やば…。
えええっとどうしよう。
17年間生きてきた中で1番血の気が引いてる気がする。
鍵、持たずに家出ちゃった…。


今日の朝は寝坊して朝ごはんも食べずに家を出た。その時はまだ家にいたお母さんは今日の夜は仕事で帰ってこない。お父さんはもともと単身赴任で家にはいないし、私には兄弟もいない。
つまり家に入る術がない…!

ど、どうしよう。
窓割って家入るべき?いや、さすがにそれは…。
じゃあ、どこかで一夜を過ごさなきゃ…。ただの学校帰りな女子高生の私には持ち合わせがないからホテルなんかに泊まることもできないし…、そうだ、友達の家!ってああああ朝慌てすぎてケータイ部屋に置きっぱなしにしてきたんだった。今日に限って、自分やらかしすぎ。誰にも助け求められない。
…なんてこった…。



公園…コンビニ…。
考えてみてもいい案は思い浮かばない。

ほんと、どうしよう……。




泣きたくなりながら私は近所を徘徊することにした。

こんなことならもっとご近所さんと仲良くしとくべきだった…。会ったら挨拶くらいはするけど突然「一晩泊めてください」なんてとても言えない。非常事態ではあるけどそんな勇気ない。
友達も…近所に住んでる子はなかなか…。…あ。
一人だけ、家から近い知り合いを思い出した。
ただ、友達と呼べる相手かと言われると…ううーん…。
でも、あの家には幼い頃はよく行ったし。………一か八かだ。





ピンポンを鳴らして。深呼吸。落ち着け私落ち着け。

『はい』

インターフォン越しに聞こえた予想通りの人物の声。

「あ、あの松井です」


目の前には月森とかかれたプレート。そして、他と比べると大きめな綺麗なお家。
10年振りくらいに間近で見るそれは妙に輝いて見えた。

『…何か?』

抑揚のない、そっけない返事に分かっていたこととはいえ余計に緊張する私。
もちろん、ここで引き下がるわけにもいかず、意を決して口を開いた。

「あ、えっと、…すごく、言いづらいんだけど…一晩、泊めてもらえませんか」

『………』

やはり、というかすぐに返事は返ってこなかった。
突然泊めてくださいなんて、どこかのテレビ番組みたいだ。

「…ご、ごめん、急に…」

普通だめ、だよね。

冷静になってそう思い来た道を戻ろうかと考える。
すると、キィと何か音がした。その音のした方を見ると、月森邸の立派な玄関から彼の顔が私を見ていた。

「蓮くん…」

つい、口からぽろりと名前が出た。
けれど、すぐに考え直す。蓮くんなんて呼び方今したら失礼だろうか、月森くんって呼んだ方がいいのかもしれない。
でも、こうやって心の中で呼んでいるだけなのに月森くんって呼び方は慣れなくて少しくすぐったい。

「……、…どうかしたのか」

向こうもまた私の呼び方に戸惑っているようだ。
無理もない。幼稚園や小学校入ったばかりくらいの歳まではあんなに仲が良かったけれど、今ではもうお互い高校生なのだからあの頃のように、なんてできるはずがない。

「うん…その…実は今日うち親が仕事でいなくて、それで、鍵、私…家の中に置いて出て来ちゃったから入れなくて、……どうしようって…」

まともに顔をあわせられない。
長い沈黙が辛い。
聞こえてきたため息が、さらに私を惨めにさせる。
自業自得、なんだけど。

「わかった」

「…」

わかった、とはどう言う意味だろう。私の阿呆さが改めててわかりましたってこと?

「…いつまでそこに立っているつもりだ」

「え、あ、ごめ」

門の前から3歩後ずさる。

「…下がってどうする」

「え?」

「入るのなら早くしてくれ」

そういって、玄関の扉を大きく開かれた。
驚きながらも、私は慌てて門を開き、玄関先の蓮くんの前へ行った。

「と、泊めてもらっていいの?」

「他に行くあてがないんだろう」

「う、うん…。ありがとう」


久しぶりに入った蓮くんの家。
知らない家の匂いがした。あの頃はそんなこと全く思いもしなかったのに。
けれど、飾ってある置物や絵の配置はほとんど変わっていなくて、違っているのは私の目線と、蓮くんの頭の高さだけのような気がした。

「おじゃまします」

「スリッパはそこにあるものを使ってくれて構わない」

「うん、」

ぎゅっと学校指定の鞄を握り締める。
どきどきしながらも、すごくほっとしている自分がいた。



明かりの元で改めて蓮くんが何か言おうとして、すぐ口を閉めた。

なんだろう。

「れ、…蓮くんって今も呼んでいいかな」

私がそう言うと、無表情だった蓮くんの顔が少し柔らかくなった。

「ああ」

私のこの問い掛けは無駄ではなかったのだろう。

「…明希…も星奏だったんだな」

戸惑い気味に蓮くんが私の名を口にする。声変わりをして、ワントーン低くなったその声からも懐かしさが溢れた。

「う、うん。普通科、だけどね。蓮くんが音楽科なのは私知ってたよ」

コンクールだのなんだので月森蓮の噂は普通科棟でも聞こえてきた。
対する私は音楽もやっていなければ勉強ができるわけでもない。同じ2年生といえど校舎もちがう目立たない私を蓮くんが知らなくても驚くことではないのだ。

「そうか。…明希」

「なに?」

後を追ってリビングに入る。
子どもの頃広く感じたこの部屋は、今もまだ大きく感じた。

「夕食は?母が作り置きして行ったものがある、それを今から食べようと思っていたところだったのだが、よければ君も…」

「え、いいよ!泊まらせてもらえるだけでありがたいし」

「かなり量があるので君が遠慮する必要はない。空腹でないというのなら別に構わないが」

突然上がり込んだくせに図々しい気もするが、時間も時間なので正直お腹は空いている。それに月森家で頂くご飯は子供ながらに美味しいと分かっていた私の記憶が是非頂こうと騒ぎだす。

「……いただきたいです」








ぐつぐつとスープの煮立ついい匂い。
私はふわふわの大きなソファーに腰掛けていた。

キッチンに立つ蓮くんの後ろ姿はあまりにも似つかわしくなく、つい目で追ってしまう。


「……蓮くん?」

「いや…なんでもない」

不自然な動きを見せる彼。待っていろと言われたが、あくまで客人ではない私が手伝おうとするくらい許されるはずだ。
かばんだけ置かせて貰い、私は立ち上がった。


「ちょ、蓮くんお鍋!火もう少し弱めなきゃ!」

覗きに行くとまず目に入ってきたのは吹きこぼれる寸前のスープ。蓮くんは何かを探しているようだった。

「すまない」

慌てて弱火にして、近くにあったおたまで鍋の中身をぐるりと掻き交ぜる。

「蓮くん、何探してるの?」

「杓文字を…」

「ああ!」

どうやらごはんを茶碗に付けようとしていたらしい。あたりを見回し、お目当てのものを見つけた私は蓮くんに手渡そうとする。しかし、寸前でそれをやめた。

「明希?」

「私が準備するよ。蓮くんは待ってて」

「しかし」

「大丈夫だから!出来てるものを出すだけなんだし、それくらいさせてよ」

蓮くんは見るからに家事が苦手そうだ。人様のお家ではあるけれど、少しだけ私の勝手を許して欲しい。

「………」

「ほら、座ってて!」

納得いかない表情を見せる蓮くんだったが、私が作業した方がいいと内心理解しているのか反論はしてこなかった。







「今さらだけど、蓮くんとこも今日はご両親お仕事でいらっしゃらないんだね」

「ああ…」


シンプルながらもお洒落なデザインのテーブルに料理を並べ、私たちは向かい合う。
考えてみれば男の子と二人っきりなんてなかなかにありえないことだが、自然と言葉が交わせる。噂の月森くんといえばクールで無駄なお喋りはしないと聞いた。でも、そんなの子供の頃から変わっていないため私は逆に話しやすかったのだ。


「蓮くんのお母さん、また当分帰ってこないの?」

「ああ。今はヨーロッパを回っているらしい」

「相変わらずすごいね」

「…そうだな」

私のすごいは月森家全体を指しているのだけれど、蓮くんのはお母さんへの尊敬の意味のすごいだと思う。私からしてみればこんなことが日常であることが不思議で、両親だけでなく蓮くん自身も立派なヴァイオリン奏者なのだから尊敬に値する。
そういえば、幼い頃から蓮くんはヴァイオリンを弾いていて、一緒に外で遊んだ覚えがない。私も外で遊ぶのより、室内でおえかきをしたり人形で遊ぶ方が好きだったから問題はないのだけれど、親が仕事で私が月森家に預けられた時もたいてい蓮くんは一人でヴァイオリンを弾いていた。あの頃はそれが普通だと思って不満にも思わなかったけれど、別の友達と私が遊んでいて、その子にも蓮くんのヴァイオリンを聞かせてあげようと蓮くんを訪ねたら「めいわくだ」と追い返された気がする。
私が一人で遊びにきた時には一度だって首を振ったことがなかったのに。


「蓮くん、あのさ…もし泊めてって来たのが私じゃなかったら追い返してた?」

「…と言うと?」

「あー、えっとじゃあ、学院の普通科女子生徒だったら?初めて見る子とか顔しか知らない子」

「事情にもよるだろうが、他を当たって貰う」

「…男子なら?」

「同じことだ」

「知り合いならいいの?」

「……程度による」


温かくて美味しい食事に今夜の寝床、そして久しぶりに会う幼なじみの存在は私を饒舌にさせた。
普段の私はそんなに男子と話すタイプではない。

「でも私は10年くらい会ってなかったよ?」

「しかし、本当に困っていたのだろう」

食事をしながらも、蓮くんは私に付き合ってくれる。私は話すことに頭がいっぱいで箸が動かない。


「う、うん」

「君を家に入れたとしても、俺の練習の邪魔をしたり迷惑をかけることはあまりないと思った。
それに…
以前にも家に入れないと泣きながらうちに来たことがあったな」

「え!?」

以前、とはきっと幼い頃の話なのだろうが身に覚えがない。


「実際は明希の母が買い物に出掛けていただけだったが、あの時の君はそれを知らず、ひたすら俺の前で泣き続けていた」

「ご…ごめんなさい…」

全く記憶にない。
しかし、眉間にしわを寄せた蓮くんの表情を見て謝らずにはいられなかった。よっぽど迷惑をかけてしまったのだろう。

「今日、君を追い返したらまた君は泣くのかとも思った」

「ええ!?さ、さすがに今はそれくらいじゃ泣かないよ…」

「そうか」

…いや、でももしかしたらちょっと泣いてたかも。

「ご、ごめんね?なんか昔も今も」

「ああ。君が泣く姿は心臓に悪い」

「…あはは…」

まだ今回は泣いてないんだけどな、と思ったが適当に笑ってごまかす。

「それじゃ、俺は部屋に戻る」

軽く手を合わせた蓮くんは空になった食器を重ね、流しへ向かった。

「あ、片付け私がしとくね!」

「……」

先程のように蓮くんは押し黙ってしまう。私に全て押し付けるに気がひけるのだろう。

「気にしないでいいから!ね?」

「…なら、任せる。明希、君は客室を自由に使ってくれて構わない。場所は」

「大丈夫、前と変わってないなら分かるよ。あ、お風呂沸かしておこうか?」

小さい頃に何度もお世話になっていたおかげでだいたいの間取りは今でも覚えている。
笑顔で尋ねれば、蓮くんの表情も微かに明るくなった。

「助かる。俺は部屋にいるから何かあれば呼んでくれ」

「うん。本当にありがとうね、蓮くん」

「いや」

そう言って階段を上り、蓮くんは自室へ行ってしまった。夕食後もヴァイオリンの練習をする習慣がきっと今でも続いているんだろう。


私は残りのごはんを口に掻き込む。
改めて一人になったリビングを見てみると、何故だか人の家のような気がしない。
私の家よりも遥かに生活水準は高そうで生活感があるわけでもないのに、とてもアットホームに感じられる。


2階から聞こえてきたヴァイオリンの音で頭の中に次々と思い出が蘇り、
まるでタイムスリップしたようで、鳥肌が立った。












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