イライラしているのは分かっている。
自慢の髪を一括りに結んで、私は頬杖をついた。
机の上にはアルバム。
私と瓜二つの兄が真面目な顔をしてこちらを見ている。
そのとなりの私は反対に随分と楽しそうで、これから始まる小学校生活に想いを馳せているようだ。
兄の肩には父上の手が乗っている。
父上は私たちをとても大切にしてくださっている。
でも、特に兄…双子の兄の真斗を大切にしていた。
将来はこの聖川財閥を継がせる気だったからだろう。
「…ばかまさと」
真斗は育ちのためかとても堅い人間だった。
私が幾分か甘やかされて育ったのと対照に、真斗は私の分も背負い込むように自分の意志よりも家を重んじていた。
所詮、私は聖川のお飾りだった。
重圧は期待はすべて真斗が請け負ってくれたし、親戚や財閥の取引先の大人たちからは「明希さんはまるで人形のようにかわいいですね」と持て囃された。
礼儀作法こそ厳しく躾けられたものの、学もさほど重視されなかったし、趣味などもあまり口出しされなかった。
全ては、真斗の存在があったからだ。
その真斗が、家を出て行ってからというもの、私への周囲の目は変わった。
「なぜお前はそんなこともできない」
真斗なら当然できるのに。
言葉にされないが、分かっていた。
謝り、うつむく。
真斗とは縁が切れたわけでもなんでもない。
けれど、彼は聖川の檻から出て行った。
首輪はつけたままなのかもしれない。だが、外の世界に出てしまえば首輪を切ってしまうことなんて容易いのだろう。
信じられなかった。
真斗は、絶対に聖川家を裏切るようなことはしないと思っていたし、なにより、アイドルなんて俗物に興味を持つとは思えなかったからだ。
分かっていた。
真斗に全てを任せて、私だけが自由に暮らしているなんてあってはならないことだと。
私たちは双子なんだから、幸せも、苦労も半分づつ受け持つべきだと。
でも、真斗は優しかったから甘えていた。
頼って頼って頼り続けて…。
ふっと突然消えてしまった。
「ごめんね…」
居なくなって、初めて理解した。
真斗が私の代わりに受け持ってくれていてくれたもの。
声が震える。
今まで、私がのんびり過ごしていられたのも真斗のおかげだった。
背後で物音。
反射的に振り返る。
「おねぇちゃま!おにぃちゃまが…おねぇちゃま?」
部屋の扉、小さな隙間を開けて幼い妹がこちらを見ていた。
「泣いてるの?」
眉を八の字にして真衣が私を見る。
こんな情けない顔を見せてはいけないとすぐさま表情を変え、笑みを浮かべた。
妹だけは私が守らなければならない。
「ううん、なんでもな…」
がらりと扉をさらに開けられ、真衣の後ろに立っていた人物が私を見た。
「…ま、さと」
全寮制のアイドル養成学校へ通っているはずの片割れがそこにいた。
「明希…」
「真衣?少し明希と話がしたい。後で呼ぶから部屋で待っていてくれるか?」
真斗がそういうと、妹は勢いよく頷いた。
「はーい!」
廊下を駆けていく真衣の後姿を見届けると、真斗が当然のように私の部屋へ入ってきた。
入ることを許可した覚えはないが、お互いの部屋の行き来は今更だ。
「どうして…ここに…」
「週末の間だけだが、帰宅の許可を得たのでな」
…そういえば今週末は会合があるって父上が言っていたような気もする。
私では至らないから真斗を呼び戻したのだろうか。
「アルバム、か」
私の隣に立つと、真斗はぺらりとページをめくった。
どの写真も私ばかりが満面の笑みを浮かべている。
「…明希、すまない」
真斗の声が弱くなった。
そして屈みこみ、私と目線を合わせる。
まるで鏡のように瓜二つだった外見も今では男と女、似てはいるものの違う人間になってしまっていた。
「何が…?」
「その、お前になんの相談もなしに早乙女学園への入学を決めたことを…」
その言葉を聞いて私は露骨に顔を歪めた。
きっと真斗は嫌なことがあってもこんな顔をしたりはしない。
するとすれば大嫌いな虫が出たときくらいだ。
「そのことに関してはまだ私怒ってるからね」
「当然だな…」
「…ううん、真斗は分かってない…!」
席を立ち、そのまま真斗に体を預ける。
驚いた顔をしつつも、真斗はしっかりと私を抱きとめた。
ほら、こういうところ、真斗は私に甘い。
「私が怒ってるのは、入学したことじゃないよ」
ぎゅっとその背中に手を回した。
私の、私だけの真斗。
それが変わってしまうのは寂しい。
私の知らないところで、真斗はいろんなものを見て、触れて、感じて大人になっていくんだろう。
ずっと隣にはいられない。
「私に何も言ってくれなかったことは、…確かにちょっと怒ってるけど、それ以上に怒ってるのは、私自身に」
「明希自身?」
「そう。ごめんね、真斗。甘えてばっかりで、真斗にばっかり大変な思いをさせて」
「それはちが…」
「させてるよ…。真斗、ごめん、ごめんね。真斗の夢、私応援したいんだ。真斗がやりたいって初めてわがまま言ってるんだもん。私は他の誰より応援したい。そのためなら、いくらでも真斗のが背負ってきた辛いもの私が代わりたい。でも、だけどね…」
私がぎゅっと握るせいで真斗の服がくしゃくしゃになる。
「さみしい…っ」
その胸に顔を埋める。同じ目線だったはずなのに、気づいたらこんなにも、違う。
「…明希…」
真斗みたいに割り切れない。
いい子ではいられない。
頭に回される手が心地よくて、いつまでもこのままで居たくなる。
「…俺もお前と居られないのは辛い。これまでも、これからもずっと俺たちは唯一無二の存在なのだからな。…しかし、明希。俺にはどうしても成し遂げたい夢ができてしまったのだ…」
「…知ってる、アイドルになること、だよね?」
ちゃんと真斗の言いたいこと、やりたいことは知ってる。分かってる。
だって…私たちは双子だから。
真斗がどんな思いでその学校へ行くことを決めたのかも。私のことを本当はずっと、誰より考えてくれていることも。
「だから、止めたりしないし、真斗ががんばることは私が反対するはずない」
それでも分かって欲しいのは、笑顔でいってらっしゃいって言えないダメな妹のこと。
「真斗…。頼りない妹でごめんね……」
「そんなことはない…」
同じ肌の色をした手が髪を滑る。
「お前は俺の自慢の妹だ」
同じ瞳の色をした視線がぶつかる。
「お前はお前のまま、したいことをすればいい。俺の代わりだとか、そういうことは考えるな。明希は明希、俺は俺なのだからな。お前の良さは俺が1番よく知っている。だから、笑っていてくれるか?」
「…うん……うんっ」
私がちょっと無理やり笑顔を作ると、真斗は安堵するように口元を緩めた。
「それでいい」
真斗が片手でアルバムを閉じる。
私がそれに気づき、また不安を顔色に出すと真斗は笑って答えた。
「いかんな。どうも写真を撮る時はこのような表情をしてしまう。これからは、少し柔らかい表情もしなくては…。明希のような、な」
そう言った真斗の顔はとても優しくて、この表情を写真にできれば真斗はきっと素晴らしいアイドルになれるのではないだろうかと思えた。
「真斗、写真撮ろ?」
顔と顔を近づける。
「今か?しかし、カメラを用意しなければ…」
突然始まる私のわがままに慌てる兄。
しかし、そんな真斗を余所にケータイでいいからとすぐに私はカメラを起動させた。
「いくよ?はい、チーズ!」
機械のカシャッとした音が和室に響く。
固い表情を作る間もなくシャッターを切ったため、小さく口を開いたままの真斗としっかり微笑んだ私の顔が画面に表示されていた。
「相変わらずお前は写真映りがいいな」
「それどういう意味?」
「い、いや、悪い意味ではなく!」
二人で小さな画面を覗き込んで笑い合う。
「アルバムにこれも増やしておくね」
「これをか?せめてあと一回撮り直さないか?」
「いやでーす」
ずっと同じ道を歩めるはずはないけれど、私たちが双子である事実と、このお互いの心の距離だけは永遠に変わらずにいると確信を持っている。
それが私たちの運命であるはずだから。