サンイヴェ

地下には光は全く灯っておらず、店から奪ってきたランプだけが行き先を照らす。風一つ吹かない地下は冷気を帯びていて、埃っぽい空気が辺りに充満していた。コツ、と靴が地面を叩く音だけが静寂に支配された空間に酷く響く。右手に血が滴る黒き剣を持ち、ローランサンは闇に慣れた瞳で辺りを見渡した。店にいた人数は三人ほど。息の根を止めたとはいえ、腕が立つ人間を三人も相手してローランサンも肉体的にかなり参っていた。荒い息遣いを落ち着かせられず、次の敵が身を潜めていないかと酷く緊張した心臓も煩い。1人でも残っていたら死ぬ。そんな状況で捜し物をするのは困難だった。声を上げて確かめられない上に、自分の気配を消すのに必死で他に気を回していられない。彼が自分の足音を酷く耳障りに感じるのはこのためだった。僅かな音であるはずなのに、何故か脳がそう認識しようとしない。
しかし一歩二歩と進んで、漸く広い場所に出ることが出来た。此処まで来ても追手が現われないということは、初めから店にいる人間たちで全員だったのだろう。極度の緊張状態から解放されて、ローランサンは大きく安堵の溜息をついた。剣を持つ手の力を緩め、さらに歩を進める。
周りは牢屋で埋め尽くされていた。冷たい鉄格子と鎖に囲まれた場所。その雰囲気が闇と交ざり嫌に冷気が増した。ぞくりとした感覚から逃れるように、ローランサンは鳥肌が立った二の腕を擦る。


此処に、こんな場所に、相方がいる。


此処まで来てしまえば見つけるのは楽だった。ひとつひとつ鉄格子の中を覗き、人の気配を確かめるだけ。狭い牢屋がぎっしりと敷き詰められたような場所なので時間が掛かるかと思ったが、僅かな音で人間がどこにいるかなんてすぐに分かる。じゃり、と無機質な鎖の音ですぐに場所を突き止めた。ローランサンという男は、昔から盗賊という仕事に手を汚しているため人より耳は良い。針の落ちた音を聞き取ることも彼なら容易く出来ただろう。肌か地面に擦ったときに奏でた鎖の音。それは苦痛しか思い当たらない筈の音。それなのに熱くなる胸を、彼は咎めるように服の上から押さえた。

「…っ」

もう足音を気にしている余裕はなく、一目散にその場所に駆け込むと、鉄格子の中の人間が大袈裟に肩を震わせた。闇に光る瞳はローランサンのことをきちんと認識していない。誰かが来た。それは彼にとってとてつもない恐怖を味わされるという宣告だ。何かされると思っているのだとローランサンは直感で気付く。

「俺だ、ローランサンだ」

安心させるために鉄格子を叩きその存在を声で示すと、やっとイヴェールは肩の力を抜いた。奥に逃げ込んでいた身体を引きずって、鉄格子を掴んでいたローランサンの手に鎖でがんじがらめになっている手を重ねる。

「…サン」

枯れた声だった。多分人が大声で泣き叫んだあとはこんな声しか出せなくなるだろう。そんな、声だった。
ローランサンは震えた手でイヴェールの指先をなぞる。白くて長い、綺麗な指をしていたはずなのに、暫く見ない間に骨のように細くなっていた。指だけじゃない。身体全体が小さくなっている。生気が丸ごと奪われているかのような彼の姿に、部屋に入ったときよりも酷く背筋を悪寒が走るのが分かった。鎖で繋がられているのは手首だけではなく、足首と首にもその存在を主張していた。まるで奴隷だ。布をそのまま纏っているようなイヴェールの服は所々破け、裸に近いような格好をしていると気付いたとき、彼が今までどんな仕打ちを受けてきたのか察してローランサンは唇を強く噛んだ。先ほどイヴェールが酷く怯えていたのも、この行為をされることに対してだったのだろうか。
イヴェール、と名前を呼ぶ。目尻が赤く、虚ろな瞳がローランサンを見上げる。

「……帰ろうか」

ポケットから小さな鍵を取出し、鉄格子を開いて中に入る。鎖を外してやり、赤くなっている手首に触れた。黙視したままの彼を見上げて、いつものイヴェールの覇気が何処にも見当たらないのを感じ、ローランサンは泣きたくなった。悪態ぐらい吐けよ、迎えに来るの遅いって、俺のこと蹴り上げるくらいしてみろよ。それは声にはならず願いは虚しく彼の中で消えるだけ。その痛みを堪えるように歯を食い縛り、恐らく疲労で動けなくなっているイヴェールを背負ってローランサンは踵を返した。痩せ細って軽くなっていることを知って叫びだしたくなった。叫んで、全てを無くしたかった。彼が何をしたというのだろう。どうせ辱められるなら自分を標的にすれば良かったんだ。
つんと痛む鼻と沸き上がってくる涙を瞬きをしたり空を見上げたりしながら耐えた。気付いたらもう月は真上にあって、彼らを照らしていた。



同じ盗賊たちに目を付けられた。イヴェールが突然ローランサンの目の前から姿を消したのはそのためだった。彼が街中を捜し回り、漸く店を嗅ぎつけたときには既に数週間経っていた。その期間、イヴェールがどれほどの苦痛に耐えてきたのか。彼の様子を見れば一目瞭然だろう。ベッドに横たわらせて、ローランサンはその近くで眠れずに頭を掻き毟っていた。
イヴェールは一応起きている。1人で喚いているローランサンをじっと見つめていた。その瞳が何を語っているのかはローランサンには分からなかったが、彼の中に安堵が残っているのを見つけて少し微笑んだ。本当は後悔で胸を焼かれて押し潰されそうなのに、まだ笑うことも出来るのかとローランサンは内心で驚いていた。

「…痛い?」

実はイヴェールには暴力を振るわれた形跡はあまり無い。抵抗したときに付けた傷ならいくつか残っているが、それだけだった。痛みを感じるなら、無理矢理犯された下肢しかない。こんな目に遭うんだったら暴力を振るわれたほうがまだましだったかもしれないが、彼らはそれを知っているからイヴェールを犯したのだろう。女として扱われることが死ぬほど嫌いな彼が、金の為ならまだしも何の利益もなしに犯されていく日々はどれほど苦痛だったか。そしてその場合、ローランサンに咎める権利はない。彼は部外者に過ぎなかった。イヴェールを早く見つけだしてやらなかったのはローランサンの責任であり、イヴェールの責任ではない。一分、一秒。その僅かな時間が過ぎていく度に彼が汚されていくのを知っていて、こんなに後悔することだって分かっていたはずだった。

「痛いか?」

二度繰り返されたとき、イヴェールに対しての同情は消え失せていた。イヴェールの瞳に動揺の色が宿る。これは怒りなのかもしれない。哀しみや苦痛が押しよせると無意識に怒りに変換させるのは昔からのくせだ。どう考えたって辿り着く場所はローランサン自身であるはずなのに、イヴェールにぶつけることしか彼には考えられなかった。

「っ、…ローラン…サン…?」

赤くなった手首に口付ける。まるで姫に忠誠を誓う騎士のようだと、前までなら罵られていた。けれど今はそれもない。単に驚いているだけ。頼むからいつものような態度を崩さないでくれと、懇願するようにローランサンはじっとイヴェールを見つめた。大人しい彼が逆に怖かった。

「…おまえ…どうして…っ、攫われたりなんか、するんだよ」

「………さ、ん」

ローランサンが纏う空気が少し変わったことに気付いたのか、イヴェールは枯れた声で彼の名前を呼ぶ。

「…っど、して…あんなやつらに、犯されて…馬っ鹿じゃねーの……」

「………、サン…ごめん」

そして、その枯れた声が追い詰める。そんなことまでイヴェールは知るわけもなく、降り掛かってくる言葉にローランサンは彼の体を力なく叩いた。謝ってほしいわけじゃないのに。
ローランサンはベッドに乗り上がると、イヴェールの唇に自分のそれを当てた。求めるというよりは奪うという感覚に近い口付けに、先程までの恐怖を感じたイヴェールは今までの無気力が嘘のように必死に抵抗しはじめる。ローランサンの腕に爪を立て、そこから血が流れていた。しかし感情に突き動かされたローランサンは己を制御する方法をすっかりと忘れてしまっていた。その手首を鎖と同じように縛り付け、イヴェールの自由を奪っていく。まるで獣のようだと、イヴェールは彼の瞳を見上げて思った。

「…っめろ!」

「ぁ…」

ばしん、と乾いた音が部屋に響いた。口付けに夢中になっている間にイヴェールは束縛を自ら解いてローランサンの頬を思い切り殴ったのだ。我に返ったローランサンは弾かれたように体を起こした。熱い頬に片手を当てて、その痛みに目を見張る。それは恐怖心で咄嗟に取った行動だ。イヴェールの力の強さは並のものではなかった。恐怖を今まで体に教え込まれた人間なのだから、それは当然の反抗だっただろう。しかし立つことも困難だった彼を間近で見ていたローランサンにとって驚き以外の何物でもなかった。

「…っ今度、触ったら殺す…」

「…イヴェ、」

傷ついた獣のようだった。安全な場所を見つけても、其処で天敵に襲われたらそれは無意味なものになってしまう。傷ついたイヴェールにとってしまった相方の行為は、彼にとってそういったものだったのだ。息を荒くして、ベッドの奥の方へ体を逃がす彼は、檻の中と何も変わっていなかった。
拒絶されたのだと、ローランサンは自分の手を見つめながら思考する。ローランサンには、数人に強姦されたという経験はない。一人や二人を相手にしたことは幼い頃にはいくらでもあったが、大人になるのと同時に遠い過去のものとして記憶の彼方に置き去りにしていた。だからか、ローランサンには彼に拒まれた理由も、そこまで恐怖されることも良く理解できなかった。そのため真っ直ぐ受けとめた拒絶の言葉が手を必要以上に苛め、喪失感に胸の奥がずきりと痛む。

「………ごめんなイヴェール…。…もう、触らないから」

理由は分からずとも、苦しんでいることは良く分かっている。素直にローランサンはベッドから降りて、イヴェールに背を向ける。もう手を伸ばさないというサインだった。

「でも、その…。体、気持ち悪いだろ。シャワー浴びてこいよ」

「………、」

後悔に身を焦がしながら、冷静さを取り戻す。それを察して、イヴェールは肩の力を抜いた。
二人の間に重い沈黙が流れ、部屋に取り付けられている時計だけが音を立てていた。イヴェールがそれにつられて時計を見ると、街が眠りに就いている時間帯だった。こんな夜中にローランサンは街中を駆けずり回っていたのだ。イヴェールは自分が咄嗟に取った行動に、ふるふると首を振った。

「…ちが、…違う。…本当は、ありがとうって…」

殆ど独り言に近い呟きだったが、静かな部屋には酷く響いた。ローランサンは彼に背を向けながら、紡がれた言葉に目を丸くする。

「殴ってごめん…」

「………良いよ。それは俺のせいだし」

声が震えるのをなんとか耐えて、ローランサンはイヴェールの方を向いた。出来るだけ明るい声で話し掛ける。

「それより今はほら、風呂入れ。それとも一人じゃ浴室にも辿り着けない?」

「………」

「イヴェール」

「…馬鹿言うな。もう、歩ける」

漸くいつもの調子が戻ってきたと、その言葉にローランサンは口角を持ち上げる。苦笑に似た表情だが、とても嬉しそうだった。ローランサンの前を慣れない足取りで通るイヴェールは、強がってはいるものの辛そうだった。けれど彼は手を借りることを拒むだろう。
感情も部屋に漂う雰囲気も落ち着いてきて、安堵したのかもしれない。さて散々汚した剣の手入れでも始めるかとローランサンが背を向けたとき、背後にいるイヴェールはくるりと振りかえった。それに気付いた彼とぱっちりと目が合う。

「…でも…サン。ついてきてくれないか?」

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