遥かに利口な選択だった。

「なあ…」

付き合いきれんと言わんばかりに背を向けて本を手に取る青髭の耳に、布が擦れた音が響く。厚い毛布から体を這い出して、イドは掠れても尚甘い声で囁いた。

「人間から切り離せない三大欲求のうち、睡眠欲も食欲も満足に満たせない私はどうしても最後の欲求を満たすことしか頭に無いから青髭」

「殴って気絶させたら眠れるか?」

「……つれない奴だな」

叱られた子犬の様に大人しく毛布に潜ったイドは、ちらりと青髭を見て顔を隠した。三つ目の欲求を満たす程の体力が残っているとは到底思えないが、冗談が口に出来るのだから少しは回復しているのだろう。

(…何を考えているんだか)

イドの胸に籠る安堵を受け取る気は無かったが、それでも彼を無視することは不可能だろうと、青髭は何処かで知っている。城へ助けを求めてきた怪我人を門前払いすることは容易に出来た筈なのだ。しかしそれを実行することはなく、こうして部屋に置いて様子まで看に来てしまっている。孤独に閉ざされた城に見合う薄情さを持ち合わせているのに。

「…青髭」

イドは毛布から顔を出して、静かに呟いた。

「…やはりお前は、人を拒絶出来ないな」

「何が言いたい」

「ある話を思い出したんだよ。まだこの世界には浸透していないが、いずれ語られる話だ」

心当たりがあるだろう、とイドは笑う。海のような色を持つ彼の瞳は、時折人の心を見透かしたように輝く。青髭はそれが少し苦手だった。

「身勝手な王子は魔女により野獣へと姿を変え、己の城と心に何重もの壁を作り誰にも落とせない要塞を築くのさ」

「…私が野獣だと言いたいのか」

「父君が亡くなってから、君は些か体裁を取り繕うことに夢中になっているようだ。だが安心したまえ。それは失敗に終わるよ。君は野獣に成りきれていない」

イドは青髭の胸の内に巣食う葛藤に気付いていた。迷うことなくはっきりと紡がれた言葉に、青髭は用意していた言葉を喉から向こうに吐き出せないでいる。

(此れだからこやつは苦手なのだ)

他人の前で当たり前の様に付けていた仮面が、どうしてかイドには通用しない。何故素顔ではないんだい?と何でもなさそうに尋ねてくる。

「纏う服が少し重くなっただけで、君は昔と何にも変わっていないさ」

顎を指の腹で優しく撫でてくるイドの手首をシーツに押さえ付け、青髭は言葉を吐き捨てた。

「貴様こそ昔からの無鉄砲な性格を改める気はないのか」

「心配してくれるのか?」

「頭のな」

「頭は正常だよ。昔の盲滅法な行動は寧ろ減った。使えるものを、躊躇無く使うようになっただけさ」

後悔など微塵も見せない素振りでイドは語る。青髭は相槌を打つことなく、黙って彼を見下ろした。押さえ付けた手首が発熱している。

「私に手を出したことで、コルテスがあの男を処罰する正当な理由が作れた」

だから気にしていないとでも言いたいのか。イドの眼前にはいくらでも解決策が広がっていただろうに、何故敢えてこの道を選んだのか理解に苦しむ。表情一つ変えずこれは正しいとはっきりと告げるくせに、彼は苛立つ青髭の掌を拒まない。

「…お前は、変わらなくていい」

普段より柔らかく見える双眸を軽く伏せ、イドは握られた手首に鼻先を擦り寄せた。青髭は何も応えなかった。答えることが出来なかった。血を遮断するように手首に力を加え、軈てやんわりと手を外す。イドの言葉を拒絶したいのか同意したいのか、自分でも曖昧になる。良い意味でも悪い意味でも、彼の声は青髭の中にゆっくりと浸透していった。




うつらうつらと頭を傾けるイドの身体を大きな肩で受け止めながら、コルテスは真剣な顔で手紙を読んでいた。先程使用人から手渡された、部下からの報告書だ。青髭はそんな二人を横目に、自分の仕事に取り掛かっていた。今日で四日目の朝を迎え、イドは城の中を歩けるくらいには回復していた。それでもまだ体力は戻らず、広い城を一周すれば直ぐに力尽きて眠ってしまう。今まさに睡魔に身を委ねそうになっている彼を支えながら、コルテスは手紙をテーブルに置いた。

「…イド、俺の部下は有能だぞ」

「ん、…ぁ?」

意気揚々としたコルテスの声に、寝惚けた間抜けな声が応える。気にしていないのか、コルテスは指摘することなく使用人にこの周辺の地図を持ってくるように頼んだ。部下が敵の居場所を探り当てたのだろう。テーブルに手紙と地図を広げて分かりやすく説明するコルテスの横で、眠気から解放されたイドが何度か頷く。顎に手を当てながら話を聞いていたイドはたまにコルテスの方を見て軽く意見を述べ、それに彼は満足そうに笑みを浮かべた。

「明日には動こう。一思いに首を斬ってやりたいところだが、御多分に洩れず絞首刑だな」

「…全く、絞首斬首晒し首と、どうして人間は人の首を虐めるのが好きかね」

呆れたように冗談を口にするイドを、青髭は眉をしかめて眺めていた。先日の彼との会話を思い出して嘆息する。悪魔の様な男だ。冗談に微笑む顔が、思い通りに進んでいる状況に口元を吊り上げている様にしか見えない。

「もう行くのか」

――なんてことは少しも表情に出さず、青髭は無機質に尋ねた。コルテスは地図を片付けさせると、自分も立ち上がって青髭に向き直る。

「ああ、世話になった」

「行くならさっさと行け。日が沈んだらまた狼に食われるぞ」

「…少しは別れを惜しんでくれよ、つれないな」

暫くは会えないと言外に告げられているのは分かった。彼らはこの森を抜け、また大海へと漕ぎ出すのだ。其処がどんなに魅力的な物か青髭は知らないし、此れからも知ることは無いだろう。常に眼前に永遠の別れが迫っていることに気付きながら、青髭は「またな」と軽く応えた。コルテスも笑って同じ返答をする。




「相変わらず、居心地のよい城だったよ」

コルテスの後ろに付いて扉へと歩くイドは、横に並ぶ青髭に向かって笑みを浮かべた。「だよなぁ」と同意するコルテスとイドの言葉の真意が同じだとは到底思えず、青髭は顰蹙する。

「お前は本当に悪魔の様な人間だな」

「野獣の心情を見抜ける美丈夫と言ってくれたまえ」

「そこは美女ではないのか」

「私は男だよ」

少女が内緒話をするように、イドは薄い唇に指を当てて小声で囁く。弧を描いた口元は、青髭にはやはり悪魔と大差なく映った。






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