(後天性にょた化イドさん)


やかましいカモメの声に起こされた。
陸の上にいるとこういう日が頻繁にある。海の上だとカモメどころか朝の見張りを言い付けた船員よりも早く起きることの方が圧倒的に多い。船を導き外敵から安全を確保するのは他でもない自分の仕事だと、頭ではなく体で覚えているのだろう。今は陸の上だが港にある宿に泊まっている為カモメの声は騒音公害並みにうるさい。海のど真ん中にいる方が静かなものなのだ。
陸にいるとやることが無くて困る。出港直前や帰港直後は船の不備確認やら食糧運搬やら軍備の確保やらで休む暇もないのに、暫く船を出す予定が無いと自然と航海士としての仕事も消え失せるのだ。せいぜい次の航路確認を上官と話し合う程度だ。将軍の付き合いでお偉いさんとの会談も強引に連れていかれることもあるが、それも一二回行けば相手も満足して解放してくれる。陸に居る事ほど楽なことはないが、私にとってはその時間が一番精神的に辛い。何かにひたすら向き合っていないと苦痛を感じる性格なのだろう。労働は人間の義務であり、また人を人と足らしめるものだ。
体が妙にだるいのは、そういった心の重さが影響したのかもしれない。時間を確かめる気になれなかったが、このまま二度寝する気にもならない。とりあえず朝飯くらいは食おうと毛布から這い出したとき、体の重さに違和感を感じた。その時私は、単純に寝起きから来るだるさだと思った。だがベッド下に置いてあるブーツに足を伸ばしたとき、ずるりと腰からズボンが落ちて裸足の指先を隠した。疑問に思いながらも端を引っ張り上げてブーツを履くと、これもまた大きくて踵辺りが存分に余った。とどめと言わんばかりにシャツが滑り落ちて肩が露出した。

――体が全体的に小さくなっている?

履けることの叶わなかったブーツから足を戻す。まるで自分のものではないような形をしていた。見覚えが無いというよりは、骨格や肉の付き方が違う生物のように丸くなっている。まるで赤子だ。いやな予感がして指先も見る。これも一回り小さくなっていて、剣を持つための右手は随分頼りなく見えた。その右手をそのまま胸元に移動させる。ぐにゃりと、触り覚えのある感触がした。しかしそれは確実に自分の体からは得ることが出来ない柔らかさだった。

「……女…?」

何が起こっているのか良く分からなかった。シャツのボタンを上4つほど外すと小さな膨らみが存在を主張していて思わず息を呑む。昨日までは何の変化も無かった筈なのに、無いものが有って有るものが無くなっている。別人になっているというより、別の生き物になった気分だ。シャツを開けっ放しにしながら固まった。この信じ難い出来事を素直に受け止めることはできそうになかった。しかし感覚は疑い無く現実のもので、夢のせいにするほどおめでたい思考回路は持ち合わせていない。兎に角状況を整理する為に机にある鏡を取ろうと裸足のまま床に足をつけると、運の悪いことに目の前の扉が開いた。

「イドさんそろそろ起きてください。将軍が貴方を食事に付き合わせろってうるさ…え?」

「…っ」

外から入ってきた男はベルナールだった。口を固く閉ざして此方を見つめる彼に、私も倣って動きを止めてしまう。同時にシャツの留め具を開けっ放しだったことに気付いて慌ててシーツを手繰り寄せた。言葉の途中で口を閉ざしたということは、胸元は確実に見られただろう。彼は「…女?」と呟いた後に、部屋中をぐるりと見渡した。

「…居ないか。本当困った方だな」

「そういう後始末を私にさせないでくれ」と次いで口にしたので、おそらく彼は私のことを『イドルフリートが昨晩部屋に呼んだ女』と認識したのだろう。さすがに唐突に性転換したこの体を同一人物のものだと気付くことは聡い彼でも出来なかったらしい。何を口にすれば良いのか分からなかったが、彼の中で私がイドルフリートで無いならばそう振る舞うまでだと思った。

「イドなら朝食を食べるからと港町に出て行きましたよ」

「は?あ…ああ、わざわざありがとう」

自分で自分を語るのも妙なものだと思いながらベルナールに話し掛ける。声が女性のもので驚いて少し震えた。この様子だと将軍の元へは行けそうもない。女のまま彼の前には出たくない。

「それより、何でも良いので適当に服をくれませんか」

そう頼むと、ベルナールは何を想像したのか少し眉をよせた。「私」が女の服を隠したとでも思っているのだろうか。だが彼は元から分別は分かる人間だ。好奇心に誘われて深く尋ねることもなく、暫く考えた後に「待っていなさい」と短く答えて扉を閉めた。


さて、どうしよう。
どうするべきか。
私はベッドに再度寝転がって目を閉じた。また眠れば戻るかもしれないという淡い願望を抱いたが、不安に苛まれて眠れそうもない。服が届くまで部屋を出ることもできず、机の上の鏡を取って容姿の確認だけすることにした。金髪の女がいた。

「誰だこれは」

自分で問い掛けていた。知らない生き物が其処には居た。身体中何処を触っても気持ちの悪い違和感しか残らず吐き気がした。本来この感触は気持ち良いものとして認識しているのに、自分のものだというだけでどうしてこんなにも不快感が襲ってくるのだろう。床に立てば視界の高さから違う。男としての自分が根刮ぎ奪われていて、欲しくもないものが与えられていた。この様子だと中に子宮もあるのだろうか。想像して笑った。股から血が出て子供も生めるのだろうか、この体は。

放心したまま突っ立っていると、やがてベルナールが戻ってきた。何故か見知った女性が二人ほど付いてきていた。彼女たちは酒場でよく私に酌をしてくれる子だった。だが二人とも私を「私」だと認識しなかった。どうやらベルナールが、私が下着も付けていないと知って服を与えるだけではなくわざわざ彼女たちも呼んだらしい。それが余計に私の自尊心を抉った。服も下着も当然のように女物で、脱がし方は知っていたが着方は知らなかったので二人に手伝って貰いながらなんとか着た。深緑の着物はドレスというよりワンピースのような軽いもので、腰辺りのリボンをきつく締められたこと以外は貴族が着ているふんだんにフリルが盛られているドレスより比較的動き易い服装だった。町中で花の売り子がしてそうな格好だ。女装した気分なのに鏡が映した姿は全く違和感がなくてそれが逆に腹立った。寝癖を放置していた髪を丁重にとかされて肩に髪を流すように結ばされた。こうした方が可愛いわよと言われたが、正直どうでもいい。また彼女たちもどういう解釈をしたのか知らないが、私を合間に挟んで「私」の話をし始めたので曖昧に頷くことしか出来なかった。何が楽しくて他人の装いをして自分を話題に女と語らなければならないのだろう。その時間がガリガリと私の精神力を削っていった。


あのまま部屋に居て知人と妙な空気を共有することは耐えられそうに無かったので、着せられた服装のまま外に出た。港町まで行き、気晴らしに食事でもしようかと思った。なのに頭を過るのはこれからの自分の身の振る舞い方だけで、ちっとも店を探す気になれない。靴は踵が少し高かった為に歩きずらかった。自然と歩く速度が遅くなるので歩きながら物事を考えるには丁度良かったかもしれない。
歩きながら考えた。
女に航海士が務まるだろうか。答えは否だ。務まる筈が無い。緊張感の持続しない船の中で何が一番大切なのかというと、上官の統率力だ。戦闘の前線に立つことは勿論、船の中での食糧不足や栄養失調、陸に立てない孤独感から乱れていく多くの人間たちを叱咤し勇気づけることも上官の仕事になる。女が先頭で指示したところで船員が従うとは到底思えない。下手をすれば男たちの体のいい玩具に成り下がるだろう。船員のことは信頼しているし気の良い奴らばかりだと思うが、さすがに今回のことまで全面的に信用することは出来ない。何より私自身が彼らに疑心を抱いてしまうだろう。つまり女である限り私は海には戻れない。

「結構…つらい結論だな」

そう口にして苦笑した。私から海を取ったら何が残るだろう。新しい人生を今から見出だす気力なんて無かった。今までの人生の積み重ねを全て奪い取られた気分だ。少年の頃から、海には様々な感情を抱いていた。その道で生きていくことしか考えたことが無かった。それが私という人間を型どっていたし、一種のアイデンティティーの確立でもあった。
男であった過去のことも否定されていると気付いたのはその後だ。先程咄嗟にベルナールに女の振る舞いをしたが、もしかしたらそれは永遠に続くかもしれない。男であったイドルフリートが女になったと知人に知られたりしたら、彼らはどんな反応をするだろうか。気味悪がられるか、悪魔の仕業だと思われるかどちらかだろう。最悪魔女だと認識される可能性がある。その噂が町中に広がれば、待つのは火炙りだのみだ。だから私はこのまま男に戻らなければ、女としての過去を造り上げこれからも女として生きていくしかないのだ。生きるためにはイドルフリートという男を抹消しなければならない。果たしてそこまでして生きる価値があるのか?

「…おい」

そこまで考えて、ぐいと腕を引かれた。反射的にその方向を見上げれば見知らぬ男が立っていた。その背後にも見覚えのない男が数人いて、此方を舐めるように見下ろしてくる。

「良い女だな。少し付き合わねえか?」

何を言われているのか理解出来なかったが侮辱されていることだけは理解した。何時から私は女になったのだろうか。過去も今も未来も私は私だというのに。何も変わってなどいないのに。苛立っても、捕まれた腕はぎりぎりと音を立てて痛みを増していき反抗する力は全く無かった。男の力というのを痛覚で知った。そのままずるずると人気のない路地裏に引き摺られて漸く自分の身に起こっている現状を把握する。把握した瞬間渇いた笑いが口から出てきた。男としての自分を侮辱された挙げ句、女としての辱しめをも今から受けることになるのだと知った。
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