(少ルキ)

いつだって彼は完璧。ボクが彼に勝るものは何一つなくて、幼い頃からの憧れだった育て親。ボクたちはノアと呼んでいる。漆黒を纏う彼は表情を表に出さず、何だって軽くやりとげてしまうからたまにボクは彼が本当に人間なのか疑うのだ。誰がが彼を魔術師だと言っていた。うん、なるほど。彼にぴったりだ。
この施設にいる子供は殆ど似たような存在だと思う。その中で黒の神子なんて地位を貰ったボクは、誰よりも完璧を求められる。みんながみんなボクを崇め、大切にする。なんて鬱陶しい空間なんだろう。同じような存在で構成されているから、皆自分の色を知らないんだ。自分がどんな存在なのか考えたこともないんだ。だって、分かっていたらボクが彼らと何一つ変わらない子供なのだと分かるはずだから。


「ルキア、何か機嫌悪いね」

上から眠そうな声が降ってきた。驚いて視線を上げると、白髪の少年が高い木の上からボクを見下ろしていた。彼は暇があればそこに座って空を眺めているから、視界に映してからは軽く納得できた。寒いのに良く外に出るなと感心したが、短いスカートで外に出るボクも全く人のことを言えない。寒いからだよ、と嘘をつけば少年は顔を傾げた。しかし深く追及はしない。それが彼の良いところだ。

「空見てたの?」

「うん」

「飽きない?」

「他にすることないから」

冷たい風が刺すように露出した肌を刺激して、何だか不公平だなと思った。少年に当たる風は優しくて気持ち良さそうだ。あそこは彼の舞台なんだろう。自由に施設の外に出れないから、ああして自由を想像しているのかもしれない。彼の横顔は機嫌が良かった。でもここからじゃ視線が低くて何も見えない。やっぱり不公平だ。

「キミは何だか違うものを持っているね」

ボクの言葉に少年は驚いてボクを見た。年相応の表情が可愛らしい。大した意味を含んだ言葉ではない。完璧を求め、同じものしか生み出せないこの馬鹿馬鹿しい空間で、彼だけはどこか違った雰囲気を持っていた。生まれる前には父が死んで、物心つく前には母が死んだ。そして、似たような奴は何人もいた。皆本に知識を求める賢者気取りで、世界を全く知らない愚者だ。歴史を、未来を識った気でいる。本当は何も識らないくせに。
ボクが黒の神子なのも、意味のない称号でしかないんだ。ボクは世界を何一つ知らない。
だけど彼だけは違った。彼は空に全てを求めている。

本の挿絵がどんなに綺麗でも、外の美しさには劣ることをボクはずっと前から知っているじゃないか。モノクロの絵が、カラーの絵の鮮やかさを表現できないのと同じなんだ。

「ねぇ、降りて来なよ」

「ルキア?」

「少年…って呼ぶのは変だし、名前つけてあげる」

ボクらは全て似たような存在。この世界でボクは掃いて捨てるほどいる。名前で区別されるのもそういう理由。特別で違う存在の少年は、だから名前がないのだろうか。ボクはふと不思議に思った。

「名前?」

「うん、だって不便じゃないか」

「…考えたこともないけど…」

養父も子供たちとは違う存在だけど、少年もまた異質だ。本当は名前なんて必要ないかもしれない。だって彼には同じものが存在しない。それはボクにとっては羨ましいことで、願い下げだ。区別されなきゃ自分がどんな人間か分からないじゃないか。でも、区別されることで自分のちっぽけさに気づいてしまうのはもっと願い下げだ。そういうのは絶対知らないほうが良いんだ。ボクだって、黒の神子という称号を頂いて浮かれていれば良かったのに。世界のことを識ったふりをしてふんぞり返っていれば良かったのに。理念は煌びやかに人を飾り立て、中身は大したことがない現実がボクを苛める。世界だって似たような理念に振り回されているから、ボクらはその理念にしか触れることを知らない。識らなければ良かった。

だから、キミも自分がどんな存在か知れば良いよ。ボクの愚かで幼稚な自尊心からの嫌がらせだ。

「白鴉、はどう?」

木から飛び降りる少年がとても優雅で、空を背景にボクの目に映ったから咄嗟に口から紡がれた。うん、白鴉だ。我ながら的を得ているじゃないか。白鴉はぽかんとした顔でボクを見つめて、やがて少し照れた顔で微笑んだ。

「…ありがとう」

その名前から出た理念と現実は彼の場合ぴったりと一致していた。彼の笑顔を見つめて、ボクは驚く。やっぱり彼はどこか違う。ルキアとは光。黒の神子は特別。果てしなく一致しない世界の中で、本当に言葉に合う存在がいるとは酷い裏切りだ。

「やっぱり不公平だよ」

口を尖らせて背を向ける。でも気分は良かった。不安げに顔を覗き込んでくる白鴉に、思わず吹き出した。肩を震わせて歩くボクの後ろを慌てて彼が追い掛ける。思い込みは思い込みでしか無かったと知って、悔しさよりも希望が芽生えた気がした。白鴉はきっと何よりも正直者だ。

「嘘、ありがとう白鴉」

「…え?」

「ううん、なんでもない」

今度、彼の指定席に自分も座らせてもらおうと決心して、ボクらは仲良く施設に戻った。
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