サンイヴェ

涼しげな風が街を駆け抜け、地平線に沈み掛けた太陽の赤い光を一杯に浴びた景色はご機嫌の様だった。石畳を踏む人々の足は浮き立ち、祭りでもあるのかと一瞬考えたほどだ。
まだ夜は迎えていないと、疲れを感じさせない街の情景。まさかこのテンションを午前から維持しているのだろうか。なんて体力だろう。
露店が並ぶ大通りには若い男たちの大声が響いている。彼らは客の値段交渉に気前良く応じていた。食料は新鮮なものばかりで、装飾品は他国から仕入れた珍しいものばかりらしい。
そして少し広い場所に出れば、子供が駆けずり回っていた。
赤く不気味に浮かび上がっている街なのに、活気に満ちていると感じるのは俺自身が機嫌が良いからかもしれない。此処の土を踏むのは久々だからか、心が浮き立っていた。
数週間前、相方のローランサンの提案で一時期別れて仕事をしようという話になった。そんな話になったのは、お互いに金の余裕が出きたことも関係している。
仕事と言っているが、たまには一人の時間を過ごす休暇のようなものを取ろうということだろう。昔からずっと一緒に生活してきたからたまには良いかと俺も賛成した。
そうして俺は彼から離れて、少し遠い田舎まで立ち寄ってきた。向日葵畑が所々にある平穏な村だ。ローランサンと付き合う前何度か世話になっていた場所で、それなりに楽しい時間を満喫出来たと思う。
そして今に至る。ローランサンは元気にやっているだろうか。
出ていったのは俺だけで、ローランサンは此処で過ごすと言っていた。つまり宿は変わっていないだろう。

「お、イヴェール。久しぶりだな」

今俺らがかなり世話になっている酒場兼宿屋に入ると、若い男が話し掛けてきた。人懐っこい性格で、一応此処の主人だ。
カウンターから身を乗り出して腕を掴むものだから驚いて立ち止まった。
にこにこと微笑みかける表情は久々話に付き合えと訴えかけてくる。

「久しぶり。数週間しか経ってないけど」

「最近平穏過ぎてお前らみたいのが居ないと時間過ぎるのが遅いんだよ」

「平和なら良いじゃねーか」

「人生には刺激がないとつまらねえって」

そう言って豪快に笑う。
本当に退屈なら盗賊にでもなれば良いと言おうか迷ったが、結局やめた。もし俺が本物の盗賊だと言ったらこの男はどんな顔をするのだろう。
まだ喋り続けようとする主人に、俺は慌てて右手に握っているものを一本カウンターの上に乗せた。華やかな輝きを放つそれに、彼の視線が集中する。

「向日葵だよ。この近くにはないだろう」

右手にはその花束があるが、抱えて持っていないのでカウンターから下にあるそれに気付くことが無かったのだろう。
主人は置かれた向日葵に手を伸ばしてまじまじと見つめた。

「土産か?」

「ああ、世話になってる礼に」

「お前気が利くなあ。ありがとうな」

カウンターから伸びた手がばしばしと俺の銀髪を叩くから、苦笑してそれを払った。なんて素直に喜ぶ男なのだろう。
向日葵を手にして奧へと引っ込んでいく背中に、俺は挨拶して通りすぎようとした、が。

「お前…部屋戻るのか?」

と、怪訝そうに尋ねられた。いつのまにかこちらに視線を向けている。
勿論荷物を置きに行きたいし、相方が元気にやっていたか久々に顔を見たい。あいつならきっと喜んで受け入れてくれるはずだから。
それなのに主人は「あー」やら「うー」やら良く分からない呟きを口から洩らし、頭を抱えて恐る恐る言葉を紡いだ。

「あ…のさ、今は行かない方が良いと思うんだ…うん…」

「は?どういう意味だ?」

「…兎に角行かない方が良いって。荷物俺預かるから、どっかで飲んできたら?」

それを聞いて、先程まで主人がやたらこちらに話し掛けてきたのはこの為だったのかと悟った。
理由を問い詰めても気まずそうに目を逸らすだけだ。何を言いたいのかすらさっぱり分からない。
行くなと言われたら行きたくなるのが人間の性だ。
ローランサンがいるということは間違いないらしいので、俺は左手に荷物を持って階段を上がった。後ろから主人の制止の声が入るが気にしないことにする。
しかし妙なものだ。主人はきっとローランサンについて隠したいことがあるから俺を止めようとしたのだろう。それはローランサン自身が頼んだのか、主人が彼の為を想ったからなのかは分からないが。
それなのに部屋に近づいても中から何の反応も示さない。主人の声は良く通るから此処まできちんと響いているはずなのに。
ぼそぼそと中から声が聞こえた。何を言っているのか分からないが間違いなくローランサンのものだ。
ということは、客が見えているのか。彼が独り言でも喋る癖が無いかぎり。
意味が分からないまま俺は目の前のドアを押した。

「…は?」

「「あ」」

俺の登場に気付いた男の低い音と聞き覚えのない高い音が重なった。俺は唖然として目の前の状況に立ち尽くすことしか出来ない。
予想どおり部屋にはローランサンが居たのだが、その下には見知らぬ女性がいた。
長い銀髪の華やかなドレスを着込んでいる美人で、説明されなくてもどんな状況だったのか理解できる。ふわりと部屋を漂う濃い香水の匂いは彼女のものだろう。
床に転がるのは数本のワインの成れの果て。それを彼一人が全て飲んだのだと簡単に想定できる。ローランサンの顔は赤く、熱の籠もった瞳でこちらを振り向いた。

「……お前、調子乗りやがったな」

久々の挨拶より先に、地獄を這いずるような低い声が出た。しかしもしこの状況で普通に挨拶出来る勇者が居るなら是非お目にかかりたいものだ。
組み敷かれている女は多分ローランサンが買った娼婦だろう。彼女はさすがに今の俺の表情にまずいものを感じたらしく恐る恐る彼から抜け出そうとしているが、酔っ払ったローランサンは空気を読めない。相変わらず赤い目で笑い掛けてきた。

「イヴェ、おまえもやる?ばかずこなした彼女なら二人あいてでもたぶんへーきだぜ?」

「呂律回ってねーんだよこの万年発情男。何処で何やろうがお前の勝手だけどな、部屋に女連れてくることだけは止めろっつってただろ!?しかも着てるの俺の服じゃねーか!」

「はあ?いいじゃん減るモンじゃねえし」

「お前の匂いが移るんだよ!」

「生娘みてーなこといってんじゃねーよこの女顔が」

ああ本当にこの男は俺の怒りを買うの上手いなと頭の片隅でどこか冷静に思いながら、殆どは苛立ちに支配されていた。
久々の相方に向ける言葉がそれなのか。
俺は手に持っていた荷物と向日葵の花束を地面に落とし、真横にある木製のテーブルを怒りに任せたまま蹴とばした。派手な音が部屋に響いたが酒の所為で鈍感になっているローランサンは何の反応も示さない。女だけがびくりと肩を震わせた。
頭でも冷やしてやろうかと、棚の上に置いてあった水の入った洗面器を奪うように取り、思い切りローランサンの顔面に投げ付けた。
彼はそれを頭から被り、女は悲鳴を上げる。白い髪からポタポタと水滴が滴れた。

「てめえ…やってくれるじゃねーか」

酔いが醒めたらしい。盗みを働く直前のように、すぅ、と目を細めた彼はベッドにあった分厚い本を掴む。勿論その持ち主は俺のだ。
しかし今はそんなことを考えている暇はない。怒ったローランサンは手加減というものを知らないのだ。
化け物並の腕力で投げられたそれを必死に避けて床にあるワインの瓶を手にし、全力で彼の頭目がけて投げた。それでローランサンの頭がかち割れたとしても自業自得であり俺の所為ではない。

「っぶねぇな!」

「安心しろよ。これ以上頭打っても馬鹿には効かねえから」

「ああ!?そのお綺麗なツラを使いものにできねーようにしてほしいのか?」

「やれるもんならやってみろよ!」

売り言葉に買い言葉。喧嘩はエスカレートして物は散乱し、家具は倒れ壊れる。
女はその状況を恐ろしく思ったのだろう。俺の後ろを通って外へ逃げ出した。
しかしすでに喧嘩の原因を忘れた俺たちの暴走は止まらない。手元にある物を全て投げてしまった後は殴る蹴るの乱闘が始まった。
いつもしつこく俺の顔を綺麗だと言ってくる馬鹿本人が顔面に殴り掛かってくるのだから理性は何処かに吹っ飛んだのだろう。ぎらぎらと目の前で光る銀色はまるで獣の瞳のようだった。
酒が入っているのに的確に弱点を突こうとしてくる腕は、俺らがどれ程長く付き合ってきたかを物語っている。お互いを知り尽くしているからこそ激しくなる喧嘩はかなり長く続いた。
怒声と物の悲鳴が飛びかう部屋は、宿屋だというのに周りの客について一切考えていない。

「お前の所為であいつ逃げたじゃねーか!部屋入る前に空気を読め…っての!」

「っわ!」

ぐっと突然胸ぐらを掴まれてベッドに叩きつけられた。背中に痛みが襲ってきて、その衝動に怯んでいると上からローランサンが覆いかぶさってくる。
抗おうと腕を振り上げるが、馬乗りになったローランサンに両手を封じられて押さえ付けられた。
身動きが取れなくなり唇を噛むと、汗だくになっているローランサンが不敵に笑う。

「俺の勝ちだな」

「………う」

結局直接拳を合わせるとなるとローランサンの方が強いのだ。
それを今更思い知らされて、悔しさに顔を逸らす。今回のことは百パーセント彼が悪いのに。
といっても口喧嘩で終わらせなかったのは俺なのだ。それはこちらにも非があるのだろう。認めたくないけど。
組み敷かれてやっと脳が冷静に働きだし、真っ赤になっていた視界も漸く通常に戻ってきた。

「…あ―もう、白けたな。久々だこんなに動いたの」

「俺もだな」

「もう仕舞いだ、腕退かせよ」

「やだ」

「あ?」

文句を言う前にローランサンに口付けられた。先程の乱闘とは別人のように、触れるだけの優しいキス。
あまりにも雰囲気が合っていないから、思わず固まった。
俺を見下ろす彼はどこか楽しそうで、その瞳の中に明らかな欲望を見つけた俺は目を丸くした。

「な、まさかお前」

「仕方ねーだろ…。お前の所為で完勃ちなんだよ」

「お前が勝手に勃たせてるだけじゃねーか!冗談じゃない離せ!!」

腕を自由にしようと暴れるが、無理、と言葉が降ってくると同時に今度は深く唇を奪われる。
舌を絡められ、一度口を離してはまたしつこく食い付いてきた。
呼吸すら奪おうとするそれに全身の力が抜ける。痺れるような感覚が下から駆け上がってきた。
俺の身体も正直すぎる。それを知って彼もこんなことをしているんだろうけど。

「今回はお前の負けだから俺に付き合え」

「……、…わかったよ」

そう言われると抵抗さえ出来なくなる。その顔面を殴り付けたい衝動を必死に我慢して、仕方なくローランサンの相手をしてやろうかと諦めの溜息をついた。
服を剥ぎに掛かってくる腕に身を任せながら、くるりと出来る範囲で部屋を見渡す。テーブルは倒れ、ガラスは割れて、物は盗品以外殆ど壊れていた。酷い惨状だ。
ローランサンのために集めてきた向日葵も無惨に床に散っていた。これはかなり勿体ないことをした。
明日主人に小言を言われながら片付けることになるのだろう。そうなると分かっていながらローランサンに手を上げたのはかなり大人げ無かったかもしれない。それを本人に言うと調子に乗るので絶対に言わないが。
そういえば思い返せば、彼が買っていた女は長い銀髪で、それなりに俺と近い顔立ちをしていた気がする。あの時は怒りに支配されて冷静に物事を考えられなかったが、今更ながらに感じるのだ。
まさかなあ、と思いながらローランサンを見上げれば不敵に笑われた。彼らしい、ムカつく笑みだ。

「おかえりイヴェール」

その顔で優しく言葉を紡ぐものだから目を丸くした。
今更すぎる挨拶に頬が緩むのを感じる。

「…ただいま」

やっとそれか、とわざとらしく溜息をついて、彼の首に腕を回した。

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