月と太陽が共に存在する塔に紫にドレスを纏った人形が舞い降りる。ふわりと踊るその動作は軽い。彼女は広々とした部屋に一人姿を現し、くるりと周りを見渡した。誰かが話す声も、物音もしない。静かな空間だ。この塔の主が此処を抜け出してからどれ程の月日が経っていたのだろう。いつもは彼女たちが此処を留守にしていたのだから本当に珍しい事だ。紫の少女は広過ぎる空間をゆったりとした動作で歩き、傍にあったソファにストンと座り込む。その表情は哀しみに歪んでいた。何もする事が無くて暇になってしまったのだ。物語を探すことを存在意義とする彼女にとって暇な時間ほど苦痛な時はない。二人が戻ってくるまで、どれくらい待てばいいのだろう。
 
先程この少女が此処に戻ってきたのは、役割が終わったからだ。彼女の主人が仮として生まれた物語はすぐに夜を迎えた。宝石に踊らされ深く眠った青年の魂を死を司る人形である彼女が拾い、これから青の姫君が形にする。再び彼は此処に舞い戻るだろう。
それは、とても嬉しい事。
そして、とても哀しい事。
また主と出逢える事は素晴らしいけれど、彼がまた此処に存在することは本当は在ってはならないことだった。本来なら彼はこの世に生を持ち、自分自身で宝石の呪いを断ち切る事で呪われた輪廻から解放され、そのまま普通の人間として生きるはずだった。しかし反対に宝石に利用されたしまったなんて、とても残酷。

(彼は、詩を詠い続けるでしょう。私たちは、物語を探し続けるでしょう。同じことの繰り返し。彼が呪いから解放されることはあるのかしら)
 
ヴィオレットは小さな手をギュッと握り締め、ソファーから立ち上がると朝と夜が映る窓へと歩き出す。しかしふと、カツンと靴の音が響いた。此処に来るのはあの二人以外彼しか考えられない。ヴィオレットは背後を振り返り、予想通りの紳士にドレスの裾を掴むと軽くお辞儀した。
 
「Bonjour,monsieur Savant.」
 
「Bonjour,mademoiselle Violette.…と、おや?…今は朝だったかな菫の姫君」

「気分ですわ賢者様」

この地では朝も夜も存在しない。だから朝の挨拶も夜の挨拶も本当は此処には存在しないのだ。そんな事判っていて冗談を口にするサヴァンにヴィオレットは小さく笑って答えた。しかし何処か悲しげであるその表情を垣間見たサヴァンは、目を細めるとツカツカとヴィオレットに近付いて紫の瞳を覗き込む。

「どうかしたのかねヴィオレット、そんな浮かない顔をして。君が憂いのままだと主人が悲しむだろうに。私で良ければ君の話し相手になろう」

「…賢者様ならご存知でしょう?」
 
ヴィオレットの唇から、小さな言葉が零れた。その言葉にサヴァンは苦笑する。彼女達よりも外に出ている事が多い賢者が、知らぬ筈も無い事だ。無理をして笑っていた事が気付かれてしまった彼女はもう笑みを浮かべようとせず、サヴァンから目を放すと顔を伏せた。それにサヴァンは懐に隠してあった葡萄酒を取り出すと軽く振ってヴィオレットに見せる。

「今日は祝いに来たのだよ。君の主人の誕生日祝いだ」

ふと、顔を上げたヴィオレットはゆっくりと葡萄酒を眺めると腕を伸ばし、それに触れる。ラベルには良く見知った名前が書かれてあった。彼女が探してきた詩の主人公の名前だ。

「ロレーヌ様の…それは喜ばれますね」

「ところで主人は何処かな。先程から探しているのだが見当たらない」

「ムシューなら今眠っています。オルタンスが此処に来たら迎えに往ってあげてください」

「なるほど、まだ起きていないのか」

なら暫く待つとしようとサヴァンは葡萄酒をしまいながら呟いた。それにヴィオレットは窓際に立つサヴァンへと歩むと、ぴたりとくっ付く。彼が少し驚いてヴィオレットを見下ろすと、彼女は俯いたまま言葉を紡いだ。いつもは気が強い彼女も、主人も双子の片割れも居ないこの空間に居ることが苦痛で仕方ないのだ。賢者はそう察し、何も言わず彼女の言葉に耳を傾けた。

「サヴァン、オルタンスが此処に来るまで、話し相手になってもらって良いですか」
 


「おはよう、イヴェール」

ぱっちりと瞳を開けた青年に声を掛けると、彼は少し驚いた後不思議そうにサヴァンを見つめていた。サヴァンの後ろにはオルタンスとヴィオレットが心配そうな表情をしながら付いていて、青年はやっと自分の状況を理解する。

「おはよう…驚いた。来ていたんだね、サヴァン」

「君の誕生日祝いだ。此処は久しぶりじゃないのか」

「生まれてもいないのに誕生日だなんて面白いね。でも…此処を生まれてきた場所とするなら、そう取っても良いかな。本当に、久しぶりだ」

ベッドから起き上がったイヴェールは、懐かしそうに辺りを見渡しながら紡いだ。ブーツを履いてコートを羽織ると、今までじっと黙り込んでいた双子が二人同時に抱きついてくる。衝撃で倒れそうになったのを何とか耐え、イヴェールは彼女らの身長に合わせるため膝を折って屈んだ。

「ムシュー!逢いたかったです!!」

「また三人揃いましたね!」

「うん、そうだね。僕も二人に逢えて嬉しい」

ぎゅっと力を篭める双子にイヴェールは両の腕を彼女らに回して答える。しかしその表情が少し曇っている事をサヴァンは見逃さなかった。先程のヴィオレットと同じような表情だ。悲しいことがあるのに言い出せない、そんな顔をしている。サヴァンは双子の束縛から逃れたイヴェールを誘い、テーブルに着くように言った。話をしようと笑いかける。二人の双子はその様子を不機嫌な表情で見つめていたが、すぐ笑みを取り戻すと再び物語を探しに外に降りて往った。いつも通りの出来事だったはずなのに久しぶりだからだろうか、僅かだが怪訝に顔をしかめて落ち着かない様子のイヴェールにサヴァンは苦笑し、グラスに葡萄酒を注いだ。

「まだ慣れないかい。向こうの世界はどうだった」

「僕が辿った結末を知っていて敢えて訊くの?趣味が悪いね、サヴァンも」

「宝石の事じゃないよ。…盗賊と仲が良さそうだったじゃないか」

「あ…うん、そうだったね」

サヴァンの言葉にイヴェールは一瞬だけ目を見開くがすぐに顔を伏せてしまう。訊かれたくない事だったのだろう。「これは失言だった」とサヴァンは苦笑して自分のグラスにも葡萄酒を注ぐ。しかしイヴェールは顔を上げるとサヴァンの目をじっと見つめ、口を開いた。

「ねぇ、サヴァン。僕が盗賊として生きた人生が女王の呪いで動かされた物語だとしたら、僕らが生きた今までの思い出も、全て呪われていた物だったのかな?」
 
「…イヴェール?」

「僕は、彼を利用していただけだったのかな」

イヴェールはそこまで紡ぐとフィ、と目を逸らしてしまう。自分が紡いだ言葉に後悔したのだろう。サヴァンは、此処まで感情がはっきりと表に出ているイヴェールに驚きながらも、顔を逸らす彼の顎を掴んで自分の方を向かせる。無理矢理此方を向かせたイヴェールの顔は、泣きそうだった。実際彼は泣き方を知らないけれど此処にオルタンスが居たらならば彼女はイヴェールの代わりにほろほろと綺麗な水滴を頬に滴らせ号泣していただろう。オルタンスがイヴェールの哀しみを、ヴィオレットがイヴェールの歓びを代弁する。彼女たちはそういう風に造られている。サヴァンは何としてでも目を合わせようとしないイヴェールに溜息を吐いたが、そのまま口を開いた。

「しかし少なくとも、君は彼に生を認めてもらえたのだろう?」

イヴェールはその言葉にやっとサヴァンと目を合わせた。その行動がまるで幼子のようで、サヴァンは軽く苦笑しながらも言葉を紡ぐ。

「ならば、それは偽者ではないよ。本物の君の一つの人生だ。いつか再び巡り会う事を祈って、彼の物語を灯しなさい」

彼の顎から手を放し、髪をなでてやるとイヴェールは擽ったそうに小さく笑った。まるで母親に褒めて貰った子供の様だ。生まれてくる前に死んでしまうというのもやっかいなものだとサヴァンは思考する。魂は妹を持った兄のものだとしても、これは幼すぎるのではないか。手を放すとイヴェールはくしゃくしゃになった髪を少し整えてからサヴァンを見上げ、言葉を紡いだ。

「メルシー、サヴァン」

「問題が解決したようでよかった。さぁ、そろそろ飲もうか。ああでも困った。私たちは何に乾杯すれば良いだろう、イヴェール?」

冗談めかして言えばイヴェールは楽しそうに顎に手を当てて考える。誕生日にとは言ったけれど実際には彼は生まれていない。しばらく考えていたイヴェールは、何かを思いついたのか顔を上げた。サヴァンを見ると悪戯を思い付いた子供のようにフフ、と笑う。

「うん、ヴィオレットとオルタンス、サヴァンにまた逢えたことに感謝しなとね」

葡萄酒の入ったグラスが重なり、チンと小気味良い小さな音が響いた。

 


死に乾杯




歓びと哀しみの味がする。

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