「明希、また天使が来てるよ」
つん、と友人が私の肩をつつく。
その言葉に顔を上げると、慌てて私は鞄に教科書類を詰めた。
「おまたせ」
教室を出て、声をかけるとチェロの入ったケースを抱いている天使が廊下にももたれ掛かり、眠っていた。
近づきその透き通るような白い肌、陽のひかりのような美しい金髪を見つめる。
本当に、天使みたい。
やがて、伏せられていた瞼がゆっくりと開いて、空色の瞳が私を捉えた。
「あ…、せんぱい」
ふんわり微笑まれると、ついどきっとしてしまう。
女の私なんかよりずっとずっと綺麗な顔。
「待たせてごめんね、志水くん」
「いいえ、行きましょうせんぱい」
ゆっくりとその口から紡がれる言葉は彼が奏でる曲のように優しい音で、私の心を捉えて放さない。
歩き出すと同時に手を繋がれる。
となりに並び実感するのはその身長。
年下だし、見た目は天使そのものなのにそこはちゃんと高校一年生らしく成長していて、ちょっぴり頼もしいくらい。
私たちが一緒にいると、学院内の生徒が振り向いては噂する。
あれって志水だよな?となりの子誰?
もう何回目か分からないほど聞いたセリフ。
えーえー、どうせ私は普通科で見た目も普通だし、音楽科の天使さんとは釣り合いませんよー。
でも。
「せんぱい?」
「ううん、なんでもない」
そんな周りの声も志水くんには全く聞こえていないみたいで、この子の耳には好きな音楽と私の声しか届かないらしい。
志水くんは学内コンクール参加者でこの容姿だから、学院内での知名度はとても高い。
だから、いろいろ知らない人からも言われるけれど、志水くんが私を選んでくれたんだからなんでもいいじゃない。
私が彼を誘惑した悪魔だとでも?失礼しちゃう。
舞い降りてきたのは天使の方なんだから。
「私、クラッシックあんまり詳しくないんだけど楽しめるかなぁ…」
校門を潜って、駅の方へ歩く。
今日は放課後デート。
以前、志水くんが「クリスマスコンサートのチケットがあるのでよかったら一緒に行きませんか?」と笑顔のオプション付きで誘ってくれたので二つ返事で了承した。
音楽科の友達とか、普通科でもコンクール参加者は何人かいたからそういう子たちを誘ってもよかったはずなのに私を選んでくれたのが嬉しかった。
「クリスマスの有名な曲が多いので、せんぱいも楽しめると思います」
「そうなんだ!」
「もしせんぱいが気に入る曲があれば教えてください。今度演奏します」
どうしてこれほどまでに愛されているのか私には分からない。
だけど、普段は眠そうにぼんやりしているこの子が私といるとそんな素振りも見せず幸せそうに微笑むから、それでいいかなって思ってしまう。
音楽ができるわけでもない、趣味が合うわけでもない。
そんな私が志水くんにはいいらしい。
「僕の好きをせんぱいには知って欲しい」
「志水くんの、好き?」
「はい、そして、せんぱいの好きも知りたいんです」
ちょっとだけ、志水くんが私に近づく。
息が白い。巻かれたマフラーに志水くんは口元を埋めた。
そっか。
そうだよね。
私たちはお互いを知らなさ過ぎるんだよね。
志水くんは私を好きでいてくれて、私も志水くんが好きだけど、お互いの好きなものを知らないんだ。
今まで全く違う世界を生きてきたから、好きなものが違いすぎるんだよね。
違う世界が交わっちゃったから、そこからちょっとずつ溶け合っていかなきゃいけない。
「うん、私も志水くんの好きなものをいっぱい知りたいな。私の好きなものもいろいろ教えるね」
「はい」
天使は笑う。
少しだけ、白い肌を赤らめて。
「あ…」
片手を上げて、水平にすると手のひらに白い粒が降りてきた。
「雪…」
通りで寒いわけだ。
ひらり、ひらり舞い落ちる白が街のカラフルなイルミネーションに加わる。
まるで
「天使の羽根みたいですね」
心を読まれるようにとなりで声がした。
志水くんが白雪に触れる。
雪は溶けて消えてしまった。
「…今、それ私も言おうと思ってた」
驚いて私が言うと、志水くんはとても嬉しそうな表情を見せた。
「せんぱいと同じことを体験して、同じことを思えたんですね」
私のこころがぽっと温まる。
どうしてこんなに、優しい気持ちになれるんだろう。
「せんぱいは僕の天使なんです。いつかいなくなってしまいそうで怖い。だから、繋ぎとめていたいんです」
志水くんは私が雪を乗せていた手のひらを空いている方の手で包み込んだ。
「天使は…志水くんの方でしょ?」
私はわけが分からず尋ねると、それこそ志水くんは分からないと、首を傾げた。
「僕が天使?」
「だってこんなに綺麗な存在、他にないよ」
私の言葉に、ちょっとムキになるように志水くんは答える。
「それなら、せんぱいの方が天使です。せんぱいが笑うと音が生まれるんです。僕にはない音。他のどんな人にもない音です。僕はせんぱいより綺麗な音を生み出せる人を知りません」
私の手をに重なる志水くんの手の甲に天使の羽根が舞い降りた。
すぐに消える羽根。
けれど羽根たちはどんどん降り積もる。
「せんぱい、もし本当にせんぱいが天使だったら、僕はせんぱいの羽根を全て無くしてしまいたいです」
真冬の雪の降る日。
人々は身を寄せ合うように過ごしている。
天使もまた、寒いのは苦手なようでぬくもりを求める。
神様に叱られてしまったって気にしない。
ちょっぴりわがままで、だれより怖がりな、天使たちがいた。