夏が大嫌いだった。夏以上に太陽が憎たらしくて仕方なかった。太陽が嫌いだから夏が嫌いなのかもしれない。とりあえず地球はあの赤い光線を頼らなくても生き延びる術を身につけるべきだと思う。いや地球じゃなくて生き物か。ああもうどうでもいい面倒くさい。何故この国は数年に一度くらいしか大雨が降らないんだ。初夏から秋に掛けて雨を降らし続ければ良いのに。たとえそれで野菜やワインが値上がりしても暑さが消えるなら耐えてみせる。耐えてみせるよ。だって俺が弱くなるのは決まって灼熱の下だもの。だから夏が消えればきっと何事にだって動じないんだ。寂しかったり自己嫌悪に陥ったり妙に物足りなかったりするのも、全部暑い太陽の所為。

朝だというのに部屋中に熱が籠もっていて、苛立って毛布から抜け出す。カーテンを開けて窓の外に視線を向けたら太陽は上空にまで昇っていた。しまった昼だったらしい。どうりで暑いわけだ。身体中が汗だらけで気持ち悪くて、服を脱ごうとしたところで自分が何も着ていないことに気が付いた。下着さえもない。あれ?と思ってベッドの下に目をやると、ドアからベッドに続く最短距離に点々と服が散らばっていた。うわあ我ながら頭が悪い。まったく身に覚えがないので、きっと酒場で限度を忘れて飲み続けたのだろう。こんな失態は初めてかもしれない。大馬鹿者としか言い様が無かったけれど、まだ外で脱ぎ出さなくて本当に良かった。露出魔で今日の新聞を飾るとか恥ずかしすぎて死にたい。いっそ殺してくれ。しかし泥沼になるほど酔った形跡がありありと見えているのに、喉が渇く程度で二日酔いにはならないところが凄いな俺。自分でもびっくりだ。
俺がこんな状態だということは、ローランサンも酷いことになっているのだろう。案の定俺の横に真っ裸で寝転がっている男を見つけた。ああ、説明されなくても昨夜何していたのか簡単に想像できる。身体が怠いのも腰が痛いのも昼に目を覚ましたのもそれの所為か。俺は熱が籠もった髪を紐で結び上げるとシャワーを浴びようと身体を持ち上げた。だけれど隣で気持ちよさそうに眠っている男に妙に苛立って、行動に移す前に思い切り背中を足で蹴り飛ばした。


「ってええ」

蹴った後に見事にベッドから床に転げ落ちたローランサンを黙って見つめる。その衝動ですぐに目を覚ました彼は、自分が裸だということを認識する前に俺を犯人だと断定し睨み付けてきた。そんな低姿勢で睨まれても猫を相手にしているようで全く怖くない。大体こんな状況になったのはローランサンの所為なのだから蹴りくらい甘んじて受ければ良いのだ。と思ったところではたと気付く。本当にローランサンの所為なのだろうか。どうやら彼も同じことを思ったらしく、のそりとベッドに攀じ登ってきた。

「……イヴェール、昨日のこと覚えてる?」

「全く」

「昨日酒場で飲んでたお前に声掛けて、それから…なんかあったのかな」

「大体推測できるだろ」

「したくねえんだけど」

苦笑するローランサンが生々しい。彼も俺も自分たちが思っていることが現実だということは認めている。というか認めざるをえなかった。この様子だとローランサンも全く覚えてないみたいだし、さて、困った。俺は瞬時に自分の腹やローランサンの首筋に昨夜の痕跡を見つけようと思ったが、思考回路が似通っている彼と目が合ってしまい気まずくなった。行為が間違いなくあったことは認めよう。しかし

「…どっちが女役だったんだろうな…」

そう、そこである。ローランサンの呟きに全力で頷きたくなった。俺らが行為に及ぶときは上か下かなんて固定しておらず、その時の雰囲気や主導権によって決めていた。つまり気分だ。しかし酒が入ってくると話は違ってくる。俺もローランサンも理性が利かなくなっていたのなら、本能はどちらに傾き、導いたのだろう。酒が入れば気分や雰囲気なんて無いのだから、本質はどちらなのか決まってしまうのだ。性癖が分かるようでとてもおぞましかった。

「よし、この話はなしにしよう」

ぱんっと手を打って自分の思考を遮断した。何事にも大切なのは切り替えである。人間は切り替えが出来れば人生上手くいくものだと誰か言っていた。俺は備え付けのタンスから新しい服を取り出してベッドの上に置き、机の上に何の食料も置いていないことを確認した。ついでに仕事の有無もしっかり確認する。暇だと分かったらまずは買い出し。それから飯だ。

「ローランサンは今日何を食べたい?買い出し行くから何か他に買いたいものがあったら言いなよ、ついでに露店も覗くからさ」

「、…あ―」

「なんだよ低血圧?うわ、お前に一番似合わない言葉だな。早く何食べたいか言えよ」

「お前」

ぽろっ、と手元からシャツとベルトが落ちた。

「…すっげー良い反応。冗談だよ」

ローランサンは憎たらしく口の端を吊り上げて笑うと、いそいそと服を着始める。何そのちょっと言ってみましたって顔。凄くムカつく。俺はテーブルにある読みかけの本を手にとって投げ付けたが簡単に避けられてしまった。朝だから腕力が働かないのかもしれない。いや今は昼か。そうか夏だからか。

「酒場で何で俺が声掛けたか知ってる?」

ベルトを締めながらローランサンが唐突に話題を提供してくる。知ってる?と聞かれても忘れてるのだから答えられない。一人で酒場に寄ったことは覚えているがローランサンに声を掛けられたときには相当酔っていたのか、彼がそこに来ていたことすら知らなかった。まあ、何故酒場に行ったのかは鮮明に覚えているけど。あまり歓迎したくない記憶だ。偶然俺を見つけたからじゃねーの?と適当に答えたら、それもあるけど、とローランサンは苦笑した。

「なんかお前、泣きそうだった」

「…はあ?」

「で、俺が声掛けたら号泣したの。覚えてない?」

覚えてたらこんな惨事にはなってない。俺は全力で首を振った。しかしローランサンが嘘をつく理由は無いのだから事実だろう。目元が腫れているように感じるのは気のせいではなかったらしい。へぇ、そう、と曖昧に返事をする。初めて知った自分の状況だったがあまり驚きはしなかった。ああやっぱり耐えられなかったかと残念に思う程度。何故なら俺はその原因を知っているからだ。何があったとか確固とした理由ではなくて、とても寂しくなったというだけ。切っ掛けがあったわけではない。もしかしたら小さな出来事が積み重なっていたのかもしれないが、自分でも分からないまま唐突に俺は己を嘆いた。正確には俺の中で必死に痛みに耐えぬいてきた別の俺が感情を爆発させて泣いたのだ。望んだ生があまりにも色褪せていて、こんなんじゃないと絶望したイヴェールが叫んだのだ。でも俺にはどうすることも出来ないから酒に頼った。それだけだ。初めてのことではない。夏になると暑さで気持ちが滅入るのか、毎年この時期は今の時間が憎たらしくて仕方なくなる。全部なんとなくだ。そんなものが立派に泣く理由になるのだから俺も出来た人間だ。笑える。

「ローランサンって太陽みたいだよな」

財布を荷物の中に入れながら、俺は言葉を紡いだ。シャワーを浴びずに日常を迎えようとしたことを後悔する。じわりと肌を滑る汗が酷く気持ち悪くて吐き気がした。苛立ちを感じながら、反応を求めるようにローランサンを眺めたのは何故だろう。独り言で終わらせることが出来ずに俺はただ彼を見据えた。じわじわと時が俺を痛め付ける。俺の体温は低いほうだというのに体内の暑さが増した。彼は言われたことがよく分からないのか首を傾げたが、俺の様子がいつもの冗談ではないと気付いたのかはぐらかさなかった。彼は人の感情には敏感なのだ。

「俺は冬だからさ、夏は嫌いなんだよ」

「…知ってるよ」

「だから太陽も嫌いなはずなんだけど、生き物は太陽を手放せないみたいだから、俺もこのままで良いのかな」

「言っている意味が分かんねーけど…それ、太陽が嫌いじゃなくて、太陽に弱いって意味じゃねーの?」

そう言って近づいてくるローランサンに俺は肩を強ばらせた。彼の行動と言葉どちらに反応したのか分からないがおそらく両方だ。うわ、と俺は頭を抱えて苦笑する。妙に納得してしまった。酒場で彼を見た瞬間号泣したのも、彼が俺の内側を熱で埋め尽くしてくるからだろうか。嫌いなら近づいたりするわけがない。成る程俺は俺が思う以上にローランサンに弱いらしい。弱さを見られることが嫌いで、太陽を無意味に憎んでいたのか。分かり易すぎる。そしてそんな気分にしてくれる夏という季節に戦慄さえ覚えた。

「とりあえずイヴェール、食事は軽くて良いから卵でも買ってきてくれ」

「卵好きだな、お前…」

「良いだろ?…あとこの勝負は俺の勝ちってことで」

そう笑顔で紡いだ彼は俺の後ろの首筋に指を当てた。へ?と間抜けな声を上げた俺と反対にローランサンは気味が悪いほど嬉しそうだ。するりと撫でられた首筋――正確にはうなじ辺りと、「でかい虫刺されだな」と笑った確信犯に俺は漸く状況を理解した。足から力が抜けそうだ。鏡で確かめたい衝動に駆られたが荷物を持たされ部屋を追い出される。

「体位はバックだったんだな」

ご機嫌に呟いたドア越しの変態にイラっとした。そうだローランサンはバックが好きだったんだ死ねば良いのに。とりあえず彼のお気に入りの卵を買って、帰ったらその憎たらしい顔面にひとつぶちまけてやろう。
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