(コルテスと井戸子)

空を見上げれば木の葉の間から辛うじて太陽が覗いていた。コルテスは馬に跨がりながら、ゆっくりと外へ出る道を進む。馬の蹄が草木や枝を踏む音と、風が森を揺らす音、目覚めたばかりの小鳥の鳴き声が重なって音楽を奏でている。それはコルテスにとっては真新しいものであった。海の奏でる波の音も耳に心地良いが、稀に陸に足を付けて耳を澄ましてみるのも悪くない。真夜中の森は狼や盗賊に襲われる可能性があるから歓迎出来ないが、朝の光を浴びた木々はコルテスを導いているようにも思えた。
木々の間を縫うように通り、道が開けたところで彼は馬から降りる。手綱を引きながら広い道を歩いた。この先を行けば漸く家がぽつぽつと見えてくる。馬を引き腰に剣を差した姿のコルテスを擦れ違った人間が興味深そうに眺めていたが、話しかけられることはなかった。

「お」

畑を通り、井戸の前を通ったところでぱたぱたと可愛い足音を鳴らして掛けてくる小さな影を見つける。コルテスは馬を止めて、その小さな影に笑いかけた。

「やあお嬢さん。迎えに来てくれたのか」

「こんにちはコルテスさん」

綺麗な金髪を三つ編みに揺った少女は、コルテスの前で足を止めると礼儀正しくお辞儀をした。愛想の良い笑顔が前に会ったときよりも女性らしくなった。汚れかけたドレスに身を包み緑色のリボンをつけたこの少女は、コルテスの仕事仲間であるイドルフリートが愛でている実娘だ。イドの家に寄るときは必ず娘にも挨拶している。その為かあまり頻繁には会えないのにすっかり顔を覚えられ、なつかれてしまった。実の父に嫉妬され家を追い出されたことが何回かある。

「大きくなったな。前に会った時よりもお父さんに似てきた。綺麗になったな」

「そうかな?嬉しい!」

無邪気に微笑む様子が華のようだ。あの女誑しには勿体無いくらい可愛く、元気な優しい少女に育ったものだと思う。前回会った時よりも髪が伸びたのか、父親とお揃いのリボンで結わえてある三つ編みはとても彼女に似合っていた。職業柄少女と会話する機会があまりないコルテスは、彼女の元気な様子を見ることが楽しみにもなっていた。

「さて、折角だから案内願いたいんだが。君のファーティは家に居るかい?」

イドには既に手紙で寄ると伝えてある。娘を寄越したということは、その意がきちんと伝わっているということだろう。少女と家まで散歩出来ることに喜びを抱きながらそう促す。しかし彼女はふるふると首を振り、コルテスの胴体に抱き付いた。

「…ん?」

「あのね、ファーティが『コルテスが見えたら絶対に追い返せ!』て私に言ったの。だから絶対通さないわ」

「は?…ええと、それは困るな…」

「絶対通さないわ!」

「………」

また何を言ったのだろうあの航海士は。
小さいのに決意は固いのか、胴体に抱きついている腕に力が入っていて簡単に剥がれそうに無かった。父親想いなのは素晴らしいが、きちんと訳を教えてほしい。

「お嬢さん、俺は君のお父さんと次の出港について話し合わなければならないんだが…その、離してもらえないだろうか?」

「ごめんなさい!」

謝られても!
こうなったら力付くで、と足を半歩前に出すと少女は引きずられまいと余計に力を込めてきた。

「無理矢理歩いたら、私は愚図だから盛っっっっ大に転ぶわ。見事なまでにすっ転んでみせるわ!通りすがりの人が思わず同情するくらい痛々しく膝を擦りむいたりしたら、コルテスさんも困るんじゃないかしら」

「…お嬢さん、性格までお父さんに似てきたな」

「ファーティがコルテスさんが無理矢理通ろうとしたらこう言いなさいって」

「………」

一度くらいあの航海士の顔面に蹴りを入れても良いだろうか。許される気がしてきた。うふふ、と可愛らしく笑うその表情があの男と瓜二つで何とも言い難い複雑な気持ちになる。確かに通りたいが、少女を傷付ける趣味は全くない。俺のそういう性格を知っているからイドはそう提案したのだろう。全く憎たらしい男だ。
打開策は無いかと空を仰いだとき、愛馬と目があった。同じように困惑したような目でこちらを見てくるので、これ以上此処で意味のない時間を過ごしても仕方ないと膝元の少女を抱き上げる。「あっ」と彼女は驚いて咄嗟に腕に抱きついてきた。

「コルテスさん狡いわ!」

「ごめんな。ところでお嬢さん、馬は見たことあるかな」

「あるよ。ファーティがたまに乗っているもの」

「乗せてもらったことは?」

「…ないわ!」

「じゃあ俺の馬に乗せてあげよう。家に行く代わりに散歩しようじゃないか」

「本当!?」

馬の鐙に足を乗せ、彼女を抱き締めたまま跨がる。視界が一気に広がったのが面白いのか、コルテスの膝元で少女は父親の約束事も忘れて楽しそうにはしゃいでいた。小さな女の子を乗せることができて馬も嬉しそうだ。コルテスは少女をきちんと抱えて手綱を握ると、馬をゆっくり前進させた。
少し遠回りになるけれど、いつもと違うルートでイドの家へ向かってしまおうと密かに決意した。




蹄の音が思ったより響いているのだろうか。コルテスの訪問を悟った家の主は慌てて扉から飛び出し、馬の前まで駆け出してきた。

「なんで君が此処に居るんだ!!」

「いや逆になんで娘使ってまで追い返そうとするんだよ」

「ファーティ、ただいま!」

突然の男の登場に驚いた馬を宥めながら少女を抱えて地面に降りる。彼女は先程までの意地を綺麗に忘れて父親に抱き付いていた。その頭を撫でてやりながら、イドは恨めしそうに此方を睨んでくる。コルテスはそのイドの顔が、ほんのりと赤くなっているのに気付いた。

「イド、顔赤いぞ。大丈夫か?」

「…っは!?平気だ!」

「大丈夫じゃないだろ。熱あるだろ確実に」

イドの腕を掴んで、もう片方の手を額に滑らせると結構熱かった。イドは咄嗟に後方へ逃げようとするが、コルテスは腕の力を強めてそれを制す。それに苛立ったのか彼は足を振り上げてコルテスに蹴りかかった。

「おい!暴れるな」

「うるさいこの低脳!さっさと帰っ、…ごほ、っ、けほ…っ」

「やっぱり熱あるんじゃないか。風邪か?」

「…っ」

コルテスが背中を叩いてやると、悔しそうに唇を噛みながらもイドは動かなくなった。相当辛いのだろう、触れても反抗する気力も無く寄り掛かってくる。熱を出した自分を見られたくなかったから追い返そうとしたのだろうか。コルテスは呻き声しか上げなくなったイドを抱えあげ、馬の上に乗せてやった。そして自分は手綱を引いて庭へと足を踏み入れる。その横を大人しく歩いていた少女は、コルテスを見上げてこっそり耳打ちした。

「ねえ、コルテスさんの国より、此処のが寒いんでしょう?」

「…ああ。そうだね」

少女の質問にコルテスは頷く。スペインとドイツでは気候も違えば吹いてくる風も違う。比較的南の地域で生まれたコルテスにとっては北に位置する国の気候は些か厳しいものがあった。

「昨日ファーティと魚釣りしたの。だけど釣った魚が大きくて、ファーティ河に落ちちゃったのよ。もうすぐ冬が来るからこの辺りの水は氷のように冷たいわ。だから風邪ひいたのかも」

「何故釣りを?」

「コルテスさんが来るからよ?」

当たり前のように答える少女に、コルテスはそうかと曖昧に返事をしたが内心驚いていた。あのひねくれ航海士が自分の為に何かを振る舞うというまともな思考回路をしていたとは微塵も思わなかったからだ。同時に、風邪よりもその事実を知られたくなかったのかと妙に納得した。
馬の上でぐったりとしているイドの後ろに跨がって、膝の上に少女を乗せてやる。馬を繋げる太い木を探すまでの短い時間だが、少女は余程三人で馬に乗れたことが嬉しいのか歌うように声を張り上げた。


「キッケリキー!うちの、コルテス将軍様のお帰りだよぅ」


彼女のその言葉に、コルテスは声を上げて笑った。

「はは、これは気持ち良い歓迎だ」

「だ、か、ら、歓迎してない!!帰れ!!」

涙目になっている病人が目の前で喚いているが、コルテスは気にせずに少女の歓迎を気分よく受け入れた。


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