沈みゆく太陽の光が空を黄金色に染める。
今日の夕焼けは妙に綺麗で、何気ない日常を輝かせるように私の瞳にも届いていた。
それが、胸を僅かに締め付けていることを私以外の誰が知り得るだろうか。
「明希さん!また明日ね」
「また明日」
友に手を振り、微笑み返す。
教室の窓から差し込む光は朝日とはまた違った眩しさ。
気づいたら私だけが教室に残っていた。
帰ろう。そう思って、鞄を肩にかける。
教室の電気を消し、廊下ですれ違ったとなりのクラスの担任に会釈をした。
階段を降りる度に足音が響くが、長めのスカートは乱れることなく一定のリズムで揺れる。
周りと同じくきっちりと着こなした制服は本来の美しさを保っている。しかし、個性は見当たらない。
昨日駅前で見かけた同い年くらいの少女たちの制服はスカートが短く、シャツはだらしなく垂れていたが、そこには彼女たちらしさが現れていた。
真似をしたいとは思わない。
この学校であのような身なりをしたら奇人変人のように見られるだろうから。
けれど、自分を表現する術を持っている彼女たちを羨ましいと感じる私がいるのも事実だった。
私はいつだってそうだ。
ピアノの先生もよく言っていた。
『あなたはとてもいい耳をしているわ。一度聞いたらそれを忠実に再現できるし、楽譜をとても正しく読み取れている。でも、あなたらしさが足りないのよね』
ピアノを弾くのは好きだ。
この学校には嗜みとしてピアノの演奏が出来る人が多いけれど私はその中でもそれなりのレベルであるように思う。
でも、それでは意味がない。
ここから数駅離れたところに早乙女学園という学校がある。
そこには作曲家コースがあると聞いて、私は誰にも言わずに願書を出した。
中等部からの持ち上がりなので両親も友人も私が今の学校に通うと思っていたろうから一切口にはしなかった。そこは、アイドルを目指す者たちの憧れの学校だったため、私には進学を希望しているなどととても言えるはずがなかった。
結果は不合格。何事もなかったかのように私は高等部へ進んだ。
顔には出さず、期待に胸を膨らませた様子で新入生代表としてステージの前にも立った。
内心、悔しくて辛くて堪らなかったのに。
私が立ちたかったのはここではなかったのに、と。
鞄の中でマナーモードにしてあった携帯電話が震えた。迎えの車の到着を知らせるメールは数十分前に既に来ているはずだ。
不思議に思い、開く。
そこに表示されていた名前に心臓がどくり、脈打った。
切れてしまう前に私は電話に出る。
「もしもし?」
少し緊張して声が細くなった。
耳に聞こえるのは優しい、幼なじみの声。
『明希か。すまない、突然』
「ううん、平気。こっちももう放課後だし。…どうかしたの、真斗くん」
彼、聖川真斗は私の幼なじみであり、聖川財閥の跡取り息子だ。
彼は早乙女学園のアイドルコースに通っている。
そう、私が不合格になった早乙女学園に。
『いや、特に用はないのだが、久しぶりに声が聞きたくなったからな。元気か?』
「…。元気じゃないって言ったらどうする?」
1つだけ年上の彼に、困らせるように私は答えた。
いい子だいい子だと言われ育った私の唯一のわがままを言える場所。それは彼の前だった。
真斗くんの境遇は私とよく似ていた。
まるで兄のように頼れる真斗くん。
苦しみも親からの重圧も同じように理解してくれる真斗くん。
好きだった。
大好きだった。
もちろん、今も。
『体調が良くないのか?明希』
「違う。そう言うんじゃないの。…真斗くん。会いたい」
人気のない階段の踊り場。立ちすくむ私。
『明希…』
無理を言っているのは分かっている。忙しいに決まってる。困らせるのは分かってる。
だけど、
「真斗くんに、今会いたい」
はっきり、でも弱い声で告げた。
少し間があって、私のわがままを真斗くんは受け入れてくれた。
「……分かった。今からそっちへ」
「ううん、私が行く。行かせて。早乙女学園でがんばってる真斗くんの姿が見たいの」
嬉しくて、ほっとして、携帯を握る手に力がこもる。
電話を切ったあと、私は駆け出していた。
乱れるスカートのプリーツも気にせず、階段を一段飛ばしで駆け下りた。
校門のとなりで待機していた車に乗り込み「早乙女学園へ連れてって」と運転手に頼み込む。
電話を切らなかったかよかったのに、なんて今更後悔した。
会えるのは嬉しい。
でも会えるまでのこの時間が惜しい。
声を聞いていたかった。切らずにずっと話せたらいいのに。
そんなのはしたない。
でも、声が聞きたい。
冷静で居られなくなっている私をうっすらと空に現れた月が見ていた。
真斗くん。
真斗くんとのこの関係だけが今の私の支えなんだよ。