「そんなに香穂がいいなら香穂と付き合えばいいじゃない」
言った。
言ってやった。
日頃からずっとずっとずーっと思っていたことをついに私は言ってやった。
対する加地葵はぽかんとした顔をしたまま固まっている。
この加地葵という男は、私の友人、日野香穂子が大好きなのである。
大好き…いや、そんなものじゃない。
彼の世界の色彩は全て香穂子によって生み出されているようなものなんだ。
…って私がこんな表現するなんてずいぶん毒されてきたと思う。
もちろん、この彼氏(一応)に。
口を開けば日野さん日野さん。
まるでポエムを読み上げるようにすらすらと彼の口からは香穂子を讃える言葉が出てくる。
『ヴァイオリンを弾いている時の日野さんってまるで女神…いや人魚のように幻想的でつい魅入ってしまうんだ』
この発言はさすがに引いた。
彼女にする話じゃないと思うのは私だけじゃないよね?
それでも、話をするときの加地くんの幸せそうな顔を見るとつい『うんうん』と話を聞いてしまう私は甘いと思う。
思う、けど…。
今日は我慢の限界だった。
「えっと………」
「香穂なら今頃カフェテリアだから。行ってきたら?」
冷たく、できるだけ感情を込めないで言葉を発した。
そりゃ…香穂は普通科なのにヴァイオリンかなりうまいし、明るくて頑張り屋だし、かわいいよ。加地くんのいうことが全くわからない訳じゃない。
音楽の知識が全然ない私ですら、演奏を聞いていたらなんだか楽しくなったり、鳥肌がぶわあって立ったりして、言葉では上手く言えないけどすごいなあって思う。
でも…。
だけど……。
「それって…嫉妬って思っていいかな」
「…は?」
いつものにこにこ顔で加地くんは言い放った。
な、なに言ってんのこいつ。
嫉妬…?
「そ、んなんじゃない!!」
「いたっ」
近くにあった英語の教科書で加地くんのあたまをぽかり。
違う違う。
嫉妬なんてそんな…、よくわかんないけど恥ずかしい。
違うんだ。
そんなんじゃなくて
私が言いたいのは
加地くんがばかだってことで
香穂のことばっかりしゃべるから…!
私はただ、そういうの嫌だから
そんなんなら
加地くんなんて香穂のとこ行っちゃえって!
これ、嫉妬…?
嫉妬なんかじゃないよね…?
私が…
加地くん…嫉妬……
香穂に…?
カァッと顔に熱が集まる。
よくわかんないけど、熱い。
「ごめんね」
声にはっとして正面を見ると、すごく優しい表情をして微笑む加地くんがいた。
「…なに、が」
「日野さんの演奏は僕の憧れで目標なんだ。それは本当のことだから変えられない。きっと、これからもずっと」
大きな隕石が頭上に落下してきたような衝撃が走った。顔の熱が急変し、寒気すらした。
そんなこと、ずっと前から分かってたはずなのに言葉にされるとなんでこんなにショックなんだろう。
「でもね」
優しい顔のまま加地くんは続ける。
「日野さんへの憧れの好きと君への好きの気持ちは全然違うんだ」
やさしい、やさしい顔。
私はこの顔を知ってる。
学校帰り、交差点でばいばいするときに「またね」って言う加地くんのあの表情だ。
「日野さんは一人の演奏者として僕にとって目指すべき存在だけど…君は…
一人の女の子として何よりも大切で、君の笑顔が見られるなら僕はなんでもできるって…本当に、心からそう思うんだ」
「………っ」
優しくて暖かいような。
「これでも伝わらないなら、僕はいくらでも言うよ。君に分かってもらえるまで。明希さん、君が好きだよ。誰よりも君がね。ずっと一緒にいたいと思うし、今君とこうやって話をして居られることが僕はすごく幸せなんだ。…もし君が僕を疎ましく思ったなら、僕はすぐに君から離れるよ。でも、この君への想いは無くすことが出来そうにないんだ。君と付き合うことになった日、僕は確信したよ。世界で1番素敵なものを手に入れてしまったんだって…僕は誰より幸せな人間だって」
「〜〜〜…っ」
恥ずかしい、嬉しい、幸せ…いろんなものが私の身体を駆け巡る。顔はもちろん、右手、左手、左足も右足も。脳のあらゆる細胞にも…。まるで、血液のように。血液を送り出す心臓となるのは。…もちろん…。
「加…地くん、の…ばか…私も…大好きだ…」
彼しかいない。
「ふふっありがとう」
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
「また後でね」
「うん」
加地くんが自分の席に戻っていく。
途中「あ、林さん席貸してくれてありがとう」なんて言いながら。
いつもの香穂のとなりの加地くんの席に。
授業中も加地くんが私の前の席だったらいいのに。
そしたら、あの背中をみながらつまんない授業も頑張れるのに。たまにプリント回してくれる時後ろ向いて、にこっていつもみたいに笑ってくれそうなのに。
そしたら私ちょっと幸せになれる気がする。
「なーに?私じゃなくて加地くんがよかった?」
ハッとして前を見るとにやにやした友人が席に着いてこっちを見ていた。
「え!いや!そんな!」
「昼間っからあんたたち恥ずかしすぎんのよ!」
「ちがっ」
それは加地くんが!と反論しようとして途中でやめた。
次の古文の先生が教室が入ってきたし、なにより
私自身、振り返ってみると
恥ずかしいこと、してしまったから。
自覚はある。
加地くんと出会ってから私はすっごく恥ずかしい人間になってしまったって。