就職する時に資格とかあった方がいいのかな。
ぼんやり、そんなことを考えた。
だから、なんとなく教員免許でもとってみようかという軽いノリで私は大学で教員免許取得のための講義を受け始めたんだ。
「ねぇ、名前なんてゆーの?」
「名前?明希だよ」
そんな講義のレポート提出のために、私は近くの児童施設を訪ねた。
実習をして、その活動内容や感想をレポートには書かなければならない。
施設の園長先生はとっても優しい方で、私の勉学の助けになるなら喜んで。子供たちも喜びますと言ってくださった。
その施設では事情によって親と一緒に暮らせない子供たちが共同生活を送っていた。
両親がいなかったり、暴力を受けたり様々な事情。
私の実習というのは、放課後、学校から帰ってきたそこの子供たちとただ遊ぶだけという単純なものだった。
おかげで、他の講義には出席できるし、汚い話、そういう子たちの不幸を憐れむような内容を書けばレポートなんてすぐ出来てしまうんだろうな、なんて考えていた。
「俺、音也!一緒に遊ぼうよ明希ねーちゃん!」
だから私は実習をちょっと舐めていたし、こんなに忘れられない数日になるなんて思ってもいなかった。
「明希おねーちゃーん」
「鬼ごっこしよー」
「お絵かきーっお絵かきーっ」
「明希お姉ちゃん、宿題わかんない」
珍しい来客に子供たちは興味津々で、私の両手はすぐにいっぱいになった。
もともと子供は好きだったし、こんな風に私を取り合ってくれるというのは嬉しいもので、困った素振りを見せながらも私の顔はずっと笑顔が絶えなかった。
「明希!」
その中でも私に1番懐いてきた子、名前は一十木音也くんと言った。
音也くんは、とても明るく元気な子で、施設での実習が始まって、最初に私に話しかけてきた子でもあった。
「どうしたの?音也くん」
どんな子とでも仲良くして、幼い子達には兄のように振る舞う音也くんは面倒見もよく、とてもいい子だと思えた。
そんな音也くんがなぜ私にこれほどまで固執するのかは分からない。
実習の2日目から恒例となっていたのは、ランドセルを背おったままの音也くんが息がまだ整っていない状態で施設の門の下で私を待つ姿だった。
大学からそれほど離れていないため、講義が終わってすぐに私は施設へ向かう。そして、園長先生とお話をして、学校から帰ってくる子供たちを出迎える。
その予定だったのだが、音也くんだけは例外で、私と一緒に門を潜っていた。
門の真下できょろきょろして、私の姿を見つけるとぱぁっと笑い、駆け寄って来て手をとる。
これほどまでに懐かれたら、私だって人間だ。音也くんが可愛くないはずがない。
4日目には私は「音くん」と呼ぶようになっていたし、音也くんは私を呼び捨てにしていた。
みんな平等に接しなくてはならないと分かっていたけれど、彼が私のとなりに常に居るから自然と過ごす時間も増えていった。
「明希!こっち!」
最終日の5日目。
施設の裏にある雑木林の中、私は音也くんに手を引かれ走っていた。
「音くん?どこ行くの?」
「秘密の場所!」
「でも、もうちょっとで晩御飯の時間でしょ!暗くなったら戻れなくなるよ?」
がさがさと獣道を進んで行く。一本道だから迷うことはなさそうだけど、だんだんと闇が迫って来ている。
音也くんと私はそれから逃げるように走り抜けた。
音也くんには両親がいないらしい。
詳しく聞いていないけれど、きっと亡くなったんだと思う。兄弟もいないらしい。
施設にいるときはお兄さんっぽくみんなを引っ張っていくのに、私と二人っきりになると途端に身を寄せてくる。
もしかしたら、私をお母さんかお姉さんのように思って慕ってくれているのかもしれない。
「平気だよ!明希こわい?」
「ちょっとだけ」
「もうすぐ着くから絶対放さないでね」
自分の親しんだ場所だからか、その表情には余裕の色が伺える。まるで、年下を相手にするように音也くんは私に笑いかけた。
子供体温の暖かい手。
彼の髪色のような太陽は、既に沈んでしまっていた。
「ここだよ!」
林を抜けると小さな円形の広場のような場所があった。
そこだけ綺麗に木が生えていなくて、丸い蒼の空が見える。
「わぁ…」
その空の真ん中に白い月があった。まるで、小さなその空の檻に捕まっているかのよう。
「不思議な場所…」
現実とは切り離された空間に、私と音也くんだけがいるみたいに錯覚する。
「でしょ?俺の秘密の場所なんだよ!明希にだけ教えてあげる」
にこっと無邪気に笑って、音也くん私を見た。
「ありがとう」
私の胸くらいまである頭を撫でる。
すると、下へと手を引っ張られ私はしゃがみ込んだ。
「ね、ここに寝て?」
「こう…?」
仰向けに寝そべるとさっきよりも空が綺麗に見えた。
となりで音也くんが同じように寝転がる。
首だけこちらに回して、にこり。月光に照らされたその笑顔が、妙に儚くみえた。
ああ、そうだ。
今日でこの笑顔ともお別れなんだ。
そう思った時、手を繋がれた。
まるで…離れることを拒むように。
「明希、明希の夢って何?」
唐突に音也くんが聞いてくる。
「私の夢?まだ決まってないなぁ。でも、先生とかになれる資格をとるつもり」
「しかく?」
「うーんと、権利?なってもいいよっていう許し、かな?」
「明希は先生になるの?」
「どうかなー」
「俺、明希が先生だったらよかったなぁ」
「そう?」
「うん!優しいし、綺麗だし、かわいいし!…絶対いい!」
小学生のくせにもうこんな口説き文句を持っているのか、と驚いた。
そして、ちょっと私の頬が熱いのはきっと気のせい。
「音くんは?」
誤魔化すように話を逸らした。
「俺はね、アイドルになりたい」
「アイドル?」
「そう!俺歌うの好きだから!」
音也くんはよく私にも歌を歌ってくれた。
私の好きな『愛故に』という曲を教えると一緒に歌ってくれたりもした。
心から歌うことを楽しんでいる子だから、この子がアイドルになったら本当に素敵だと思う。
「音くんがアイドルになったら私ファンになるね」
「本当!?俺ね、いっぱい明希に歌ってあげるよ!」
「楽しみだなぁ」
未来の音也くんに思いを馳せる。
音也くんは顔立ちも整っているし、本気で目指したらなかなか良い線行くんじゃないだろうか。
ふふふ、と笑っていると、となりから淋しそうな声が聞こえた。
「明希は今日でいなくなっちゃうの?」
眉を下げて、音也くんが私を見ている。
「うん」
静かに答えると、握られた手に力が込められた。
「…いやだ…」
「ごめんね、でもたまには遊びに来るからね」
慰めるように私は言った。
放課後毎日来ていたら、バイトする時間がなくなり、やっていけない。貧乏学生なことが悔やまれる。
沈黙が流れ、私は再び視線を空へと向けた。
小さな空、月と僅かな星が見える。
「俺、明希が好き」
はっきり聞こえた。
けれど、その言葉の意味に戸惑い、私は聞き返す。
「え?」
「ちゃんと、これ、告白だからね!」
そんな私に対して、音也くんはまっすぐ見つめてくる。
「音くん…」
「答え聞いたら、絶対子供扱いされるから答えはいらない。でも、ちゃんと…ちゃんと…言いたかったんだ」
泣き出しそうなのに、無理に笑って見せる音也くん。
その姿は立派な男の顔になっていた。
だから、変に流したり、おどけたりしたら失礼な気がした。
相手は小学生だけど、恋が何か分かっているんだと思う。
私も音くんのことは大好きだけれど、恋とは違う大好きだから。
「うん…ありがとうね」
お礼を言うくらいしか、できなかった。
あれから、何年経ったろう。
トースターの音に慌てて走り寄り、口にパンを咥える。
「熱っ」
まだ熱い部分に触れてしまい、反射的に手を引っ込めた。
ガタン、と音を立てて、手にぶつかったリモコンが落ちた。
時間がないと言うのに…。
拾おうと手を伸ばすとテレビから声が聞こえてきた。
「もー」
『本日、私がインタビューしてきたのは話題の新人アイドルユニット!ST☆RISH!彼らの魅力にぐぐっと迫ります!』
リモコンを手にした私は、画面を見て留まった。
「すたーりっしゅ…」
最近デビューしたばかりのアイドルユニットだ。その中の一人、明るい笑顔を振りまいて、彼らの中心にいる彼。
見覚えのある顔…声…。
「音…くん?」
『はい!一十木音也15歳です!』
あの頃と変わらない笑顔、人を惹きつける天真爛漫さ。
本当に…アイドルになったんだ…。
口元を押さえて、私はテレビを見る。
『ええっ初恋ですか!?』
レポーターが次々メンバーに話を聞いていく。
音也くんには初恋はいつ?という質問がされた。
『小学生の時、実習に来たお姉さんがいたんですけど、俺、その人が好きだったんです!』
その言葉にどきっとする。
まさかね、なんて思っていると音也くんがカメラに向かって手を振った。
『明希ー!俺ちゃんとアイドルになったよー!そっちは先生になったー?』
うそ…でしょう…?
『こらー!音也なにやってんだよー』
『そういう趣旨の番組ではないんですよ』
『えへへ、ごめーん』
音也くんが私のことを覚えていてくれた。
私との約束、守ろうとしてくれたんだ。
涙が溢れて止まらなかった。
こんな顔で行ったら同僚たちに驚かれちゃうかもしれないな。
でも、こんなに嬉しいことって、ない。
音くん、ありがとう。
私も、音くんのおかげで先生の道へ進むことに決めました。
まだまだベテランとは言えないけれど、今では小学校の先生をやってます。
「あっ!時間っ!もう家出なきゃ!」
音くんに会えたから今の私があるんだと思う。
音くんがアイドルになる理由の一つに私がなっていたらとっても嬉しいです。
約束したから守るね。
私はアイドル一十木音也くんのファンになります。
これからも、いろいろな歌、聴かせてください。
明希より