どうやら俺はイヴェールが仕事だと言って宿を出た後に爆睡してしまったらしく、時間の感覚が良く分からなかった。数日働き詰めだっため疲れが爆発したのだろう。外が暗くなり始めた頃ベッドに横になったのに、次目を覚ましたら太陽が真上でさんさんと輝いていた。
なるほど俺は過去へ戻ってしまったらしい。

「阿呆か」

寝呆けたまま頭での独り言を拾われた。寝癖のついた髪を掻きながらドアへ視線をやると、イヴェールは腕組みをしながら壁に寄り掛かっていた。丁度戻ってきたところらしく、俺が目を覚ましたのを確認すると薄い上着を脱いで椅子に掛けた。
いつも以上に涼しい顔をしているイヴェールを見つめて、こいつってこんな無表情だったっけと違和感に捉われる。ただいまの挨拶もしないでまじまじと彼を見つめていた。さすがに気味悪かったのか、イヴェールが居心地悪そうに身動ぐ。

「なんだよ」

「別に」

「じゃあ見んな」

「仕事、そんなに大変だった?」

やりとりを無視して疑問を投げ掛ける。イヴェールは一度口を閉じて、顔をしかめた。あからさまなものではなく僅かな表情の変化だったので、彼の顔を凝視していなければ気が付かなかったかもしれない。

「いや、仕事はむしろ楽だったよ。店番してるだけだったし。人があまりにも来ないから暇すぎて店番しながら昼寝してた」

「最低な接客だなおい」

「でさ―……、なんか、夢見た」

「夢?」

イヴェールの表情が一気に曇った。なるほど、違和感の原因はこれだったか。苦虫を踏み潰したどころか噛み砕いたような顔が、俺から視線を逸らす。
店番の途中でうっかり寝てしまったものなら眠りも浅い。そしてそんな状況は変な夢を生み出しやすいものだ。

「どんな夢なんだ?」

「聞くの?後悔するよ」

「余計聞きたくなるだろ」

なんだ。そんな変な夢なのか。それとも話すのも嫌になるくらい怖い夢か。
イヴェールでも悪夢を見るのだと若干期待に似た俺の興味は、彼の一言でがらがらと音を立てて崩れていく。

「ローランサンが男たちに犯される夢」

「っっっおい!!!」

「だから言っただろ、後悔するって」

お前真昼にどんだけ変態な夢を見てるんだよ!と寝起きなのも忘れて叫んだ。ああ違う、こいつは綺麗な顔で性欲薄いくせに物凄い変態だったんだ。そこに突っ込むのは今更だ。
一気に顔に熱が集まって布団にダイブした。意気消沈した俺を心配したイヴェールが近づいてくる。

「まあ、元気出せよ。サン」

「お前が原因だろ…。あとサンって呼ぶな」

「ごめんローランサン。最近仕事で忙しくてお前と顔合わせてなかったから寂しかったんだよ」

「寂しくてもそんな夢は見ねぇ!ぜったい!」

埋めていた顔を上げて思い切り吠える。そんな俺を見て何を思ったのか、イヴェールは意地悪く笑って「かわいい」と呟いた。
可愛い?俺が?イヴェールの方が女みたいなのに?どこをどう見たらそう思えるんだ。彼の脳内はたまに宇宙並の規模になるから全く読めない。そして読みたくもない。

「…で、ここからが本題なんだけどさ。…お前、そんなこと、昔あった?」

ふと真面目な顔をしてイヴェールが聞いてくる。俺は弾かれるように彼を見上げ、傍にあった布団を自分の体の上に掻き寄せた。そして数秒答えようか考える。『そんなこと』の意味が分からないわけではない。

「……最近は、ないけど」

「そうか」

「ああ」

「本当か?」

「くどい」

布団に顔を埋めたから、最後の言葉は聞き取りにくかったかもしれない。無理矢理会話を断ち切れば、イヴェールはもう追及してこなかった。そうか、ともう一言呟いただけだった。
それから互いの間に沈黙が流れる。俺はそれ以上答えてやるつもりはなかったし、イヴェールも会話を続ける気はなかっただろう。
でも、ただ少し誤解を招いてしまう体制だったかもしれない。イヴェールはベッドに乗りあがって、俺の横にぴたりと密着した。泣いているのだと勘違いしたのか、くっつく距離を意識して短くしてきた。俺は何も言わない。
別に居心地悪いとは思わなかったし、この状況が続くなら俺は黙り続けているつもりだった。しかし、イヴェールが先に沈黙を破った。

「ずっとさあ、呼んでいたんだ。お前が、イヴェールって」

同じように顔を俯かせたままイヴェールは言葉を紡ぐ。

「喉が枯れても俺に助けを求めてるんだ。だからまた、ひとりで泣いてるんじゃないかって」

「…………また、ってなんだよ」

「自覚ないのか?お前はさ、いつも勝手にひとりで解決しようとするんだよ。うんざりだ」

声はどこか震えていた。
イヴェールの表情を見ようとしたけれど近すぎて逆に見ることは叶わない。うんざりだともう一度イヴェールは呟いた。二度目は俺に対してではなく、自分で確かめるように。
そうか、うんざりなら別れれば良いよ。そういう言葉が今の俺には全く浮かばなかった。脳裏をかすめてすらいない。
しかし泣きそうな彼への謝罪の言葉が浮かんでくることもなかった。

「ばっかじゃねーの」

ごん、と思い切りイヴェールの頭に頭突きする。変な悲鳴が隣から上がった。
俺はイヴェールの肩を掴んで、表情が見えるように正面を向かせる。

「俺は生き方は変えられないけど、ちゃんとお前に頼ってるんだよ、これでも」

そう投げ遣りに返せば、イヴェールは顔を僅かに上げる。眉毛が垂れ下がり、へろんとした変な表情だ。虚を衝かれて驚きすぎて声も出てこない、みたいな。こんなイヴェールを見たのは初めてで俺の方が戸惑ってしまう。

「……なんて顔してるんだよ」

「…、うるさい」

指摘すればイヴェールは顔を真っ赤にして俯いた。と思いきや、そのままこちらの胸へ思い切り体当たりしてくる。ぐえ、と喉から悲鳴が上がったのと同時に、体制を維持出来ず仰向けに倒れてしまった。
胸元でイヴェールの銀髪が揺れる。服をしっかり掴んでいる様子はまるで幼子だ。身動きできない俺は重い荷物をどかすこともできず、されるがままに彼を眺めていた。今彼を纏う感情は安堵からくる心の乱れだろう。不本意ながら可愛いなと思った。うん、俺なんかよりずっとイヴェールの方が可愛い。ざまあみろ。
泣いているのはどっちなんだよ、とでかい赤ん坊に笑い掛けた。
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