ベルナールは赤く腫らした目を隠そうともしなかった。彼は私の前に現れては、ぽつりと挨拶代わりに言葉を落とした。

「コルテス将軍が、亡くなりました」

勿論その言葉をすぐに呑み込めるわけがない。奴が後ろで糸を引いて私の反応を探ろうと掛かっているのだろうとまず疑った。私がこの島に訪れたのは1ヶ月振りで、此処に残ったコルテスとはその期間会っていない。久々の挨拶の前にからかっているのだと思った。

「嘘、ではないですよ。私は嘘つきません」

ベルナールはゆっくりと首を振った。大切そうに手に持っていた何かを私に手渡す。太陽の光を受けて反射するそれは、コルテスが愛用していた金の懐中時計だった。身の回りのものに気を配らないコルテスが唯一手放さずに持っていた高価な所持品だ。私とて触らせてもらったことなど一度もない。それを何故、ベルナールが私に手渡したのだろう。

「将軍がそれをイドさんにって」

「………本当なのか」

死んだということは、居ないということだ。コルテスがもうこの世に居ないということだ。船を降りて真っ先に奴に声を掛ける気でいたのだから、とても信じる気にはなれなかった。だが手元の懐中時計は確かにコルテスの物だ。ベルナールも、質の悪い冗談を口にする人間ではない。

私は訝しげに此方の様子を窺う船員たちの存在に気付き、暫くの間出掛けることと、次の指示を伝えた。暑くて手元に持っていたコートを羽織り、ベルトを絞める。こうやって身形を整えたら、コルテスに会いに行こうと思っていたのだ。なのに居ないとはどういうことだ。いつ死んだ。私が海の上に居た時に死んだのか。何故私を待たなかった。何故死んだ。ぐるぐると混乱する頭で考えるが、そもそも状況を良く理解できていない。目の前を覚束ない足取りで歩くベルナールを視界に入れて、その後ろに並んだ。彼を纏う服装が黒で統一されていることに、今更気付いた。



イドさんが出港した時に殺されたんです。直ぐにでもお伝えしたかったんですが、海の上では手紙も届かないので。

ベルナールは私にそう説明すると、墓場まで案内してくれた。一人で居たいだろうからと気を遣って何処かへ行ってしまった。奴が埋まっているらしい墓碑はかなり目立つ。生けられたばかりの花に埋もれているからだろう。墓誌にはコルテスの本名が、慣れない文字で彫られていた。エルナンと彫られた文字をなぞる。ぞっとするほど冷たかった。夜明けまで雨が降っていたから濡れている。指先に乗る雫がまるでコルテスの涙のように思えた。

「…本当だったのか」

此処に来て漸く理解した。コルテスは死んだらしい。墓碑から人の体温は感じられない。1ヶ月振りに会えると思ったのに、永遠の別れになってしまった。どうせなら死体を掘り出してこの目で確かめてみたかったが、どうなのだろう。それで私は納得できるのだろうか。

「フェルナンド、何故死んだ」

私は約束した筈だった。眼前に広がる海の向こうへと渡り、誰も見たことがない世界へと連れていってやると。コルテスは約束してくれた。本国では見られない景色を、一番高いところから見せてやると。コルテスの夢が私の夢だった。コルテスの隣で奴が語る夢に耳を傾けることが何より楽しかった。私はその夢を実現するための手足になり、彼と共に高い場所を目指そうと、神にではなくコルテスに誓ったのだ。それなのに何故死んだ。諦めきれないよ、フェルナンド。

私は墓碑の前に座り込み、膝を抱えた。1ヶ月振りに話したいことはたくさんあったのに何一つ口から出てこない。変な魚を釣って船員みんなで分けて食べたら私以外皆腹痛になったとか、私の船の後ろを付いてきた海賊から逃げるために翻弄してやったらついにその海賊船が座礁して動かなくなったとか。
あと、暫く距離と時間を置いて漸く気付いたけど、私にはどうやら君が居ないとしっくり来ないみたいだ。船上に立つときもたまに振り返って君の名前を呼んでしまう。そうか君は島に居たんだと思い直して笑っていたのだが、そのときには既にこの世にも居なかったのか。次に君の名前を呼んだら笑えなくなるじゃないか。

「…フェル、ナン…」

涙は出てないのに、出てくる声は自分でも驚愕するくらい掠れていた。何故身近な人が死ぬと、そいつと生きた思い出ばかり脳裏に浮かべてしまうのだろう。大学で話し掛けたこととか、星について語ったこととか、初めて一緒に航海したこととか、些細な会話も一つ一つ丁重に思い出としてしまってある。私の中には色んなコルテスが住んでて、忘れていたと思っていたあれこれも記憶として残っている。楽しいと感じていた思い出が胸を抉った。今更になって言いたかったことやり残したことが胸から溢れ出るくらいたくさんあるのに、コルテスはもう居ない。私が意識するよりも断然大きく、私の中はコルテスに支配されているようだった。
大声で泣き叫んだら忘れられるだろうか。逝くなと喚いたら帰ってきてくれるだろうか。

私はまだ君に何もしていないのに。



「呼んだか」

背後から低い声が聞こえた。聞き慣れた声に身体が反射的に震える。視界に佇む墓石がぐにゃりと歪んだ。石畳を踏む足音が私のすぐ後ろに立ち、身体に腕を回される。

「…ただいま、イド」

「…コル、テス、…?」

目を見開き、回された腕をただ見つめる。見覚えある大きな手と、綺麗な刺繍が縫われた袖口。紛れもなくコルテスのものだった。振り返れば、困ったように笑うコルテスの顔。足がしっかりと地面に付いていて、透けてもいない。体温もある。

「死ね」

「あんまりだな」

「私を騙したのか」

「事情があるんだ。察してくれ」

暴れ出した私を離さないと言いたげに強く抱き締められる。わざわざ肩を掴まれ、正面を向けさせられた。そのままコルテスの胸に顔を埋める。彼は私を抱いたまま、ゆっくりと墓碑を指差した。其処に埋まっているのは別の人間だと語る。

「俺の命を狙ってる輩が居てな、油断させるために1ヶ月死んだことにしている。真実味を出すために仲間も欺いた。知ってるのは極僅かだ。お前が帰ってくる前に片をつけるつもりだったんだが…本当にすまない」

「………」

「……イド?」

私の名を呼ぶ声は記憶ではなく、現実のコルテスのものだ。その頬を思い切り殴ってやりたかったのに、その声を聞くともう駄目だった。胸の内から込み上げた色々な感情に耐えるためにコルテスの胸元に顔を押し付ける。どくどくと力強い鼓動が聞こえてきて、我慢が表に溢れ出た。

「…泣くなよ、イド」

「っ…」

誰が貴様の為に泣くか自惚れるなこのド低能。
言い返してやりたかったが、じわじわと奴の服を濡らすだけだった。もう声が出てこない。抑えきれない嗚咽を自分の袖口を噛んで誤魔化そうとしたら、コルテスにその手を取られて唇を奪われた。

「光栄だなあ。哀しんでくれたのか」

幸せそうに微笑む彼が恨めしい。頬を流れる涙を拭って、其処にキスを落とされる。コルテスの黒い瞳に映る私は、滑稽なくらい表情がぐちゃぐちゃに崩れていた。いたたまれなくなって、袖口で乱暴に涙を拭う。

「…驚いただけだ」

「そうか、それでも嬉しいよ」

「君に言いたいことがたくさんあったのに、全然ふっ飛んだ」

「いいよ。その内思い出してくれるんだろ?」

コルテスが後頭部を撫でる。髪を指の間に通らせて遊んだ。首に触れる感触がくすぐったくて身を捩ると、苦笑して手を離す。
やはり、こいつの存在は私にとってとてつもなく大きなものなのだろう。何でもなく触れてくるだけなのに、身体の神経が全てそこに集中する。彼の生きている証拠を探ろうとしてしまう。
コルテスが立ち上がり、そのまま手を取ってくるので倣って汚れを払った。コルテスはふと視界に入った墓誌の名前に小さく笑う。悪魔のような奴だ。

「…ベルには伝えろ。泣いていたぞ」

「あー…、鳩尾に蹴り入るかな」

「頬も引っ張たかれるだろうな」

「……それで死んだら埋めてくれよ?」

「冗談、火葬にしてやる」

「おまっ…そりゃ無えよ!」

本当なら私が顔の原型が無くなるまで殴ってやりたかったが、その役目はベルナールに譲ろう。私よりも長い期間ずっと辛かった筈だ。
私は手に固く握った金の懐中時計を眺める。すっかり私の体温が移ったそれをコルテスに返した。彼は一瞬目を丸くしたが、手元に戻った時計を満足そうに見つめて、笑った。

「心配するなイド。俺は殺されても死なないから」

墓碑に背を向けてコルテスが頭を撫でてくる。いつもの癖で払おうと手を伸ばしたが、なんとなく止めた。髪が乱れると危惧する余裕もないほど奴の手の温もりを追うのに夢中だった。

「当たり前だ。私の許可なく死んだら縁を切ってやるよ」

その心地好さを誤魔化すように言い返して、私は漸くコルテスの隣に並んだ。




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