(にょた化イドさんその後)


海の上に居る時は誰よりも早く起きる彼は、陸の上だと途端に昼まで眠っていることの方が多くなる。仕事のオンとオフがこうもはっきり別れているのも珍しいものだ。何でも、大体北に住む人間はそういう習慣が身に付いていると噂話で聞いたことはある。だが此処はスペイン、北の人間の話なんて良く分からない。
香辛料が異教徒の国からこの国に運び込まれるようになって食事も充実してきた。若干値段が高くて頻繁には手が出せないが、少し金がある庶民ならなんとか手が届く程度には落ち着いてきたと思う。知り合いに俺の航海の資金援助をしてくれる好事家がいるのだが、その貴族が香辛料がふんだんに使われた朝餉を振る舞ってくれると言うので、未だ寝ているだろうイドを起こすようにベルナールを遣わせた。だが戻ってきたのは彼一人で、俺と目が合うと困ったように肩を竦めた。

「イドさんは港町に食事に行ってるそうですよ」

「なんだ、勿体無い」

「それよりコルテス、イドさんに宿に女の人連れ込むのを止めろと言ってください。宿には上官も一緒に泊まってるんですよ」

「俺はあいつのおかんか。あれも立場は弁えているから流石にそれは無いだろうに」

「いや、さっき部屋に女性が居ましたけど」

「…昨日イドは女どころか酒も飲まずにさっさと宿に戻ってたぞ?」

「…はあ?」

ベルナールが眉をしかめる。何を見てきたのかしらないが、若干機嫌が悪そうだった。俺は彼の見間違いか何かと思ってその話を軽く流すことにした。確かにイドは女好きだが、自分の宿に他人を連れ込むことは猛烈に嫌うという良く分からない性分だ。万が一連れてきたとしても共に朝まで過ごすなんてことは考えにくい。
ベルナールが納得いかなそうに腕を組んで考え込んでしまったが、俺はあっさりと流して先に朝飯を食べることにした。船に乗ったらこんなに美味いものは滅多に食べられない。今のうちに満喫して噛み締めたいと思うのが自然だろう。だが食べ終わってしまうとその幸福も一瞬のうちに過ぎ去ってしまう。どうせ暇なのだから港町でイドを見つけて一緒に店を見て回るかと適当に今日のプランを頭で組んだ。


町でそれらしい後ろ姿を見つけるのに時間は掛からなかった。帝国の領土となったこの国には異質な外見をした人間がそれなりに北や東から入り込んで来ているが、その中でもイドは一等に目立つ。金に映えるリボンで長い髪を結わえているし、背も高い。黒い服も髪の色を際立たせていた。だが視界に入り込んだ色は黒ではなかった。遠目からは良く分からないが、珍しく違う色を纏っているらしい。彼はおそろしく遅い速度で石畳の上を歩いているので距離を縮めるのは楽だった。段々と視界にはっきり映るくらいまで近付いていったとき、急に吹いた風がひらりと軽く彼の裾を摘まんでいったので思わずぎょっとする。スカートだ。服装が女物だった。

「………」

ぴたりと足を止めた。見なかったことにしようと踵を返そうとした。しかしイドが女装をしていたとして、その格好のまま表を歩くなんて真似プライドが高い彼に出来るのだろうか。だとしたらあれは人違いだろうか。もしくは彼の気が狂ったのだろうか。真実を突き止めたいという好奇心が勝って歩くペースを弛めて彼の後ろ姿を見つめる。気付かれないように10メートルくらい離れて歩いた。幸いこの時間帯は朝食を済まそうとする人たちが多くてそこまで目立つことはない。これで人が居なかったら立派な不審者だなと自分の行動を客観視して苦笑した。

だが不審者は他に居た。
いかにもといった柄の悪そうな男たちがぐるりと彼の周りを囲むように群がり始めたのだ。知り合いと思うことは出来なかった。男たちの品定めするような目線がそれを物語っていた。あれがイドだとしたら、何かをされる前に「ガンをつけられたから」等と理解に苦しむ理屈を引っ張り出して足蹴りくらいは顔面に食らわせるだろう。俺は目の前の光景を見て男たちの方に同情したくらいだ。しかし男たちは彼の腕を引くと、ずるずると引き摺るように路地裏に入り込んでいった。

「…嘘だろ?」

思わず声に出ていた。驚きのあまりあっさりと彼らの背中を見送ってしまった。あれはイドでは無かったのだろうか。立ち止まったまま彼らが消えていった方向に目をやり、このあとどうするべきか悩んだ。しかしその時ガンッと鈍器か何かで物を殴ったような鈍い音が響いた。意識がそこに集中していたため聞き取るのは容易かった。頭が一瞬で冷える。腰にある剣に手を掛けながら路地裏まで走った。あれがイドでもそうでなくても、放っておけるような状況では無いと判断したからだ。

「………っ」

角を曲がって光が届きにくい場所に足を踏み入れると、先程の男たちが一斉にこちらに目を向けてきた。「何者だお前」と一番前方に居たお前が睨んでくる。だが俺の視線はそちらを一瞥もしなかった。彼らの中心に居て金髪を掴まれている男は、イドだった。間違いなくイドだった。頭から血を流して固く瞼を閉じている。一度冷静になった頭に血液が集中したのが自分でも分かった。鞘から剣を抜いくと前方にいる男の首もとに取っ手を叩き付けた。悲鳴をあげて男が倒れる。

「貴様ッ!!」

直ぐに他の男たちがイドから手を離し、一斉に襲い掛かってきた。一人が相手に出来る人数など高が知れてるが、此処は狭い路地裏。戦闘を前線で仕切る立場に居るからこそ、こういう狭い空間は少数である方が逆に有利であることはよく知っている。足を引っ掛けて最初の男を転ばせると首の急所を思い切り踏みつけた。殺したかと思ったが呻き声を上げているのでまだ生きているだろう。二人目は脇腹を、三人目は足を切りつけて倒した。四人目と五人目は奥へ逃げた。回り込んで背後から襲ってくる可能性を考えたら逃がすべきではないが、それより先にするべきことがある。俺は剣を片手に持ちながらイドの前で屈んだ。彼の服は刃で切り裂かれたのか胸元が開いていて血と肌を露出していた。闇に浮かぶ白はどう見ても彼の体には存在しないものだった。信じられない光景に息を呑む。

「…イド」

頬に手を当てると、ぴくりと瞼が震えて碧が覗いた。本来のイドと変わらない瞳の色にまず安堵する。頭から流れる血を拭ってやろうとすると、彼はますます混乱したように視線を迷わせた。

「…コル、」

「ん?」

「…コル、テス…?」

「ああ。大丈夫かお前、なんで簡単に捕まってるんだよ」

「私が誰だか分かるのか」

「イドだろ」

彼は今までにないくらい大きく目を見開いた。僅かに震えた瞳を隠すように俯かせてしまう。それに睫毛が異様に長いなと場違いな感想を抱いた。何だか声も一段と高い。本当に女そのものだ。

「どうしたその格好は。ついに気が狂ったのかと心配したぞ」

「…狂ったのは気ではなく体だよ」

「原因を知らないのか?」

「知っていたら、こんなところにいない」

高いからだろうか。イドの声が震えて聞こえた。其処に彼の感情が流れ込んでいるようで、俺が思っている以上に彼がこの状況に絶望を抱いていることを察した。なんだか泣きそうだと思った。でもイドは泣いてなどいなかった。自嘲するように口元を歪ませ顔を上げる。「帰りたい」と彼が口にしたので俺は自分が着ているコートを背中に掛けてやった。

「歩けるか」

「…気遣わないでくれ給え。虚しくなる」

そういう意味じゃないんだがなあと思ったが、彼が気にするなら仕方ないと手を取って立たせてやった。




イドの歩く速度が遅いために並んで歩くことが難しい。どうにも彼の歩幅に合わせるのが出来ずに仕方なく腕を引いた。イドが驚いたようにこちらを見上げてくるが、視線に応えるような立派な理由は持っていないために気付かない振りをした。嫌がって文句を言われるかと思ったが、彼は何も口にせずに歩幅を合わせようと少しだけ早く足を動かした。
宿につくと丁度ベルナールと擦れ違った。彼は俺とイドに視線をやって何処か気まずそうに目をそらす。その様子を見て、ベルナールがイドをイドと認識していないことに気付いた。それにしては、態度が奇妙だった気がしなくもないが。

「ベルは私のことを「イド」の恋人だと思っているのさ」

ベルナールと軽い会話を交わしてイドを自室に通すと、彼は薄く微笑んで口を開く。その言葉に今朝のベルナールとのやりとりを思い出した。

「今朝色々言っていたのはそれか…」

「航海士の恋人である筈の女と将軍が一緒に戻ってきたのだから、妙な顔をされるのは当然だろうな。彼の頭の中でどんな修羅場が展開されているのか興味ある」

「…なんか、女になってもお前はお前だな…」

苦笑して感想を漏らす。背も小さく比較的小柄などちらかと言えばかわいい分類に入る女性からそんな言葉が聞ける日が来るとは思わなかった。外側が女でも中身は通常通りらしい。

「コルテス、後ろ向いてろ」

唐突に言われて首を傾げると、イドはコートを椅子に立て掛けながらしっしっと手のひらを払った。その仕草と言葉の意味をすぐに理解して慌てて後ろを向く。すると背後から布の擦れる音が響いてきた。女物の服が破れてしまったから替えのものに着替えるのだろう。姿が見えないのだから男の着替えだと認識してもいいのに妙に意識してしまうのは何故なのか。ドアを見据えながらそんなことを真剣に考えた。他にも考えるべきことはたくさんある筈なのに布の音に全てを持っていかれる。なんだか思春期だった学生時代のことを思い出した。あの時は思春期というより発情期だったが。

「なあコルテス…次の航海、私はどうすれば良いと思う…?」

ふと、ぽつりと溢すような疑問が聞こえてきた。思わず振り向くとイドはベッドに座り込みながらシャツの留め具を上まで止めていた。ズボンの裾は巻くり折られていて意地でも男の装いをする気らしい。そのシャツもズボンも全て俺の物なんだがという突っ込みは今は控えておいた。イドの唐突の疑問が、俺には弱音に聞こえたからだ。

「船を降りる気か」

「…分からん」

叱咤するつもりで言った言葉ではないがいつもより低く問いかけていた。どう受け取ったのか、イドは此方を向かずに俯いている。

「いつ戻るかも分からない。戻らないとして、この体が何処まで苦境に耐えられるか分からない。私の周りの人間たちが私にどんな目を向けてくるのか分からない。私には何も分からないよ、コルテス。…どうすれば良いのか全く分からない」

疑問ではなく、弱音だった。彼の声は歪んでいた。俺がベッドの縁に近づくと、びくりと体を震わせながらも服の端を掴んでくる。
多分イドは俺と会うまでに色んなことを考え込んできたのだろう。不安になるなら先のことまで悩まねばいいのに、彼の頭のよさは彼を不幸に陥れていた。服を掴まれた手を振り払う気になれないのは彼に同情しているからなのだろうか、よく分からない。だがその思考回路が決して良い方向に傾かないことだけは知っていた。未だに此方を向こうともしないイドの金髪を見下ろしながら、俺はパシッとその頭を叩いた。

「痛ッ」

「はは、頭がら空きだな」

「私が真剣に悩んでいるのに、君という男は…!」

「思ったんだがなあ、悩まないで良いと思うぞ、俺は」

「は?」

俺はイドの前に屈んで、俯いている彼と無理矢理視線を合わせる。目元が赤くなっていて少し笑った。

「お前が前に話してくれたじゃないか。女でありながら勇敢に男たちを率いる海賊の話をさ。それに性別が変わったくらいで船員も俺もお前を見放しはしないだろ。絶対に船を沈めることのない、有能な航海士はお前しか居ないんだからさ。違うか?」

とん、とイドの額に指を突き付ける。驚いたまま固まってしまう彼の表情は、男の時のイドに見せてやりたいくらい間抜けだった。女だからか余計にそれが際立つ。イドが俺の言葉に呆然としているという事実が面白くて思わず吹き出すと、彼は一気に顔を赤くした。

「いい気になるな低能が!」

「ッぐほ!?」

イドの足先がストレートに鳩尾に入り、あまりの痛さに腹を抱えて悶絶した。今この雰囲気で足蹴はないと思う。将軍としてのプライドを放り投げて地面に倒れこんだ。イドの先程までの弱々しい女のような態度が幻想だったのだと知る。やっぱりこいつは男だ。どんな毛皮を被ったって匂いは隠せても中身は隠せやしない。何が苦境に耐えられないかもしれないだ。力の強さも我の強さも男の時と全く変わってないではないか。

「そうだな、確かに君たちのようなド低能を放っておいて船を降りるなど、見殺しに等しい行為だ」

「……分かって頂けて、光栄、だよ…」

なんだこれ。

「案外やっていけそうな気がしてきた!」

イドはベッドから立ち上がると先程のバシバシと仕返しと言わんばかりに俺の頭を叩いてくる。ああそうかい良かったなという返事は呻き声に変わって出てこなかった。




目についた場所に果実を積んだ籠が置いてあったので、一番上にあった林檎を手にすると背後にいるイドに投げた。落ちてくる果実を彼は反射的に手を伸ばして受け止める。腕を伸ばす際に僅かに揺れた胸元をしっかりと視界に止めている自分を殴りたくなったが気にしていない振りをして直ぐに視線をそらした。受け止めたものの意図が分からないのか、イドは此方を見上げて首を傾げる。

「どうせ朝飯食ってないんだろ。それでも食っとけ」

「…何故作業用机に果実があるのか理解に苦しむんだが」

「食いながらやる方が捗るんだよ。腹減るし」

「上司に対しての手紙を食いながら書いているのか」

「バレなきゃ良い」

「…それで手紙の中身は世辞ばかりだものな」

果実をかじりながら大袈裟に溜め息を吐くイドの態度は普段なら見下したような印象を受けるのだが、女になった今は何処か雰囲気が丸くなった。というより、柔らかくなった。いつもの覇気が感じられず、手応えがないと感想を抱く辺り俺もかなり毒されているようだ。本人に行ったら今度は顔面に足がめり込みそうなので黙っておく。イドの林檎の減りが遅いのは口が小さいからかまだ元気になりきれないのか。俺は彼の隣に座ると、その腕を取って手の中にある林檎にかじりついた。「あっ」と小さく反論する彼に笑ってしまう。

「んまい」

「…一口が大きいな」

「お前が小さいんだよ」

「胸がいっぱいで食う気にならんだけだ」

「…胸小さいぞ」

「やかましいッ」

気にしていたのだろうか、キッと虫でも殺せそうな勢いで睨み付けてくる。腕を取ったまま動きを封じ、がら空きの胸元を軽く揉んでみた。「ぎゃっ!?」と色気の欠片もない悲鳴が上から聞こえてくるが無視する。柔らかくはあるが微妙に固くもあり、揉んでいるうちに成熟しきれてない処女の胸を触っているような気分に陥った。

「っにするんだこの低能!!」

「ってぇ!!」

ゴン、と頭に肘鉄を食らった。減るもんじゃないし別に良いだろと思うのだが、素直に触らせるのは彼のプライドが許さなかったのか。触り心地的に素肌じゃないような気がした。こいつもしや下着つけてんのか。尋ねようかと思ったが火に油を注ぎたくはないので自重した。イドの趣味ではなさそうな妙な女装をしていたことも含めておそらく第三者が関わったのだろう。それが女性であることを祈ろう。イドは大口で林檎にかじりつく。八つ当たりのような食い方だ。いくらかの欠片を口に含みながら、黙ってそれを見つめる俺に対して指を突き付け言い放った。

「私は君の好みの女には絶っ対ならないからなッ」

何だよその宣言。なんで俺の好みがお前に割れてるんだよ。
色々突っ込みたかったが、イドの妙な気迫に圧され息と共に呑み込んだ。


―――
コルテス人妻とか好きそうだからきっと巨乳好き。


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