金があるからとイヴェールの要望を聞いて、二人はそれなりに綺麗な宿に泊まっていた。あの出来事が起こってからそれを有り難く思う余裕なんて少しも無かったが、浴室を覗いてローランサンは自分達の運の良さに苦笑した。ちゃんとシャワーが付いているし、浴槽もある。汚い宿に泊まって水も困る生活をしていた時とは大違いだ。
ローランサンは床を裸足で歩き、手や顔にこびり付いていた血を洗面台で洗い流す。イヴェールを部屋に運ぶことだけで精一杯で、血の臭いも気にしていられなかった。安堵からか漸く自分が不快な臭いを纏っていることに気付き、鏡を見ながら丁重に落としていく。その背後から布が擦れる音が聞こえた。イヴェールが服を脱ぎだしたのだろう。ローランサンは顔をタオルで拭い終わると、後ろを振り返った。湯が十分溜まっている浴槽にイヴェールが浸かる。

「……しみる」

「だろうな…」

いつもは閉じているカーテンを開けっ放しにして、イヴェールは体に残る小さな傷痕を擦っていた。その体に赤い痕が所々残っていることに気付いて、ローランサンは彼の体を直視出来なかった。一番傍にいる相方にも痕を付けられるのを嫌がる彼なのに、それを徹底的に封じこめたのだと否応なしに知ってしまった。恐らくイヴェールは、そんなローランサンの様子に気付いたのだろう。水音を立てて彼の方を向くとじっと見つめた。

「…なんだよ」

「ローランサン。髪、洗って」

その言葉に、ローランサンは目を丸くした。触れるなと顔を殴られたのに、まさか彼自らそれを求めるとは思わなかった。少しは落ち着いたのか、もしくは信頼してくれたのかもしれない。真意は分からなかったが、ローランサンは何も言わずに頷いた。水の中でさらりと流れる銀髪。一房手にとると、擽ったかったのかその主が身動いだ。

「…あの店に、子供が居たんだ」

髪が湯に濡れる感覚に身を任せながら、ふとイヴェールは口を開いた。それにローランサンは顔を上げる。店とは、先程までイヴェールが閉じ込められていた場所のことだろう。確かにあの地下は酒場の下に隠されてあったのだから。

「子供…」

「…多分、金持ちの家へ売られていくんだろう。小さな女の子、だった。あそこに飲みに行った時、店の奥で蹲っているその子と目が合ったんだ」

「…なるほど、な。………それで気になったお前が深入りして逆に捕まったと」

溜息が響く。ローランサンは心底呆れてた。ただ暇潰しに立ち寄った酒場が偶々同業者の溜り場で、さらに目を付けられていたのだろう。少女はイヴェールを見て願ったに決まっている。「どうか私をこの地獄から解放して下さい」と。
イヴェールは、表面上冷淡な男だ。しかしそれは盗賊という職業で身についた顔であって、一度そういう場面に遭遇してしまうと身動き出来なくなってしまう。それは彼の良いところであり、反対に言えば目を付けられる欠点でもあった。

「だから言っているんだ。お前、甘いんだよ…優しすぎるんだ」

「美徳じゃないか」

「盗賊のお前が言う台詞じゃねぇ」

「………じゃあ、お前は?」

髪全体を水で濡らしていた手がぴたりと止まる。イヴェールが顔を上げてローランサンを見ると、真剣な表情と目が合った。イヴェールは、次に彼から紡がれる言葉を知っている。

「…俺なら見捨てる」

「嘘言うな」

動揺しているのか、ローランサンはイヴェールと目を合わせようとしない。それは自分が不利な立場に立ったときの彼の癖だった。イヴェールにとって、彼ほど分かりやすい人間はいない。情が厚いのがイヴェールの欠点なら、感情や思考を簡単に表に出してしまうことがローランサンの欠点だろう。それは、良く言えば真っ直ぐで素直だと言うことだけど。

「嘘なら、俺を助けに来ないだろ。偽悪振るのもいい加減にしろよ」

「…っお前が居なきゃ仕事が成り立たねぇだけだ!のこのこ攫われやがって、俺の身になって物事を考えやがれ!」

「良く言うな。俺の代わりはいくらでも居るとか抜かしてたのは何処のどいつだよ」

「それは…っ……」

浴槽の縁を叩きながら抗議していたローランサンの言葉と動きが止まる。う、と言葉を詰まらせ、逃げ場を探そうと右往左往するうちに言い逃れする隙もないのだと察した。結局、口喧嘩ではイヴェールには適わないのだ。観念して大人しくなったローランサンは、彼の髪の汚れを落とす作業を続行する。

「……心配だったんだよ」

目の前に広がる銀髪と泡を見つめながら、言葉を落とすようにローランサンは呟いた。

「心配だったんだ…」

ローランサンはシャワーを取り外して、髪についた泡を流していく。二度繰り返された言葉に、イヴェールは何も答えず今まで自分が受けた屈辱を思い出していた。四肢の自由を封じられ、内側から壊されていく感覚。泣き叫んでも、殺してほしいと願っても、状況は悪化するばかりだった。

「…俺は、不安だったよ」

もしかしたら、この地獄は生きている間続くかもしれない。魂が壊れる気がした。少女は、檻の中で人に売られるのを待つだけの身から結局救われることはなく、イヴェールもその檻に閉じ込められた。売られるために調教されるのなら、いっそ殺してくれれば良かったんだ。

「だから、ローランサンが来てくれたこと、…凄く嬉しかったんだ」

「…ん」

イヴェールはローランサンを見ようとはせず、背を向けた状態で俯いていた。ローランサンは髪についた泡を全て流すと、何度もそれに指を通す。鉄格子の向こう側に感じた、荒んだ色はもう何処にも見当たらなかった。ただいつもの綺麗な銀髪がそこにあった。シャワーの音が止み、髪を荒い終わったことに気付いたイヴェールが顔を上げる。ローランサンは、もう彼に触れようとしない。静かな空間で見つめた自分の体は、至るところに痕があった。気味の悪い花弁に見えた鬱血は、拭っても取れる気配を見せない。ぱしゃ、と小さな音を立ててイヴェールはローランサンを見据えた。それは、何かを覚悟したというよりは、行き場を無くした子供が最後の希望を彼に託して縋っているようだった。
獣は、漸く天敵のいない場所を此処と認めたのだ。

「サン…あの、体も気持ち悪いから、洗ってくれないか?」

赤が差した頬にローランサンは目を見開く。しかし縋るような二色の瞳に苦笑のような溜息をもらして、体を屈めると赤い唇に優しく接吻した。




水の跳ねる音が絶えず浴室に響き、二人の荒い息遣いと交ざる。床を濡らす湯のことも気にせずに、イヴェールとローランサンは交わっていた。二人の間にあった境界線は跡形もなく消え去り、お互いを奪うように深く繋がっていく。ローランサンも自分が着ていたものを脱ぎ捨て、イヴェールと共に浴槽の湯に浸かっていた。外側と内側からはい上がってくる熱にくらくらと目眩がする。まだイヴェールは、その体に体温を刻むことを恐がっていた。触れるたびにびくりと肩を震わせ、何度止めようと思ったか知れない。それでも彼が繋がることを許したのは、ただ過去のことを消し去りたかったからだけではない。漸く迎えに来てくれた安堵を逃がさないようにと、強く強くローランサンの体に縋り付く。それは束縛にも似ていた。彼もまた求めているのだ。

「…場所が、やだな…」

「ん?」

「湯、が…入って、くる」

「なんか…それ、消毒してるみてーだな」

「…………言ってる意味わかんねーよ…」

真剣な顔をしたローランサンの言葉に、息を詰まらせながらイヴェールは苦笑する。ただ、馬鹿にしながら、そうだろうなと感じた。多数の男に入り込まれた所まで、洗われているような感覚。ローランサンはそう言いたかったのだろうか。今はそこは彼に支配され、水音と共に腰を動かすから、イヴェールは声を荒げながら自分の体を支えることで精一杯だった。

「…う…、気持ち、わる」

「…失礼だな」

「っお前、こっちの身にな…っぁ、っ」

く、と喉を張らせたイヴェールの表情が崩れる。痛みと苦痛を快楽に変える場所を見つけて、ローランサンは口角を上げた。見つけた場所を徹底的に突き、イヴェールを追い詰めていく。快楽を恐怖と勘違いしている彼の体が痛々しかった。行為に溺れることは、何かに怯えることを教え込むものではない。酒と同じように、苛立ちや不安を一瞬取りのぞける薬のようなものであり、お互いの存在を安心できる居場所であると確認するためのものでもある。快楽を快楽と認めても不幸にはならないと、ローランサンは知っていた。イヴェールが恐怖から逃れられるようにと、鎖骨の辺りや、胸や腕に残る鬱血を見つけてはひとつずつその上から痕を咲かせていく。しかし理由を付けてみても、結局それはローランサンの独占欲だ。己の欲望に忠実な彼は、思うままに行動していく。イヴェールはそれを知っていても、今回は何も言わなかった。もしかしたら許可するまでもなく、彼もそうして欲しいと思っていたのかもしれない。

「ん…ぁ、っぁ」

「…っイヴェ」

「………さ、ん…」

しばらく抜き挿しを繰り返していると、段々とイヴェールの顔から恐怖が消えていった。快楽に身を委ね、喘ぐことを思い出した。それを確認して、ローランサンも上り詰めていく。果てる寸前に唇を合わせれば、お互いの声が交ざった気がした。震える唇を感じながら、名残惜しくも離すと透明な糸が彼らを結んだ。

二人溺れるのに、足りないものはもう、何もない。


(やり方さえ記憶から取り出せたなら、元に戻ることくらい簡単に出来るだろう)
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