イヴェサン

人間は六時間くらい眠れば昼間元気に活動出来るはずだろ。という俺の常識を覆すくらいにローランサンはふらふらして危なっかしい。会話をしているのにぼーっと上の空で、平衡感覚が掴めてないからたまに壁に頭をぶつける。ゴンっと脳細胞が一気に吹っ飛んだような音を立てるそれに爆笑してもいつもみたいに突っ掛かってこない。そして極め付けは、目の下の真っ黒い隈。明らかに寝不足だ。
しかしローランサンはいつも俺と同じ時間に寝転がるし、多少早くても日が昇るまでベッドから起き上がらない。彼があんな状態だから寝不足になるほど真夜中戯れることも無い。
はて、ではあの隈は何処から来るのか。ローランサンに尋ねても朧気な返事しかしない。もう意識が無いんじゃないんだろうか、さっきもテーブルに突進してたのに痛感もないのか何の反応もしない。どうやら彼は病よりもやっかいなものに取り憑かれたようだ。

「例えば、幽霊とかさ」

「は?」

「いや、そんなものに祟られることしたのかなって」

「………んな暇人じゃねーよ…」

テーブルを挟んで食事を朝食のパンを口にしながら訊ねると、ローランサンは齧っていたバゲットから口を離して眉をしかめた。彼の顔を見ると必ず目につく隈が鬱陶しくて仕方ない。心なしか少しやつれている。幽霊ではなければ妖怪や化け物や悪魔の類いだろうか。確かにローランサンはそんなものに好かれそうだ。
再び彼はバゲットを口に含むけれど歯に力が入っておらず噛み切れていない。本人は大して気にしてないだろうが見てるこっちは一向に減らない朝食に苛々していた。自分のパンを噛み切って、欠片をローランサンの口に押し込む。

「…っんむ」

「で、そのやつれ顔は何が原因?」

「ん、ぅ…しらねーよ、ちと眠れないだけだ」

「眠れないのか?」

仕事の疲れも手伝って俺はベッドに入ると熟睡していたけど、ローランサンのことまで気に掛けてはいなかった。確かに彼の寝顔をここ最近目にしていない気がする。
ふぅん、と頷くとローランサンは力尽きたのか頭をがくんと落とした。それでも寝ては居ないらしく、手に持っていたバゲットをテーブルに戻す。そのまま右手を口にあてて体を丸くした。

「…ローランサン?」

「き、もちわる…」

椅子から立ち上がって彼の元へ近づく。覗きこんだ顔は真っ青で脂汗が滲んでいた。大丈夫か?と背中を擦ってやれば、安心したのか息が落ち着いてくる。

「思った以上に体調悪いみたいだな」

「………うっせ」

「理由を聞いても?」

背中を撫でていた手を頭へ移動させながら問うと、ローランサンは言葉を詰まらせた。体調の所為ではなく、単純に言いたくはないらしい。ますます体を縮ませて、椅子の上に立てた膝に顔を埋めてしまった。まるで拗ねた子供のようだ。でかいガキだな、と大袈裟に溜息をつく。
とりあえず、今の俺に出来ることはこいつを寝かせてやることだ。丁度遠出しなければならない用事があったし、俺は蹲っている彼を引きずって昼頃に宿を出た。



「で」

「ん?」

「これはなんだ」

「馬車だな」

「荷馬車だろ」

気持ち悪いと呟いてとうとう動け無くなってしまったローランサンを荷物と共に背負い、辿り着いたのは人を乗せる車より倍はある大きな馬車。といっても貴族の乗りような豪華なものではなく、重くてスペースを取る荷物を運ぶために使う馬車だ。つまり人が乗るものではない。
商人に頼み込んでわざわざこちらの方を用意してもらった。普通の馬車でも問題はないと思うが、あれば小さくて寝転がれない。病人を乗せるならでかい方が気も楽になるだろう。そういう理由だ。それに今回の旅は長い。

「余計なお世話だ、っつーの」

「はいはい病人は黙る。おとなしく寝ないと襲って気絶させるよ」

荷物が殆どない広い場所にローランサンを運び、荷物から出した上着を掛けてやる。俺の言葉にそれなりの恐怖を感じたのかおとなしくなってそっぽを向いた。それでも目を瞑ろうとはしない。長い長い沈黙を余所に馬車は動き始め、揺れが激しくなる。

「多少揺れがあった方が眠りやすいと思うけど、なんで寝たくないんだ」

ガタガタと響く音に負けないくらいの音量で話し掛けると、ローランサンは顔を逸らしたまま口を開いた。

「…いやな夢見るから」

「………は?」

ぼそりと呟かれた言葉をなんとか拾ったが、その意味に愕然としてしまった。だから今まで寝てないというのか。彼の言う嫌な夢とは過去のことだろうが、それにしても子供のような可愛らしい理由だ。俺は腹を抱えて大爆笑した。

「っ笑うな!!だから話したくなかったんだ」

「それば残念だったねぇ。なんだ、お前可愛いじゃん」

「っ、言ってろ」

「大丈夫だろ。悪夢は人に話したら現実にはならないっていうし」

振動に耐えながら、ローランサンの傍まで歩きだす。膝をついて見下ろせば、不安にゆれている瞳と目が合った。不意に頬に手をあてて撫でようとすれば、ぴくりと反応する。さっきまでは壁に激突しても無反応だったくせに。思わずくすりと笑った。
己の欲望に耐えてまで見たくない夢とは一体何なのだろうか。ローランサンはきっと今まで毎日のようにその悪夢とやらに苛まれ続けてきたのだろう。
溜息をついて髪を撫でる。頭を持ち上げて俺の膝に乗せてやった。枕があれば眠りやすいだろう。右手を出して、彼の顔の上に覆い被せる。光を閉ざすために。

「眠ればいいよ」

「………イヴェ」

「良い夢見るよ、俺が居るんだからな」

上着を肩まで引き上げて、もう一度寝るように促した。嫌がっているのは態度ですぐに分かるが、早く元気になってもらわないとこちらも困る。仕事関係の話も勿論だが、突っ掛かってくる相手が居ないと調子が狂うのだ。
渋々と瞳を閉じたローランサンに倣って、俺も壁に背を預けて目を閉じた。ガタガタと忙しない揺れは何故か酷く心地よかった。
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