桐青高校野球部の練習は厳しい。ただでさえ厳しいのに今は合宿中だ。
それはもう生半可な厳しさではない。
3年生ともなればこの厳しさにも慣れてくるが、それでも体力の限界ギリギリまで練習は続く。
1年生にとっては地獄といっても過言ではないほどの辛さ。
それでもみんな必死に走ったり球を追いかけたりしている。
ふざけるときは全力でバカをやるけど、野球に対しては真面目で練習熱心なのがうちの部のいいところだと思う。
私自身もここ数日で体力も筋力も、あと監督からの罵声への抗体もかなりレベルアップしている。
「夏姫ー!!」
ほら、まただ。
怒鳴り声に近いお呼び出し。
「はーい」
監督の声はよく届く。学校に居る時から散々怒られていたから恐怖心というものはそこまで感じなくなってきていた。
いろんな部員が監督には怒られているけれど多分、一番こうやって名前を呼ばれる回数が多いのは私。
ちなみに、一番穏やかに名前を呼ばれる回数が多いのは絵里ちゃんだ。
「遅い!さっさと動け」
「すみませーん」
こっちはこっちで忙しかったんです!なんて口答えしても無駄なので素直に謝っておく。
「絵里は?」
「絵里ちゃんならお昼ご飯の後片づけやってくれてますけど」
時刻は1時半。午後の練習をみんなが始めた頃、私たちマネーージャーは二手に分かれて山のようにある仕事をこなす。
外は暑いから嫌なの、なんて言って絵里ちゃんは食堂に籠り、私に普段のマネージャー業をやらせるけど、大変さで言ったらどっちもどっちだ。
それに仕事の早い絵里ちゃんのことだ、片づけが終わったらすぐこっちを助けてくれるのだろう。
「そうか」
「はい」
監督が一瞬悩んだ表情を見せる。
しかし、私をじっと見ると考えるのをやめたようにまた口を開いた。
「なら仕方ないな。お前ひとりで行ってきてもらおう」
「なにがです?」
ニィと意地悪く監督は笑う。
私は何のことかわからず、首を傾げた。
「集合ー!」
和さんの声に一斉にあちこちに散らばっていた部員たちが集まる。
みんなの顔色を見て、和さんはまた口を開いた。
「うっし、じゃーこれから10分休憩す…」
「あー!!もう知りませんっ!本当に知りませんよ!!私、知りませんからねー!!」
しかし、それをかき消すほどの大きな声が俺たちの耳に届く。
「…夏姫うるせー」
慎吾さんが耳に指を当てながら笑った。
「またいつもの喧嘩っすかねー。夏姫サン元気すぎるー」
ねー準さん、と利央がへらっとした表情でこちら向く。
声のした方では監督とうちの部のマネージャーである星崎が向かい合って何やら言い争っている。
星崎がこの部に入部してからそれほど経ったわけでもない。むしろこの部で一番最近入部したのは星崎だ。
それなのにこの日常感。
星崎のことは去年から同じクラスだったからもちろん知っていた。
けれど、こんなヤツだったんだと、この1ヶ月ほどでやっと知り始めたような気がしている。
これまでは去年からマネジをしてる絵里の友達だというくらいの認識でしかなかったから。
監督は部員にミスがあるとかなり厳しい言葉を多く放つけれど、##NAME1##はすごく強い心を持っていると思う。
正直、この部にいることは女子にはキツだろうと思っていたから、かなり意外だった。
最初、星崎の印象は本当に普通の子だった。話していてもぐいぐい来るタイプではなかったし、たまに不思議なところがあるおもしろいヤツだという程度の認識。
でも、そんな考えは少し失礼ずぎたのかもしれないと今更ながらに思う。
「そこまで言うなら出てけ!もう戻ってくんな!」
「はい!出てってやりますよ!お望み通り戻ってきません!せいぜい、私なしの辛さを思い知れってんですよ!」
大げさに叫び、星崎はグラウンドを飛び出していった。
「あーあ。本当に出てっちゃった」
おもしろそうに利央が笑う。
「でも、今は絵里もいないし、夏姫なしで練習回せるか?」
誰かがそう口にした途端、部員たちが考え込む。桐青高校野球部は伝統のある部だ。
おかげで部員数は多い。しかし、マネージャーはとても少ない。入部希望者は多いのだが、続く人材はとても少ないんだ。
「おい!1年!」
機嫌の悪そうな監督の声が飛んでくる。
びくりと肩を震わせて1年たちが監督の方を向いた。
「お前らは今日1日雑用だからな」
えーっと俺の隣でやかましい叫び声をあげたのは利央だ。迅や他の1年もまた不満そうな声を上げるが相手は監督だ。敵うはずがない。
文句を正々堂々、監督に向き合って言えるのは星崎くらいだろう。その結果、星崎は今グラウンドを出て行ってしまったわけだが。
俺達2年はその苦労を去年1年味わってきたのだから、1年が監督の使いっぱしりにされることは当然のように思える。
「せいぜい頑張れよ」
俺が利央に意地悪く笑いかけると利央のいーっと歯を見せて反応を返す。子供か。
「準サンのばーか!機嫌の悪い監督のお世話なんて夏姫サン以外にできないってわかってるくせにー!」
それでも、監督の指示を仰がねばならない1年生たちはベンチへと全力で駆けて行く。
俺は星崎が走って行った方を見つめる。
どこまで行く気なのだろうか。星崎が走って行った方はこの合宿所から出て行く方面になる。
もちろん出て行ったところで彼女に行くあてもないのだろうけれど。
「夏姫、どこ行ったんすかね」
タオルを手に取り、スポーツドリンクに口を付けていた山ノ井に尋ねる。
「んー?まぁほっときゃそのうち戻ってくんじゃね?」
さして気にしていない様子で先輩である彼は返事をした。
そう言われてしまえばそれまでだし、監督と星崎の喧嘩はもう数えきれないほど見てきた部員にとっては今回のこともそれほど気に留めることでもないのだろう。
「そうっすね」
だからこそ俺もあまり深く考えていなかった。
その日の夕方、彼女がいないことに部員たちが気づくまで、彼女の行方が分からなくなっていたことに。
マネージャーの消失
(あれ…そういえば夏姫どこ行った?)