初の飛行機の旅は、12時間ひとりぼっちで心細かったけど、終わってみればそんなに大変じゃなかったかも。
ああ、でもあんまり眠れなかったし、耳もちょっと痛かったから今はゆっくり休みたいかな。
右手で大き目のスーツケースを押して前を歩く人に続く。
周りは見慣れた日本語ではなくローマ字がずらりと並んでいる。今は英語がメインでなんとか読めるけど、ここから出たらドイツ語ばかりなんだろうと思うと不安だ。
でも、一応勉強してきたし、観光地は英語通じるみたいだからなんとかなる!よね…!
背中に感じる重み。
私の大切なヴァイオリンが入ったケース。
最悪、これさえあればいいんだ。
出口が見えてきた。
いるかな?待っててくれるかな?
時間は伝えてあるけど、空港って広いからもしかしたら見つけられないかも。
会いたい…。
はやく…。
日本とは違う空気、周りにいる人たちも鼻が高くかったり色素の薄い髪の人など綺麗な人が多い気がする。
私、本当に来たんだなあ。
「明希」
ゲートをくぐり、探そうと思った途端、
耳障りのいい、私の大好きな声に名前を呼ばれた。
姿を見つけて、自然と頬が緩む。同時に激しい安堵感。
「蓮っ」
駆け足で向かい、その勢いで胸に飛び込んだ。
抱きとめられ、蓮の匂いに包まれたら本物だって嬉しさに心が躍る。
電話で声は聞いていたけれど、こうして触れたのはいつ振りだろう。
「会えてうれしい」
「…俺もだ」
優しい声色。どんなに素晴らしい楽器にもこの音は奏でられないんだろうな。
「疲れたか?」
「うーん、ちょっとね」
顔を見合わせて会話。間近で見る蓮は少し痩せたような気もするけど、輝く空色の髪のツヤはそのままで、やっぱりかっこいいなーなんて思ってしまう。
「でも蓮に会えて元気でた!」
「そうか」
蓮が笑った。
その笑顔がさらに私の笑顔に繋がる。
「持とう」
「あ、ありがとう」
私の荷物を全て代わってくれ、肩に掛かっていた重圧がなくなる。ぐっと伸びをすると気持ちいい。
「これだけは自分で持つよ」
「ああ」
ヴァイオリンケースを再び握った。
今回、このウィーンに来たのには理由がある。
もちろん、蓮に会いたくてってのはあるんだけれど、一番の目的はこっちで行われるヴァイオリンのコンクールに参加することだ。
数年前、既に蓮はこのコンクールで優勝を果たしている。蓮が留学してから、私も遊んでいたわけではない。彼に負けないよう日本でも毎日練習に励んでいた。
このコンクールでいい成績を残せたら、私もヴァイオリニストとして一歩世界へ踏み出せる気がする。
「観光などはいつでも出来る。今日はまっすぐ家へ帰ろう」
タクシーに乗った蓮が言った。
「はぁい」
大人しく私も従った。確かに今日は出かけるには荷物も多いし、体力的にも辛い。
「蓮のお家楽しみだなぁ」
「たいしたものは何もない。必要なものがあれば買いに行こう」
コンクールに参加する間、ホテルで過ごすにはお金が掛かりすぎ、アパートを借りて一人暮らしするのには不安だった。このウィーンの旅の話をした時、蓮が自ら「ならうちで一緒に暮らせばいい」と言ってくれた。その申し出はとても助かったし、なにより幸せだった。
付き合ってはいるものの、なにしろ日本とウィーンだ。この距離は遠すぎる。
ずっと会えなかった分、コンクール期間中は日本にいた時以上に一緒にいられるんだ。
「ヴァイオリンも教えてね」
「ああ」
「あとドイツ語も」
「勉強してこなかったのか」
「したけど自信ない」
「そのうち慣れるだろう」
「蓮の演奏いっぱい聞きたいな」
「いくらでも聞けるだろう」
ふふっと笑って蓮の肩に頭を乗せる。
まるで新婚のような気分だ。
調べては来たものの実際に見るウィーンの町並みは本当に美しい。
ここでは一体どんな音楽に出逢えるのだろうか。
「蓮…」
「どうした」
全部夢なのではないかとさえ思う。
綺麗な風景、ヴァイオリニストのへの道、大切な人。
多くのものが揃うこの場所に私はやってきたのだ。
「わたし、がんばるね」
「君なら大丈夫だ」
「ありがとう」
蓮の左手が私の右手に重なる。
これからどんな毎日になるのか分からないが、きっと上手くいく。がんばれる。
だって、私のとなりには蓮がいてくれるのだから。