(盗賊)

問い掛けても返ってこないものがあった。実際には、問い掛けてもいなかった。自分以外を知ることに恐怖を感じていたからだ。
けれど何の気紛れか、俺は空を仰いだ。正確には誰も居ない宿の屋根の上を眺めていた。人が居ないのは当然だ、いつも此処でぼんやりと贅沢に時間を消費している男は、今は夢の中なのだから。
空の蒼さは相変わらずで、綺麗な景色に吹き荒れる刺がついた冷たい風も相変わらずだった。マフラーに顎を埋めて、気付いたら梯子の目の前に立ってそれを見つめていた。
ローランサンは良く屋根の上に登る。彼の見上げる空には何があるのか俺は知らない。彼がそこに居るのは俺が食事を作っている暇な時間であり、屋根の上で共に並ぶことはまず無かった。あったとしても仕事の逃げ道に使っているだけであまり景色なんて見る余裕はない。

そこは別世界に見えた。どんなに大声を張り上げようとローランサンに届くことは無く、結局時間が経つまで彼は宿の中に戻ってくることはない。空は、ローランサンの舞台に見えた。彼の僅かな居場所のひとつだった。

空だけを双眼に映すことは不可能で、俺はついに梯子に手を掛ける。一度だけ、一度だけ俺は屋根の上を時間を気にせず歩いたことがある。ローランサンと共に並んだ瞬間がそこにあった。
それでも彼は、ずっと空を眺めていた気がする。俺はふわりと漂う透明で虹色の泡に気を取られ、世界を知ろうとまでは思っていなかった。歌に耳を傾けていた。

彼は普段何を見て、何を感じている?同じものを見て、同じことを考えたかった。

もう、少し。
俺は梯子を上がり、屋根に上がる。身軽なこともあって不安定に揺れることはなかったが、強く吹く風に銀髪がなびいて鬱陶しかった。立ち上がって、屋根を歩いて、そうすることで俺の心は達成感で満たされていった。


空を見上げる。


雲ひとつない目が眩むような蒼。眩暈が起こるような、広さ。そこにはすべてがあって、何もない純白だった。綺麗な景色と自然の脅威をじっくりと身体中に染み渡らせるように感じる。一言で言えば感動的だった。いつも見るものと、場所を変えるだけでこんなにも違うなんて。

澄み渡っている世界は何もなかったが故に俺の全てが見えた気がした。冬の空はこうして己の存在を相手に嫌というほど与えて、見透かしていくのだろう。ローランサンの顔も、そこに確かに見た。
ローランサンは膝を埋めて顔を俯かせていた。表情は見られないのだから、泣いているのではないかと勝手に想像する。空が映し出したのか、俺の中身を空が引っ張りだしたのかは分からないけれど、鮮明だった。そんな彼を大きな両腕で優しく包み込み、慰めるのも空なのだ。
大きなキャンパスは色んな物を映し出す。初めて会った無愛想な彼、仕事に快楽を見いだす彼、俺にしか見せないと思っていた表情も全て全てキャンパスには映っていた。何の戸惑いもなく、見せ付けるように。

彼も此処で自分自身を見ているのだろうか。それとも俺の顔が思い浮かんでいるのだろうか。考えて、此処からは地面が見られないことに気付いた。俺の存在は此処からは全く分からないんだ。
空が綺麗すぎて、落胆している俺を嘲笑っている気がした。

ほら、期待なんかするからだ。

奪わないで欲しいと叫ぶ立場ではない。だから叫ばない。けれど、憎かった。蒼く輝いて彼を誘う世界は、とてもとても遠く見えた。



「めずらしいな、イヴェール」


聞き慣れた声が響いた。反射的に顔を上げて屋根の上を探す。声の主は何処にも居なくて自然に下に居ると気付いた。梯子まで歩いてローランサンを見下ろす。

「…、おはよう」

「おはよ。朝飯も作らないで何処行ったかと思ったら、何で屋根に居るんだ」

怖いもの見たさだよ、そう笑おうとして止めた。
梯子に足を掛けて、ローランサンと同じ地面に立つ。風は弱まり、空は天に帰った。これでいい。これが一番良い。

「なぁ、このまま朝飯食いに行こう?」

そう言ってローランサンに手を差し出す。目を丸くして彼はそれを眺めたけれど、やがておずおずと指を絡めた。大きな手のひらの体温に落ち着きを取り戻す。
このまま朝飯を作りに宿に戻ったらまたローランサンが屋根に逃げてしまう気がした。それはどうしても避けたかったため、手を繋いで彼を繋ぎ止める。


お前の居場所は空じゃなくて、此処だ。此処であるべきなんだ。


自惚れていると空に笑われても構わない。
何処かに飛んでいかないように、強く強く手を握り締めた。
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