現代パロ(二人とも大学生)

馬のいななきと人の悲鳴が混ざって良く分からない空間に俺は居た。花火が散る。赤い液体を地面が吸い込んでいた。空は雲一つ無い綺麗な夜空なのに、星が息を飲むほど艶やかに輝いているのに、世界は穏やかな地面の上に成り立っているのに、この状況一体なんなのだろう。地上の地獄絵図とは無縁な世界が、幼い頃に夢で見た不思議な絵本の世界の様だ。いっそ二つの眼球に映る全ての出来事が夢だったら救われるのに。アニメやドラマで良く見る他人事の世界にぼんやりと他人事のようにたたずんでいたのは紛れもなく自分自身の意識。俺は泥に塗れた顔を泥まみれの手で拭う。片付けがへたくそな子供の部屋に無惨に散った玩具か、乱雑に積まれた畳まれる前の洗濯物何かなのだろうか、命というものは。国籍や価値観や宗教や民族名が違うというだけの理由でこんなにも惨いことを出来るものなのか、人間って生きものは。まるで共食いじゃあないか。
でもそんなことは分かり切っていて、自分が惨めだなんて言われる迄もなく理解しているけれど、理屈じゃないんだ。みんな生きるのに必死なんだ。
さて指先は動くだろうか。俺は地面に転がっている剣を手にして目の前の兵士目がけて振り下ろした。しかし男の動きはとても素早く、俺の攻撃を簡単に躱してくる。ムカつく、どうしてさっさと殺されてくれないんだ。お前が死ねば俺はまた平和な土地で暮らしていけるのに。お前が死ねば幸せに戻れるのに。命は重いものだと小学生の頃に習ったけれど人一人に与えられる命の重さってどのくらいなのだろう。俺は何人目の前の兵士を殺せば此処から脱出出来るのだろう。なぁ、神様。
不意に脇腹に鋭い痛みが走った。遠くから放たれた矢が、鎧を貫いて肉に傷を付けた。火傷したときと同じ熱さと痛み。酷く痛くて藻掻きたかったけれど、まだ目の前に兵士が居たのだ。彼は運が良いことに(俺にとっては最悪だ)偶然倒れた俺の腹に足を置き、逃げられないようにとぎりぎり踏み付ける。なるほど、結局他人の平和の犠牲になったのは俺の方か。
綺麗な銀髪。空を見上げたときに目に入ったのは、俺を殺す人間の髪の色だった。彼の後ろには丸い銀色の月が光を放っていて、逆光で男の顔が良く見られない。光を反射した男は美しく、死に際だというのに俺の脳裏を駆け巡ったのは走馬灯ではなく、どこか冷たい月の光とそいつの纏う神秘的な色ばかりだった。俺は僅かな興奮に身を委ねながら素直に死を受け入れることにした。俺を殺したやつがその輝きを纏いながらこれからも生きていけるなら、この命も役に立つものなのかもしれないと剣の先端を見据えながら思考する。綺麗なものはたとえ散り際が一番綺麗でも長続きするものだ。だからほら、月は俺が生まれる前にもあったのに俺が死んだ後も輝き続けるんだ。

「なあ、月が綺麗だな」

ほほえんだ俺に、男は答えるように持っていた剣でぶすりと心臓を貫いた。




東京の夜空は星が輝かない。月だけがぽっかり寂しそうに浮いている。その代わりだとでも言うように、街灯や高級マンションのビルや車から絶えることの無い光を見ることが出来る。今や人類が自然を征服し勝利した時代なのだ。ちょっと二百年くらい遡れば、そんな発想さえも思い浮かばなかったのが日本という国の特徴だったのに。だが、そうは言っても自然に勝るネオンはなかなかに美しい。この光を見下ろしながら美味しい料理を味わいたいという恋人たちの気持ちもよく分かる。俺はそれでもたまに夜空を見上げる時、昔旅行した田舎の空に映る美しい星々を思い出し、懐かしく思わずには居られない。満天の星空。あれは本当にきれいなものだった。その中に浮かぶ月が一等に綺麗だった。

夢の中で見た銀色の月も田舎で夜見たときのような色をしていた。

「戦争、ねぇ…」

夢の断片を繋ぎ合わせて言葉にすると、イヴェールは眉間に皺を寄せて唸った。馬がたくさん転がっていて、こっちはボロボロの格好なのに向こうはピカピカの軍服を身に纏っていて、銃弾が忙しなかった。試行錯誤しつつ何とか伝えようとすると、やっとイヴェールは本から顔をあげて「最近の戦争じゃないな」と良く分からない考察に耽り始めた。いつの時代かどころか俺が夢の中で何人だったかも分からない、それに所詮俺の見る夢なのだから過去実在した戦争ではないだろう。なのに彼は放っておいたら妙な領域に足を突っ込みそうだったので、体を引っ張り上げるために他の話題に移ることにした。

「そういえばお前、何読んでるんだ」

「ツルゲーネフ」

「…………誰?」

「名前からして何人かくらいは分かるだろう」

いろんな国の大統領の名前を列挙すれば雰囲気で分かると思うよと彼は笑っていったが、自慢じゃないが俺は自分が生きている時代のアメリカの大統領くらいしか名前が上げられない。

「ドイツ」

「馬鹿、ロシアだ」

彼は深く溜息を吐いて、読んでいた本をベッドの横の小さなテーブルに置いた。何でそんな昔の有名な本を読み始めたんだ?と問えば、大学に居るうちに常識の範囲内は読みたいんだと当たり前のようにのたまったので、夏目漱石さえ教科書でしかお目にかかったことのない俺は頬を引きつらせる。彼はベッドから身体を起こしつつちらりと時計を確認する素振りを見せた。俺も今の時間を意識すると、もうすぐ日付を越える時間帯だった。テラスから部屋に戻って、寝ようとする彼の肩を掴んで引き止める。睡眠を妨害されて少し機嫌が悪そうだったので、話掛けずに独り言として口を開いた。

「戦争だからかな。夢の中で俺、相手に心臓ぶっさされて死んだんだ」

「……」

「でも、不思議と死にたくないって思わなかったんだよな。今死にたい?って聞かれたら全力で生きたいって答えるよ。そのくらいは生に固執してるつもりなんだけど、夢の俺はあっさり死んでいったなあ…抵抗くらいすりゃ良いのに」

他人事のように笑う。実際あれは他人事のような出来事だった。語っていくうちに段々と夢の内容を思い出していく。死に際、あっさりと死を受け入れた俺の身体に覆いかぶさっていたのは、銀色の髪をした綺麗な男だった。

「ああ…俺を殺したのはイヴェールだ」

「…なんか、反吐が出るな」

自分の名前が出てきたことにぴくりと反応し、イヴェールは布団を退かして身体を持ち上げる。話す気にはなったようだ。さらりと肩を流れる絹のような髪は夢の中のそれと間違いはない。そうかイヴェールが俺を殺したのかと物騒なことをひとりごちて、何となく自分が死んだ理由が分かった。俺はイヴェールになら殺されても良いと思ったのだ。あれが別の人間だと認識していたら必死にあがいて抵抗していたことは間違いないだろう。そう理解して多少胸がすっきりする。しかしそれは核心を突いた答えではない。
イヴェールに思ったことをそのまま話すと、彼は顔を赤くしたりうつむいたり溜息をついたりと色々忙しなく表情を変えていてちょっとおもしろかった。反吐が出ると言った割りにはそれなりに俺の話に興味があるらしい。

「…愛の話をしようか」

関係ねえし。イヴェールの言葉をぶったぎりたくなったが、彼が妙に真顔なので口にする勇気は無かった。真顔だが顔はまだほんのりと赤い。

「日本人ってさ、愛してるって伝えるときわざわざ遠回りして言おうとしない?真顔で相手に向かって愛してるなんてドラマでやられると陳腐すぎて吐き気がする。そのドラマの視聴率はあまり良くないと思う」

「主観入りまくりじゃねーか…」

「あのさ、なんていうか…告白って回りくどいからときめくんだよな。言葉にせず彼女の薬指に婚約指輪はめたりとか、毎日お味噌汁作ってほしいとか、あなたと見る景色は一段と綺麗だとか、モノクロの世界が薔薇色に変わったとか、とりあえずなんとかしてでも愛という言葉を使わないで相手に気持ちを伝えようとするんだよ日本人って。外国人は知らないけど」

「ああ、うん…。なんだよ、女ってそういう告白が良いのか?意識したことないけど」

「…ローランサンって無自覚たらしだよね。今ので分からないのかな」

は?と素っ頓狂な声を上げる俺を横目で見て、イヴェールは額に手を当てて唸った。これは彼が言いだしにくいことをなんとかして言葉にしようと試行錯誤してる仕草だ。長年一緒に居ると癖も分かるようになるんだなとぼんやり考える。イヴェールの顔は相変わらず赤かった。

「…だから、お前が俺に殺されると分かってあっさりと死んだって言われたときに、俺思わず告白されたと思ったんだってば…」

「はあああ?」

「ツルゲーネフなんて読むんじゃなかった。ああくそ」

イヴェールはらしくもなく吐き捨てると、自棄になったのか俺を真っ直ぐと見据える。反対に俺は良く分からない解釈に戸惑って、右往左往していた。なんだこれはどういう空気だ。そうだと肯定すれば良いのか、冗談言うなよと笑って誤魔化せば良いのか。どんな行動を起こせば良いのか分からないまま口元だけが不自然にひくひくと引きつる。彼は俺の反応にますます恥ずかしくなったのか、当然の流れだというように話を逸らした。

「愛といえば有名な話なんだけど、夏目漱石は『I LOVE YOU』を『月が綺麗ですね』と訳したそうだ。当時の日本にはさっき言ったとおり愛なんて概念はまだ受け入れてなかったし、こう言えば日本人には伝わると思ったんだろう」

「はあ?…突飛すぎるだろ。いきなり月が綺麗ですねなんて言われても、なんのことが…」

いや分かった。嫌だというくらい鮮明に理解した。俺は夢の最後イヴェールに向かって何といったんだ。死に際なのに彼の後ろで光を放つ月が神秘的で綺麗だとか色々聞いてもいない感想を頭の中で羅列しなかったか。

「それで二葉亭四迷は、ツルゲーネフの『片恋』の『I LOVE YOU』をこう訳したそうだよ、」

ええい、ままよ。
俺は真っ赤になった顔でイヴェールの恥ずかしい口を塞ぐべく彼に飛び込み、ベッドのスプリングを派手に響かせながら彼の両脇に膝を付いた。イヴェールの口を手で塞ぐときょとんとした顔で見上げてくる。無言を貫き通そうを目を逸らす俺に、彼はふにゃりと崩れそうな表情で笑った。

「ローランサンのその顔好き」

「うっさい」

恥ずかしいやつ。愛してると真顔では言えない日本人のことを嫌だというくらい理解した。まともに相手の顔さえ見られないのに、好きとか愛してるなんて一生通したって言えない。そんなこと口にした瞬間俺なら羞恥でそこのテラスから飛び降りるだろう。そのくらいには恥ずかしい。なるほど昔の人は的を得た訳をしたものだ。ニュアンスをしっかりと汲み取ってくれるじゃないか。不意に沸き上がった感情が、その短い言葉に込められている。

「……なあ」

「うん」

「あのさ」

俺は言おうか言わないか数秒迷ったが、イヴェールの銀色を髪に指を通して、口にしようと思った。

「…やっぱ月より、お前のが綺麗だった」

夢の話だけど。と付け加えたのは羞恥心から。それでもイヴェールは目元を細めて泣きそうな顔で笑うから、羞恥心より先に温かな感情が心臓に流れてきた。イヴェールに刺された心臓は現実ではまだ生きているけれど、本当のところはどうだろう。わしづかみにされていて、いつ握り潰されてもおかしくない。感情を血だと例えられるならば俺は大量出血で死ぬんじゃないだろうか。剣の先端は既に身体を貫いている気さえする。

「…ローランサン、俺さ…」

イヴェールは俺を見上げたままぽつりと呟いた。手を伸ばして頬に触れられるとそこから彼の感情も流れてくる様で、ああ彼も俺と同じなんだなと思った。

「俺、死んでもいいよ」

なんて、夢の中の俺のように笑うのだから。



―――
夏目漱石や二葉亭四迷の有名な話にもう一度触れる機会があったので懐かしいなあと書いてみた。
夏目漱石→月が綺麗ですね
二葉亭四迷→死んでもいい
とまあこんな話でした。

冒頭が何時の時代の何の戦争だったのか当てた人結婚してください。
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