最近、おれは気づいたことがある。
「せーんぱーい」
「あ、明希ちゃん」
「聞いてくださいよー、私いままでずっと教室で補習だったんですー」
「わあ、おつかれ」
オケ部の後輩で唯一普通科の松井明希ちゃん。
「ほんとですよ、私は一秒でも早く練習に参加したいっていうのに!ちょっとくらいの赤点、先生も見逃してくれたっていいと思うんですよ」
先輩なぐさめてくださいー、なんて抱き着いてくる明希ちゃんに驚きながらも、おれはかわいい後輩の頭を撫でてあげた。
すると、彼女は満足そうに微笑み、自分のトランペットを握って練習を始めた。
少し前、
おれはこの子のことが『好き』なのだと、そう気づいてしまった。
いままでは同じペットの仲の良い後輩で、一緒にいて楽しかった。
なのに、3年のおれはもうすぐ卒業。あんなに楽しかった毎日も終わっちゃうんだ。思い出す記憶にはいつも明希ちゃんの顔があった。
「先輩?どうしたんですか?練習しないんですか?」
無事大学も決まり、卒業まであと一ヶ月もない。
こうしてオケ部に来てあの笑顔で「先輩っ」と呼ばれることもなくなってしまうんだ。
それって、すごくさみしい…。
他の後輩たちや友達と会えなくなるのももちろん淋しいんだけれど、明希ちゃんのさみしさと比べると何かが違う。
「あ…ごめんね、今からやるよ」
「私どうしても吹けないところがあるんですよー」
「どこ?」
「ここですここ!頭では分かってるんですけどなーんかおかしくて」
見せられた楽譜を見て、吹いてみる。
明希ちゃんはわっと顔を綻ばせもう一回!とせがんできた。いままでに何度このやり取りをしただろうか。
「私、先輩がいなくなってもちゃんとペット続けていけるかなあ…」
コツを教えてあげたらうまく吹けるようになった明希ちゃんがぽつりと漏らした。
「え…?」
「私…先輩がいたからいままでやってこれたと思うんですよ。だって私素人だし、普通科だし、飲み込み悪いし…」
彼女にしては珍しい弱音。どんな時でも笑って頑張ってきた子だったのに。
「そんなことないよ」
「そんなことあります!だって私下手くそで…わたし…せんぱいがいなかったら…絶対…」
唇をぎゅっと閉じた明希ちゃんの顔は今にも壊れてしまいそうで、
おれまで辛くなってきた。
「せんぱい…せんぱい…卒業しないでください…いなくならないでください」
俯いて、絞り出すような声。
「明希ちゃん…」
「ごめんなさい…せんぱい…でもわたし…いやです、せんぱいともっとずっとトランペット吹いてたい、まだまだ教えてほしいこともあります」
ゆっくりと胸に閉じ込めたら、嫌がるどころかしがみつかれた。
それでも顔は見せてくれそうにない。
「明希ちゃん、ありがとう」
ずっと近くで見てきてよく知ってるはずなのに腕の中の明希ちゃんはとても小さく感じられた。
「おれもすっごくさみしいよ」
「………せんぱい…」
「でもね、明希ちゃん。おれには夢があるから」
明希ちゃんにはいろいろ話した。授業であった面白い話、大好きなカツサンドの話、コンクールでの出来事、夢の話。
「先生になりたいと思えたのは、明希ちゃんのおかげでもあるんだ」
教えることの楽しさを知ることができた。
「卒業したら、おれもっとがんばるから。明希ちゃんも一緒にがんばろう?明希ちゃんに夢ができたら、君がおれにしてくれたみたいにおれ全力で応援するよ」
鼻を啜る音。知らないうちにおれの背中には明希ちゃんの両手があった。
「で…も…せんぱいに…会えなくなるの…いや…です」
「会いにくるよ。卒業しても王崎先輩みたいに顔出すから」
「そんなの、…わかんないじゃ…ないですか…ずっと…毎日会ってたのにぃ…」
ぐすっと泣いているのが分かって、おれは出来る限りの優しい声で明希ちゃんに語りかける。
「おれが信じられない?」
「そんなこと、ない、けど…」
「明希ちゃん、おれ、君が好きだよ。後輩としても…一人の女の子としても」
「…せんぱい?」
伝えなくてもいいかなって思っていた。でも、こんなに明希ちゃんが素直に話してくれたんだ。おれもおれの気持ち伝えよう。
そしたら、笑ってくれるかな。
「学校は違うけどいままで以上にメールも電話もするよ。明希がさみしくならないように。明希ちゃんの笑顔が大好きだから」
「………っ」
やっと明希ちゃんが顔を見せてくれた。
「だめかな?」
「…だめじゃない…です。でも約束してください」
「約束?」
「私を先輩の彼女にしてください」
その発言に驚いたものの、すぐにおれは微笑みを返した。
「…うん、じゃあおれを君の彼氏にするって約束してね」
明希ちゃんがやっと笑ってくれた。
「はい…っせんぱい!」
最上級の、おれが1番だいすきなとびきりの笑顔。
この子のために、この笑顔のために、おれはこれからも進み続ける。
辛いことも嬉しいことも全部、受け止めてあげられるように。