(モブが出張ります。暴力描写注意。史実とは一切関係ありません。
イドさんが活躍するお話)



船長は苛々した心地で部下に命じる。

「追え!早く捕まえろ!」

飛ぶように船上を掛ける男の長い金髪が弧を描く。狩られる側の動物のくせに、長い尻尾で辺りを攪乱して逃げ続ける様が苛立ちを増長させた。周りは海で逃げられないというのに、終わる気配の無い鬼ごっこは一時間を疾うに過ぎていた

彼らは私掠船の船員であった。水平線の向こう側へ消えていく隣国の船の華々しく持ち得る利益があまりにも膨大で有りすぎた故に、妬んだ王が犯罪者と呼ばれる集団に権威を与え合法的に作った海賊船である。襲う船が限定されること以外は普通の海賊と代わりは無い。自国に逮捕されることが無いという点で利用する価値があった。私掠船を名乗ることは国の為に活動するということでもあるが、彼らはその名目の下で自国の貿易船も幾度か拿捕していた。船長以外の船員は陸から追い出された荒くれ者ばかりの集団であったから忠誠心など元より無いに等しい。海の上の出来事であるので違反者を捕らえ難い状況であるのが実情である。それでも纏まり始めた国の下、海賊が動き難いのには変わり無かったが。
先日彼らは大量の品物を運んでいた貿易船に目をつけ、その利益を丸ごと掌握した。だがその船は自国の特許状を持つ程の貿易船であったらしい。これが国に伝わったら、直ぐ様免許証を剥奪され処刑台に消えるだろう。襲った直後にこのことに気付いた彼らは貿易船の商品を一つ残らず自分たちの船に乗せ、乗員全員を海の底に沈め船を燃やした。本来私掠船は敵船を拿捕しても捕虜になったものは自分の船に乗せることで生かすことが多かったが、そんな甘いことは言っていられない。その場を通ったスペイン人の船に罪を擦り付けて逃亡することに成功した。その船は新大陸からの黄金を大量に乗せていて、偶然彼らが前々から狙っていた船だった。

その後、偶然とは思えない出来事が起こる。
船長が持っていた羊皮紙が何者かによって盗まれたのだ。ただの紙なら慌てることもないが、それは国から直々に頂いた免許証だった。これ無くして私掠船とは呼ばれない。彼らはただの海賊船と成り果てた。免許証を持たない海賊船が貿易船と絡んでいて略奪行為が始まらない方がおかしく、敵国の船に罪を擦り付けたとはいえこのままでは処刑される心配はないと断言できなくなる。彼らは臆病者であり慎重深かった。これらのことを偶然と呼ぶことが出来なかった。
船の中での出来事なので船員の中に裏切り者が居たことになる。だが自分の立つ地面を自ら沈めるような行為を、この臆病者な船員たちが出来る筈がない。
船長はそこで、先日の貿易船から奪った品物を思い出した。大量に運ばれた金や商品の中に、人間の男が入っていたのだ。縄で手足を縛られ猿轡を噛まされたまま箱に放り投げられていたものだから、貿易船が異国から買い取った品物のひとつだと思っていた。男は奴隷にしては小綺麗な容姿をしていたので陸に着いたらそのような趣味のある変態にでも高く売ってやろうと軽く考えていたが。――もしや奴隷の演出はフェイクで、あの男が免許証を奪ったのではないだろうか。先日の貿易船の船員がこの船に侵入し、復讐するための策だったのでは。
船長は頭が働く人間だった。ただし気付くのが遅かった。部下に命令し再度箱の様子を見に行かせれば、其処は藻抜けの空。

疑心は確信に、そして真実に変わった。



「お前ら追え!殺すんじゃねえぞ、生きたまま捕らえろ!」

纏まりない船員たちを嘲笑うかのように、金髪の男は軽々と船の首から尾までを駆け抜ける。箱の中で大人しく此方を見据えていた人間とは別人のようだ。やはりあれは演技だったのだろう。細々と散る仲間が邪魔で発砲も出来ず、皆頼りなく剣や縄や網を振り回しながらドタバタと荒く足音を立てている。モップを振り回している間抜けも居た。
相手は手練れだった。甲板を駆け上がり、階段を飛ぶように上がり、漸く追い付いた追手が捕まえようと突進してくるとその背を蹴って下へ蝶のように飛び降りる。見張り台までの梯子を登ったと思ったら、気紛れにマストを片手に宙を舞った。猫のように体制を整えて難なく追手の顔面の上に着地する。縦横無尽に走り、足場の危うい板の上も軽々と渡ってしまう。もはや体の何処で重心を支えているのか分からなかった。船員と男の運動神経の差は歴然としていた。追手たちは顔を上向きにしたまま、男が太陽を背にした時に映る影をなんとか追っているだけだ。長い鬼ごっこに皆疲れはて、足を叱咤しながら覚束無い足取りで追い掛ける。男はそれを見下ろして笑っていた。

「馬鹿にしやがって…!」

船長は手元にあった銃を男に向けた。殺すな、と部下には命じていたが此処まで虚仮にされては黙っていられない。それに男は駆ける足を止めて、すぅとこちらを見据えてきた。彼の腰にある剣が此処で漸く姿を見せる。太陽の光を受けて輝くそれはダガーだった。距離は然程無いが、この長さなら断然銃の方が有利だ。撃たれることを危惧した部下たちは足を止め、二人の様子をじっと眺めていた。

追手が息を荒くして疲れはてるまでの長い間、男は船上を駆け回ってはいたものの海に逃げることは決してしなかった。いや出来ないだろう。海に入った瞬間に撃ち落とす準備は出来ている。男の方が余裕に見えるが彼の足場が私掠船である以上それは時間の問題だ。おそらく免許証を奪ったことを気付かれる前に小舟を使って逃げるつもりだったのだ。運は此方にあった。

暫くにらみあったあと、男が動き出す。標的が此方に向かって駆け出してくるのを追い掛けて発砲する。それは男の髪を数本飛ばすだけで、彼は怯むことなく短剣を握り締めて船長の懐に入った。此処までくると銃は使えない。船長は同じく剣を腰から引き抜いてダガーを受け止めるが、直ぐ横から空気の圧力が掛かるのを察して後方に避けた。反射的に目の前を見れば、男が長い片足を振り上げているのが分かる。蹴技を使うような顔には見えないが、どうやら接近戦の方が向いている質らしい。船長が体制を整える前に男は体の重心を前にずらし、首筋を狙って一気にダガーを降り下ろしてくる。獲物を見据える瞳が碧く輝いた。

――ゴッ

直後、鈍い音が響く。

「漸く捕まえた」

華やかな金髪に映える鮮血が宙を舞う。音は男の後頭部から響き、衝撃に逆らうことなく彼はダガーを地面に落とす。背後に潜んでいた船員の一人が、男の意識が眼前にしか向いていない隙に彼の後頭部を剣の持ち手の部分で殴ったのだ。しかし男の方もまだ暴れる体力は残っていたのだろう。男の首根っこを捕まえ、逃れられないよう二人がかりで手を抑えながら縄を手に取ると、彼はブーツで左の船員の足を思い切り踏みつけた。

「ってえ!」

「大人しくしろ!!」

左の拘束が緩み、男は船員を振り払うと地面に落ちているダガーを拾い上げた。それを右側の腹目掛けて突き刺そうとする。しかし焦りもあったのだろう、今度は前方が甘かった。とっくに体制を整えた船長が男の長い金髪を掴み、無理矢理顔を持ち上げる。

「、がッ」

首に力強く手刀を食らわせると、漸く男は地面に伏して動かなくなった。


細い体の割に筋肉はがっしりと付いている。船の上に居る人間なのは間違いない。奴隷はこんな筋肉の付き方はしない。
男を柱を背に座らせ、首を縄で括って繋げた。同じく片手だけ縄で吊り上げる。胴を柱と一緒に縛り上げて身動きを封じた。コートは剥いだ。中にあった銃やダガーも床に乱雑に投げ捨てられている。彼の頭から流れた血が床に染みを作っていた。彼の周りを船長含めた数十人が舐めるように囲む。気絶した男の顎下をブーツで持ち上げると、閉じていた瞼がゆっくりと開いて中から碧色が覗いた。鋭い眼光は、海と同じ色だった。

「やっと起きたか」

「…――、っ―……」

「あ?なんて言ってんのかわかんねーよ」

薄く開いた唇から力強い言語が響いた。異国語のようだ。容姿からして同じ人種とは思えなかったが、言葉まで通じないとなると面倒臭い。

「あの貿易船の船員が奴隷の真似事をして潜り込んできたと思っていたが、見た所其処の人間でもないだろう、お前」

「………お前らフランス人か」

「ああ良かった、通じるじゃねえか。そうだとも。あの貿易船もフランスの船だ」

「ふん、知っているよ。私掠船の分際で味方の船を沈めるなんて、大した海賊じゃないか」

男は鼻を鳴らして船長を睨み付ける。その眼光に部下たちは怯んだが、彼は顔に笑みを浮かべたまま男の髪に手を伸ばした。

「そういうお前は帝国の人間か」

「………」

「金髪で肌が異様に白いしな。な、当たりだろ?ご褒美に名前を教えてくれよ」

「…イドルフリート・エーレンベルク」

「エーレンベルク…貴族か?貿易船に奴隷の振りして潜り込むなんて最近の貴族は良い趣味してんだなあ。なあイドルさんよ、誰の指図だ」

「………」

「最近の貴族は拷問されるのも趣味なのか?」


ガンッ


先程よりも重く鈍い音が響いた。船長が足を振り上げ、イドの頭をそのまま柱に叩き付けたのだ。ブーツの底の汚れが金髪に付き、塞がっていない傷口からぽたぽたと鮮血が垂れて彼のシャツを赤く汚した。

「っう…」

「免許証は何処だ」

「………」

「何処だっつってんだろ」

今度は頬に蹴りが入る。イドは口を開こうとはしなかった。舌を噛んだのか、唇の先からも赤く血が滲む。蹴り足りないのか、船長は咳き込むイドの腹に足を乗せてぎりぎりと柱に押し付けながら笑った。

「あ゙…っ、ぐぅ」

「おいおい早く言ってくれよイドルフリートさん。愉しくなっちまうだろ」

「っは、あ、…」

「免許証は何処にあるんだよ。隠したんだろ?」

「っ知ら…ない」

「ッチ」

頑ななイドの態度に苛立ちが増したのか船長は顔面に思い切り蹴りを食らわせる。衝撃に身体が斜めに傾くが、縛られている為に倒れることはできない。止めと言わんばかりに肩も蹴りあげた。骨までイってもおかしくないくらいの強さだ。何度もイドの身体を痛め付けるブーツの先が血でにじみ始める。か細く呼吸をしたまま項垂れてしまったイドの様子を見て、船長は部下から海水を受けとるとそのまま彼にぶっかけた。

「気絶すんなよ」

そしてしゃがみこみ、イドの所有物であった短剣を手に取ると彼の首に押し当てる。

「何も喋んないってことは、こいつらにマワされる覚悟くらいはしてんだよな?それとも鮫の餌になりてえか?答えろよ、殴るの飽きちまったんだから」

「………」

「………おいお前ら、こいつの身体抑えてろ」

呼吸だけ繰り返すイドに船長は再度舌打ちすると、部下にそう命じる。縛られている身体をさらに二人の部下が上から押さえ付けた。船長はダガーを片手に、イドの自由にしてある右手を取ると指と爪の間に割り込むように滑らせた。促すようにイドを見上げるが、彼は答えない。船長はそれに口元を歪ませ、ダガーを持つ手に力を入れた。

「―――っぁ…、っ!!!」

びくんとイドの身体が跳ねた。唇を食い縛り声を圧し殺したが、脂汗が浮かんでいるので相当痛いのだろう。爪だったものが血と共にぽろりと地面に落ちる。その上にイドの生理的な涙が数滴落ちた。押さえ付けられた身体がふるふると小刻みに震えている。

「…言う気は?」

「……っ…、…」

ふるふるとイドはかぶりを振る。獣のように唇の端から声を漏らすだけだ。それに船長は次の指と爪の間にダガーを入れて、また力強く剥いだ。押さえ込まれた声から僅かにあえぎ声が聞こえてくる。悲鳴のように聞こえた。

「ったく、いい加減吐けよな。何をそんなに意地になってんだよ。やっぱ尻犯した方が効果あんのか?」

「船長、そろそろ霧出てきましたよ」

「あー、面倒くせえな」

イドへの拷問で気付かなかったが、周りに霧が立ち込めて来ていた。前が見えなくなる程濃くはないが、それも時間の問題だろう。岩にぶつかりでもしたら免許証どころではない。
船長はダガーを捨ててゆっくり立ち上がると、散らばった爪を煩わしそうに払った。そしてイドを一瞥する。

「イドさんよ、お前もしかしてスペインの船乗ってるのか」

「………」

その言葉にイドの頭が僅かに上がる。反応は肯定だ。

「俺ら私掠船の人間が狙ってんのはスペインの黄金だ。お前俺らに拿捕された船の生き残りか何かか?」

「…は、よく分かったな」

「ああ、もうそれしか答え出ねえよ。だが、何でそんな奴がフランスの貿易船に箱詰めされて居たんだ。本当に奴隷にされていたのか?」

「………」

「……おい」

「…仕方ないな、其処まで知っているなら良いよ。教えてやる」

イドはそこで初めて答えた。今までの拷問が何なのかと思うほどあっさりとした返答だった。思わぬ返事に驚いたが、彼らの目的は元より情報だ。焦らされるより早く吐かせて鮫の餌にしてやった方が余程良い。漸く口を開くのかと皆が期待した瞬間、イドはくく、と押し殺せていない笑い声を唇から漏らし肩を震わせ始めた。

「……?」

船員たちはイドを纏う空気が一変したことに顔を見合せ首をかしげる。イドはやがて声を殺すことが馬鹿馬鹿しくなったのか、盛大に笑い出した。狂ったように笑い続けるイドに船長は目を剥いた。
――この状況で何故笑っていられる?
船長と部下は訝しげにイドを見る。その理由は直ぐに分かった。彼は一頻り笑ったあと、ゆっくりと立ち上がったのだ。はらりと胴に巻き付いていた縄が地面に落ちる。

「っな!?手前!」

そして右の袖口に隠してあったダガーで左の縄と、首の縄を切った。こきりと首を鳴らして、改めて動揺している船長を見据える。船長は部下を武装させると剣を構えた。

「な、何をした!?」

「身体の限界まで刃物を仕込んでいたんだよ。例えば太股とか、脇とか。コートに仕込んだのはフェイクだよ。流石に気付かなかったようだな」

「…ってことは手前、初めから…っ」

「さて、答えだったかな」

船員の声を遮ってイドは呑気に言葉を紡ぐ。彼は頭から流れている血を何でもなさそうに手のひらで拭い、シャツが汚れるのも構わず拭き取った。痛め付けた筈の身体が何の違和感もなく動く。イドは先程までの弱々しさが嘘のように流暢にフランス語で話はじめた。

「何故フランスの貿易船に私が居たのかというと、まあ一言で言えば組んでいたからだな。ああ、誤解の無いように言うと此方から一方的にだ。『黄金の代わりに品物を分けてくれ』と頼めば敵国同士と言えども交渉は成立するらしい。黄金様々だな。私はその時に彼らの船に移ったことにしておこう」

「………」

「理由はそうだな。ある私掠船が黄金目当てに私たちの船の周りを彷徨いていい加減煩わしいと思ったからだな。黄金の匂いを嗅ぎ付けて君らはまんまと自国の貿易船を沈めた。ああ、安心したまえ。君らが沈めた船員たちは出来るだけ我がスペイン船が救出し、責任を持って国に届けたからな。そろそろ国からお礼に何隻か来るんじゃないか?」

「――貴様ッ」

「答えろと言ったのはそちらだろう?免許証は手元に持っていたが、逃げている間に海に落としてしまった。君らが物凄い形相で追ってくるから怖くて思わずな」

剣を片手に睨み付けてくる部下たちの視線を受けながらもイドは怯まない。彼らが無闇に動けないことを知っているからだ。手元にあるダガーをくるくると器用に回し、足元にあるコートを足で拾い上げると肩に担いだ。彼は空を仰ぎ、楽しそうに口元を歪ませた。

「霧が濃いな」

「………話は、それで終わりか」

「いや?ほら、船乗りにとって霧ほど嫌なものは無いだろう。こんな時に敵に襲われたりしたら、ろくに戦えないと思わないかい?」

イドの言葉にようやく彼らはその意味に気づく。霧の深さはイドと船員たちの間にも立ち込め始めた。同時に、遠くから波の音が聞こえ始める。不穏な空気は、左右にも、前後からも流れてくる。まさに四面楚歌だ。彼らは頭が良かったが、気づくのが遅すぎた。

「最後に、私がこの船に運ばれ、大人しく捕まったのは、霧と共に仲間が来る時間稼ぎの為だよ」

航海士は天気を読むのがお仕事だからな、とイドは微笑む。

「Au revoir」

その刹那、船首の方から豪快な破壊音が鳴り響いた。





フランス軍四方から攻撃を加えられ、不意をつかれた私掠船はあっさりと拿捕される。中に居たスペイン船の兵士は仲間によって助けられた。
それから数時間経つと霧が大分晴れ始めてきて、様子を見ながらスペイン船も漸く動き始める。その間、船室の中では悲鳴が木霊していた。

「あああアアア!!!あっ、も、コルテス!その手を下ろせ!!っっ、うあっ、あ、痛いっいたいいたい!!!」

「うるせええええ!!イドルフリート手前治療くらい黙って受けられねえのか!!」

「だったらもっとその乱雑な手つきをどうにかしたまえ!!痛いものは痛い!!!」

「仕方ないだろ船医は他の怪我人に付きっきりなんだよ。むしろわざわざ忙しい時間を裂いて付き合ってやっているんだから有り難く思え」

先程声を押し殺して痛みを耐えていた人間とは思えない程の絶叫振りだ。コルテスは下着一枚の格好で治療を拒絶するイドの身体にのし掛かり、擦り傷だらけの体を一ヶ所ずつ水洗いし塗り薬を無理矢理塗りたくっていた。少し触れるだけでも首をぶんぶんと振って泣き言をほざく人間が30手前だとは信じられない。

「お前なあ…そんなに辛いなら無理に向こうに乗り込まなくても良かったんだぞ。俺は反対してたからな」

「は、この船にフランス語喋れる奴が私以外に居たと?あれが一番犠牲も少なくて済んだし、免許証も直接破ってやれたし、本来なら私も捕まる予定は無かった」

「…結局捕まってんじゃないか」

「油断しただけだ」

「油断で命落とされちゃたまんねえよ…」

強がってはいるが、イドが気力だけで立っていることは分かっていた。戦闘開始の砲弾が敵船の船首に撃ち込まれ、コルテスが船を渡ってイドを回収しに来たとき彼は霧のなかで笑っていたけれども、体重を支える膝が限界を越えて震えていた。引き摺るように船室に連れ帰れば、そのままコルテスのベッドに倒れ込んで動かなくなった。放っておいたから化膿してしまうので直ぐに叩き起こしたが、寝かしてやりたいのが本音だ。泣きわめく元気が出てきただけ有り難いことかもしれない。

「なあイド、…無茶はすんな。頼む」

汚れてしまった金髪を掻き上げながらコルテスは小さく呟いた。イドはそれに溜め息をついて、彼の頬に手をあてる。

「約束は出来ない」

「…おい」

「私は君の目的の犠牲になる為の存在だからだ。将軍が死ねば全軍死ぬと思え。私は眼前の道を切り開く為ならよろこんで死にたい。一兵士の為にそんな悲しそうな顔をするな」

「イド、俺はお前を一兵士とは思っていない」

「嬉しいが、その言葉を口にしては駄目だ。分かるな?」

「分かりたくねえよ…」

イドらしからぬ諭すような口調に、コルテスはこれ以上何か口にしても言いくるめられるだけだと治療を再開した。傷をひとつひとつ丁寧に見ていく中、太股にも切り裂かれたような傷があるのを見つける。おそらく予備に仕込んでいたダガーだろう。用意周到に見せかけて自分が傷ついていたらただの間抜けだ。だが、イドは間抜けだと知っていてもダガーの準備は怠らなかっただろう。そういう人間だ。元から柵の少ない自由な男だから、何かの為に自分を犠牲にしても誰も哀しむことはないと思っている。そうではないといつになったら伝わるのだろうか。
爪が剥がれた痛々しい指先に包帯を巻いていく作業の中、先程までうるさかったイドが一言も喋っていないことに気付く。不審に思って見上げると、右手を此方に預けたまま眠っていた。閉じられた瞼は重く、寝息は深い。相当疲れたのだろう。こうなったら暫くは起きない。
コルテスは上下する裸の肩に毛布を被せてやった。シャツも着せてやりたかったが、汚れている上に体を起こしたらまた傷口が開きそうだったのでやめておいた。
彼は代わりに汗が滲む額を手の甲で拭ってやり、母親が子にするようにそこに口づける。少しでも自分が彼の柵になれたらと、そう願わずにはいられなかった。
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