すぅっと頬を掠めていく冷たい空気。
手をこすり合わせてもやはり寒くて、はぁっと吐息を両手に出した。
「最近すげー寒くなったな」
隣から聞こえてくる声に返事を返す。
「うん、冷えるー!」
翔が周りを見渡し、すっと私の右手を掴む。そのまま翔のコートのポケットに2人分の手がすっぽりと収まった。
「…いいんですか?」
私もちょっと周りを気にして、少々ふざけた口調で尋ねる。
「たまには恋人っぽいことしたっていいだろ?」
いたずらっぽく笑って、翔が私の手を握る力を強めた。…温かい。
早乙女学園を卒業してもう随分と経った。
アイドルと作曲家。二人三脚でここまでやってきた。翔は小さな仕事にも熱心に取り組み、ついに先日、ファーストシングルの発売が決まった。
その曲を作るのが私の役目。
今日は出来上がったばかりの曲をレコード会社の会議に提出してきた。
ゴーサインが出たら、正式に翔が歌って、めでたくCDになる。
私たちの夢がまた一つ叶うことになるんだ。
「なんかさ、…俺、遅くてごめんな」
「なにが?」
少しだけ、私より高い位置にある顔を見上げて問いかける。
肩が触れそうなほど近い距離。
歩くスピードは同じ。翔の隣を歩くことはこんなにも当然のことになっていた。
「レンやトキヤはもうとっくに有名になってるだろ?」
もうすぐ夜になってしまうであろう濁りのある青の空を見て翔は言う。
「俺、他の奴らに比べて足が遅いんだなって…」
車の通りもない、細い路地。裸になりかけている樹木からまた一枚、葉が舞い落ちる。
枯葉の絨毯を踏む、2人の足音だけが響いていた。
「速くはないかもしれないよ」
掴まれていただけの右手。動かして、相手の手にしがみつくように絡めた。
「でも、私も速くないから、この速さがちょうどいい。翔は置いていかないで居てくれるから。小走りになる時は、手を引いてくれるから。
だから、私は翔の隣が好きだよ」
にこり、笑えば翔の顔が歪む。そして、ぎゅっと抱かれた。
「サンキュ…。…俺も、お前がここに居てくれてよかった」
耳元で直接言われる言葉。くすぐったく思えて、頬が緩む。
「ほんと…愛してる」
ちゅっと軽く耳に唇が当たり、翔の身体が離れていった。
恥ずかしくなって俯いて、視線を隣に向ければ本人までちょっと顔を赤くしてる。
もしかしたら、ただ寒くて赤くなってるだけなのかもしれないけれど。
黙って再び歩きだす。
かさ、かさ、落ち葉の割れる音。
もうすぐで事務所の寮だ。
大通りに出る前に、私は翔のポケットから手を引き抜いた。
アイドルにスキャンダルは御法度だから。
さみしくなった手が空を切る。
もう少ししたら家に着くから我慢我慢。
さすがに冬なだけあって、暗くなるのが早い。
数分前と比べて、もう星がよく見えるようになっていた。
自動販売機の電光がぼんやりと明るい。
なんとなく立ち止まると、翔もまた隣で歩みを止めていた。
「なんか飲む?」
優しく笑いかけられて、頷く。
「コンポタ、飲みたい」
翔が財布を出して、ボタンを押す。ガコン、と鈍い音がしてスチール缶が落ちてきた。
「ほれ」
「ありがとう」
受け取り、頬に充てる。
熱いくらいのそれが気持ちいい。
シャキシャキコーン入り!と書かれた文字を見て、缶を振った。
翔は隣でもう一つ買っていた。
「コンポタじゃないの?」
その缶が黄色くないことが気になり、私は口を尖らせる。
この季節、やっぱりコーンポタージュを飲むことこそが至高だと私は思っていたから、翔もきっと同じものを好むだろうと勝手に思っていた。
「ホットココアにした。お前、ココアも好きだろ?」
その言葉を聞いて、自分が少し恥ずかしくなる。そして、感じる愛しさ。
私のわがままである「一口ちょうだい」にも翔は慣れてしまっていたらしい。
確かに、同じ物を買っていたら一口ちょうだいができなくなる。
「すきっ」
ココアも、ココアのように甘い翔も。
「火傷すんなよ」
「分かってる」
プルタブを開き、温かいそれを飲み込む。
口に、喉に、胃に…。熱が流れた。
まろやかな味、舌に残る粒。高級品ではないけれど、とっても美味しく感じる。
「はい、交換!」
お互いの缶を渡し合う。
翔が口付けた缶になんの躊躇いもなく私も口を付けた。コーンポタージュと同じ温かさだけれど、それとは違う甘い味が口いっぱいに広がった。
冬のココアもなかなか良いものだなと思った。
もし、今私が一人だったのなら、ココアの良さを実感することもなかっただろう。
「おいしいね」
「だな」
もう一度交換。
返ってきたコーンポタージュを両手で包む。
信号待ちして、もう目の前に寮は迫っていた。
「晩御飯、なんにしよう」
「冷蔵庫ん中何あんの?」
「何あったっけ?覚えてないや。でも鍋食べたいなあ」
「おー、いいな鍋」
「足りないものあったら買いに行こう」
「このまま行ってもいいけど」
「あ、そっか」
向きを変えて青信号の方へ進む。
スーパーまでは歩いて5分くらいだからすぐ着くだろう。
「んー」
「どうした?」
直立にしても落ちてこない。
「コーンが残っちゃった」
片目で穴を覗き込めば、奥にへばり付いているコーンが見えた。
「気になるよな、それ」
翔が笑う。叩いたり、色々試してみても取れそうにない。
「あー、気になる!悔しーい」
スーパーの入り口には分類別に分けられたゴミ箱がある。捨てるならそこ。
だんだん近づくそれに、諦めるように腕を下ろした。
びゅう、一際冷たい風が吹き抜ける。
一瞬強張る身体。
夜は冷えるなって考えてたら、翔が私を見てた。
そして、繋がれる手。
「しょ、翔?」
スーパーも近いし、誰が見ているかも分からないこの場で手を繋ぐなんて自殺行為だ。
「ごめん、ちょっとだけ」
立ち止まって、真剣な顔でその手を見つめる翔。
よくわからないけれど、冬の寒さは翔の心の不安を煽っているのかもしれない。
「翔、翔がいるだけで私はいつだってあったかいんだからね」
私がそういうと、翔は瞳を閉じて、小さく私の肩に頭を預けた。
「明希、どんなことからも俺がお前を守るから…。だから、ここに居ろよ」
寒さも、向かい風も、赤信号も。いろんな物から翔は私を守ってくれる。
隣で、笑って、名前を呼んで。
「もちろん」
私が返せるものなんて大したものじゃないけれど、それでも翔が望むと言うのならいくらでも翔のために尽くしたいんだよ。
翔が隣にいてくれたら、他には何もいらないからね。
不安になんてならなくていいんだよ。
「だって私は翔のものだから」