(SHK設定。つまり幸せMarchen)


「ところで二人の夜は上手くいっているのか?」

バサバサバサッ
暖炉の前の椅子に腰掛けた男の唐突の発言に、メルヒェンは盛大に両手に持っていた大量の本を床に落とした。それに近くで本棚の整理をしていたエリーザベトが驚いて「きゃあ!」と悲鳴をあげる。

「メル、大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫、何ともないから」

慌ててメルヒェンの足元に跪き怪我の確認をし始めるエリーザベトの肩を押して引き止める。どれも結構分厚い本だが、足に当たったわけではないので問題はない。問題は目の前の男の妙な発言だ。メルヒェンは本を拾い上げながら、ギロリと暢気に暖炉に当たっている男を睨み付けた。

「イド、彼女の前でそういう発言は止してくれ」

「何を今更恥ずかしがっているんだか。君の体から私が離れ、無事彼女と再会して、漸く長年の恋が実ったのだろう。やることは一つじゃないか。私には君の存在をこの世に止めた衝動の行く末を温かく見守る義務があると思うのだが」

「…夜の話と関係はないだろう」

「元は私の体なのだから出来ないわけではないだろう?君は屍人だが、此処に存在することで以前よりも明確に五感も呼吸の仕方も性欲も思い出した筈だ」

「っせ…!?」

やれやれと溜め息を吐くイドルフリートとは反対に、メルヒェンは虚を衝かれ固まって動かなくなった。そういう手の話には全く慣れていない。この場に居ないエリーゼには恋情とは少し違う感情を抱いていた上に、其処に性欲は微塵も存在していない。慣れる環境になど居なかったのだ。目に見えて動揺したメルヒェンにイドルフリートは訝しげに目を細めた。

「…もしや君、未だ童」

「あの、イドルフリートさん」

二人の間を流れる空気を理解出来ずに、きょとんと不思議そうに首を傾げながらエリーザベトはイドに声を掛ける。

「私たち、夜は上手くいってますよ。夜遅くまでトランプ遊びしたり、お互い知らなかった過去を話し合ったりして、時間が過ぎるのを忘れてしまうもの」

「………あー」

流石聖女。イドの言葉の意味を一ミリも理解していない。イドは引きつった笑みを浮かべながら彼女から視線を逸らした。なるほど、と頬杖を付きながら苦笑する。彼はその一言でメルヒェンとエリーザベトの関係を見抜いた。彼女がこの調子だから、メルヒェンも手を出すに出せないのだろう。一体彼女の兄(父)は彼女にどんな教育をしているのやら。箱入り娘にも程がある。たとえ具体的に何をするかは分からなくとも、想い人が夜を過ごすことには格別な意味があるのだと、そのくらいなら察しても良い筈なのだが。
しかしそう思いつつ、イドにはヘタレな彼氏の代わりにエリーザベトに恋人同士の夜の過ごし方について説明する気は全く無かった。離れていた分、せいぜいたっぷり悩めばいい。何せ今度は時間がたくさんあるのだから。
些か親の様な心持ちで二人の恋人を見守っているイドは、余計な詮索はするものの余計な口出しはしない。それは有難いことか否か。メルヒェンは気を取り直すように本をぎゅっと握り締め、イドの横にあるテーブルに重ねて乗せた。

「とりあえず僕の部屋にある童話集はこれが全部だから、暇な時に読めば良い」

「ああ悪いね。わざわざ」

「そう思っているなら部屋に押し掛けてまるで自分の物のように僕の椅子を占領するのをやめてくれないか」

「何を宣う。私と君の仲じゃないか」

「君こそ何を言っているんだ」

私室を我が物顔で使わせてやる仲になった覚えはない。眉をしかめてイドを見据えるが、彼はこれ以上取り合う気は無いのか早速本の頁を捲って中を確認し始めた。メルヒェンは仕方なくイドから視線を外し、先程から熱心に本棚の整理に勤しむエリーザベトの手を取った。

「エリーザベト、もう遅いから今日はお休み。明日また手伝ってくれないかな」

「あら…あともう少しなのよ?」

「…有難いけど、さっきから君の瞼が開いたり閉じたり忙しないよ」

「お兄様が此処に居たらとっくに怒られている時間帯だものね」

ふふ、と悪戯っ子のように笑う彼女はあの日とあまり変わらない。親に内緒で外に出掛けた子供の頃も、彼女は唇を緩め目を細めて笑っていた。メルヒェンは些細な会話から蘇る懐かしい思い出に浸りながらも、流されてはいけないと身を引き締めて彼女を扉の外へ促した。しかし背中に手を添えたところでエリーザベトは突然「思い出したわ!」と声を上げてメルヒェンを振り返る。

「ねぇメル。私、あの日から少し変わったと思わない?」

「変わった?」

唐突の疑問にメルヒェンは首を傾げる。それは精神的な意味だろうか、それとも肉体的な意味だろうか。あの日とは彼女が磔から解かれ、屍人となったメルヒェンと再会した日を指すのだろう。しかし容姿を見る限り、目立った変化は見られない。今の彼女はあの日と同じ髪型であり、同じ白い服装をしている。

「うん、一度死んだ筈の体なのに変わっているのよ。私、それが嬉しいの。だって、エリーゼに無くて私にある唯一のものなんだもの。最近メルったらエリーゼばかり構っているから嫉妬しちゃうわ。多分彼女もそう思っているかもしれないけど……ふわあ」

「その…エリーザベト」

「ああ、ごめんなさい。喋りすぎちゃった。今日はもう寝るわ。ぐーてんなはと、メル、イドさん」

「…Gute Nacht、エリーザベト」

「Gute Nacht、エリーザベト嬢」

欠伸をしながらぺこりと律儀にお辞儀するエリーザベトに、メルヒェンは曖昧に、イドは本から顔を上げてそれぞれ挨拶する。一度エリーザベトがメルヒェンの方を向いて何か言いたげに顔を見上げていたが、彼がその意図が分からず首を傾げると直ぐに「なんでもないわ」と微笑んで部屋を出ていった。ゆっくりと遠ざかっていく足音をメルヒェンは難しげな顔をして見送る。そんな二人のやり取りを傍観していたイドは、やれやれと肩を竦めた。

「…低能め。今の彼女の仕草はおやすみのキスをしてほしいとねだっていたのだよ。そのくらい察したまえ」

「…ちょっとした仕草を全て君みたいな男に都合よく解釈される女性も大変だね」

「おや?信じてないな。これだから童」

「兎に角、エリーザベトが居なくなったのだから貴方も早く出ていきたまえ」

メルヒェンは椅子まで歩いていくと顔を上げたイドに扉の方向を示す。イドはそれに大げさに溜め息を吐き、先程渡された本を抱えて立ち上がった。出ていくのかと思いきや、くるりと半回転してメルヒェンに向き合う。

「しかしメルヒェン。君は折角恋人が出来たというのに寝床を共にしないのかい?」

「どちらかの部屋に一晩泊まることのが多いよ。だけど今日は君が居るし、彼女も眠そうだったからね」

「で、物語などを少々?」

「…ああもう、喧しいよイド」

何時までその話を引き摺るつもりだろう。イドの哀れみにも似た眼差しに、嫌気が差したメルヒェンはぶっきらぼうに応える。イドの指摘が図星でない訳ではない。むしろ図星であるからこそ、深入りして欲しくなかったのだ。メルヒェン自身生者としての生き方が出来るようになった今、エリーザベトとの距離がもっと縮まることを望んではいる。しかし彼女に無理を強いるくらいならこの距離でも十分満足であり、幸せだと胸を張って言えるのもまた事実だ。尚探ろうとするイドに対しメルヒェンはそっぽを向いてしまう。エリーザベトの件に関してはやけに頑なな彼の態度に、イドは意地悪く問い掛けた。

「そういえば先程のエリーザベト嬢の発言だが…一体彼女の何がどう変化したのか、気にならないのかな。知りたくはないかね、メルヒェン?」

「…………」

その言葉にメルヒェンは表情を固くする。そういえば先程彼女はそんなことを言っていた。あの様子だと明日また同じ質問を問い掛けられるだろう。その時に当然のように答えられる自信は正直なところ自分には、ない。
にやにやと含み笑いをするイドの手の中の書物を全て彼の足に投げつけてやりたかったが、一時の屈辱よりもエリーザベトに対する愛情の方が秤が重かった。何より彼女のことについて自分よりイドの方が詳しいという状況が一番納得できない。メルヒェンはぐっと眉を寄せ、腕を組ながら椅子に目をやる。

「…座りたまえ」

「よかろう、話してやろうじゃないか。だが椅子は遠慮するよ。長話する程の話題でもなし、眠る前に娘に本を読み聞かせる約束だからね」

「…ああ、だから童話集を」

突然部屋に押し掛けては子供向けの本を要求するイドを不審に思っていたが、娘の為だったらしい。此処に来てメルヒェンがエリーザベトと無事会えた様に、イドもそれなりによくやっているようだ。なら早くその童話集を持って娘の部屋へ行きたまえと言いたくなるが、話を聞かなければならない手前ぐっと耐える。イドは椅子の横にある小さいテーブルに本を重ねて置くと、楽しそうに唇を歪ませた。よからぬことを考えている目だとメルヒェンは長年の付き合いから咄嗟に察してしまう。

「メル、これはチャンスだと思いたまえよ。彼女はおそらく君の気を引きたかったのだ。ああ、間違いない。明日の夜に話の続きをしたまえ。そのまま上手くいけば漸く君らは男女の関係になれる。彼女は聖女ではなく、女として君に接したいと思い始めたのだ」

「…頼むイド興奮しないで。そういう生々しい話は」

「何を宣う、君は彼女が好きなのだろう。ならば察してあげたまえよ」

「……何を」

「此処を」

イドはおもむろに自分の胸を囲むように両腕を動かす。その仕草を見てメルヒェンは顔がかっと熱くなったのを自覚した。

「な、っ違う!貴方はそれしか頭に無いのか!それにエリーザベトがわざわざ私にそんなことを主張してどうする!」

「一人称が戻ってるよ?まあ落ち着きたまえ。人形のエリーゼには無くてエリーザベト嬢にあるものといえばこれしかないだろう。確かに彼女のバストは屍姫の時から若干成長したな。大きさもさることながら、良いフォルムをしている。実に魅力的なおっ…こほん、素晴らしいポテンシャルだ」

勝手に自分の世界に入ったイドはメルヒェンの動揺には応えてくれない。特殊な性癖を持つことは自由だが他人の迷惑にならないところで一人でやってくれないだろうか。完全に頭の中を掻き乱されたメルヒェンは、生者のように身体中の血液が顔に集中しているような感覚を味わった。成る程、これが羞恥というものなのかもしれない。

「というわけでメルヒェン、明日の夜に二人きりになったところでこの話題を切り出すんだぞ。間違っても昼間話すな。真夜中、ベッドの上でだ。エリーゼは私が引き留めてやるからな、頑張りたまえよ!」

イドは呆然としているメルヒェンに見向きもしない。荷物を抱えながらそう言い放つと呑気に笑いながら部屋を出ていった。振り返り様にウインクを残していく機嫌の良さだ。メルヒェンは音を立てて閉まった目の前の扉を恨めしそうに見据えた。前言撤回、やはりイドは余計な詮索も口出しもしてくる。
だが彼にしてみれば後押ししたくなる程メルヒェンとエリーザベトの関係はむず痒いのだろう。幼い頃の好意が実り、ようやく晴れて両想いになれたのだ。同じように世の理不尽さに絡め取られ井戸に堕ちて死んだ身としては、せめて自分の代わりにメルヒェンには幸せになって欲しいのかもしれない。やたらと干渉してくるのも、イドがメルヒェンを何処か子供のように、弟のように想っている証拠だろう。そうして構ってくれるイドのことをメルヒェンは嫌いにはなれない。ありがた迷惑という言葉を彼の辞書に付け加えて欲しいのも確かだが。

さて、そう悶々と考えている間にも次の宵は訪れる。

結局イドの言うとおり朝エリーザベトに会っても曖昧に話題をかわしてきてしまったメルヒェンは、ダブルベッドの上で正座し思考を停止していた。何だかんだ言いつついつも通りエリーザベトとカードを並べてトランプ遊びをするのかと思いきや、彼女はいきなりメルヒェンに正面から抱きついてきたのだ。ぴしり、と身体が硬直する音がする。身体が死体に戻ったように動かない。彼女の豊満な胸がメルヒェンの肩辺りに押し当てられ、確かに大きくなっていると一瞬でも納得した自分の頬っ面をひっぱたきたくなった。

「…え、エリーザベト…?」

「ね、メル。昨日のことなんだけど」

「…うん」

「結局何が成長したか分かってくれた?」

「…………」

その訊き方は無いと思うんだエリーザベト。なんて言えるわけもなく、メルヒェンは無意味に視線を泳がした。早く言いたまえTNG!と脳内でイドがうるさい。だが言わないとエリーザベトが離れてくれそうになく、メルヒェンは途方に暮れた。首筋に触れる彼女の金髪がくすぐったくて何より胸の柔らかさに全神経が持っていかれる。メルヒェンが知っている胸の柔らかさは生前母テレーゼに抱かれた時くらいなのだ。普段から毎夜のように胸と戯れている変態航海士なら兎も角、自分には免疫が無いのだからこの状態は辛い。

「…その、エリーザベト」

「なに?」

顔を上げたエリーザベトの青い瞳が期待に揺れる。至近距離の美しさに言葉を詰まらせるが、メルヒェンは息を飲むとぐっと彼女の肩を掴んだ。

「……お、大きくなったね…?」

声が震えた。悪意も作為も知らないまま死んだ純粋な屍体メルヒェンが胸という単語を口にするのは至難の業であり、結局言えなかった。昨日の羞恥心とは比較にならないくらい顔に熱が集中する。顔が熱い。なんだこれ。この状況を生み出したイドには死体と土塊のミルフィーユを存分に味わって貰わないと気がすまないと沈黙の中で八つ当たりし始める。そんな痛い沈黙が流れるのも、エリーザベトが一言も言葉を紡がないからだ。不安になったメルヒェンがおそるおそる顔を上げた時、彼女の大きな瞳からぽろりと小さな雫が零れたのを目の当たりにしてしまった。それが涙だと気付きぎょっとする。

「…っわああ、エリーザベト!ごめん!そんなつもりじゃ…」

「ちがうの。メル、ちがうのよ。本当に当ててくれると思わなくて、嬉しくて…」

「え」

思わず間抜けな声が出た。なんと当たっていたらしい。メルヒェンは二度目の硬直を体験する。まさか本当に胸のことを言っていたとは思わないだろう。このあとどうすればいいんだ!とメルヒェンは心の中でイドに助けを求める。勿論、応えてくれる声は無かったが。
エリーザベトは嬉しくて流れた涙をそっと拭き、改めてメルヒェンを見上げた。そして何を思ったのか、おもむろにベッドから降りると裸足のまま床に足をつける。その不可解な行動にメルヒェンは首を傾げた。彼女は首だけメルヒェンの方を向けると、ちょいちょいと手招きする。

「…?」

意味がわからないが、促されるままメルヒェンもベッドから降りた。ブーツは反対側にあるため、同じく裸足で床に立つことになる。丁度エリーザベトと向かい合う位置だった。これでいいかい?と彼女を見下ろすと、嬉しそうに頷かれる。

「ほら、メル!どう?私少し大きくなっているのよ。メルとの身長の差が縮まっているわ。これだけならエリーゼにも負けないと……あら、メルどうしたの?」

「……い、いや、…なんでもないよ」

胸ではなく身長の話だったと知りメルヒェンは膝から盛大に崩れ落ちた。確かによくよく考えればエリーザベトが自分の胸の大きさに価値を置いているとは考えられない。むしろ邪魔とさえ思っていそうだ。それなのに自分はなんて悪魔に憑かれてしまったんだ。冷静に欠けていたとはいえ恥ずかしすぎる。
メルヒェンは心配するエリーザベトに応えながら何とか体勢を持ち直した。改めて見下ろしてみると、成る程目線の距離が短い。彼女の可愛らしい顔もすぐ近くに見える。より顔を合わせ易くなったと彼女は喜んでいたのだろう。メルヒェンはそう結論を導くと、エリーザベトの金髪を撫でてあげた。するとお返しという風にエリーザベトが背伸びをしてメルヒェンの頬に口付ける。

「実はね、おやすみの口付けも、しやすくなったなと思ったの」

顔を離す時に、彼女は真っ赤になりながらたどたどしくそう説明した。驚きのまま頬に手を当てたメルヒェンは、そこがじんわりと熱くなっていることを実感する。そして目を細めて微笑んだ。どうやらイドが言っていたことも、間違いだけではないらしい。昨日彼女はちゃんとおねだりしていたのだ。自分が疎くて気づいてあげられなかっただけで。

「じゃあ…Gute Nacht、僕のお姫様」

だから昨日の分も込めて、メルヒェンはエリーザベトの頬に唇を押し当てた。



――――

「あの雰囲気だとまだお赤飯には遠いようだね、仕方ない。さあ我々も寝ようじゃないかエリーゼ」

「ドウシテモソノ女ガ好キナノ、メルゥー…」

「諦めろとまでは言わないが、今夜は少し彼女に譲ってあげなさい。まだ二人とも互いの距離を計りかねているようだから、時間を与えてあげようじゃないか」

「アラ、一番焦レッタソウニシテイルノハ貴方ジャナイ、イド」

「ハハハハ、可笑しなことを言う人形は鼻が伸びるというよ」

「ソレヲ言ウナラ嘘ヲ吐イタ人形ヨ!ソレニネ、50万歩譲ッテエリーザベトトメルガ一緒ニ寝ルコトニ納得シテモ、」

「随分譲ったね」

「私ト貴方ガ一緒ニ寝ルノハ納得デキナイワ!汚レルジャナイ!」

「安心したまえエリーゼ。君みたいなナイアガラの滝のポテンシャルを持つフロイラインには一ミリも欲情することはない」

「流レテナイワヨ!私ダッテ貴方ノ腕ニ抱カレテ寝ルナンテ嫌ヨ!モウ!」

「まあまあ落ち着きたまえ。失恋したもの同士仲良くしよう。一晩くらいは傷を舐め合う時間を作ろうじゃないか。ああ、それがいい」

「…貴方失恋シタノ?モシカシテ、エリーザベトニ…」

「そういう風にしていた方が味がある」

「ハアアアアモウ…勝手ニ一人デヤッテナサイヨ馬鹿!」


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