あれから、私は気分が乗らなくて荷物をまとめてすぐ帰宅をした。
練習しないといけいないのは分かっていたけど、楽しい気持ちが全部悲しい気持ちに塗り替えられてしまったからだ。



けれど、お風呂に入って布団に入って、真っ暗な部屋で天井を見つめていたらどっと後悔の波が押し寄せた。
なにしてんだろう私。
明日がコンクール当日なのに、練習なしとかなめてんのか!
それに、なんだよ、あの態度。なんで拗ねてるの!子供か!
絶対先生困ってた。
質問に答えただけなのに突然私が怒り出して…。
ばかじゃん私、だって、せんせいはもう、わたしのせんせいじゃなくなっちゃうのに。
月曜に学校行ったら今まで当然のように見てたあの笑顔見られないんだよ?
それなのに、なんであんな態度とっちゃった。
ありえない。
私が先生のことを好きだったっていう事実より、
先生といられる時間を無駄にした自分がありえない。


悔しいよ。
だって、今の私が好きな先生はその彼女さんがいたからこその存在で、彼女さんさえ先輩に会ってなかったら、私なんてもっと先生に会ってなかったんだから。
この気持ちもその彼女さんあってこそのものだったなんて。

でも、それでもいいじゃん…。
辛いけど、先生、あんなに幸せそうに笑ってた。
それってすごくいいことだよ。

あんな態度とっちゃったけど、私にはまだ先生に会えるチャンスがあるんだから…。
明日無駄にしたらそれこそ全部パァだよ。


暗闇のなか、もそもそ動き、コンポの前まで行く。電気をつけてお目当てのCDを発見。
これに入ってるはず。
トラックを合わせて再生ボタンを押した。
すると流れ出す軽快な音楽。

「エンターテナー」

もやもやした気持ちもオセロを裏返すようにどんどんすっきりしていく。

私が明日演奏したい気持ちってこういうものなんじゃないかな。
先生と過ごして知った、楽しい気持ち。
私なりの解釈と私なりの演奏でみんなをこの気持ちにするんだ。

落ち込んでなんていられないよ。
だって、曲を奏でる私が悲しい気持ちでいたら私の伝えたいものなんて何一つ伝わるはずがないもんね。

…寝よう!
明日は早起きしよう!
今日の分を取り返す。
絶対、ぜったい、いい演奏してみせる。



電気を消して布団へ入る。
おやすみなさい。


















「松井さん今日気合入ってるねー」

「…うん」

「あはは、緊張?いつも通りで大丈夫だって」

「うん…」

朝、誰よりも早くに講堂に入り、みんなが来るまで使わせてもらう許可を得た。
途中から伴奏の子も来てくれ二人で練習。

講堂の中へ入るのは初めてではないし、広さや大きさも知っていた。
けれど、いざステージに立って、一人で(そりゃ伴奏の子もいるけど)演奏するのって結構勇気がいる。
学校内の人の多そうなところで練習したことは何度もあったけれど、それとは違うこの空気。
人が入ったらもっとどきどきしてしまうのだろうか。

…緊張とかしないつもりだったんだけどな。


「あ、そろそろ時間だね、控え室戻ろ?」

「うん…!」

もともと口数の多い方じゃないけど今日は本当にしゃべれてない。
昨日の夜の決意を思い出せ私…!!!


控え室に戻ると他の演奏者たちが着替えを始めていた。

適当に挨拶を返して、ぎこちなく笑ってみる。
なんとなくここに居られなくて私は制服のまま再び控え室を出た。


いつもはにぎわっているのに人気のないエントランス。ひっそりと置いてあるベンチに座って胸に手を当てた。
心臓がばくばく言ってるとかではないのに、落ち着かない。

こんな気持ちになっているのは私だけなのだろうか。

笑いものにされたらどうしよう。
あの曲を選んでよかったのかな。
昨日まであんなにあった自信がなくなってしまいそうだ。

気弱な考えばかりが浮かんでは消える、そんな時。

「松井ちゃーん!!」


学院特有のねじれた大きな階段から声が聞こえた。

すぐさま声のした方を見上げる。

「先生!!」

会えた…!
昨日あんな酷い態度をとった私に普段通りに声をかけてくれた。
それだけで嬉しくて、緊張だとか、そういうものが全部頭から消えた。

「まだ控え室行かなくていいの?」

ちょっと距離があるからだろうか、語尾を伸ばし気味に先生が尋ねる。

「もう少ししたら行くー!」

それに倣って私も叫んだ。
あれ、なんだか気持ちいい。声出すと気持ちいい。

「せんせー!!わたし、がんばるからね!!」

のどにつっかえていたものがなくなったように自然に話せる。
先生の顔見てたら、トランペットが吹きたくなった。

「うん!がんばれ!ちゃんと見てるからね!!」

「あたりまえだよー!」

吹きたい、トランペット、吹きたい。

私は回れ右をしてエントランスの出口へ向かった。
歩いてなんていられなくて、足を速めたら小さな段差に転びそうになった。
でも転んだりしない。すぐに体制を立て直してまた走り出す。

控え室に戻ったらすぐにドレスに着替えた。伴奏の子の好意で髪もまとめて貰った。

その頃には講堂にはたくさんの人が集まっていて、さっきなら客席すらみれなかっただろうに、今の私は早くステージへ行きたいなんて思える。

こんなに吹きたいと思う日がくるなんて思わなかった。

私のペットも早く歌いたいって言っているような気がしてくる。


「松井明希!調子はどうなのだ?もうすぐコンクール開幕なのだ!」

またもや突然現れた妖精。
それに私は笑って返す。

「めちゃくちゃ楽しい!私変かな?早くトランペットが吹きたい!」

「全然変ではないのだ!それは素晴らしいことなのだぞ!我輩、松井明希の演奏がとても楽しみなのだ」

「うん、期待してて!」

私の言葉にリリは目を細めて頷き、消えた。

「松井さーん!先生が舞台袖に集まれってー!!」

「はーい」

そろそろだ。
立ち上がり、ここ2週間を振り返る。

「がんばろうね」

相棒のトランペットに話しかけたら、心強い気持ちになった。
一緒に、私たちの音を響かせよう。















《…―音楽科

   松井明希

ワーグナー作曲

”双頭の鷲の旗の下に”》

アナウンスとともに一歩ずつステージ中央へ向かう。


聞こえてくる拍手が、私がここに立つ理由を教えてくれる。


伴奏者と視線を合わせ、改めて私は客席を見据えた。
たくさんの瞳が私を見ている。
その中に見つけただいすきな先生の顔。

なにも怖いものがない。


トランペットを構え、口から歌を吐き出した。





ノリの良いテンポ。

音の強弱を自在に操る。

全身から生まれるメロディー。

みんな…聴いて。

これが私の演奏だよ。

私、いますごく楽しいよ。


ここで吹けて幸せだよ。


客席を見れば、知らない人の笑顔が見えた。

もっと、笑って。

トランペット、すごく楽しい。




想いはいっぱい溢れ出るのに肩の力は抜けて、まるで屋上で吹いている時みたいに気分がいい。



これが私の答え。

力とは、音楽の力とは人を楽しませることができること。演奏している私まで幸せな気持ちになれること。

ねえ先生、聞こえてる?
先生の音楽を通して伝えたい気持ちってこれだよね。
どうかな?高校生の時の先生より、私もっともっと楽しく演奏できてるでしょ。



ミスも何もない。
間違えないように吹こうとか綺麗な音にしようとか、全然考えていないのに全部が上手くいく。


すごく…気持ちいい。









ワァア…と歓声と拍手が起こった。

曲が終わったら、頭が真っ白になった。


戸惑い気味に頭だけ下げ、すぐに袖へ私はもどった。
観客の笑顔に圧倒されながら。



終わった………。
私、コンクールに出たんだ。
演奏したんだ。

聴いてくれる人にこの気持ち伝えられたんだ。

伴奏の子とぎゅっと抱き合う。


「おつかれさま!いい演奏だったよ!」

「そっちこそいい演奏だった…!伴奏、本当にありがとう…!!!!」

ピアノの音とうまくトランペットの音が重なっていた。


参加してみて、よかった…。























「先生!」

順位発表が終わり、観客たちは帰って行く。
慌てて私はその波に飛び込み、ドレスのまま先生を探した。
せめてお別れくらい言いたい。


「火原先生!!」

やっと見つけた後ろ姿に呼びかける。

しかし、人が密集し騒がしいのロビーでは私の声が掻き消されてしまう。
ヒールのある靴のせいで走り辛い。

先生のとなりにいた女の人が私に気づいて先生の肩を叩いた。


「ひはらせんせええ!」


おなかから声を出してもう一度叫ぶと、私を見つけた先生が手を挙げて呼び返してくれた。


「松井ちゃん!おつかれー!!最高だったよー!」

その言葉を聞いて私は顔を輝かせ、足が痛むことも忘れ全力で先生のもとへ向かった。


「先生っ!私、すごく楽しかった!!コンクール参加してよかった!先生、ありがとう、だいすき!」

先生の両手を握れば、向こうからも力を込められた。

「うん、すごく伝わってきたよ!松井ちゃんの楽しい気持ち。こちらこそ、本当にありがとう。おれも松井ちゃんだいすき」

先生のだいすきと私のだいすきはちょっと成分が違うのだけれど、今はそんなのどうでもいいや。こんなにもきらきらした笑顔を先生が向けてくれたのだから。

「ね、先生、先生は第一セレクション何位だった?」

「え?おれはえーっと…5位、…だったっけ?」

「そうですよ」

となりの女の人が微笑み返す。優しい顔、髪の毛もさらさらですごく綺麗な人。

「じゃあ私の勝ち!3位だったし、絶対先生より楽しんで演奏してたから」

「はは、そうかも。おれの負けかな…」

もしかして、と思って女の人をみると、その人は私にも笑いかけてくれた。本当に美人。

「あ、松井ちゃん、昨日話してた子がこの子!日野香穂子ちゃんね」

やっぱり!
改めて私は先生の彼女を見据える。

「日野です。今日は素敵な演奏を聴かせてくれてありがとう!」

笑った顔はちょっと子供っぽくてかわいい。悔しいけど私より全然お似合いな彼女さんだ。

「こちらこそ、わざわざ来て下さってありがとうございます。…日野せんぱい!」

私がそう呼ぶと日野さんは嬉しそうな顔をみせた。
そっか、素敵な彼女さんだ。



「じゃあ私、控え室戻りますね」

人が少なくなってきた。私も早く着替えて出なければいけない。

「あ、うん。わざわざありがとう」

「こっちこそ!先生、あのね…私、先生に教えて貰えて本当によかった。先生なら絶対いい先生になれるよ。生徒第一号の私が言うんだから間違いない!だから…がんばってね。私のこと忘れたりしたら嫌だよ!…じゃあね!」


言いたいこと全部を言った。私は元来た道を走りだす。
淋しいけど、全部、心から思ってること言えたんだもん。私、がんばった。


「松井ちゃん!おれ、ずっと松井ちゃんの先生だから!」


振り返ると、先生が私を見てた。

やばい。

私泣くかもしれない。

立ち止まらず、私はまっすぐ走り続けた。

その言葉だけで十分だ…。



悲しいことや辛いこと、嫌になることもあるかもしれない。けど、私は負けたりしない。
だいすきな先生に教えて貰った幸せの音。これからも私は奏でていくよ。
誰よりも1番、人の心に響く音を。
そして誰もが、幸せな気持ちになれる音を……。









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