(盗賊)


時の流れとは残酷なもので、昔と今では自分を形容するものが何もかも違っていると断言していい。十年前も、二十年前も、生まれた瞬間も、俺が存在するという太い軸は存在していた。意識していたか否かは別として。でも周りを囲むものは全て新しく擦り変わってしまった。なんだっけ、これ。なんかどっかの宗教と同じ考えだよな。とりあえず何が言いたいのかというと、俺は昔の自分とは同一人物であり全くの別人だということだ。だから昔は簡単に出来ていたことも、すぐにやり方を忘れてしまう。

「…お前は本当に笑顔がへたくそだな」

ぐにーっと俺の口の端を引き延ばしながらイヴェールは苦笑する。苦笑といっても、悪戯をしている子供みたいな表情を作っている。素直な感情の現れだ。これも笑顔のうちに入るのだろうか、と弄られながら彼の顔を観察する。俺はどうやら笑顔を作ると口元を吊り上げるから意地悪く見えてしまうらしい。獲物を狙う時とか凄く楽しそうだけどな、とイヴェールは呟いた。彼は仕事中に俺の横顔を盗み見たりしているのか。
イヴェールは喜怒哀楽が豊かなわけではない。テンション上がってる時も暫く分からないものだし、酷く落ち込むことがあればまず俺の前に姿を表さない。そして酒でも飲んで何でもないように帰ってくる。でも笑顔を作るのは上手かった。それが偽物だとしても本物に似せるのだからたいしたものだ。違いが分からない。俺の場合、幼い頃はしょっちゅう笑っていたと思うけど、成長するにつれて要らないものとして他のものと一緒に捨ててしまった。それを今更取り戻すというのは案外難しい。楽しいことを思い出して御覧よ、とイヴェールは冗談混じりに助け船を出すが、それは俺に届く前に泥船に変わる。俺には楽しいという感情を何処に植え付けたら良いのか分からないのだ。

「……強いて言うなら宝石げっと、とか」
「…そういうのじゃなくてさあ」
「例えば?」
「例えば、今日は浴槽のある宿に泊まれるとか、パン屋の行列が短いとか、露店のおっさんが気前良くて値引きしてくれたとか………」

3つほど例を挙げた後に、イヴェールは首を横に振った。違う、と自分にツッコミを入れているみたいだ。俺も同じ意見なので、黙ってイヴェールを見つめる。それ、楽しいじゃなくて、幸せを感じる例えだって。

イヴェールが笑顔を強制してくるのは、大抵仕事関係のことだ。笑顔は相手を惑わす最大の武器と言っていい。それが世間知らずのお貴族様なら一発で罠に掛かる。商人が笑顔を武器にして交渉しようとするのとあまり変わらない。それは理解はしているんだが物事は上手くいかないもんだ。もし俺が仕事を楽しいと感じているとしても、その時の笑顔がへたくそだったらイコールで繋がらないのかもな。

イヴェールは相変わらず俺の口を引っ張っている。俺が喋ろうとすれば一度離して言葉に耳を傾け、終わればまた引っ張る。何がしたいんだろうとイヴェールを見つめても、答えは返ってこない。ただ愛想笑いを続けている。もしかしたら俺が笑顔を作ることが彼にとっての理想なのだろうか。そんなこと出来ないなんて分かり切っていることなのに。
イヴェールは笑いながら無表情を貫き通していた。合わせた瞳は小さく揺れている。イヴェールは目を合わせるのを少し躊躇っていた。器用な奴だから今更それを不思議に思うことはない。あ、と気付く。ああなるほど。自分でも驚くぐらいその正体が解明出来てしまった。俺はその奥の感情が揺らぎ、崩れるのをじっと待つ。

「お前の良いところだよ」

褒められている気がしないけれど褒められた。飽きずに口の中に突っ込んでいる指は、何かを探しているように感じた。俺の口に笑顔は存在しねぇって。それを知っていてなんでさっきからそうしつこく弄ってくるんだ馬鹿野郎。文句を心の中で言いながらも俺はその行動の意味をちゃんと気付いている。イヴェールは知らないだろうけど。喋りたい、と目で訴えるとイヴェールは驚いておずおずと指を引いた。銀の糸が欝陶しかった。

「俺が笑えばお前も笑えるのか」

尋ねてもイヴェールは笑顔を絶やさない。
何処までも完璧で理想で強い俺の相方。
俺は奥の感情が揺らぐのをじっと待つ。

「どうだろう」

震える声を聞いて、逃げ場を作ってやれば良かったと後悔し始めたが、どちらにしろ俺に不可能なことなのだから仕方ない。俺は上手く笑えない生きものだ。逆にお前は笑顔以外の表情が苦手だな、と意地悪く口角を上げてみた。奥の感情は逃げ切れないと叫び声を上げはじめていた。可哀相に、閉じ込められた分痛みは大きい。俺が笑うことが出来たら彼もつられて笑えたかもしれない。仕事以外で笑顔を強制してきたと気付いてなんだか少し笑いそうになった。まあそんな俺だから、相方を支えてやることなんて到底出来ないと思う。

俺の口から目的の言葉を捜し当てたのか、新しい逃げ場を見つけたイヴェールの笑顔は崩れていた。

「ああもう、お前が居なければ声を上げて泣けたのに」

しらねーよ、そんなん。
泣け泣け、泣き喚け。泣いて全て忘れろ。
出来合いの愛想笑いなんてやめちまえ。
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