人は孤独を感じる生き物だ。
さみしい、と。
そう思ってしまったが最後。
心のどこがが欠けてしまったかのような感覚。
そこに冷たい風が吹き抜ける。
ひんやりとした風はその欠けた部分をより痛感させる。
間もなく雪が降り始めると天気予報が告げる頃。
私は1人、傘も持たずに街中をふらふらと彷徨い歩いていた。
そんな時だった、私が彼に出会ったのは。
幸か不幸か、天使か悪魔か。
今でもそれは分からない。
けれど、私の生きる道はガラリと変わった。
そこが天国なのか、地獄なのか。
それもまた、私は分からなかった。
「明希ー?明希ー?」
女の子のようにかわいいトーンで私を呼ぶ声。
とあるテレビ局のとあるアイドルの控室。
「はいはい」
気だるげに私がその部屋へ入ると、私と目線がほぼ変わらない少年が抱きついてきた。
「もー、どこ行ってたの?ボク何も聞いてないんだけど」
「皇くんには言っておいたもん」
彼の後ろで寡黙な青年はこくりと頷く。
ボクに言わなきゃ意味ないじゃん、と膨れる彼を後目に私は呼びかけた。
「15分後に収録始めるって。ファンのみなさんももうスタンバイ出来てるらしいから」
「分かった」
備え付けのソファーに偉そうに腰掛けた鳳くんが雑誌を読みながら返事をする。
彼の目線は自身のインタビュー記事に釘づけで私に対して答えただけでも上出来なくらいだ。
この3人、HE★VENSのマネージャーを現在私はしている。
マネージャー兼雑用係と言ったほうが正確かもしれない。
「ねぇ明希?」
「なにナギ」
その中でも特にこの帝ナギという少年は一番の問題児だ。
「今日のボクすーっごくかわいくない?」
新作のステージ衣装に身を包んだ彼が私から一歩離れてくるりと回って見せる。
「うん、そうだねー」
適当に流そうとすると彼は苛立った表情で私の腕を掴んだ。
先ほどまではアイドルらしく媚びた表情をしていたのに一瞬でその顔で冷めたものに変わっている。
「は?」
「……トテモカワイイトオモイマス」
そんな彼の心の浮き沈みにも慣れたもので、今更怯えるようなものでもない。
私は心底めんどくさそうに返事をした。
「それ本気で思ってないでしょ。それとも何?女の明希よりボクのがかわいいから嫉妬でもしちゃったの?」
それこそ「は?」と返したくなる。
しかし、表情を歪めるだけで口にしないのは私が大人だからだ。
「あははー。そっかぁ、そうだよね。ごめんね、明希。明希だってこんなにかわいいボクと毎日いたら自信喪失しちゃうのも無理ないよねぇー。大丈夫だよ明希も多少はかわいいからぁ」
どうやらナギは今日の衣装が大層お気に召したようで勝手な解釈をして私の頭を機嫌良さそうに撫ではじめた。
今日のナギの衣装はいくつか候補があったのだが、これがいいと思うとスタッフに提言しておいて正解だったみたいだ。
「ボクの明希はかわいいなぁ。ボクに嫉妬かぁ…ふふっ」
”ボクの”という言葉に引っかかるが、まぁ強ち間違いでもないのでそのまま私はテーブルに置きっぱなしになっていたナギのケータイを手に取った。
「はい、ナギ。ブログ用に写真撮るんでしょ?」
カメラを起動して、壁際へ彼を促す。これももう慣れたもので私の仕事の一つ。
鳳くん皇くんはさほど自身の日常をファンに露出させる気はないようだが、ナギはこうして頻繁に写真を撮ってネットへアップしている。
「あ、そうそう!そのために明希を探してたんだった」
カメラを向ければしっかりと外向けの表情を作るナギ。
今日はピンクの入った衣装だからか両手のピースサインを頭に当て、若干の上目使いで微笑んでいる。
「うさちゃんピース♪」
カシャ、とシャッターを切る音がするとすぐさまナギは私の手からケータイを奪った。
「うん、おっけー!あとでアップしよっと」
満足したのか、ケータイを再びテーブルに放るとナギは私の腕を組む。
「今日は新曲披露だもんねー。がんばらなゃ」
「はいはい、がんばってね」
鳳くんの向かいのソファーに私ごと倒れ込んだナギはやっぱり機嫌が良さそうだ。
たとえ私が、ぐえっと口から苦しみを表現したとしても聞こえないくらいには。
「ナギ、明希が重そうだ」
ナギに潰されるように倒れている私を見て、皇くんが口を挟んでくれた。
それはとてもありがたいことなのだけれど、
「綺羅には関係ないでしょっ!明希はボクのなんだから!」
このわがまま天使さまには通用しないらしい。
「明希はボクが拾ってボクが飼ってるんだもん。文句ないよねー?」
「いやいや、文句は山ほどあるけどね」
それでも従順にお仕事をこなして脱走しない分、私はきっとこのご主人を嫌ってはいないんだと思う。
あの日に彼に拾われてからというもの、今日まで私は彼の傍らでこうして生きてきた。
今更逃げて、またあの頃に戻ることに意味はないのだろう。
「明希、ボクが今日収録に参加しないって言い出したらどうするの?」
「どうすると言われても」
「マネージャーである明希が偉い人にたくさん頭下げなきゃなんないんだよ?嫌でしょ?口うるさいオッサン共にへこへこすんの辛いでしょ?だから、明希は大人しくボクに従ってればいいんだよ」
なんだその理屈は。
「そろそろ時間か」
これまで私たちの会話に無視を決め込んでいた鳳くんが立ち上がる。
それを見て、抱き枕のように私を抱えているナギが不満の声を上げた。
「えーもうちょっとここにいてもいいじゃーん」
「今日の収録は客まで入れてるんだ。時間通りに始めるぞ」
「…ちぇー」
リーダーなだけあって、ナギを言いくるめてくれた鳳くんに私は感謝をしつつ、立ち上がったナギに続いて体を起こす。
しかし、その油断した一瞬。
ナギの唇が私の額に降りてきた。
「明希はボクのって印だからね。ステージ袖でちゃんと見てること。変な大人に捕まらないこと。いい?分かった?」
「…うん」
子供の独占欲だ、と思っていられるほど大人だったら良かったのに。
ナギより随分私は年上なのに、ナギのこういうところにほっとする自分がいる。
初めて会った日からナギは変わらない。
悲しみに暮れて地面に座り込んでしまった私に降り積もる雪。
それを遮るように傾けられた傘。
天使の微笑み。
『おねーさんどうしたの?捨てられちゃったの?ボクが拾ってあげようか?』
全て捨ててもいいと思った。
私に手を差し伸べてくれるのなら、必要としてくれるのなら。
今が全てだと思えるから。
皇くんが部屋を出る、ナギもその後に続く。
まだ残っていた鳳くんが私を見て、ふん、と鼻で笑うと眼鏡を指で押し上げながら部屋を出て行った。
なんなんだ。
私の考えなどお見通しだとでも言いたげな鳳くんの表情を思い出して、むっとする。
がらんとした控室。
私にはもう居場所がある。
さみしさなんて感じない。
私を待っていてくれる人がいるんだから。