「嶺ちゃーん」

「はーい?」

見慣れたシャイニング事務所。
所属アイドルたちが今後の打ち合わせなどを事務所スタッフとするため、よく溜まっている場所がある。
そこには大きめの液晶テレビが設置され、テーブルを挟んで黒く存在感のあるソファーが置かれていた。
高級そうな黒の見た目とは逆に、そのソファーは柔らかく、座る者に安らぎを与える。
嶺二もまたその席に魅せられた一人だった。

「嶺ちゃんは、なんでいっつも事務所にいるの?」

そんな嶺二のとなりにちょこんと座る小さな少女がいた。
きらきらと無垢な瞳で嶺二に少女、明希は尋ねる。
明希はシャイニング事務所が最近売り出し中の子役だ。兄がこの事務所に所属しているため、その伝で明希も所属が決まったのだ。

「んー?なんでだろうねー」

「明希がここに来ると嶺ちゃんいっつもいるよねぇ」

地に届いていない足を揺らしながら、明希は嶺二を見上げる。

「明希ちゃんは僕が居るの嫌?」

「ううん!ここに来れば嶺ちゃんに会えるの嬉しい!」

天使のように笑う明希を見て、嶺二の頬も緩む。普段から引き締まっているわけではないが、この少女にこんなに嬉しいことを言われて緩まないわけがない。
自覚していながらも直すことなく、嶺二は手を伸ばし、明希の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

「やー!嶺ちゃんやめてー」

幼くとも女優である少女。自身の髪を乱されるのは不快なようで、細い腕で嶺二の手を払おうとする。
その姿すらかわいくて仕方がない。
ぎゅっと抱きしめ、頬擦りまでし始めた嶺二にそろそろ明希の顔も嫌悪感を隠しきれなくなってきた。

「やめろ、バカ」

ポカンと何かが嶺二の頭を叩く。

「何すんの、ランラン」

大げさに頭をさすりながら、嶺二は後ろを見上げた。
そこには丸めた台本を握った蘭丸が睨みを効かせて立っていた。

「あ、ランラン!おはよう」

時刻は昼過ぎ、朝ではないのにおはようと言う明希。業界ルールをしっかりと弁えているようだ。

「そのランランって呼び方ヤメロ」

蘭丸が眉間に皺を寄せるが、当の本人はにこにこと笑うだけ。
そんな明希に蘭丸は軽くデコピンを食らわせる。
基本的な業界ルールは覚え、先輩には敬語で話すことができる明希だが、事務所の一部の先輩たちにはこのようにフランクに話している。
一部の先輩、に蘭丸が入る原因は間違いなく嶺二のせいなのだが。

「嶺二、お前今日はなんもねーのか」

なんも、とは嶺二がたまに蘭丸に持ってくる実家の残り物弁当のことを指している。
しかし、明らかに嶺二の手には何もない。

「ごめんねー」

悪びれる様子もない嶺二は再び明希で遊び始める。
明希が逃げるよう身を捩ると、上から伸びてきた腕に軽々と身体を持ち上げられた。
そして、すとん、と床に落とされる。

「ランランありがとー」

うまく逃げ切れたのが嬉しいのか、明希はソファーの背もたれから顔をひょこひょこ出したり引っ込めたりして嶺二をおちょくる。
本人はおちょくっているつもりなのだろうが、周りから見れば嶺二が明希と遊んでいるように見えるのは当然のことだ。

「あっそうだ!」

ごそごそと少女は自身のワンピースについているポケットを探る。

「あった…!」

満面の笑みで明希が取り出したのは桃色の飴玉だった。
明希はそれを蘭丸へと差し出す。

「ランラン、食べる?」

欲しいような、受け取ったら負けなような、そんな考えが蘭丸の脳裏を過る。
しかし、明希の好意を踏みにじるわけにもいかない。
馬鹿にしているわけではない。ただ、蘭丸が望むのなら貰って欲しいと言わんばかりの明希の視線に蘭丸は耐えきれず口を開いた。

「おう」

ぶっきらぼうにそう答えると明希の手から飴玉を掴む。
そして片手で包みを開き、口内へ粒を落とした。

蘭丸の左頬が膨らむ。
まるでリスのようだと思いながら明希は蘭丸に尋ねた。

「おいしい?」

「おう」

「よかった!」

喜ぶ明希。
初めて見た時、明希にとって蘭丸は嶺二と比べ随分怖い印象だった。しかし、今では優しいお兄ちゃんの一人くらいに思っていた。

蘭丸もまた、最初はガキなんてうぜえだけだ、そう考えていたのだが、明希が自分に対して全くというほど敵意を向けず、さらには甘えられ、感謝までされては特に嫌う理由がなくなってしまった。

そのきっかけというのは以前、たまたま明希と蘭丸が同じ現場だった時に昼食として用意されたロケ弁が幼い明希には多すぎたことだった。
食べ物を残してはいけない。そう教えられてきた明希にとって、食べ切れないお弁当はどんな監督の罵倒よりも恐ろしく思えた。
そんな時、明希の隣にいたのは蘭丸だった。
箸の止まった明希を見て蘭丸は一言言った

「食わねーんなら、食うぞ」

それはただ、自分の分の昼食だけでは満たされず、イライラのままに発した言葉だったのだが、追い込まれていた明希にとっては天の助けに思えた。




「ランラン、なーんか明希には優しいよねー?」

嶺二がそういうと鬱陶しそうに蘭丸は見下ろす。

「そりゃお前と同じ扱いしろっつー方が無理だろ」

ガリッ…。
蘭丸は奥歯で飴を噛み砕く。
自分にはできない芸当に明希は小さくも大きな瞳で蘭丸を見た。


蘭丸がそれに気づき、明希を抱き上げる。
ただでさえ座っている嶺二は明希が普段見るより随分低い位置に居た。

「たかーい!」

きゃっきゃっと明希が喜ぶと蘭丸も気を良くしたのか明希を振り回す。

「ちょ、ランラン?怪我させちゃだめだからね?」

「うるせーな」

「うるさくないから!」

嶺二の制止も聞かず蘭丸はより大きく明希を振り回す。

「きゃーランランはやーい!」

明希が嫌がる素振りを見せないからか蘭丸も楽しげな表情を浮かべる。

「あ」

しかし、案の定蘭丸の手から明希が離れる。
そして幸か不幸か明希が飛んで行った先は嶺二のいるところだった。


遠心力を付けた明希の身体と共に嶺二はソファーから転げ落ちる。
さらに、その先にあるテーブルに思いっ切り頭を打ち付けた。

嶺二の腹に乗りかかる形になった明希には特に被害が及ばなかったことに蘭丸は安堵する。

「嶺ちゃん大丈夫?」

腹の上で眉を下げる明希に、あまり大丈夫ではないが反射的に嶺二は笑顔を見せた。

「大丈夫だよ」

そして、ぎゅうっと明希を抱きかかえる。

すっぽりと包まれて明希は逃げ場を失った。

「嶺ちゃんはーなーしてー」

少女の叫び声が事務所に響き渡る。
そして青年の笑い声がさらに響いた。

シャイニング事務所の、とある一角、

とあるアイドルたちのとある日常…。



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