「よう!明希!」


目の前に現れた男は、お洒落な形のヴァイオリンらしきものを片手に私に挑戦的な笑みを浮かべた。


「……………、人違いだと思います」

回れ右して走って逃げ出そうとした私。しかし、彼に無意味に力を込められ、肩を捕まれた。痛い。
仕方なく向き直ると、やはり彼…東金千秋は笑みを浮かべている。

そしてその背後にはざわつく女子の集団。

ああもう、どういうことだ。

「逃げんじゃねーよ」

「………なんで…いんの千秋」

ここは横浜。
こいつの庭は神戸。距離がありすぎる。


「大会がこっちであるからな」

「…まだヴァイオリンやってたんだ」

「当然だろ」

だれあの子

千秋さまの知り合い?

千秋くん、あの子を名前で呼んでなかった?

あの子も千秋くんを呼び捨てにしてたわ


集団から聞こえてくる言葉に私は「またか」と奥歯を噛み締めた。


「ちょっと待ってろ」

そんな私に気づいたのか、そう言い残した千秋は元いた所へ戻っていく。


「悪ぃな。今日はこの辺でお開きだ」


えーッという悲鳴にも似た不満の声が上がった。
どうやら千秋とその仲間たちはここで小さなステージを行っていたらしい。
何年かぶりに会ったのに全く変わってないんだなあ…。







「待たせたな」

公園に備えつけられているベンチに座っていたら千秋が現れた。

「…いいの?私だけ特別扱いしたらファンの子たち怒るんじゃない?」

解散はしたものの、今もまだ視線を感じる。

「実際、トクベツなんだから仕方ないだろ?とりあえず場所変えるか」

トクベツ…か。
千秋にそんなこと言われたら幸せで昇天してしまいそうな女の子はいっぱい居るんだろう。でも私はその言葉を聞いても心臓をぎゅーっと潰されるような感覚になり、苦しいだけだった。

当然のように千秋は私の腕を引く。
すぐに私はその腕を振り払い、顔を逸らした。

千秋は何も言わず、私を少し見つめた後、何もなかったかのように再び歩き出した。






「好きなの頼めよ」

「そんなこと言われても…」

「なら勝手に注文するからな」


普通の高校生が入るにはちょっと高すぎる料理店。個室にわざわざ通してもらい、千秋は店員に注文した。


また私はこうして千秋に振り回されて、流されてしまうのか。抵抗もせず。
千秋といると何故かこうなる。他の人となら、私はもっと自由でいられるのに。



「お前が横浜に来て何年だ?」

「…5年、くらいかな」

「そうか…5年」


出されたサラダに手を伸ばす。
寮で食べるごはんもおいしいけど、外食できる機会はそんなにないし、千秋相手に今更遠慮なんてするもんじゃない。
気が進まないのと食欲は別の問題だ。


「星奏だったか…楽しいか?」

「うん、友達もいるしね」

おいしい。
この店の前は何度か通ったことがあったけれど食べたのは初めてだ。


正面に座る千秋を見てふと気づく。

変わってないけど、やっぱり、変わってる。
そりゃ、相手はあの東金千秋なのだから風の噂や雑誌の記事に載ってる写真で、どんなやつだったか忘れたりはしなかった。
でも実際に会ってみると前よりずっと身長も高くなってるし肩幅もある。大人っぽい表情もする。

成長、したんだな…。

ヴァイオリンもますます上手くなってるみたいだし。


「なんだ?」

「なんでもない」

「お前、顔が笑ってるぞ」

「…えっ!?」

「美味いもん食ってると嬉しそうにするとこ、ガキの頃から変わってないんだな」


なのに私はどうだろう。

小学生の時と比べたら、ちょっとは大人になれてるかな?
でも千秋に比べたらずっとずっとつまらない子供なんだと思う。



「明希は寮に住んでるんだったな」

教えた覚えもないのに何故か知ってる千秋。
…どっから調べてんの。

「それがどうかした?」

「俺たちの部も星奏の寮に今日から入るからな」

「………は?」

ガタッと音を立てて私は立ち上がった。

「な、何言ってんの?」

「もう手続きは済んでる」

落ち着いた様子で千秋はスープを飲んでいる。
千秋は神南の管弦楽部としてこっちに来たと言っていた。
わざわざ古い星奏の寮なんかに住み込まなくたって、いくらでも泊まるところなど用意できそうな気がするが…。

それって…私がいるから…?


そう思ったが、
聞けなかった。

理由はそれだけではないかもしれないけれど、答えは多分YESだから。



「……………悪かったな」

「何が」


椅子に座った私に千秋は言った。


「ガキの頃のこと」


「………。」


持っていたフォークの動きが止まった。

「辛い思いさせて」

「…気にしてない」

私はすぐ嘘をついた。

ずっと…覚えている。
あの頃のことを心の奥底でずっと…。



小学生まで、私は神戸に住んでいた。実家は今も神戸にある。

私は千秋と仲が良かった。
千秋は子供の時からずば抜けたセンスの持ち主で、既に学校のアイドル的存在だった。
しかし、私は彼のそんなところを気に入って一緒にいたわけではない。
千秋の実力はもちろん認めていたが、一人の人間として一緒にいて楽だったのだ。

女の子特有の集団行動が私は苦手だった。
良くも悪くも一匹狼だった私に千秋は近づいてきた。
そしてそれを受け入れた私。

自然の流れとして、たくさんの女子を敵に回した。





「だから、明希はすぐ顔に出るんだって」


千秋は千秋にとても似合わない顔をしていた。
いつもみたいな偉そうな表情とは正反対の。


「…千秋だって、変な顔してるよ」

「俺に変な顔だなんて言うの、お前だけだよ」

「こんな風に私に付き纏うのも千秋だけだよ」


ほっといてくれていいのに。
千秋は千秋のしたいことを勝手にやっていればいい。
私のことなんて忘れちゃえばいい。


「俺が横浜にいる間、明希に辛い思いはさせねえ」

「千秋と一緒に居なかったら私は平凡に過ごせると思うけど」

「それは俺が嫌だからな」

「相変わらず自分勝手だなあ」

けど、私の思いなんて関係なく千秋は千秋の意思で動く。
それが千秋なんだから、しょうがないのかな。







「明希、今度あるヴァイオリンソロの部で俺が優勝したら一緒に神戸に戻れ」


デザートを食べていたら、突然言われた。

「なんで命令形…」

ぽかんとして私は返す。

「異論はないな?」

「ないわけがないでしょ。私今の学校好きだもん。神戸戻るなんて考えたことないよ」

星奏での勉強や生活は楽しい。
今更神戸へ帰るだなんてありえない。


「それなら、俺が優勝したら…



俺の女になれ、明希

           」


焔のような赤い瞳が私を見つめる。


「…いい、よ」


まるで一瞬の魔法にかけられたように、知らない間に私はその賭けに乗ってしまっていた。









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