サンイヴェ/女装ネタ

月光に愛された銀は普段より輝きを放ち、纏めることをせず華奢な肩に緩やかにその色を広げていた。落ち着いた青い花で銀髪の魅力を引き出し、ドレスもそれに合わせるような控えめな色だった。それでもふと目を凝らせて彼女が視界に入ってしまうのは、ドレスを際立てる美貌を持っているからに違いない。
白磁のように白い肌と、宝石をそのまま埋め込んだかのような青と赤のオッドアイ。殆ど化粧をしていないように思うが、彼女のそばを通ると仄かにその香りがする。
まるで月の女神が地上に降りてきたかのような美しさを放つ女性だったが、彼女は剥き出しの肩を小刻みに震わせて溜息をついた。それも娘が吐き出すような小さく優しいものではなくて、心底この状況に呆れたような大袈裟で深い溜息。

「ったく、この寒空の下肩を出す女の根性が理解できねぇ。コルセットも内臓出るくらい苦しいし、スカートは必要以上に重いし」

「…おい、声抑えろよ。此処何処だと思っているんだ」

それは女性が出すには低すぎる地を這うような可愛げの欠片もない声。隣に居る白髪の男は周りに人が居ないことを素早く確認して慌てて小さな声で咎めた。
テラスに顔を出し、月光を浴びる二人は遠巻きから見ても絵になる美男美女だった。二人寄り添う姿は恋人のそれなのだが、美女の方は間違いなく男性であり、さらに言えば盗賊である。
こうして恋人に身をやつして舞踏会に出るのは二人にとってあまり特別なことではなかった。今回もイヴェールの方が言いくるめられて仕方なくドレスを身に纏っただけである。仕事のためだと割り切ってやったことだが、しかしローランサンにとっては少し勝手が違った。

「そんなに文句言うなよ、いつものことだろ」

「いつものこと?だったら何故俺が本格的にお前の彼女にならなきゃいけないんだよ」

本当の目的を理解してからイヴェールの機嫌は至極悪かった。
仕事のためにドレスを着て化粧までしたら、ローランサンの隣に並ばされてあろうことか他人に「俺の彼女だ」と紹介されたのだ。
普段どちらかが女に化けるときは、恋人として見せる必要性はあったがそれまでだった。しかし人の前に出されて公言されたことは今回が初めてであり、それ以上にこの状況が仕事のためだけでは無かったことを知りイヴェールは腹を立てているのである。

「さっきの男に彼女が居るって見栄張ってたんだろ」

「だってあいつが彼女の話題でうるさいから!」

「…あのな、だったら最初から金持ち商人の息子としてあれに近づかなければ良かっただろ!しかも仕事の情報だけ吐かせれば良いものを相手のペースに乗せられてずるずるとそっちの方向の話に引き込まれて、あげく無い見栄を張るお前の浅はかさが目に見えるようで溜息しか出てこねーよ!仮にも盗賊が獲物に振り回されてんじゃねぇ!馬鹿じゃないのか!」

「仰る通りですけど…良くそこまで人を罵る言葉が出てくるよな」

「お前の馬鹿さ加減に付き合ってる自分が情けなくて苛立つんだよ」

少し付き合えと腕を取って貴族の前で紹介しただけで物事の奥底まで見通されている。ローランサンは彼の驚異的洞察力に戦慄さえ覚えた。しかしその能力が余すことなく発揮されているのは、長年彼らが共に生活して行動が読めてしまっているからだと気付くことはなく、イヴェール自身も自覚はしていなかった。

そんなトラブルはあったものの、本来二人は恋人同士ではなく、盗賊の相方という絆で結ばれている。二人がその目的を忘れることはなく、ローランサンの頭は彼女の有無よりも仕事の方が占めていた。
逃げ場のルートも、警備員の配置も理解している。今夜狙う首飾りの鍵はその貴族が持っており、それを知った上でのあの話題だった。そこら辺はきちんとしているから、イヴェールも彼と縁を切りたいと思うことはない。

「走れるようにあまり物を口に入れるなよ。俺は窓を開けるように頼んでくるから」

ローランサンはひとつイヴェールに忠告して、その場所を去っていった。窓はこの豪邸で唯一逃げ場に相応しい所だ。高さはあるが下が茂みになっているから無理なく飛び降りることが出来ると、見取り図を見つめながらローランサンが提案したのを覚えている。
仕事のためだから仕方ない。しかし今はあまり一人にしてほしくなかった。人混みに酔い、テラスに出て涼もうと考える貴族は少なくない。その中に一人、先程ローランサンが見栄を張った貴族の男が見えて今夜何度目か分からない溜息を零した。
お互い今は一人で話し掛けやすい状況である。間違いなくこちらに向かってくる男に、動揺が表に出ないように慌てて微笑んだ。

「また会ったね、今は一人かい?」

「…え、ええ。彼は何か飲み物を持ってくると行ってしまいましたわ」

自分でも吐き気がする高い声を出す。しかし向こうは気付かないようで胸を撫で下ろした。
何しろこれが初めての経験ではない。女として見せることはそれほど苦労しなかった。

「少し君と話したかったんだよ。彼の言うとおり美しい女性だ」

「ありがとうございます」

「少し俺が彼女の話をすると、それ以上に君の話をしようとする彼がおもしろくてね、余計に色んなことを話してしまうんだ。…なるほど、ローランサンが好みそうな娘さんだ」

男の言葉にきょとんとイヴェールは首を傾げた。
彼女の有無で勝手に盛り上がっているのだと思っていたのだが、どうやらローランサンは最初から自分を想像して話していたらしい。
そう気付くと、少し興味が沸いた。周りに居る娼婦を話題に出さずに自分の相方をわざわざ女として話したその内容と理由が気になったのだ。もしかしたら嬉しかったのかもしれない。

「…あの、彼は何て?」

「うん?ああ、こういうのは他人の口から聞きたいだろうね。容姿のことも良く話してくれたし、器用だとか、口が悪いけど自分を理解してくれるだとか、意外と照れ屋で可愛いとか傍に居るだけで癒されるとか、色々言っていたよ」

愛されているんだね、と男は忘れることなく付け加える。しかしイヴェールはその一言よりも、ローランサンの本音の方に驚いていた。
声が出せなかった。まさかそんなことを思っていただなんて、普段の生活で気付くだろうか。
ただの相方で、口煩い自分を厭わしいとばかり言っていて、そう思いこんでいたのに。
固まっているイヴェールを照れているのだと思ったのだろう。女性を喜ばせたい男心からか、彼はぴんと指を立てた。

「もしローランサンに言いたいけど言えないことがあったら俺が言ってあげようか?あまり素直な子じゃないって彼が言っていたからな」

男はそう提案する。
顔を上げると人の良い笑顔とぶつかった。やはり女性の接触が多い貴族だ。どうすれば女性に嫌悪を感じさせずにすむかちゃんと理解している。
イヴェールは娘ではなく盗賊で、彼は獲物でしかない。この仕事が終わったら街を離れて身を隠さなければならないから、もう二度とこの男とローランサンが接触する機会もないだろう。
だからイヴェールの言葉が人づてでローランサンに届くことはない。
それでも、イヴェールは彼の言葉とその向こう側にある相方の素直な言葉が嬉しくて、軽く微笑んで言葉を紡いだ。

「…じゃあ、あなたが傍に居てくれて私はとても幸せだって、そう伝えてください」



ローランサンの腕に腕を絡めながら、慣れない靴のためゆっくりと慎重に進む。バランスは付き添いの腕でカバーできるのだが、どうしてか上手く歩けない。何度も転びそうになるのをローランサンに支えてもらった。
廊下を歩いていくと段々と人が消えていく。もう暫く舞踏会を楽しむ時間が取れると、ローランサンは嬉々としてイヴェールをこの場に連れてきた。こんな格好をさせられてたら苦痛で楽しむものも楽しめないのだが。

「なあ、さっきあいつと何話していたんだ?」

イヴェールが女の格好で男と話していたのを違和感に思ったのだろう、ふと思い出したかのようにローランサンは尋ねてきた。先程まで機嫌が悪かったイヴェールだが、少しだけ纏う空気が軽くなった気がする。

「別に。大したことねーよ」

「なんだよそれ。気になるだろ」

「あんたのことだよ」

さらりと言うと、ローランサンは驚いて押し黙った。動揺が隠せていないのでイヴェールは少し笑った。ローランサンは表情を隠すことが何より苦手なので、手に取るように分かる。どんな内容なのか気になるくせに、深くまで掘り下げるのは恐ろしいらしい。
照れているのだと、顔を覗き込んだイヴェールは思った。照れ屋なのはどちらなのだか。

「それより何処に行くんだ?」

これ以上からかうと可哀相だと、わざと話題を変えるとローランサンは一瞬で我に返った。
この先は塔と繋がっており、その回廊で彼は足を止めた。人は全く居らず、明かりもない薄暗い場所である。
逃げ場となる窓はすぐ近くにあった。仕事で使うため案内されたのだと一瞬は考えたが、ローランサンの表情を見るとそうではないらしい。面白いものを見つけた子供のように目を輝かせている。

「イヴェールも驚くぞ」

静かな場所でそれだけで素敵な所だと思った。しかしローランサンが窓を隠していた金糸のカーテンを開けることで、その雰囲気はがらりと変わった。
窓に差し込む月光がこの場所を照らし、床がきらきらと輝きだしたのだ。それは夜空の上に居るような美しさを纏い、星の輝きを映した二色の瞳が驚きに染まった。
その美しさは高い値段がつく宝石よりも格別綺麗に感じて、イヴェールは声が出せなかった。

「綺麗だろ?」

床ではなくイヴェールを見つめるローランサンに気付くことなく、我に返った彼は頷く。

「綺麗だ…」

「一番に見せたかったんだ。お前ならそう言ってくれると思ってた」

「…綺麗だよ。凄く、素敵な場所だ」

床に大理石が埋め込まれているのだからだと気付いたけれど、イヴェールにとってそんなことはどうでも良かった。
そろりと足を動かして、床を歩く。夜空を歩いているような感覚が面白い。ドレスの重さも靴の歩き憎さもこの時はすっかりと忘れていた。
ローランサンは月光を纏って輝く床と貴婦人を目を細めて見つめて、そっとその肩に触れた。驚くイヴェールの手を取って、優雅に口付けてみせる。

「なあ、俺と踊ってくれないか?」

青み掛かった銀の瞳がイヴェールを捉え、その表情は貴族というより盗賊のそれだ。
変わらぬ彼に頬を染めることも忘れてしまった貴婦人は驚いた顔で彼を見上げ、困った様に微笑むと優しく両手を重ねた。相方というよりは恋人のように寄り添って。

「ええ、喜んで」

貴族に頼んだ伝言は、もう伝えることが出来たとイヴェールは微笑んだ。
静かな空間に言葉は不粋である。しかし言葉の代わりならいくらでもある。
ただこの夜空の中で、寄り添って、音楽もないワルツを。


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