(モブ×イヴェ要素有り)


「…んでさァ」

ローランサンはズキズキと痛むこめかみを抑えて唸った。夕暮れには胃が痛くなると宣言したが、どうやら頭もそうだったらしい。

「お前が此処に居るんだよ!帰れ!!」

「愛しい育て子の晴れ姿を見に来て何か問題でもあるのかね?」

「それ本気で言ってんなら捻り潰すぞ」

徐にエペノワールに触れるローランサンに怯えるわけでも無く制すわけでもなく静かに微笑むのは、盗賊たちにとっては見知った顔のサヴァンだった。イヴェールの飾り付けの途中で部屋を抜け出したローランサンを待っていたのは普段と変わらない胡散臭い笑顔で、付けてきたとしか思えないタイミングでの登場に彼は「偶然通った」と嘘臭い理由を付け加えた。偶然こんな邸宅に寄る人間が居るわけがない。伯爵とどんな交渉を行ったのか気になったが、聞いたら負けな気がしてローランサンは眉をしかめたまま黙っていた。部屋ではまだイヴェールが今夜の準備をしている。サヴァンが現れたことにつられて部屋を出てきてしまってはまた使用人たちを困らせてしまうと、かなり不本意ながらもローランサンは騒ぐことを避けた。

「にしても、大変なことに巻き込まれているようだね。あの利かん坊を一晩受け渡せなど、伯爵の気が知れん」

「愛しい育て子貶してどうすんだよ。大体その情報どっから…いいや、聞いたところで無駄だ」

ローランサンはずるずると壁に寄り掛かりながら座り込み、溜め息を吐く。サヴァンの様な人間は昔から苦手だった。出来るだけ話をしたくないと顔を俯かせる。見透かされているような言葉が煩わしかった。一人で考え事をしたいと部屋を出てきたのに無駄だったようだ。サヴァンはおそらくローランサンの葛藤に気づいている。内心を吐露したところで、彼は一笑に付すのだろう。君が悩んでどうするのだと。女将もイヴェールもそう口にして苦笑した。言外にお前だけが責任を感じることはない言われているのは分かるのだ。分かるのだが、何処か突き放されている気分に陥る。「此処から先は俺の管轄だ」イヴェールはそう断言したが、はたしてそうなのか。彼はローランサンの遣る瀬無い気持ちを決して受け止めようとしてくれない

「胸が鬱積して晴れない。見放されて弱っている小さな兎の、話し相手に成ろうじゃないか」

座り込んだローランサンの前に屈んで、サヴァンは手を差し伸べる。優しい声色に彼は顔を上げ、その先に見えた笑顔に怪訝に眉をしかめた。

「誰が兎だ」

「兎は寂しくなると死ぬというのは迷信だが、人間は寂しいと死ぬのだよ。痛みを膿む心を持っているからね。君はイヴェールが自分の為に体を犠牲にすると分かっているし、それに酷く嫌悪を感じても己が無力だということも痛感している。だが、イヴェールはそうは思っておらんよ。君はそれだけには気付いていない」

「…は?」

どういう意味だと腰を上げた瞬間、バタンと派手に部屋のドアが開かれる。驚いてそちらを見ると、薄い赤色のドレスに身を包んだ銀髪が廊下を舞った。その後ろで使用人たちが片付けに入っているところを見ると、どうやら終わったらしい。イヴェールは部屋を出るなり床を走りローランサンに飛び付き、彼の頭が派手に壁にぶつかるのもドレスが埃まみれになるのも構わずそのまま二人で倒れ混んだ。

「ッてえええ!!」

「…やれやれ、お転婆娘のご登場だ」

「あれサヴァン来てたんだ、久し振り。なあ、久々の女装どうよ?様になってるか?」

様になってどうするんだよサヴァンがナチュラルに居ることもスルーかよ頭痛いわ退けよ。ローランサンが眼力で上に乗っかるイヴェールに訴えたがどうやら伝わらなかったようで、楽しそうに笑っている。悪戯が成功して喜んでいる子供みたいだ。この状況でそれはどうよとローランサンは頭を抱えたが、そのまま自然と首筋に頭を刷り寄せてくるイヴェールに、今度こそ言葉を失った。

「…ッイヴェ」

「黙って」

すんと鼻を動かすと流れてくる香水の匂い。纏め上げられて普段は見えないうなじ。化粧によって妖艶な雰囲気を纏うその容姿。何もかもがイヴェールと違っているが、紛れもない本人だった。呆気に取られているローランサンを余所に重いドレスの中の裸の足が彼を挟む。細い腕で体を抱き締めてくるイヴェールの体はいつもより頼りなく映った。その事実に驚きながらも彼の体を抱き締めてやり、ローランサンは徐々に腕の力を強めていく。どうしてやることも出来ないと嘆く気持ちは今は少し失われていた。腕に抱くことが出来ている間だけは、この手で守ってやるのだと誓えることができた。ローランサンは自尊心からイヴェールのことを綺麗だと誉めることはできない。しかし今この瞬間の彼は何よりも愛しく思えた。
そんな二人の様子を見下ろしていたサヴァンは、顔を俯かせて黙っているローランサンの耳元に顔を寄せる。

「イヴェールは君が居るから決意出来たのだよ。君はそれを知りなさい。せいぜい慰め役になってやればいい」

涙が滲みそうになるのを誤魔化すように瞼を閉じ、彼は黙ったまま肯定した。




日が闇に侵食された。三日月が朧に漆黒に浮かぶ。窓から抜けてくる冷えた風を全身に受けながら、ローランサンは剣を抱え込んで座っていた。その横にはサヴァンが珍しく黙ったまま佇んでいる。二人は目の前を伯爵が通るの確認すると軽く会釈した。男はローランサンに一瞥をくれた程度で音も立てずに部屋に入っていく。その中には既にイヴェールが着飾って寝台に座っている筈だ。もう約束の時間なのかと、ローランサンは顔を俯かせて黙りこんだまま思考していた。針は夜を示しているが眠れる筈がない。彼はエペノワールを理性の糸のように強く強く握り締める。もう暴れようとはしなかった。盗賊でそこそこ力もある彼は気付いていた。この廊下の外に数人、あの部屋の向こう側にも何人か人の気配を感じる。見張り役を命じられたのはローランサンだが、見張られているのは彼自身だった。

聞きたくは無かったが、次第にイヴェールの甘い嬌声が鼓膜を刺激した。もう始まったのかとローランサンは無意識に舌打ちする。服の擦れる音や、男の低い囁き声が薄い壁を通り抜けてこちらまで響いてきた。何が悲しくて相方と敵の性交の声を聞かなくてはならないのだろう。しかし此処に縛り付けられたローランサンは身動きを取ることが出来ない。サヴァンを見上げれば、恐ろしい程冷徹な無表情で遠くの月を眺めていた。イヴェールの声は耳に届いている筈なのに特に何の反応も示さない。焦燥に駆られているのは自分だけなのかと、ローランサンはエペを抱き込んだまま唇を噛んだ。

「…ッあ、やだ!ん、あ゙あぁあ!!いやぁ、ア」

「…!?」

今まで甘い声を上げ続けていたイヴェールの嬌声が、いきなり色を変えた。苦痛を孕んだ音だ。明らかに情交の喘ぎ声の限度を越えている。もはや嬌声ではない、悲鳴だ。先程まで混乱して熱くなっていたローランサンの頭が一気に冷めた。

―――殺す

壁越しでもしっかりと耳に届く声にローランサンは反射的に立ち上がり、エペノワールを手に部屋に飛び出そうとした。しかしドアノブを掴む反対側の手をサヴァンが掴み、彼の動きを制す。

「…何の真似だサヴァン」

「今行って君はイヴェールの決意を無駄にするつもりか。座りなさい」

「ふざけんな手前が先に殺されたいのかッ!?」

掴まれた手は強固で引き剥がすことが出来ず、カッとなったローランサンはエペノワールをサヴァンに振り下ろした。それでも無機質なまま微動だにしない男に、ローランサンは肩の切っ先でその刃を止める。イヴェールの悲痛な叫び声は未だに止まらず、断続的に彼の鼓膜を苛めた。得物を止めても苛立ちを止めることは出来ないローランサンは、エペノワールを地面に投げ捨ててサヴァンの胸ぐらを掴み上げた。

「…おい手前最初から分かってたんだろ」

「何がだね」

「あの男の性癖だよ!!イヴェールがこんな目に遭うって最初から知ってて、俺がキレるのを前提にお前今此処に居んだろ!?」

サヴァンは肯定も否定もせず、黙したままローランサンを見据える。彼を睨み上げるローランサンの目には隠しきれない涙が溢れていた。

「何でだよ、何でそんなこと分かってんのにイヴェールはあの部屋に居るんだよ…!あんな泣いてんのに俺に見て見ぬ振りしろってか!!?お前なら止められたんだろ!!」

胸ぐらを掴む手には既に力は入っていなかった。そのままずるずると崩れ落ち、床に膝を付けるローランサンを支えるようにまたサヴァンも腰を下ろす。寄り掛かるようにして泣き崩れる彼の背中を軽く撫でた。慟哭に嗚咽が混じり、まるで幼子のようにローランサンは泣き続けた。その間にもイヴェールの悲鳴は止まらない。苦痛な声には涙声も含まれており、いやいやと拒絶する甲高い声が部屋を突き抜けて廊下を貫く。

「…もう止めてくれ…」

首を必死に振り続けながらローランサンは呻いた。胸が張り裂けそうだった。イヴェールを守ってやれずにただ立ち尽くす自分を殺したくて仕方なかった。サヴァンは悲痛にまみれた盗賊二人の喘ぎ声を聞きながら、ただ宥めるようにローランサンの背中を撫でてやる。

そうして長い長い夜は、日が出始める頃に漸く終わりを告げた。



部屋が静かになり、出てきた伯爵にサヴァンは頭を下げた。彼の腕の中で歯を食い縛っていた男は、ドアが開く音に反射的に顔を上げる。視界に映った伯爵の姿にもう吠える気力も失せていた。ただ相方の様子を見に行きたい。もはや懇願にも映るその瞳をどう受け取ったのか、伯爵は懐から布袋を取り出して彼の前に投げつけた。ジャラと重い音が響く。

「それを持って早く街を去れ」

ローランサンは床に爪を立ててその言葉を聞いていた。布袋を手にして、男の前に投げ捨てる。正気を取り戻した彼はゆっくりと立ち上がると、エペノワールも拾わずに伯爵の前へ歩いた。

「イヴェールは金で売り買いする道具じゃねーんだよ。地べた這いつくばって金を広い集めさせる芸なら腐った街の奴らにやらせな。貴様の金を受け取る気はない」

今まで暴れ叫んでいた人間と同一人物とは思えないほど冷淡な声だった。ローランサンはそれだけ言うと男に背を向けてエペノワールを拾い上げる。そしてサヴァンを一瞥することもなく部屋の中に入っていった。伯爵も何も言わずその場を後にし、真夜中とは似ても似つかない静寂が周りを包んだ。窓からは目映い光が射し込み、部屋の中の光景を明るく余すことなく映し出した。一晩中何も出来なかったローランサンの無力さを教え込むように、優しく、静かに。


―――
朝はひたすら無情だった。
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